エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

『スリル・ミー』成河×福士ペアを観て、感じたこと・考えたこと。

 

1月20日(日) @大阪サンケイホールブリーゼ
ミュージカル『スリル・ミー 2018』

脚本・音楽・歌詞:Stephen Dolginoff
演出:栗山民也
翻訳・訳詞:松田直行

私役:成河 × 彼役:福士誠治

ピアノ伴奏:朴 勝哲

 

を、観てきた。

 


きっかけは、友人のすすめだ。

東京公演を観劇した友人が、狂ったように「スリル・ミー」としか言わなくなった。何を聞いても、「とりあえず観て」としか言わないので、観に行った。

 

なんてものを見せられたんだ。
なんてものを見せてくれたんだ。

 

密度が高すぎて、圧倒された。
これは確かに「スリル・ミーが…………スリル・ミーの…………スリル・ミーは…………スリル・ミー…………」としか言えなくなるな、と納得した。

 


観劇直後に、その友人本人と会って話して少し落ち着いたが、一歩間違えば気が狂いそうだった。

 


私は観劇前はできるだけ情報を入れず、自分の中の第一印象を大切にしたいタイプだ。
だから、観劇を決めてからは、すすめてくれた友人にも深くは聞かなかったし、他の人の感想なども意図的に避けて生活していた。


何度も再演されている人気の作品らしいので、ネタバレレビューや考察はもう散々されつくしていると思うが、あえて何も見ずに自分の感じたこと・考えたことを整理しておこうと思う。

 

以下、読む人も観ている前提で勝手に語ります。

 

開演前から繰り返されていたアナウンス。

「本公演はたいへん静かな場面がございます。お荷物を触る音など、小さな音でも観劇の妨げとなる恐れがありますので、お気をつけください」

開演時間が近づくにつれ、客席は不思議な静寂に満ちてくる。
カバンから何かを取り出すかさかさという音や、控えめな咳が、妙に大きく聞こえる。

いつ始まってもおかしくない緊張感だが、季節がらかあちらこちらで小さな咳が響く。

「まさかこれは完全に静まりかえるまで始まらないのだろうか」

そう思い始めたとき、舞台上の照明が少しずつ変化していることに気がついた。


そして現れるピアニスト。
両手が鍵盤に振り下ろされ、舞台が始まった。

沈黙の中に響く和音は、どこか濁っていて、美しいのに不安な気持ちになる。
平均律で調律されたピアノは和音に歪みがあるということを、知識としては理解していたけど、初めて「ああ、こういうことなのかな」と思った。
少しずつ歪みが増大し、低い音の倍音が不安を増幅させる。


再び、沈黙が満ち、中央に"私"が現れる。


低く抑えたトーンで語られる、事件。
どうやら"私"は、何か重大で凶悪な事件を起こした犯人らしい。
10代のときに犯した罪で収監されて三十余年。今の"私"はすでに50歳を越えている。


しかし、照明が変化し、再び同じ役者が現れた瞬間、"私"は19歳の青年になっていた。

先ほどまでの死刑囚の姿からは想像もできない、無垢で無邪気で幼い振る舞いに動揺する。
と同時に、"私"をここまで変えたものが、時間以外にも何かあるのだろうなと予感させる。
その"何か"は、きっと"彼"に関係しているのだろうなということも、なんとなく察される。


傲慢で高圧的な"彼"と、そんな"彼"の言いなりになりながらも対等であろうとする"私"……。

「君の本当の心の中を理解できるのは僕だけだ」
「僕を見ろ、君には僕が必要なはずだ」

そう語りかける"私"を、"彼"は文字通り煙に巻く。

伸ばした手は振り払われ、かけた言葉は煙草の煙で返される。
"私"は"彼"のすべてを受け止めることを望むが、"彼"は何一つ"私"に手渡そうとしない。与えてくれない。

 

このやり取りだけで、この二人が何やらただならぬ関係であることが窺える。

 


あまりの密度に息が詰まる。
自分の呼吸が邪魔だ。自分の瞬きと睫毛の落とす影が邪魔だ。自分の肉体が邪魔だ。
純粋に舞台上で起きていることに集中したい。


昨日観たばかりなのでつい比べてしまうが、安住の地『ポスコレ』とは正反対だった。
ポスコレ』は観れば観るほど「観ている生身の自分」を意識させられるような舞台だったが、『スリル・ミー』を観ている自分は、完全に透明だった。
舞台上の二人しかこの世に存在していないような、そんな世界だった。
そこに「観客」はいない。完全に「"私"と"彼"の世界」だった。

 


「スリル」を求めて、"彼"は空き家に火をつけ、空き巣に入る。
"私"は、そんな"彼"の共犯者という立場でしか、"彼"に認めてもらえない。

だから、"私"は"彼"と契約する。
対等であるための、血の契約だ。

盗んだタイプライターで打った契約書に、二人は自らの血液で署名する。


しかし、その契約書があってもなお、"私"と"彼"は対等になれない。

 

「スリル・ミー」

"私"は、"彼"に、そう訴える。

しかし、"彼"の心の中に"私"はいない。

"彼"の心の中を占めるのは、圧倒的な満たされなさ。
そしてそれは、自分よりも父に愛される弟の存在が関係しているらしい。

 

「スリル・ミー」

"私"は、繰り返し"彼"に訴えかけ、"彼"を求める。

 

 

「スリル・ミー」とはどういう意味か。
おそらくこの劇を観た人、全員が抱く疑問だろう。

私もそれが気になって仕方なくて、観劇後に必死で単語の意味や語源を調べた。


thrill
[自]感動する、興奮する、ゾクゾクする、ゾッとする、身に染みる
[他]~をわくわくさせる、ぞくぞくさせる、ぞっとさせる、感動させる―I'm thrilled. : うれしい。
[名]身震い、スリル、ワクワクする感じ、振動、震え


このあたりを見て、「ああ、なるほど、thrillというのは一過性の強い感情の高ぶりのことなんだな」となんとなく解釈したのだが、一番しっくりきたのは、その原義だ。

 

[中英語thirl(穴)の音位転換. 原義は「穴を作る」→「刺す」「戦慄せんりつを起こす」
※thr = 圧迫する、突き刺す、ねじる

 

「スリル」が、極度の興奮の他に「穴をあける」「突き刺す」という意味も含んでいるとしたら、いろんなことに合点がいく。


"私"は"彼"に、「スリル・ミー(俺を貫いてくれ)」と懇願する。

そして、血の契約の際にも、"彼"はナイフで"私"の指先を突き刺す。
しかし、"彼"は、自分の指先は自分で突き刺す。決して"私"にやらせることはない。

 


「スリル」を求めて、あるいは自分か超越した存在であることを証明するために、"彼"は完全な殺人を計画する。
"彼"が最も憎んでいる人物・自分の弟の代わりに選んだのは、何の罪もない少年だ。
少年は、ロープで首を絞められ、ハンマーで頭を割られ、塩酸で顔を焼かれて無惨に殺される。
そこにナイフは登場しない。

 

しかし、そんな"彼"自身は、刑務所のシャワー室で誰かにナイフで刺されて死んでしまう。

 

 

私は、ここがどうにも納得いかなかった。

私は見ながら勝手に「きっと"私"が"彼"を殺すのだろうな」と考えていた。
だから、"私"が"彼"を陰謀にはめ、"彼"が"私"を認める場面は、ある意味で予想の範疇だった。

そして、"私"の望み通り、二人一緒に懲役99年の刑を受け、"彼"は"私"と死ぬまで離れられない運命を受け入れる。

ここで終われば、この物語はハッピーエンドかもしれないが、そうはいかない。
"彼"はここにおらず、"私"だけが事件の全貌を語っているということは、やはりまたどこかで何かが起きているのだ。

「"私"が"彼"を殺すのでなければ、"彼"が"私"への復讐と愛のために自ら命を絶つのかもしれない」

私は、今度はそう考えた。


しかし、驚くほどあっさり、"私"の口から、"彼"が見知らぬ誰かにナイフで刺されて死ぬことが明かされる。

 

ここにきて!なぜ!第三者に"彼"が殺されなければならないのか!
現実はこんなにもままならないのか!

 

 

しかし、「スリル」に「突き刺す」という意味があるなら、この物語の中で最後に"彼"が突き刺されて死ぬのは、きっと何かの運命なのだ。

そう思えば、私が観ながら勝手に感じた憤りもなんとか消化できるような気がする。

 


この話はまだ突き詰めてみたいが、たぶん拾えていないピースがたくさんある。
もう一度観て確かめたいが、密度が高すぎてすぐには無理だ。
また、これを東京のキャパ100くらいのところで観た人は、よく生きていられたなと真剣に思う。
小劇場の方が確かに向いている芝居だと思うが、小劇場の距離感でこんな濃密なものを見せられたら、それこそ気が狂う。

 

そういえば私が観たのは成河×福士誠治ペアだが、もう片方の松下洸平×柿澤勇人ペアでは、また演技や解釈が全然違うらしいので、そっちも観てみたい。

今回『スリル・ミー』を観て、「静と動」の「静」の演技が際立つ舞台だなと感じた。
だからこそ、どうやって行間を埋めるか、どういう沈黙を作るかなど、役者に依る部分が大きいように思える。

 

 

他にも書きたいことや書くべきことはたくさんある気がするが、言葉にできないのでこれくらいにしておく。
とりあえず、今まで封印してた他の人の感想を観に行こうと思う。

 

 

 

<おまけ>

『スリル・ミー』が好きな人はこの作品を読めばいいんじゃないか!?リスト

ドストエフスキー罪と罰
正当な殺人、越えてはいけない一線を越える、真の清らかさとは、真の愛とは、そこに救いはあるのか。

ヘルマン・ヘッセデミアン
対を為す二人、罪の意識、地獄探索、導くものと導かれるもの、「生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない」。

高村薫『李歐』
美貌の殺し屋と平凡な学生、日常と隣り合わせの暴力、離れられない運命にある二人、「惚れたって言えよ」。

萩尾望都ポーの一族
永遠の愛は存在し得るか、求めるものと求められるもの、相手に求めるものが大きいかわいこちゃん。

・新井煮干し子『渾名をくれ』※BL漫画
愛と信仰、ピュアな二人のイビツな関係、尽くすことと尽くされること、相手に求めるものが大きいかわいこちゃん。