エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

『絢爛とか爛漫とか』を観た感想とか勝大さんの話とか

 

8月31日(土) @DDD青山クロスシアター

『絢爛とか爛漫とか』
作:飯島早苗/演出:鈴木裕美

を観てきた。



きっかけは出演者の鈴木勝大さんだ。
勝大さんが出るからという理由で足を運ぶのは、2016年10月『露出狂』、2018年3月『岸 リトラル』、2018年11月『貴方なら生き残れるわ』に続いて四作品目である。

結論から言うと、めちゃめちゃ良かった。
何が良かったかと言うと、「舞台の勝大さんを観に来たファン」である私の気持ちがめちゃめちゃ満たされた。


だから、普通に感想をまとめようと思ったが、終わってみたらほとんど勝大さんのことしか覚えてなくて困った。


とにかく勝大さんを、鈴木勝大という役者を、その演技を、表情を、声を、動きを、余すことなく楽しむことができた…………そんな舞台だった。

 

 

物語の舞台は昭和初期。
登場するのは四人の男達だ。


小説を一本発表したきり、いっこうに二本目が書けず苦悩する小説家・古賀(安西慎太郎)。
ダンスやバイオリンを嗜むモダンボーイで批評家志望の泉(鈴木勝大)。
恋した女性をことごとくエログロ耽美な小説のモデルにしてしまう小説家・加藤(川原一馬)。
大雑把な性格で自由奔放な豪傑・猪岡(加治将樹)。


130分間、舞台に立つのはこの四人だけ。
四人の間で交わされる言葉が、向けられる表情が、揺れ動く感情が、この物語の肝である。


だから、この四人を演じる役者さんのファンの人は絶対に観に行った方がいい。
今までにない密度で、細かなディテールまで余すことなく役を、役者を、味わうことができる。


以下、どこからそう感じたかをつらつら書こうと思う。

 

 

・徹底した具象舞台

物語の舞台は、古賀の部屋だ。
畳で、奥の障子の向こうに縁側、さらに奥のガラス戸の向こうにはこじんまりとした庭が見える。

舞台上手には椅子と本棚。
下手には玄関やお勝手に続いているらしい襖がある。

小道具もすべてが具象物で、演劇的な"嘘"がない、見たまんまの世界で物語が展開する。


物語は春から始まり、夏、秋、冬と季節が移り変わって行くが、そのたびに室内に飾られている花や、庭先の景色が変化する。

 

今まで私が勝大さんを観た三作品は、すべて抽象舞台だった。
もちろん、具象が良くて抽象が悪いというわけではない。抽象舞台で、ひとつの空間がシーンによって様々な表情を見せるのも演劇の楽しみだと思う。むしろ個人的な好みだと抽象舞台の方が好きだ。

しかし、今回、徹底した具象舞台を観て思ったのは、「どこにも嘘がない見たまんまの世界だと、役者も一切嘘がつけない、見たまんまの姿になるな」ということである。
純度100%のその人としてそこにいる……とでも言ったらいいだろうか。


具象舞台は、すべてが本物だ。観客が自由に想像する余地がない分、すべてを見たままに受け止める。
だから、役者の演技に少しでも"嘘"があると気になってしまう。
今までは抽象舞台の方が役者の技術が求められると思っていたが、必ずしもそうでないことを知った。
(そういう意味では、今回の『絢爛とか爛漫とか』でひとつだけ気になったのは、鴨居が低かったことだ。おそらく当時の一般的な設計に忠実なのだろうが、スタイルの良い現代の役者たちは頭をぶつけそうで、気になってしまった。)

 

 

・細部までとにかくリアル

上の具象舞台にも関係するところだが、装置や小道具だけでなく、衣装や音響や照明も細部までこだわってリアルさが追求されていた。

たとえば衣装は、場面ごと、つまり季節が変わるごとに変わっていた。
夏には夏らしく、冬には冬らしく。家でくつろぐ格好なのか、それともよそ行きの晴れ着なのか。


照明も、季節によって明るさや角度が変わっていた。
とくに夏の日差しが斜めに差し込み、縁側の椅子の肘掛けが濃い影を落としているのがとても良かった。
他にも、昼間で窓を開けているのか、夜で室内の電灯なのかによっても明るさの質が変えてあって、どうしたらそんな照明になるのか、思わず灯体を見上げてしまったほどだ。


音響も、流れるのは基本的に環境音である。
音量や聞こえ方も部屋の中に聞こえてくる音としてあくまで自然で、たくさん音があってもうるさく聞こえない。
外を走り回る子どもの声、家の前に止まる車の音など、舞台上に見えていないところまで世界が広がっていることを感じさせるような、そんな音響だった。


音響も照明も「演劇らしく」ではなく、あくまで「自然に」作り込まれていて、とてもとても良かった。

 

 

・ていうか四人しか出てこないから出番も台詞量もすごい!

当たり前の話だが、ほんとにそうだったのだ。

そもそも、私が今までに観た勝大さんの舞台を思い返してみると、『絢爛とか爛漫とか』は出番も台詞量も段違いだ。

 

『露出狂』では、勝大さんはメインの登場人物だったので、出番はたくさんあった。だが、そもそもの登場人物の人数も多く、一人をじっくり見るという感じではなかった。(そんな中でも自然に勝大さんに目がいって「舞台の勝大さんすごいな!?」と思ったりもした。)


また、『岸 リトラル』では一人の役者が何役も演じていたため、「一人の人間」としてそこにいる感覚は希薄だった。


『貴方なら生き残れるわ』では、メインの登場人物ではなかった上に、登場人物も多かった。

 

だから私は圧倒された。
勝大さんが常に舞台上にいる。しかも四分の一だから、めちゃくちゃ集中して見ることができる。


会場が比較的小さかったというのもあるかもしれない。
今回たまたま席が前方だったこともあって、顔の皺や指先の動きまでばっちりしっかり見ることができた。


声も、マイクなどを通していない生の声だ。
しかも囁くような演技でもそのまましっかり耳に届く。

 


・ていうか勝大さんの良かったところの話していい?

いやまあ勝手にするんですけど…………

まず顔が綺麗すぎる。横を向いたときのおでこが綺麗。鼻の角度も芸術的に美しい。

指も綺麗すぎる。指先とか爪の形までまじまじと見たのは初めてかもしれない。綺麗すぎる。

あと腰が細すぎる。スーツ似合いすぎる。

煙草!バイオリン!ありがとうございます!

ねえ、いつの間にそんな微妙で絶妙な表情できるようになったの?
目の表情すごいし、聞く演技がめちゃうまい。
喋ってるときももちろん良いけど、黙ってるときの存在感が最高すぎる。
話を聞く勝大さんが良すぎて、肝心の話している人の言葉を聞き逃したところがある気がする。

 


・他の役者さんも良かったんですよ…………

自分が元々ファンだから、勝大さんにばかり目がいっていた部分もあるが、他の役者さんもこれを機にファンになりそうなくらい良かった。

みんな、そのまま、そこに、生きていた。

だから、冒頭にも書いたけど出演者のファンの人は絶対観に行った方がいいと思う。

ちなみに全員がおでこを出すヘアスタイルなので、おでこの美しさや顔の造形が引き立ってたいへん良かったです。

 


・全員のことが愛しくなるストーリー

ここまで全然話の内容に触れていなかったが、お話自体もとても面白かった。

中心となるのは、二作目が書けなくて悩む小説家・古賀だ。


構想はある、が、書き始めることができない。
自分は偉大な小説家だと思いたいが、実際は嫌になるほど凡人だ。
だから小説家をやめたいのにやめられない。
凡人だからこそ、すがりたくなる。


古賀の場合は小説だが、この自尊心と劣等感に苛まれる感覚は、いろいろな人に当てはまるのではないだろうか。


素直になれない古賀は、思ってもいないことを言ってしまったり、思ってても言えないことがあったりする。

でも、むしろこういうぐちゃぐちゃな気持ちに翻弄されているところが、いかにも「文学的」だなというような気もして面白い。

 

他の三人も、それぞれ「思うままを言ってしまったこと」「思ってもいないことを言ってしまったこと」「思ってるけど言えないこと」「自分でも何が言いたいかわからないこと」を抱えている。

その不器用さが、たまらなく愛しくなる。

 

四人でああだこうだと話し、悩み、笑いながら、最後には四人がそれぞれ自分の進むべき道を見つける。

もしかしたら四人が古賀の部屋に集うことは、もう二度とないかもしれない。

でも、たとえ離ればなれになったとしても、四人が相互に大きな影響を与えあいながら悩んで悶えて足掻いた日々を共にした事実は消えない。


……まあ、とか言いつつこれからも頻繁に会ったりするのかもな……なんて、思ったりもした。

 

 


以上が、私の『絢爛とか爛漫とか』を観た感想だ。

今回、あまりにも勝大さんばかり見てしまって、他の役者さんの表情やなんかを見れていないことを少し後悔しているので、機会があればまた観劇したい。

 

終わります。

 

 

私と『王様達のヴァイキング』

 

今日、大大大好きな漫画が最終回を迎えた。
週刊ビッグコミックスピリッツで連載されていた、『王様達のヴァイキング』という漫画だ。

描いているのは、さだやす先生。これが初めての本格的な長編作品だが、とてもそうは思えないほど漫画がめちゃめちゃ上手い。そしてストーリー監修には深見真先生が協力している。


どんな漫画かは、とりあえず1話を試し読みしてみてほしい。

 


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王様達のヴァイキング 1巻 さだやす・深見真 - 小学館eコミックストア|無料試し読み多数!マンガ読むならeコミ!

 

 

漫画めくるのダルいとか、声優さんが好きな人は、dtvでムービーコミックにもなってるので、そちらを観てもらうのもいいかもしれない。
ムービーコミックは漫画のコマが勝手に動くし、声がついてる。主人公の少年ハッカーはCV.小野賢章さん、エンジェル投資家はCV.関俊彦さんで、どちらもはまり役です。

 

予告編

https://youtu.be/O66gTpAKCj4

 

第一話

https://youtu.be/PK1fN3W3BR4

 

 

 

 

 

でも、今日は布教をしたいわけではない。
いや布教もしたいけど、今はそれどころじゃない。
今はとにかく最終回を迎えてぐちゃぐちゃになったこの気持ちをなんとかしたい。

 

こんな書き方をすると、最終回が衝撃的だったみたいだが、めちゃめちゃ良かったんだ……。本当にめちゃめちゃ良かった……良すぎて衝撃的だった……。
最終章突入が発表されてから今日までの10ヶ月余り、この日が来るのがこわくてこわくて仕方なかったが、こんなに幸せなことがあっていいのかと思うほどのハッピーエンドだった。幸せすぎてこわいぐらい。

 

上の試し読みで1話を読んでくれた人はわかると思うが、主人公の是枝くんはとても不器用な少年だ。
自分のやりたいことがわからず、自分に何ができるかも知らず、生きづらさに喘ぎながらクラッキングを繰り返している。
そんな是枝くんが、エンジェル投資家・坂井さんに見出だされ、自分の能力を人の役に立ててお金に換える経験を通じて、成長していくのがこの物語の軸だ。

この是枝くんの成長がものすごい。
人と上手く関わることができず「PCが僕の全てなんです」と言い切っていた少年が、PCを通じて人と関わることができるようになっていく。

是枝くんは確かに"天才ハッカー"だが、是枝くんのような人間は現実世界にもたくさんいると思う。
自分で自分のしたいことやできることがわからずに、わからないこともわからないままに足掻くしかない。
自分の好きなもの・一生懸命になるものが他人に理解されない。
あるいは、周囲に理解されず、傷ついた心を何かにのめり込むことで癒そうとする。
自分はただ、"自分自身"になりたいだけ、"自分自身"でありたいだけの、そんな人間は、この世界にたくさんいると思う。


そこに現れる天使が、坂井さんだ。
坂井さんは、孤独な魂を見つけ、そこに潜んだ欲望を引き出し、そして広い世界へと連れていってくれる。


坂井さんのすごいところは、是枝くんを否定しないところだ。

もちろん、ダメなものはダメだとはっきり言う。
でも、是枝くん自身が何を考えているのか、どうしたいのかを、いつでもちゃんと聞いてくれるのだ。


共感はできなくても、理解しようとしてくれる。
きちんと、自分の言葉に最後まで耳を傾けてくれる。


是枝くんが求めていた"大人"は、きっと坂井さんのような人だ。
"子ども"に一番必要な存在と言ってもいいかもしれない。

 

そして、坂井さんが否定しなかったもので一番重要なのは、是枝くんとPCの関係だと思う。


是枝くんは、PCがあれば無敵だが、PCがないと何もできない。

これは完全に妄想だが、おそらくこれまでに是枝くんに関わってきた人は、そんな彼のことを思って、「"PCなしで"生きていけるように」と働きかけてきたのではないかと思う。
そして是枝くん自身も「"PCなしで"社会生活を送らなきゃ」と無意識に思っていたのだと思う。
それは確かに必要なことかもしれないが、でも、それだけが本当に正しい生き方なのだろうか。

坂井さんは、是枝くんに「PCと共に自分も生きる」、そんな道を提案してくれた。そして、それを実現に導いてくれた。

「"PCなしで"世界と繋がる」のではなく、「"PCで"世界と繋がる」。
このことが、是枝くんを自由にし、是枝くんを"是枝一希"にしてくれた。

 


さまざまな事件を解決し、多くの人と関わる中で、是枝くんは自信をつけ、自己肯定感を育み、自分自身と向き合っていく。
自分は何ができて、何がしたいのか、言葉にできるようになるし、形にできるようにもなる。


坂井さん自身が常に欲望を形にし続けて生きてきた人だということも大きいだろう。
"子ども"は身近な"大人"を見て育つ。

 


個人的な話をする。

王様達のヴァイキング』に出会った当初、私はまだ学生だった。
将来、何になりたいかもわからず、ただ漠然と大学生活を送っていた、どちらかというと是枝くん側の人間だった。

もちろん私には是枝くんのような天才的な能力はない。
だから余計に、自分は何ができて何がしたいんだろうともやもやした時期もあった。


時は流れ、私は今、子どもに関わる仕事をしている。
いつの間にか、どちらかというと坂井さん側の立場になっていた。


この立場になってから改めて『王様達のヴァイキング』を読むと、坂井さんの是枝くんに対する姿勢はある種の模範解答に近いなと感じるようになった。

寄り添う。否定しない。最後まで話を聞く。
本当に大切なことは、本人が自分で言葉にして口に出せるようにする。

時には無邪気にはしゃぎ、時には冷静に判断し、いつだって自分自身を見つめ直すことを忘れない。

坂井さんのような"大人"として、"子ども"のそばにいれたらいいなと思う。
"子ども"に限った話でなく、相手が部下などでも同じだろう。

 

そして私がこの仕事をしていてつくづく思うのは、「自分のしたことがどう相手のためになるか、本当のところはわからない」ということだ。

普通の会社なら売上のように目に見える形で結果が出ることもあるだろうが、この仕事だとそうはいかない。

結果が出るのは一年後かもしれないし、十年後かもしれないし、永遠に出ないかもしれない。

それが良い結果といえるのか、それとも悪い結果なのかも、本当のところはたぶん誰にもわからない。

ただ、そんな中で、今、一番良いと思える道を常に模索し続けるしかない。
少しでも、その子のためになるように考え続けることが、最善だと信じるしかない。

 

 


王様達のヴァイキング』の話に戻るが、是枝くんを育てた坂井さんも、同じようなことを考えたのではないだろうか。

坂井さんは今までにたくさんの人たちに様々な投資をしてきただろう。

でも、そんな中でも是枝くんのような存在は、きっと坂井さんの中でも初めてで、特別だったのではないかと思う。


これも私が仕事をする中で聞いた話だが、人と人は"鏡"だ。
向き合うことで、相互に作用する何かがある。


是枝くんとって坂井さんが特別な存在であるように、坂井さんにとってもまた是枝くんは特別な存在であったはずだ。

 

そんな是枝くんは、坂井さんの庇護のもと、大きく育ち、自分の足で真っ直ぐ立って歩けるようになった。
自分の気持ちをしっかり伝え、自分のやりたいことを形にできる、立派な"大人"になった。

 

そんなとき、坂井さんは考えたのではないだろうか。
「自分のしたことが本当に彼にとって良かったのかはわからないが、自分は是枝と関われて良かった」と。

だから、坂井さんは是枝くんの前から姿を消した。

自分の知らないところで、自分の撒いた種が花開くのは、大きな幸せだ。

「もうあいつに俺は必要ない。俺は、俺のいないところで羽ばたくあいつを見てみたい」

 

最終回のラストシーン、姿を消した坂井さんのもとに、再び是枝くんが現れる。

あの日、古びたレンタルビデオ屋で、坂井さんが是枝くんを見つけたように、今度は是枝くんが坂井さんを見つけ出す。


そして言うのだ。

かつて、坂井さんが是枝くんに言った台詞を。
今度は、是枝くんが坂井さんに言い返すのだ。

 


こんなに幸せなことがあるだろうか。
自分の育てた"子ども"が、今度は一人の"大人"として、自分に真っ向から向かってくる。
こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。

 

 

1巻の1話が、最終巻の最終話で改めて響く。
選んだ先にあるものがどんなものかはわからないけれど、でも、選ぶという行為がまずは大切で、選んだものを信じた先にはきっと何かがある。
それはきっと自分次第で、自分で自分の道を切り開いていくしかないのだ。

 

 

こんなに面白い漫画があっていいのだろうか。

 


大好きな漫画が終わってしまうのは寂しい。
でも、これは終わりではなく、新たな航海の始まりだ。


私にとっても、彼らにとっても。

 

 

 

夢中で書いていたら日付が変わって「今日」じゃなくなってしまった。

でも、昨日の続きに今日があって、今日の続きに明日があって、その中で私も彼らも生きていくのだと思う。

 

王様達のヴァイキング』は本当に最高の漫画です。ありがとう。

 

 

夢の記録をつけることに関する考察

数年前から夢日記をつけている。
この場合の「夢」は、寝ているときに見る夢のことだ。
「日記」といっても毎日詳細に記録しているわけではなく、印象的な夢のときだけ、スマホのメモにちょこちょこっと打ち込む程度である。
起きても覚えてるくらい印象的な夢は、ストーリー性に富んでいて映画のようだったり、漫画やアニメのキャラクターが現実の知り合いのように登場したり、意味不明な恐ろしいことが起きたり、ちょっと性的だったりするような、そんな夢だ。

寝起きのぼんやりした状態で曖昧な記憶を頼りに書くので、あとから読み返すと意味不明な単語の羅列ということも珍しくない。
今でもはっきりと夢の中の光景を思い出せるメモもあれば、すっかり忘れていて何のことやらわからないメモもある。


私が夢日記をつけ始めたのは、単純に面白い夢を記録しておきたかったからだ。
そして実際、自分のつけた夢日記を読むのはとても面白い。


夢日記をつけることに関するメリット・デメリットはいろいろあるらしいが、「気が狂う」とか「明晰夢が見れるようになる」とか、そういうことに関する実感はない。


ただ、思ってもみないところで、「もしかしてこれは、夢日記をつけているからか?」と思うことがある。

 

それは、ライブのMCの覚え書きができるようになったことだ。

 

大学生の頃から、年間20~30本のライブに足を運んでいるが、いわゆるライブレポのようなものを書くのはあまり得意ではなかった。
興奮のせいか、セットリストもMCも全然覚えていられなくて、後から他の人の書いたレポを読んでやっと「そうそう、こんなこともあった」と思い出すくらいだった。


それが、いつの頃からか自分でMCレポができるようになった。


ライブ中にスマホを弄ったりメモをとったりはもちろんしないので、書くのはライブ終了後だ。

ライブハウスを出てから、まずは覚えている範囲でスマホのメモあるいはTwitterにMCを書き出していく。
順番は気にせず、とにかく覚えているところ……というか、覚えておきたいような可愛かったり面白かったりした言動からどんどん書き出す。
そうすると最初は断片的な記憶しかないが、書いているうちにだんだん思い出してきて、細かいやり取りが蘇ってくる。


この作業が、夢日記をつけるときに似てるなと思うのだ。
ちょっと前にある友人から「どうしてこんなにMC覚えていられるの?」と聞かれて、そう思った。

もしかしたら夢の記録をつけることで、曖昧な記憶をたどっていく力が鍛えられたのかもしれない。


元々MCレポを始めたのも、ライブに来れなかった友人のためだ。
だから、夢日記もMC記録も、「残したい」「伝えたい」という思いが根本にある。

そして、MCをどこかに文章で残しておくと、より印象に残るからか、実際に見た景色も忘れづらくなる気がして、最近は意識してライブ終了直後にメモを残している。


ただ、夢と同じで、直後に言葉にしておかないと忘れてしまう。

まあ、ライブも夢みたいなもんだしな……とも思う。


何にせよ言葉にしておくことは大事だし、楽しいから、夢を記憶するためにも夢の記録は続けようと思った。


ということを、言葉にして記録しておこうと思って書いた。


記憶力を鍛えたい人は、夢日記をつけてみるのもいいかもしれない。

 

ちなみに最近の私の夢日記はこんな感じ。
一行目が勝手にタイトルになるんだけど、すでに意味不明で、中を見るまで何も思い出せないのが面白い。

 


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今、全人類に忍ミュ第10弾を観てほしい理由

 

忍ミュ第10弾がヤバい。

"忍ミュ"とは、『忍たま乱太郎』のミュージカルだ。


私が忍ミュを初めて観たのは第4弾初演。
それから今まで毎年観劇を続けており、つい先日、第10弾を観に行ったのだが、これが!もう!はちゃめちゃに面白かった!!!!
忍たまが好きで、忍ミュが好きで良かった……という気持ちになったし、今まで忍たまや忍ミュにあまり触れたことがない人も是非観てほしいと思ったので、勝手にプレゼンしたいと思う。

 

忍たま乱太郎』を知らない人はいないだろうが、忍ミュを知っている人はごく一部かもしれない。
忍たまのミュージカル」というと、子ども向けの着ぐるみショーを思い浮かべるかも人もいるかもしれないが、それともまた違う。

忍ミュは、大きなおともだち向けの、いわゆる"2.5次元ミュージカル"だ。
メインは6年生をはじめとした上級生たちで、歌ありギャグあり殺陣ありのオリジナルストーリーが展開される。
2010年の第一弾初演から、毎年冬ごろに初演、夏ごろに再演というペースで今日まで10年間毎年欠かさず上演が続いてきた。
そして、2019年5月、ついに第10弾初演の幕が上がった。

 

 

第10弾のおすすめポイント①
「ストーリーがわかりやすく、面白い」

忍ミュは、一話完結のミュージカルオリジナルストーリーだ。
だから前作を観てなくても、忍たまをよく知らなくても全く問題ない。

今回の忍ミュ第10弾のあらすじを簡潔に説明すると、「忍術学園の大運動会に、学園長の命を狙う暗殺者が紛れ込む話」である。

今までの忍ミュだと、新たな登場人物が敵か味方かわからなかったり、敵の本当の思惑がわからなかったりするまま話が進んでいくことが多かった。
その点、今回の忍ミュでは、全員の目的が最初からはっきりしている。

運動会で一番になりたい忍たまたち。
運動会の混乱に乗じて忍術学園の乗っ取りを狙うドクタケ忍者たち。
そして、運動会の混乱に乗じて学園長の命を狙う暗殺者たち。

ドクタケ忍者たちの目的がややぼんやりしているようにも思えるが、彼らは今回完全にギャグパートなので、ストーリーに支障はない。

だから、登場人物も場面転換も多いのだが、「あれ?今これ何の話だっけ?」と迷子になることなく、ずっと集中して観ることができるのだ。

しかも、話がめちゃめちゃ面白い。
運動会の競技の様子も面白いし、暗殺者との攻防戦も面白い。
さらに実際に舞台上で行われる競技によって得点が決まる場面もあるので、どうやら日によって総合点や優勝チームが違うらしい。

 

 

第10弾のおすすめポイント②
「ギャグとシリアス、歌と殺陣のバランスがいい」

今までの忍ミュはギャグもありつつ、ややシリアスの割合が高い印象だったが、それと比べると今回はかなりギャグが多い。
そもそものベースが「忍術学園の大運動会」である。この時点で基本は気楽に楽しめるエンタメなのだ。
しかも、前述の通り全員の目的がはっきりしているので、ギャグパートでも話が脱線することなく、素直に楽しく観ることができる。

一方、ストーリーの軸となるのは「学園長の命を狙う暗殺者が紛れ込む」ことだ。
敵役がへっぽこおとぼけ忍者であることも多い忍たまだが、今回の敵役はガチで"デキる"暗殺者たちである。
彼らが出てくると、話が一気に引き締まる。
しかし、やはり基本はエンタメなので、シリアスに傾きすぎることはない。


また、運動会の中では仲間との絆も描かれる。
同級生同士の絆、先輩後輩の絆など、思わずほろりとしてしまうような場面もある。


この全体のバランスが絶妙すぎた。
個人的には、原作やアニメのバランスにかなり近いと感じた。


また、ミュージカルなのであらゆる場面で突然歌ったり踊ったりし始める。
ストーリーの中のどの部分を歌で、どの部分をダンスで表現するかのバランスも良かった。
ミュージカルだと時折とても大切な台詞が歌にのせられているせいで聞き取れなくてストーリーがわからなくなってしまう悲しい事故が起こるが、そんなことも一切なく、しかも曲も全てとても好みで嬉しかった。

さらに、忍ミュは殺陣(バトルシーン)があるのだが、この殺陣も長すぎず短すぎず、全員に見せ場があって、このバランスもたいへん良いと感じた。

ちなみに忍たま達には皆それぞれ得意の武器がある。
刀での殺陣だけでなく、槍や苦無(クナイ)、縄錘(じょうひょう、縄の先に重りがついた武器)や、フンドシなどでのアクロバットな殺陣は観ていてとても面白い。
これも忍ミュならではの楽しみだ。

余談だが、忍ミュにはJAE(ジャパンアクションエンタープライズ)所属の方も毎回たくさん出演されている。特撮などで活躍する、アクション・スタントのプロフェッショナルだ。
だから山田先生やドクタケ忍者達の殺陣は本当にすごい。めちゃめちゃかっこいい。一見の価値ありだと思う。

 

 

第10弾のおすすめポイント③
「最後はめでたしバンバンザイ」

これは第10弾のというか忍ミュ全てのおすすめポイントなのだが、最後は必ずハッピーエンドである。

どんなにシリアスな展開であろうが、必ず「今日も色々あったけど 最後はめでたしバンバンザイ♪」と歌って踊って終わるのだ。
だから安心感がすごい。これぞエンタメだと思う。

 


第10弾のおすすめポイント④
「俳優さんが良い意味ではじけている」

歌って踊るミュージカルには、一糸乱れぬダンスやハーモニーを売りにしているミュージカルも多いと思うが、忍ミュはどちらかというと同じ振付でもキャラによる個性が重んじられており、その差異を楽しむタイプだ。

だからそれぞれがそれぞれに「そのキャラらしい動き」をしていて面白い。

また個人的には2.5次元舞台をはじめとしたメディアミックスの楽しみは他者の解釈に触れられることだと思うので、「あ~、この人にとってのこのキャラはこういう感じなんだな」とか「それわかる」となるのがめちゃめちゃ楽しい。

そして実は一番の見所は先生・ドクタケ・敵忍者のはじけっぷりかもしれない。
ベテランの役者さん達のアドリブやギャグは、原作のイメージや舞台の雰囲気を壊さないギリギリのところを攻めながら、若手にもやりやすい空気を作っているように思える。
何より本人が楽しみながらやっているのが伝わってきて、観ていてとても楽しい。

というわけで、衣装やメイクで見た目は最初から完全にキャラなのだが、そのキャラをどう表現するかはかなり役者の手に委ねられているので、役者さんのファンの人が観ても面白いと思う。

 

 

本当はもっといろいろあるような気がするが、結局上手くまとめられなかった。

とにかく忍ミュは最高だから、観てほしい……。
東京の平日公演や、大阪公演、名古屋公演ならまだチケットあるようなので観てほしい……。
今まで忍たまや忍ミュ、2.5次元ミュージカルを観たことがない人も楽しめるのではないかと思う……。
また、過去に忍ミュを観たことがあって「なんか違うな」と思った人にこそ観てほしい気もする。

 

決して安くはないので機会があれば……機会があればでいいので…………どうかよろしくお願いいたします……。

 

 

5/1 sukida dramas@京都二条GROWLYが最高だった話。


5月1日(水) @京都・二条GROWLY
GROWLY 7th Anniversary!!
sukida dramas CONTINUE!!!
(w/踊る!ディスコ室町、LADY
FLASH、ゆ~すほすてる、Set Free、yound)

に行ってきた。
名古屋のバンド、sukida dramasの復活祭だ。

今年1月に活動再開の報を受けてから、どれだけこの日を待ち望んで来ただろう。
久しぶりに観たsukida dramasはもう本当に……本当に良かった……。
京都まで来て良かった、sukida dramasが好きで良かった、音楽が好きで良かった。そう思えるライブだった。


sukida dramas観たらブログを書こうと決めていた。
このバンドについては語っても語っても語りきれない。


ちなみに、今日のライブに向かう前に書いた記事はこちら。
私とsukida dramasとの出会いと、私が思うsukida dramasというバンドの話だ。

 

そして、ここから今日のライブの話。
レポとも呼べない感情の記録になると思う。
セトリとかの話もしてるので、26日の名古屋に行く予定でネタバレされたくない人は注意。

 

この日の対バンは5バンド。
どのバンドも今日の雰囲気に合っていてとても良かった。


とくに痺れたのはLADY FLASHと踊る!ディスコ室町だ。
両バンドとも、過去にsukida dramasとの対バンで観たことがあって、バンド同士も仲良しということで最初から楽しみにしていたが予想以上だった。


LADY FLASHは最初の「とらばーゆ」で、sukida dramasとの3マンをぶわーーーーーっと思い出してテンション上がりまくった。
ちょうど3マンをした頃に、sukida dramasがこの曲のMV再現をしていたのだ。
それ以外の曲はほぼ初めて聴くものだったが、なんかもうめちゃめちゃに良かった。
最前でsukida dramasのメンバーがはしゃぎまくってたのもめちゃめちゃに良かった。


踊る!ディスコ室町も、sukida dramasきっかけで出会って好きになったバンドのひとつだ。
もう勝手に身体が動く動く動く。これもたぶんsukida dramasのメンバーもはしゃぎ倒してたんだけど、自分も前ではしゃいでたからよくわからない。
ミキクワカドさんがMCで「sukida dramasはなんていうか………………………………」と沈黙していたのが面白かった。すかさずフロアから「ともだちー!」と声が飛ぶ。
「ともだち……そう、友達なんですよ…………バンドの友達って普通あんまり会わないんだけど、一緒にフジロック行ったりとか……ライブハウス以外でも会う……」「しかも名古屋のバンドだと思ってたらザキヤマは京都に引っ越してくるし」と、これだけでもう仲良しなんだなというのが伝わってにこにこしてしまう。
そういえばLADY FLASHのボーカルの人も「この後ザキヤマの家に泊まります。嘘です」と言って笑いを誘っていた。


ここまでのやり取りだけで、本当に今日はステージ上もフロアもsukida dramasの友達がいっぱいなんだなと実感する。


すでにエモい気持ちになりながら迎えたsukida dramas復活の瞬間。

自ら機材を用意するメンバー達を、私は直視することができなかった。
めちゃめちゃ楽しみなのに、変に緊張している。なぜか突然帰りたい衝動に襲われる。
それでもライブが待ち遠しくて仕方なくて、チラチラとステージ上を盗み見た。

準備が終わり、皆が袖にハケようとしたとき、ギターボーカル・中川さんがマイクの前に立って、何か言おうとして、フロアを見つめて、結局何も言わずに去っていったのが印象的だった。

sukida dramasは、初めて聴くSEと共に現れた。
大歓声のフロアに向かって、中川さんが「これも俺らが作った曲~!」と誇らしげに笑う。

そしてサポートベースを含めた5人がドラムの前で円陣を組む。
sukida dramasのライブが始まる。


中川さんが曲名をコールし、ベースの音が響く。
Lemonadeだ!

先代サポートベース毛利さんとはまた違う、少し柔らかい石川さんのベースの音が、新しいsukida dramasの始まりを思わせる。
中川さんが、岡安さんが、ザキヤマさんが、エイリアンちゃんが、みんな笑顔で楽しそうに楽器を奏でている。

 

"指し示してよ 後悔の向こうを"

"抱きしめてよ 膨大な苦悩を"


メンバー全員が声を揃えてコーラスする部分の歌詞を聴いて、私はなぜこの曲が活動再開1曲目に選ばれたのか、なんとなくわかった気がした。
正直かなり意外だったのだ。私はてっきり最初はKansasかなと思っていた。でも、違うのだ。今の彼らの気持ちは、「Lemonade」なのだ。


"散々眠り無理やり起こしたブレイン カウントダウン終わりさよならを告げてくれ"
"客観的に見ればここは自由で 落胆せずにただいまと告げてくれ"


歌詞に"さよなら"と"ただいま"が含まれているのはただの偶然だろうか。
(実はこの曲が発表された直後は、これはもしかしてまさか脱退した初代ベース・イラミナさんに向けたものなのでは……と頭を抱えたのはまた別の話。)


実は、開始直後から私は溢れる涙を抑えられずにいた。
「泣けるバンド」「泣ける曲」みたいなカテゴライズはなんか違うなと思うし、sukida dramasは笑顔で観るバンドなのにと思いながら、それでも勝手に泣けてきてしまうんだから仕方ない。
こんなに泣きながら観たのはそれこそイラミナさん脱退のとき以来かもしれない。あのときは悲しい涙だったが、今回は嬉しい涙だ。それほどに、どうしようもなく、私はsukida dramasの復活が嬉しかった。


2曲目はたぶんBLUEだったと思う。
私の中のBLUEは、「ブルーな気持ちも青臭い感性も、全部含めて自分なんだから仕方ないだろ!上手く付き合って生きていくしかないんだから!」という曲だ。念押ししておくが、歌詞やライブでのMCを聴いた私個人の解釈だ。
でも、この解釈に基づいて聴くとやっぱり復活したsukida dramasがBLUEを演奏するのは意味があるよなと思ってしまうのだ。
我ながら、こじつけ拗らせおたくしてんな……って自覚はある。


このあたりから記憶が曖昧になってくる。
曲順やなんかがさっぱり思い出せない。
この頃には涙も乾いていたように思う。


「雨降りの午後」をやったのは間違いない。
エイリアンちゃんの伸びやかな歌声が、GROWLYに響く。

MC中にフロアから「エイリアン大人っぽくなったね~」と言われ、「今の誰? もっかい言って!」と笑ってたのが可愛かった。
「身長1.5cm伸びたの!」と言っていたが、それよりもめちゃめちゃ痩せたことが大きいと思う。
顎のラインがしゅっとして、センター分けの髪型も相まって確かに大人っぽく見える。

対する岡安さんは、なんと13キロ太ったらしい。
中川さんに「見ればだいたい分かるわ!」とツッコまれていた。
言われてみればなんだか丸くなったような……。


MCでは、頻繁にフロアから野次とも声援ともつかない声が飛ぶ。
ともすれば身内ノリになってしまいそうだが、今夜のGROWLYはそんなことなくて、あくまであったかい空間だった。

「ともきー!」「がんばれー!」という声に、中川さんが「いや、頑張るけどさ……めっちゃ心強い……ありがとぉ~」と返す。

「岡安ー!」「岡安ー!」と何度も呼ばれた岡安さんは、今まで聞いたこともないくらい大きな声で「俺やーーーー!!!!」とシャウトしていた。
中川さんとエイリアンちゃんに「いや、何、そんなん見たことない!」「ここに来て初めての一面!」と驚かれる。
最終的に「お前今日めっちゃ楽しいやろ、チョケ具合でわかるわ」と中川さんにいじられていた。
そういう中川さんも、エイリアンちゃんも、ザキヤマさんも随所で「いやー、楽しい」「楽しいね~」と、思わず溢れてしまったように、言わずにはいられないといった様子で溢していて、見ているこっちも楽しくなる。

 

ライブ中盤、MCを挟んで、次の曲に行くとき、一瞬しんとフロアが静まり返った。
この間で、「くる」という予感がする。
中川さんが、すう、と息を吸って、口を開く。


"溺れたっていいよ ピストルに撃たれて 殺されてもOK
そこに愛があったかを 確かめたいんだ 確かめたいんだ"


あーーーーーーーーーーーBillowsだ!!!!!!!!!やっぱり!ここで!Billowsだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


最後の"確かめたいんだ"で大きく手を挙げながら、私は必死で嗚咽を堪えていた。いや、うそ、ちょっと嗚咽が漏れてしまった。


私はsukida dramasの曲の中でも、このBillowsがいっとう好きだ。
とくにこのサビが好きだ。

CD音源だと出だしはドラムのみですぐにAメロに入る構成だが、ライブだとサビだけを中川さんが最初に歌う。
私はこのライブver.がめちゃめちゃ好きだ。

一時期、中川さんはBillowsをよく「人生の荒波を乗り越える曲です」と紹介していた。
私にとってのBillowsは「迫りくる波にのるかのまれるかは自分次第」という曲だ。
だから、自分が人生で大きな波に出会うと、いつも聴いていた。
しかも、"溺れたっていい"のだ。波にのまれても、そこに愛があったことが確かなら、それでいいんだ……と思えるから、私は恐れずに挑戦することができた。
好きなことなら、失敗したって、チャレンジした方がいいに決まってる。


私はBillowsのライブver.が大好きだが、ほんのちょっとの、たぶん気持ちの問題で、「良いBillows」のときと「いまいちなBillows」のときがある。
今日のBillowsは文句なしの「めちゃめちゃ良いBillows」だった。

 


今日のsukida dramasは、新曲もたくさんやった。たぶん4曲やった。
活動休止中に、ゆっくりいろいろ考える機会もたくさんあって、それでできた曲だと中川さんは言っていた。

私が一番好きだったのは、「大っ嫌いで、大好きな社会に向けての曲です」と紹介された新曲だ。
いまだかつて中川さんがこんなにストレートな曲紹介をしたことがあっただろうかと驚くと共に、そのサウンドがものすごくsukida dramasで、すぐに好きになった。

新曲やるだろうなとは思ってたけど、まさかセトリの半分近くが新曲とは思わなくて、びっくりした。
これからたくさんライブで聴きたいし、音源化してほしいし、歌詞を観ながら楽しみたい。
sukida dramasは曲もだけど、歌詞もめちゃめちゃ良い。

 


本編最後は「Monday Junctionにて」だった。
疾走感のあるサウンドがいろんな感情を全部さらっていく。


"あー真っ逆様だ本当にしたいことは何だったっけ
あー真っ直ぐに経てるならこんな風に歌っていたいな"

"Monday Junctionに
僕の後悔は捨てておいて"

"フォレスト・ガンプならこう言うだろうね
愛がどんなものかは知ってるってさ"


なんかもうここまで来たら「sukida dramasが好きだ~~~~~~~~~!!!!!!」としか言えない。
それ以外の気持ちが出てこない。


本編始まりがLemonadeで、ラストがMonday Junctionにて。
この2曲は続けて一発撮りで音源化されている。
その勢いそのままに、新しいsukida dramasを見せられたみたいなライブだった。


メンバー全員がハケても鳴り響く拍手。
それが手拍子に変わるとすぐにメンバーが再びステージに現れる。


「懐かしい曲やります」

そう言って始まったのはTeddy Boyだった。
私がsukida dramasを好きになって間もなく発表され、初めての全国流通シングルにもなった曲だ。
MVでメンバーが着てたのとお揃いのパーカーを持っているし、MVが撮影されたカフェにも行ったことがある。


"Music Goes All Night Long
Music Goes Round & Round"


フロアにいる全員が手をあげてのシンガロング。
これこそがsukida dramasのライブだなと思う。


ライブが終わったあと、ふと思い出してsukida dramasの昔のブログを検索して、中川さんが書いたTeddy Boyの説明みたいなものを見つけてうわーーーーーってなったので引用しておく。

 

1.Teddy Boy
タイトル曲です。
Teddy Boyっていうのはめちゃくちゃざっくり言うとヤンキーな!ざっくり言うとやで!
僕はこのバンドをやる上で誰かに何かを伝えたいなんてことは本当に無かった。
5人で音楽をやること自体がバンドを続ける理由でした。
それでも3年もやっとるとやっぱり考え方も変わってくるわけで、表現者である以上何かを届けたいという気持ちが芽生え始めてきたんですわ。
それで何を表現するのか!そんなことは考えるまでもなく「楽しさ」であるわけです。
僕らの音楽性は狙ってこうなったわけではなくて自然と楽しさを前面に出した形になったんですよ。
もともと友達、後輩で組んだバンドやからこうなるのは不自然なことでは無いのかもしれへん!

「楽しさ」ってなんやねん!僕が行きついたのはシンガロングでした。
同じメロディー、同じ歌詞を共有できたらそれは楽しいでしょう!
好きな音楽ならね!

やからとにかく歌ってくれ!
音楽は一晩中回り続けるから!

今までの自分を乗り越えた曲です。

 

これも読むと何がどうってこともないけど「そういうことかー!?」みたいな気持ちになる。

なんかもう、本当に、sukida dramasが好きで良かった。
復活してくれて良かった。


「なんでいつの間に休止したの!?」みたいなことも思ったけど、sukida dramasのみんなが、sukida dramasであり続けるためには、こういう期間も必要だったんだろうなと素直に思えた。


MCで中川さんが「休んでた間、何してた?」となぜかフロアに問いかける場面があったが、私はというと普通に仕事してライブ行ってそれなりに楽しく暮らしていた。
sukida dramasは大切なバンドだが、ないと生きていけないわけじゃない。
他にも大好きなバンドはたくさんいる。

でもやっぱり、無性に聴きたくなるときが、ライブで観たくなる瞬間があるのだ。
sukida dramasは「楽しい」を体現したバンドだから、生であのみんなの笑顔を見ることでしか満たされない何かがあるのだ。

あと単純に私はsukida dramasのメンバーが大好きだが、私はあくまでファンの一人でしかないので、ライブでもないと生存確認ができないというのもある。
元気に生きてる姿を、楽しそうな表情を見せてほしい。

 

なんかもう何目線なのかよくわからない。
とにかく私はsukida dramasが大好きで、復活がめちゃめちゃ嬉しい。


次の5/26はいよいよ名古屋、しかも鶴舞K.D.ハポンだ。
思い出を噛み締めつつ、楽しみに待とうと思う。


sukida dramasおめでとう、ありがとう。

 

 

私とsukida dramas~活動休止からの復活に寄せて~


sukida dramasは「NAGOYA cityを中心に活動する、US/UKインディーをJ-POPで鳴らす男女混成4人組」だ。
以上の説明はsukida dramas公式サイトよりの引用だが、私にとってのsukida dramasは「『"音"が"楽しい"と書いて"音楽"だ!』と教えてくれるバンド」である。


私とsumika dramasの出会いは2013年1月、名古屋アポロシアター(現:アポロベイス)で行われたイベントSynchronized Rockersだ。
当時私は大学生で、キュウソネコカミが観たくてそのイベントに足を運んでいた。
そこで初めてsukida dramasを見て、そのライブで一気に心を奪われた。

演奏していた曲はあまり覚えていない。
それまで私が好んで聞いていたのはゴリゴリジャキジャキでキャッチーなバンドサウンドが多くて、アコギやキーボードがキラキラ鳴っているような、どこか懐かしいような音はむしろ新鮮だった。

印象的なのは、途中トラブルで鳴らなくなったギターボーカルのギターの音が出たときだ。
「鳴った~!」と喜ぶギターボーカルの笑顔が本当に眩しくて、「"音"が"楽しい"と書いて"音楽"というんだな」と何かがすとんと落ちた。

その場でアルバムを買って帰り、それ以来ライブにも何度も足を運んだ。
ライブに行くたびに、新曲が出るたびに、sukida dramasのことが大好きになった。

実習や就職活動に追われている時期には精神的にずいぶん助けてもらった。
sukida dramasのライブで毎回会う友人もできた。


sukida dramasは曲もライブもはちゃめちゃにハッピーだが、言外に「そうじゃない日もあるけれど、だからこそ今は笑おうよ」というメッセージを感じる。
鬱屈とした日々を音楽で笑い飛ばせる強さと切なさがある。
そういう意味では、ジャンルは「J-POP」かもしれないがスタンスはとてもパンクロックだなと思う。
メンバーはきっと器用な人たちじゃないけど、そこがとても愛しくて、勝手に親近感のようなものも抱いていた。

 

最後にsukida dramasのライブに行ったのは2016年の1月だ。
そのライブを最後に、sukida dramasはぱったりライブをやらなくなってしまった。

それが「活動休止」だったとわかったのは、今年(2019年)の1月、sukida dramas復活の報を受けてだ。


いや、復活も何も!いつから活動休止してたんだよ!
もう!!!!!!!!馬鹿!!!!!!!!!!!!!!!!
置いてきぼりにされた私の気持ちも考えてくれよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
でもまたライブが観れるのめちゃめちゃ嬉しい……ありがとう…………


みたいな複雑な感情は、数ヶ月かけて「またsukida dramasが観れる……嬉しい……」へと落ち着いた。


そして今、私は京都に向かっている。
復活ライブが行われるのは、京都二条のGROWLYというライブハウスだ。

名古屋じゃないんかい!
と思う気持ちもなくはなかったが、GROWLYも思い出深いハコである。

私の記憶と記録が正しければ、初めて行ったのは2014年の9月、ここでsukida dramasを観ると同時に今回の対バンである、踊る!ディスコ室町にも出会った。

そしてたぶん2度目は2016年の2月、sukida dramas京都2daysの二日目だった。
最後のゴリラを聞きながら終電に乗るために重たいドアを閉めたことを覚えている。

 


そんなことを書いている内に京都に着いた。
道中、時間があったのでライブ終了後の感想の序盤のつもりで書き始めたら、思ったより長くなってしまったので、このまま公開することにする。

 

令和元年、sukida dramas復活おめでとう!

 




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改元に伴って(というわけでもないけど)ブログ改名しました。


タイトルの通りです。
ブログ改名しました。

旧:くぬぎの森でまぐろを喰らう
新:エモーショナルの向こう側

 

元々のブログ名に、とくに意味はなかった。
自分の使っていたHNである「くぬぎ」と「まぐろ」を適当に組み合わせただけだ。

でも、細々と記事を書いていく内に、このブログ名はあまりよくないんじゃないかなと思い始めた。


たとえばTwitterに記事を貼り付けたときだ。

ブログ名のせいで記事タイトルがわかりにくい気がする。
その上、ブログ名と記事の内容には何の関連性もない。


私は観劇の感想を書くのが主だが、これでは作品名でTwitter検索して私のツイートを見ても目が滑ってしまうのでは……と思った。


感想をまとめているのは自分の記憶を記録するためだが、それをブログ形式でネット上に公開しているのは他人に読んでもらいたいからだ。

それなら、もっと読みたくなるようなブログ名にした方がよいのでは……と思って、改名を決めた。


タイミングが改元に重なったのはたまたまだが、心機一転するには良い機会かもと思ったのも事実だ。

 

新しいブログ名「エモーショナルの向こう側」は、私がブログを始めるきっかけにもなった記事のタイトルから取った。

2017年の暮れに、好きな服について書いた記事だが、アクセス解析を見ると今でも一番読まれていることがわかる。

それは、話題にしているha|za|maやダブルチャカといったブランドがたいへん人気であるために検索してたどり着く人が多いからだろう。
でも、検索結果に出てきた記事をクリックする決め手の一つに、タイトルもあるのではないだろうか。

我ながら、「エモーショナルの向こう側」は良いタイトルだなと思う。


私は「うわーーーー!」って気持ちをなんとか言葉にして残しておきたくてブログにしている。
昂る感情を言葉で分解して、分析して、保存しておく作業と言ってもいい。

言葉にするのは難しいし、言葉では説明できない部分が本当に大切なような気もする。
だからこそ、頑張って頑張って言葉にして、それでも最後まで言葉にならなかった部分が、より純度の高い何かなんじゃないかなとも思う。

それはまさしく、エモーショナルの向こう側を探しに行くということなのかもしれない。


というわけで、これをブログ名として掲げることにした。
ついでにアイコンの画像も設定してみた。


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ちなみに今日は大好きなバンドの復活ライブを観るために京都に向かっている。
またそのこともブログにまとめたいなと思う。


これからも、言葉にする努力を怠らないでいきたい。

 


エモーショナルの向こう側


まぐろ
25歳。女。
Twitterでの名前はいろいろ。
好きなものはたくさん。
思いの丈をぶつけにきます。