エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

遠征おたくの2019年


突然だが、これを見てほしい。


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0101*東京カウントダウンライブ
0105*名古屋サーキットイベント
0106*名古屋ライブ
0119*京都舞台
0120*大阪舞台

0201*名古屋ライブ
0202*名古屋hazama展示会
0223*名古屋ライブ
0224*東京ヒーローショー

0316*甲子園野球
0317*甲子園野球
0321*名古屋ライブ
0323*名古屋ライブ
0324*名古屋サーキットイベント

0406*名古屋ヒーローショー
0407*名古屋ライブ
0414*東京ライブ
0420*東京ライブ
0421*東京舞

0501*京都ライブ
0511*東京舞
0525*埼玉野球
0526*岐阜舞台
0526*名古屋ライブ

0601*東京追悼式
0601*東京野球
0613*名古屋ライブ
0614*名古屋ライブ
0619*名古屋野球
0621*名古屋ライブ
0630*京都フェス

0706*名古屋ライブ
0727*東京舞

0818*名古屋サーキットイベント
0812*大阪hazama展示会
0820*埼玉野球
0831*東京舞

0901*東京舞
0901*東京舞
0907*大阪フェス
0908*大阪フェス
0916*埼玉野球
0928*岐阜フェス
0929*岐阜フェス

1004*名古屋ライブ
1005*大阪舞台
1011*名古屋ライブ
1019*金沢ライブ
1023*名古屋ライブ

1103*東京ライブ
1109*大阪サーキットイベント
1110*大阪舞台
1123*名古屋ライブ
1124*名古屋ライブ
1126*東京舞

1201*東京ライブ
1206*東京舞
1207*東京舞台マチネ
1207*東京舞台ソワレ
1214*名古屋ライブ
1221*名古屋フェス
1222*名古屋フェス
1231*東京カウントダウンライブ
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内訳(地域別)
岐阜名古屋:20回
関東:17回
関西:6回
その他:1回

内訳(ジャンル別)
フェス・ライブ:36本
舞台:17本
野球:7試合
その他:3


これは私が2019年に観たもの行ったものの記録なのだが…………

多いと思うだろうか、少ないと思うだろうか、こんなもんだろうか。
私比だとこれはかなり多い。去年はライブ舞台野球その他もろもろ全部合わせて40本程度だったはずなのに、今年は軽く50を越えている。


しかも恐ろしいことに、私はどこに行くにも強制的に遠征になる地方民なのだ。

具体的には、名古屋に出るのに2時間半、東京・大阪にはそれぞれ5時間以上はかかる。ちなみにすべて片道の最短ルートである。

体感としては名古屋は完全に「ホーム」なのだが、名古屋から2時間あれば余裕で東京にも大阪にも行けると考えると、十分「遠征」だ。あんなに一緒だったのに……。

 

そして距離があるということは、もちろん移動にお金もかかる。
2019年、趣味に使ったお金をざっくり計算したら、チケット代グッズ代もろもろで50万、交通費で50万くらいだった。


合わせて100万!?うそでしょ!!?!

と思ったが、クレカの明細とマネーフォワードは嘘をつかない。
まあ月4本×1回につき2万と考えると「こんなもんか……」って感じなのだが、いやそれにしても!!!!!!
収入における趣味費の比率!食費より余裕で多い!!!!!!!!!!


何が悲しいって、半分は交通費ということだ。
あと今おそろしいことに気がついたが、宿泊費を計算にいれてない。こわいからもう見ないことにする。

 

さすがに今年は行きすぎたな……と思う。
お金もそうだが、体力もヤバい。平日、定時まで仕事して3時間高速飛ばして名古屋まで向かい、次の日朝8時から普通に仕事……みたいなことを何度もしていたのだが、さすがに体力がヤバい。
残業&休日出勤当たり前の職場なので、定時退勤とか週末がっつり遠征とかをしようと思うと、そうじゃない平日にできるだけ仕事を片付けなきゃいけなくて、結果的に夜遅くまで職場にいることになって……を繰り返したりもしていた。

こうやって振り返ってみると、身体を壊さずにここまでこれたのは奇跡に近い気がする。
ちなみにここには、自分がやる方の演劇の稽古(週2回程度)と、趣味が絡まない友達との旅行や実家への帰省は含んでいないから、実際の予定の量はもう少し多い。

 

2020年は、もう少し遠征を控えたい。
そうすれば体力的にも余裕ができるし、少しはお金も貯まるだろう。

単純な話、遠征を半分にすればゆっくり休める文字通りの休日が倍になって、遠征を半分にすれば趣味に使っていた100万のうちの50万は貯金に回せるはずだ。

 

 

 

でも、それって本当に幸せか?


2019年たくさんのライブや舞台や観戦に行って、後悔したことなんて一回もなかった。
むしろ行かなかったことを後悔した記憶の方が鮮明だ。

どれもめちゃめちゃ楽しくて、しあわせで、来て良かった生きてて良かった◯◯が好きで良かったという気持ちに満たされて帰った記憶しかない。


100万以上使ってたのは衝撃的だったけど、その100万を貯めて得られる幸せと、ライブや舞台や観戦に行って得られる幸せを天秤にかけたら、どちらが勝つかは明らかじゃないか?

第一、同じ演目でも同じステージは二度とないし、世の中には100万積んだって二度と観られないものに溢れてるのだ。

それなら行くしかなくないか!!?!


体力的なことは気を付けないといけないとは思うけど、それだって今が一番若くて元気なわけで……それなら行くしかなくないか!!?!

 


というわけで、私は今も東京に向かっている。
アルカラ主催のカウントダウンライブのためなのだが、正直言って動機は「細美ホリエの弾き語りが観たい」というただそれだけだ。
いや、もちろんそれ以外も楽しみだけど!それ以外も楽しみだけど、他の出演者のことはよく知らないのだ。
だから、ここでまた新しい出会いがあればいいなと思っている。

実は昨年も同じようにカウントダウンライブに行った。
2019年、細美ホリエの弾き語りからスタートして最高の一年になったから、2020年も細美ホリエの弾き語りで最高のスタートを切りたい。


2019年ほんとに楽しかった!
私を楽しませてくれたすべての人とものにありがとう!


来年もほどほどにたくさん楽しみたい!!!!


よいお年を!!!!!!!!!!

 

 

ちなみに2019年観たもの行ったものの詳細はこちらのツイート参照。

夜が終わる方へ~真夜中ブランケット解散に寄せて~

 


12/1(日) @三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
真夜中ブランケット LAST ONE MAN

のライブレポ的なものを書こうとしたけど、案の定さっぱりまとまらなかったので、「私と真夜中ブランケット」についてつらつらと書こうと思う。

 

 

 

思えば、真夜中ブランケットに出会ったのは本当に真夜中だった。


私の記憶と記録が正しければ、2013年、冬。


当時は関西に住んでいて、FM802のRADIO∞INFINITYという番組がお気に入りだった。
その番組のリスナーからのタレコミのコーナーで、真夜中ブランケットのI HATE Uが流れたのだ。


RADIO∞INFINITYは木曜深夜に放送されていたのだが、中でもタレコミコーナーはいつも午前2時を回った頃にやっていた。
だから、私はまさに草木も眠る丑三つ時に、真夜中ブランケットに出会ったことになる。


https://youtu.be/NZVU8caZMwY
https://youtu.be/NZVU8caZMwY


真夜中に突然、こんな色気だだ漏れの激ヤバサウンドをイヤホンから流し込まれた私の気持ちがわかるか!?


まず音が最高に気持ちいい。
その中をかき分けて漂うように響く掠れた声。
歪さを真っ直ぐ描いたような歌詞もめちゃめちゃ良い。
もうこんなん……こんなん好きになっちゃうじゃないですか……。

 

ちょうどその年の4月に、マヨブラはアルバムをリリースし、レコ発ツアーで関西にも来てくれたのだが、あいにく私は予定が合わず参戦は叶わなかった。

それが余りにも悔しくて、音源が欲しすぎて、わざわざバンドにメールで問い合わせたりもした。
結局Amazonかなんかで買ったような気がするけど、とにかく「MAN IN THE BOX」を手に入れたときはほんとに嬉しかった。

 


それから月日は流れ、2019年。

私にとってのマヨブラは、「大好きでめちゃめちゃ音源聴いてるけどライブには行ったことないバンド」だった。
理由は簡単で、マヨブラはほとんど東京でしかライブをしていなかったからだ。

 

大学を卒業した私は、地元である岐阜で就職して、ライブを観るなら名古屋に行くことが多かった。

関西や東京に遠征することもあったが、めちゃめちゃ好きなバンドのワンマンか、めちゃめちゃ好きなバンド同士の対バンか、もしくはフェスなどの特別なときくらいだった。


マヨブラのライブはずっと観てみたい気持ちはあったが、あと一歩が踏み出せないまま、今まで来ていた。

 

状況が変わったのが、今年の2月。
マヨブラが名古屋に来てくれたのだ!


初めて観たマヨブラのライブは、そりゃもう最高だった!
めちゃめちゃ色っぽくて、かっこよくて、気持ちよくて、楽しくて、あっという間だった。


私が繰り返し繰り返し聴いていたMAN IN THE BOXのリリースからは5年以上経っていたから、当時の曲はあまりやらなくて、「あの曲もあの曲も聴きたいのに何でリリース直後に行かなかったんだ!」と強く思った。

と同時に、「これからはマヨブラが来てくれるのを待つんじゃなくて、自分から行こう」とも思った。

 

 

しかし、またタイミングが合わないまま、季節は巡り2019年、10月。

真夜中ブランケット、突然の解散発表。


残されたライブは、11/3のレコ発と、12/1のラストワンマンの2本のみ。


解散決まったからライブ行くとか自分ダサいなとか思ったけど、それでも行かないよりは行く方が10000000000000000倍いいよなと思い直して、なんとか遠征の予定を組んだ。


めそめそしてたら、友達に「逆に考えるんだ!解散前に出会えた奇跡!」と励まされたりもした。

 


11/3のレコ発は、対バンのバンドもみんなマヨブラへのリスペクトに溢れてて、めちゃめちゃ良かった。
ていうかそもそも対バンのバンドも全部カッコ良かった。

「マヨブラ、東京でしかライブやらないし、対バン数多いし、しかも全然知らないバンドばっかりだから外したらつらいしな~」とか思ってた自分を殴りたい。

30分でもマヨブラは最高だったし、対バンも最高だったから、もっと早く東京にマヨブラを観に行くべきだった。

 

 


そしていよいよ、12/1がやってくる。

ちなみにボーカルの殿は、ワンマンにあたって、こんなツイートをしていた。



なんかもうここまで来ると寂しいっていうか普通に楽しみになってくる。
だって真夜中ブランケットの長尺が観れるんだよ!?
30分でもめちゃめちゃ楽しかったライブが、2時間近く観れるんだよ!!!!


あ~~~~~~でも楽しみだけど寂しいよ~~~~~~~~~こわいよ~~~~~~~~~


とまあ、こんなテンションで迎えたラストワンマン。


入ってすぐに、ステージ上にセトリが貼ってあるのが見えて、慌てて目をそらす。


定刻を15分ほど過ぎて、いよいよ、終わりの始まりがやってきた。千夜一夜物語の千一夜目。


なんかもう細かいこと覚えてないんだけど、とにかくずっと楽しくて気持ち良かった。
あとやっぱり曲がめちゃめちゃ良い。昔の曲も最新の曲も、どれもめちゃめちゃカッコ良い。
中には初めて聴く曲もあったけど、そんなの関係ないくらい奥底から揺さぶられて、自然と身体が動いてしまう。
もう本当に幸せで、このまま終わらないでほしいな…………みたいなことばっかり考えていた。

 

フロアのエモさとは対象的に、ステージ上のメンバーはあっけらかんとしていた。
というか解散云々よりも長尺やべ~の方が強い感じだった。


なぜかそれしか買えなかったらしく、炭酸水を飲みながら「これ大丈夫なのかな、俺」と笑う殿。

mizukiさんが「長いからみんな休憩してね」と言うと、「ていうか俺らが休憩ほしい」と殿が返す。

コダさんは最初のブロックが終わったあたりで「腕パンパン」と言っていた。

終盤、殿がフロアを煽って「……みんな元気だな、うらやましいわ」と呟く場面もあった。

 


ウルトラカルトQのギターリフやばいな、とか、やっぱりMAN IN THE BOX収録の曲はライブで聴くの初めてでも身体に染み付いてるな、とか、え~~~今のミズキさんの手元やべ~~~~~~とか、そんなことを考えてるうちに、時間はあっという間に過ぎていく。

 


「今日が最後だけど、みんなにプレゼント。新曲やります」と言われたときには度肝を抜かれた。
いやだって、このタイミングで新曲って!
しかも今日初披露でリリース予定もなくて、ほんとのほんとに今日だけのための新曲って!!!!

新曲の「さよなら満月」は、めちゃめちゃ良かった。
今日のために書き下ろされた新曲だから当たり前なのだが、歌詞がドンピシャすぎる。


この新曲の歌詞で、一気に解散を実感してエモくなったのは私だけじゃないと思う。

ていうかそもそも、解散ライブだと思うと全部の曲の歌詞がなんとなく意味深に聞こえる気がする。
先週のTHEキャンプの解散ライブでボーカルのイトウさんも言っていたが、「全部、今日のための曲のように聞こえる」のだ。


「さよなら満月」の細かい歌詞は忘れてしまったから、リリースは難しくても、せめて歌詞だけでも公開してほしい。
なんだが、明かりのない夜の浜辺で寄せては返す波の音を聴きながら月を見上げているような気持ちになる、そんな曲だった。

そういえば私は「海と雨」がめちゃめちゃ好きなのだが、今日はまだやってないなと思い出したりもした。(ちなみに結局やってくれなかったので、それだけが心残りかもしれない。私もイルカに乗って帰りたかった)

 

 

そこから最後のブロックはあっという間だった。

escalateやJAP!JAP!JAP!やSpit Sh!tでめちゃめちゃに踊らされた。

私が初めて出会った真夜中ブランケットの曲、I HATE Uはやっぱり何度聴いても最高で、11/3に続いて「大嫌い」を「大好き」に変えて歌う殿にひゃ~~~~~~となったりした。
来るとわかってても、ひゃ~~~~~~となっちゃうのは、I HATE Uのひねくれた歌詞から放たれる「大好き」があまりにも真っ直ぐだからだと思う。

だからあなたが、だからあなたが、だからあなたがあなたがあなたが~~~~~~~~~~~~みたいな気持ちになってしまう。

 


I HATE Uが終わると、殿が言った。

「次が最後の曲。アンコールはない!」
「同じ重力の中でみんな踊りましょう」


最後の曲は、Dance with Gravityだった。


「最後の合図は君が出す」と歌う殿を見ていたら涙が止まらなくなって困った。
こんな風に泣く予定なんてなかったのに、これが真夜中ブランケットの"最後の合図"だと思うと、なんかもうダメだった。

 

"夜が終わる方へ さぁ舵をとれ"
"大丈夫さ いつも僕ら"
"引き寄せられるメロディ"

 


真夜中ブランケットの長い夜が明ける。


私は真夜中ブランケットの曲の、暗闇で彷徨う魂に寄り添うようなところがとても好きだ。

見上げた夜空に宇宙を感じるようなところがとても好きだ。

湿度や温度があるところがとても好きだ。

素直じゃないけど率直なところもとても好きだ。


真夜中ブランケットの長い夜が明ける。

暗闇に彷徨う魂を、夜明けに導いて。


「明けない夜はない」とはよく言われるけれど、「暮れない昼」もなくて、私のそばにはいつだって夜の暗闇がある。

今、夜は終わりへ向かうけれど、きっとまたこの音に引き寄せられて、それぞれの夜と、それぞれの夜明けに繋がっていくんだと思う。

 

 

 

最後の音が、響いて、消える。

メンバー三人が正面を向いて、


「真夜中ブランケット、」

「「「解散!」」」


と最後はみんなでポーズを取って終わった。

 

こんなに綺麗に、こんなにあっさり、自分たちで幕を引くのも、それはそれで悪くないなと思ったりもした。

 

 

でもやっぱり寂しいし、もっともっとたくさんライブ観たかったし、音源もたくさん欲しいから、10年に一回くらいふらっと集まって同窓会してくれたらいいな。

 


大好き!

 

 



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いつかの私と『かつて我々』


劇団た組 居酒屋公演『かつて我々』を観て考えたこと…………なんだけど、作品についてというよりは、ただの自分語りになる。あとたぶん何の話かわからない何かになる。内容についてのレポを求めている人は、一つ前の記事に書いたのでそちらへどうぞ。この記事は誰も興味ないかもしれないけど自分は自分の文章がめちゃめちゃ好きだから、私は私のために勝手に書く。

 

でも、劇団た組の舞台を観ると、いつも自分でも気がついていなかった「いつかの自分」に出会ったような気持ちになってしまうから、感想があっという間に自分語りになってしまうのも仕方ないんだよ、許してほしい。

 


私は、高校から演劇部に入って、大学でも学生劇団に所属していた。
だから、今回の「かつて一緒に演劇をやっていた仲間たちが集まって飲む」というシチュエーションは、めちゃめちゃ身に覚えがあるものだったし、そこでやり取りされる言葉や感情も、あるあるわかるの連続だった。


当時の仲間たちの中には、就職して自分自身が舞台に立つようなことは一切なくなった人もいる。結婚して子どもがいる人もいる。
自分で演劇をやることはなくなっても、仲間の舞台を観に行ったり、いつか機会があればまたやりたいと思っていたりする人もたくさんいる。
だから、「観に行ったりしてる?」「今でも連絡取ってる?」「俺もできるならやりたいけど仕事がね」みたいなやり取りは、とても身近で、今まで自分もそこにいた飲み会のことをいろいろ思い出した。


ちなみに私はというと、就職してしばらくは観る専門になっていたが、去年からまた縁あって役者としてもぼちぼちやらせてもらえるようになった。今は働きながら週に2回程度稽古に行くような生活をしている。
アマアマのチュアチュアだけど、素人ではない、微妙なポジション。役者と名乗るのも烏滸がましいけど、実際に役者として舞台に立つこともあるからそこは堂々と名乗らないといけないような気もして、自分でもよくわからないけど、とりあえず趣味で演劇をやっている。


一方で、劇団を立ち上げたり、劇団に所属したり、上京して芝居をやっているような仲間もいる。

今年の夏にも、上京して本気で演劇をやろうとしてる後輩と、上京して普通に仕事をしていて演劇はやってない同期と、上記の通り普通に仕事をしながら演劇も趣味でやってる私で、東京で飲んだ。
それこそ『絢爛とか爛漫とか』を観た夜で、『今日もわからないうちに』を観る前日だ。

後輩の出た舞台を5月に観ていて、その感想やなんかも喋った。

5月に観た舞台は、後輩とそのまたひとつ下の後輩の二人芝居で、高校時代の二人の会話がそのまま板に乗ったみたいな雰囲気だった。
私が知ってるのは高校で一緒に過ごした期間のことだけだけど、中学生のときは何部だったかとか、高校卒業してから何をしたとか、そういう断片的な情報が散らばっていて、すべてがノンフィクションではないけどフィクションではない部分も多いことが私にはわかった。

また二人とは一緒に舞台に立ったこともあるし、二人の演技を観たことも何度もあるので、そういう意味でも面白かった。

 

ただ、葛藤もあった。


私は知り合いの出ている舞台を観に行くときも、知り合いとか友達としてではなく、一人のファンとして観客として客席にいたい。
私が一番苦手なのは、劇場にときどきいる、内輪のノリを持ち込みたがるような人だ。つまり「役としての何か」を受けてではなく「知ってる役者がそれをする」から笑うような、そんな客。そんな風にはなりたくない。
あくまで、"役者"ではなく、"役"を観に行きたい。


だから、後輩の舞台は、後輩たちのことを知っているからこそエモいなと思う部分もたくさんあったのだが、純粋な"観客"として、二人のパーソナルな部分を一切知らずに観てみたかった気持ちもある。


ちなみにこの感覚は役者さんのファンで舞台を観に行くときにも発動する。
その人のファンだから、どうしても「◯◯さんが●●を!」みたいな気持ちで観てしまう部分があるんだけど、本当はそういうの抜きにして純粋にそこで起こっていることだけをそこで生きている人から受けとりたい。
……とここまで考えて気がついたけど、私よく考えたら役者で観に行き続けてるのって鈴木勝大さんだけかもしれない。
そして観るたびに「みたことない勝大さんだ!」ってなって帰って来ている気がする。
もしかしたら私が勝大さんの舞台をずっと観に行ってるのは、"役者"を観に行っても"役"を観て帰ってこれるからなんだろうか?


そういう意味では、今回の『かつて我々』もそうだった。

目の前の会話もリアルすぎて、これは実際にあった話なのかなと思えてくる。どこまでが誰かの経験に基づくノンフィクションで、どこからがフィクションなのかわからない。現実と虚構の境界線がわからない。


そして話す五人も、本当にこの人はこういう人なのかなと思えてくる。役と役者の境界線がわからない。
観終わってから主演(?)の越後拓哉さんが気になって名前で検索をかけたら、本当にガンになって闘病中の方で「そ、そこがノンフィクションなの!!?!」と度肝を抜かれた。
あのやり取りの繊細な何かは、この舞台に生み出したものじゃなく、自分の中身を少しだけ見せてくれてたんだろうか。


そうなると、私が元々パーソナルな部分もある程度知ってるのは鈴木勝大さんだけなのだが、まさか勝大さんもタイガみたいな人なのか……とも思えてくる。
勝大さんは実際はタイガよりも分別のある人だという認識なんだけど、それももしかしたら私の認識が違っていたのかなと思えてしまう。

 

役と役者の境界線もだが、今回の『かつて我々』は、物理的にも精神的にも"演劇空間と客席の境界線"が曖昧でこわかった。

そもそもステージがあるわけではない居酒屋での公演。
しかも、演技スペースを区切るわけでもなく、観客は透明な存在としてそこにいることになる。
そこは「客席」なんだけど、それと同時に居酒屋の「席」でもあって、観客は透明なんだけど「そこに実際いる」存在として作品内部に取り込まれる。

 

さらに、そこで繰り広げられるのは、ありふれたどこにでもあるような日常の会話だ。
普段は意識せずに聞き流しているような何かが、意図的に目の前に作り出される。しかも、意図的でありながらも意図しない方向に転がっていく、そんな"普通"で"自然"な日常会話。


そうなってくると、自分の生きている現実と、目の前の虚構の境界線はどこなんだろうと思えてくる。
とくに今回は、登場人物の境遇や会話に共感できる要素が多かったから尚更だ。


目の前のこれがリアルな虚構だとすると、もしかして私の生きてる現実も客観的に見ればドラマチックなんだろうか?

 

 


誰もが見られる景色でも、写真家が一瞬を切り取ることで、それは芸術になる。
それと同じように、誰もが経験している日常でも、脚本家が一瞬を切り取れば、それは芸術になるんだなと思った。
加藤拓也さんが『在庫に限りはありますが』のパンフレットの前書きで書いていたのも、そういうことなんだろうか。

 

 

 

なんかもっともやもや考えていたことがある気がするけど、言葉にできないので、とりあえずこれくらいにしておく。

 

さいごに。
私は何かを観に行こうとすると強制的に"遠征"になる地方民だ。

だから、たとえば好きなバンドの30分のステージのために、往復6時間かけて行ったりする。もちろん交通費もかかる。
それでも私は生で観たいから、肌で感じたいから、行く。
行くときは「楽しみだな~」と思いながら行くし、帰るときは「楽しかったな~」と思いながら帰るから、むしろ現実に戻るまでの時間が長くなってお得な気すらしている。

でも、今回の居酒屋芝居に限っていえば、「ふらっと近所に」くらいの距離感で観に行けてたらまた違う感想になるのかもなと思ったりもした。

まあでも、帰ってきてからもずっと思い出してはいろいろ考えているから、45分のために行った甲斐はめちゃめちゃあった。


これだから観劇はやめられないんだな~~~~~~~~~

 

まとまらないけど終わります。

 

 

 

普通の感想というかレポ的なものはこっち。



 

あの日、あの場所、『かつて我々』

11月26日(火)@魚屋さんじゅうまる
劇団た組 居酒屋公演
『かつて我々』
作・演出◎加藤 拓也


を観てきた。
いや、「観た」というよりは、「たまたまそこに居合わせた」と行った方が近いかもしれない。


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会場についてみると、想像以上に普通の居酒屋で驚いた。
夜は通常通り居酒屋として営業しているお店を、昼間だけ借りているようだ。

中央に箸と皿が並んだテーブル。
そしてそれを囲うように壁際にチラシの置かれた椅子が並んでいる。キャパはたぶん20人前後。一目でフロア全体が見渡せるくらいの広さだ。

「チラシの置いてあるお席にお座りください」

と言われたはいいが、どこに座ればいいのかめちゃめちゃ迷った。普通の劇場だと「良い席」あるいは「自分はこのへんで観たいなという位置」がなんとなくわかるが、それが全くわからなくて戸惑った。
どこに座っても、確実に死角が生まれる。役者全員の顔を見ることはたぶんできない。そして、どこにどの役者が来て、どう展開するのかも全く読めない。


でも、始まってみたら、そんな心配は無用なものだとわかった。
冒頭でも書いたけど、「観る」というより「たまたまそこに居る」という感じの何かだったからだ。
たぶんどの席に座っても楽しめたし、どこの席からでもその席なりの面白さがあったと思う。


居酒屋で、たまたま隣になったグループの会話が気になって、つい聞き耳を立ててしまうような、そんな何かだった。
観客に向けた分かりやすい説明は一切ない。
ただただ普通に喋っている会話が聞こえてくるだけ。


あらすじを書こうにも筋があるようなないようなだったので、流れだけメモしておく。
ちなみに役名も聞き取れたり聞き取れなかったりだったので、わからないところは役者さんのお名前で代用させてもらおうと思う。

 

あ、思いっきりネタバレというか全部書いてしまっているので、これから観る人は観終わってから読んでください!何も知らずに観た方がいいと思う。きっと楽しめるから大丈夫!

 


最初にやってきたのは二人の男(越後さんと勝大さん)。
そして後からもう一人(風藤さん)も合流する。
会話の内容から推測すると、昔からの親しい仲間が、久しぶりに集まって飲むことになったらしい。

三人ともかつては演劇をやっていた。

一人は、今も舞台に立ち続けている風藤さん。
一人は、今はもう役者はやってなくて最近結婚した、タイガ(勝大さん)。
一人は、ガンになって手術をしてもうすぐ地元に帰る越後さん。


「今日だれ来るの?」
「え、こんだけ」
「こんだけ?」
「誘ったけど断られた」

そんなことを話してる内に、かつての仲間の女二人(飛鳥さんと森さん)も合流する。

「えっ、何、サプライズ!?」
「え、てかこれ何会?」

話の中心は、ガンになった越後さんだ。
そしてその周りを、タイガが引っかきまわす。

女性二人は、越後さんがガンだと知らなくて、それを越後さんもそこまで伝えようともしてないのに、タイガは無茶振りに近いやり方で言わせようとする。
というか、タイガはそれが最善だと思って、「越後さんのため」にやってるが、実際は相当デリカシーのない言動になってしまっている。

そんな風だから、言う側も言われる側もなんかちょっと変な空気になってしまう。
越後さんにとってのガンは、それはもちろん重大なことだけどあくまで個人的なことという印象なのだが、タイガはそれにみんながもっと同情して、心配して、嘆くべきだと考えている。
でも、女性陣の反応は、ドライとまではいかないが、ライトでフラットだ。
実際に聞かされた側としては、もちろん心配は心配だけど、あまり心配すると相手を心配にさせてしまう気がして、あえて淡々と受け止めるような反応になるのも、自然なことだと思う。
越後さんもそれをやさしさとして理解して受け取ってる空気があった。


重大なことをあえて軽く言うやさしさ。
相手に剥き出しの感情をぶつけないやさしさ。

そういう心の機微が理解できず、わかりやすいものを相手に求めるタイガ。


タイガはなんというか、いるよなこういう奴……という印象だ。
本人の中では論理が成り立っているんだろうが周りから見ると脈絡がない。話を聞いてほしいばっかりで他人の話は聞かない。悪い奴ではないんだけど、すごく可愛く思えるときと、たまらなく鬱陶しく思えるときがあるような、そんな奴。

周りの対応もとてもリアルで、それも、あるよなこういうこと……って感じだった。
空気の読めない発言やウザい絡みの後に、一瞬静かになるあの感じ。


まあでも、そういうところも含めて、なんていうか「許されてる」間柄なんだなと思った。
詳しいことはわからないが、五人がとても親しいことはわかる。
そして、幾度となくこんな風にお酒を飲んだり、他愛ない会話をしたりしていたことも。


ただ、こうして会うのは久しぶりだからか、ところどころ会話が噛み合わない。
周波数が合いきってないというか、思ったのと違うボールになっちゃうというか、そんな感じだ。

そういうところも、めちゃめちゃリアルだった。
どんなに仲が良くても、久しぶりに話すときはチューニングが必要になる。
会ってない間に、何か変化があったのなら尚更だ。


これも会話や雰囲気からの推測だが、五人の年齢は30代半ばくらいだと思う。
恐らく、仲間と演劇に打ち込んで馬鹿やってた20代の頃とは、少し心境が変わっているのだろう。
一緒に演劇をやっていた頃のことを懐かしく思い出し、「そんなこともあったね~」「またやりたいね~」と話す姿は、改めて自分自身と向き合い、ちょっと落ち着いた後のように思える。
一番昔のままのタイガも結婚しているし、飛鳥さんと森さんも結婚してるし、何なら妊娠もしている。


結婚や妊娠の話から、流れはいつの間にか別の方向に向かっていく。


決して嫁の顔を見せようとしないタイガ。
理由は「普通だから見せて微妙な反応になるのが嫌」

でも何とか説得して、四人はタイガの嫁の写真を見る。
と同時に、スマホの操作を誤って、タイガと嫁のハメ撮り動画まで流れてしまう。

「まって、これはなし」
「え、何?ハメ撮り?嫁?」
「タイガの声とかも入ってるの?」
「何それ聞きたい」

そして、なぜかハメ撮りを観るための交換条件として、その場にいる全員がタイガに喘ぎ声を聞かせることになる。

目をつぶるタイガ。
その周りで悩ましげな声をあげる四人の男女。


なんかもう何を見させられてるんだと思いながら笑いをこらえるしかなかった。


四人の努力の甲斐あって(?)、タイガはハメ撮り動画の続きを再生する。ただし、声だけだ。

聞きながら普通に話をする五人。
女の喘ぎがいよいよ切羽詰まってくると、みんなが一斉に口をつぐみ、耳を傾ける。
私もつい、一緒に聞き入ってしまう。

そしてフィニッシュの瞬間、タイガの声が入って再生が終了し、芝居も終わった。

 

…………えっ?


という感じだったが、イった瞬間に、役者がすっと立ち上がって頭を下げたので、私はその瞬間、自分は「聞き耳を立てる隣の客」ではなく、「観客」だったことを思い出して、拍手をした。

 

脚本・演出の加藤拓也さんが「観終わったあとにかなりどうでもいいと思えます」ってツイートされてたのはこういうことか~という感じだった。

 

あとマジでどうでもいいんだけど、私の観終わった直後の感想は「釜めしは!!?!」だ。
序盤に料理を注文するときに釜めしを頼んでいて、店員さんが「40分ほどお時間かかりますがいいですか?」と言った時点で、私は勝手に「上演時間が45分のはずだがら、この芝居は釜めしが出てきたら終わるんだな」と思っていた。
それが出てこなかったから、なんだか勝手に裏切られたみたいな、突き放されたような気持ちになった。

「もう45分も経った?????」というくらいあっという間に感じたのも事実だ。
夢中になりすぎて全然時間が気にならなかった。あと2時間くらいこのまま聞いていたかったし、何なら私も飲み食いしたかった。

 

というわけで、なんというか今までの観劇とは全く違う、新たな何かを経験した。

 

強いていうなら、この日の朝に都内某所のファーストフード店でうだうだしてたときに、隣の男子大学生グループが「この曲さっきからずっと流れてるけど途中で絶対マ◯コって言ってね?」なんて言うからつい耳を澄ませてしまったときと同じ感情だった(実話)。


めちゃめちゃどうでもいいんだけど、誰かに話したくなるような、そんな感覚。
私は一人だったので、余計に人に話したくて仕方がなくなった。あと友達に会いたくなる。


そういえば観終わってから、帰るまでにまだ時間があったので、カラ館に行ってちょっとだけヒトカラをした。
タイガが「カラ館でバイトしてた」なんていうから、ついなんとなく行ってしまったけど、あんまり何も考えずにいつも歌う特命戦隊ゴーバスターズのOPを入れたら本人映像で、さっきまで目の前でウザい発言繰り返したり下ネタ連呼していた鈴木勝大さんがピュアピュア桜田ヒロムとしてそこにいてドヒャ~~~~~~~~~となったりもした。

 

観終わったあとは「何だそれ!?」となったけど、トータルではめちゃめちゃ面白かったから、できるならもう一度観たい。
というか今週末にも(好きなバンドの解散ライブを観に)三軒茶屋に行くので、当日券チャレンジしようと思えばできなくもないのだが、公式から「できるだけたくさんの人に観てもらいたい」とアナウンスされてるので我慢する。
まだ観てない人で行ける日程がある人は是非観に行ってください。チケット代500円だし。

 

バージョン違いメンバー違いのあらゆる『かつて我々』を観たいから、同じような設定でまたやってほしい…………とも思ったけど、よく考えたら普通に街に出ればいつでもどこかで上演中なのか!?
えっ、何その「書を捨てよ、町へ出よう」みたいなやつ!

 

 

劇団た組の居酒屋公演「かつて我々」に関する記録としては以上なんだけど、本当はもう少し続きがある。


劇団た組の舞台は終わってから自分のことを振り返りつつぐるぐる考えてしまうところまで含めての作品だな~と思う。
今回の『かつて我々』も、内容を説明しても「で?」って感じかもしれないけど、そこには「いつかの私」が確かにいて、終わってからは目の前にいた人たちよりもそれを観ていた自分のことを考えてしまった。


ただ、うまくまとまらなかったので、それは別の記事にすることにして、とりあえずいったん終わります。

 

 

 

※追記。別の記事にしました。

11/24 THE CAMP LAST LIVE「SARABA!」MC覚書


11/24(日) @新栄 CLUB ROCK'N'ROLL
THE CAMP LAST LIVE
「S A R A B A !」


名古屋のバンド、THE CAMPの解散ライブ。
もう本当にずっと楽しくて、全部の曲がカッコ良くて、歌詞もめちゃめちゃ染みて、それでいてMCはゆるくて、要するにいつものTHE CAMPで最高だった。


MCが本当に全部ゆるくて仲良しで楽しくてエモすぎたので、思い出せる限りの覚書。
細かいところは曖昧だし、間違ってるところもあると思う……雰囲気だけでも伝われば……。

 

 

イト=イトウTHEキャンプさん(Vo)
コバ=ヨウヘイコバヤシさん(Ba)
リュ=ヤマグチリュウシさん(Gt)


──────
(開演)

リュ「(人がぎゅうぎゅうでバーカウンターには)ちょっと行きづらいかもしれないけど、お酒たくさん飲んでね」
イト「飲みすぎ注意」

リュ「(イトウくんは酔うと)立ってるのがギリギリくらいにはなるよね」

コバ「打ち上げとか途中でいなくなってるじゃん」
イト「いるよ。壁際で静かに一時間くらいは座ってますよ」

コバ「俺ら打ち上げ本当に苦手だったよね。とくにバンド始めたばっかりのときとか、先輩に『もっとこうした方がいい』みたいなことばっか言われるイメージでさ」

コバ「打ち上げが嫌すぎて西春まで歩いて帰ったことあるよね」
イト「あったね~」
コバ「新栄で打ち上げしてて、どうにもやっぱり無理だってなって、そのころ西春に住んでたんだけど、タクシー乗るお金もないし、いけるかなって」
イト「でも最終的にちょこっとだけ乗ったよね、タクシー。西春のUSVのあたりでさ」

イト「USVってレンタルビデオ屋で」
コバ「俺そこでバイトしてたの」

コバ「イトウくん、そのレンタルビデオ屋に深夜に俺だけが店番してるとこにきて、朝までいた。その頃に対バンしたネズミ花火のやつかけてとか言って持ってきて、本当に俺らしかいないからかけて、『いいね~』みたいな。イトウくん、普通のとこからエロいとこまでぐるぐる歩いてんの。で、『そろそろ帰ったかな~休憩入ろうかな~』と思って暖簾の向こう覗くと(イトウくんが)『お、休憩?』みたいな」

イト「本当に普通のところからエロいとこまで、一本ずつこう出しては戻し出しては戻し……若かったな~」
コバ「いや、俺らまだ大学生よ?」


──────


(イトウさんが、ハンドマイクからギターに持ち替え、すぐに何かに気がついてハケる。ピックを忘れたらしい)

リュ「いや、何年ライブやってんの」
コバ「何なら俺らよりライブやってるのに」
イト「ワンマンは久しぶりだからね」
コバ「ワンマンじゃなくてもピックは持ってくるでしょうよ」


──────


イト「こんなに来てくれるならもっと大きいとこでやれば良かった」
コバ「いやだから言ったじゃん」
イト「ロックンロールには、思い入れがね」
コバ「どうしようかなって話してるとき、ちょっと怒るくらいの勢いで『ロックンロールだよ!』って言ってたよね。でもロックンロールで1時間観るのはきついとも言ってた」
イト「いやだって……」


──────

コバ「ライブでは、眼鏡をよく落として踏んで壊しました。7年目くらいから、ツルに輪ゴム巻くと落ちづらくなるとわかり、実践しています。それでこの眼鏡は壊れずにきたな~と朝にお風呂に入りながら考えていたのですが、今朝壊れました」(眼鏡のツルがありえない方向にびろーんとなってる)

イト「いや、それこの話のために自分で壊したでしょ」
コバ「そんなことできないよ!眼鏡は身体の一部ですから、それをうまく壊すって……上手に自分で骨を折れって言ってるようなもんだよ!」

コバ「そういえばライブで骨折したこともありましたね」


──────


イト「今日で最後だしどの曲やろうかなと今までの曲全部一通りさらってみた。書いたときはそんなこと思ってなかったけど、今日のためにあるみたいな曲ばっかりだなと思った。さっきのアフターフェスティバルとかとくに」
コバ「昔は『何も考えてない曲です』とか言ってやってたのにね」


──────


[11/25追記]

コバ「これだけ人がいるとすぐには出られないと思うので、お帰りの際の導線のご案内です。一番前の方からこう進んでいただくと、物品販売、略して物販がございますので、皆さん一度目を通していただき、バーカンの前を通って帰る……と、そういうわけでよろしくお願いいたします」

コバ「皆さんの中にも今THE CAMPのタオル持ってる方いらっしゃいますが、普通はね、まああっても3枚くらいだと思うんですよ。それがうちの洗面所には5枚ありますから!しかもまだ開けてないのもありますから!」
イト「物販はね~ほんとにね~」
コバ「残ると本当に切ない!ぜひ皆さんの洗面所にTHE CAMPのタオルを!」


イト「カレンダーもね、残るとたいへんだからね。しかも2種類あるから、大きいのとフロッピーサイズと」
コバ「フロッピーサイズって!わかる人(会場見回す)……ばっかりだと思うけどさ!」
イト「だって、作るとき『この大きさで』って言ったら『フロッピーサイズですね』って言われたんだもん」


──────

 

リュ「イトウくん、しっとりしたバラードで寝転がってて気持ち入ってるな~と思ったんだけど、歌ってもないから何かと思ったら足つってた」
イト「足つるのはね、よくあるね」
コバ「残った三人の内でステージ上で怪我してないのリュウシくらいじゃない?」

リュ「イトウくん、結構高いステージで前に柵があるライブハウスで、柵に登って落ちて」
コバ「イトウくんはね、柵があると登っちゃうからね」

コバ「こう、柵がこうあって(一本指を横にする)、その上にこうイトウくんが(ピースにした指を上に乗せる)…………そしたらこう!!!!(ピースにした指の股に一本指がバーン!!!!)」

コバ「あ~~~~~イトウくんのオチ◯チ◯が!って……」

コバ「何かあったらすぐ病院行きなよって言いながら、その日は帰って、後で真っ赤になった内腿の写真が『オチ◯チ◯は大丈夫でした』って送られてきた」
リュ「イトウくんが痛み止め飲んでるとこ初めて見たもんな~」

イト「昔はライブはスポーツだとおもってたからね」
リュ「ライブの30分の記憶がない方がいい!汗かいたもん勝ち!みたいなね」
コバ「俺はそれでジャンプして着地したときに半月板損傷して、そこから動きを見直しました」


──────


(いい感じのメロディをつま弾きながら)
コバ「輪ゴムを巻くと、眼鏡が落ちづらくなる。だから眼鏡のツルに輪ゴムを巻くといいと、すべての眼鏡バンドマンに伝えてください。……………THE CAMP次が最後の曲です」
観客「ええ~~~!!?!」
イト「いつだって終わりは突然です」

イト「俺も、周りの好きな人たちがやめてくの悲しいと思ってた。ずっと続けてほしいって思ってた。でも俺らもやめるってなって、いろんな人に声かけてもらって……(良いこと言ってた気がするけど忘れてしまった)…………………聞いてもらうんだけど、俺たちに向けての曲です、『スーパースター』」


(本編終了)
──────
(アンコール)


観客「エジソンやるんだろうな!」
イト「え、何? セットリストここにあるから前の方の人はなんとなく流れわかってるんだろうけど、アンコールは一言も書いてないのよ……なんでわかるの?心が読めるの?エスパー?」
コバ「エスパー伊藤!カラシまんじゅうにこにこ食い!」


──────


[11/25追記]

コバ「全然『今までありがとうございました』とか言わないのね」
イト「え?」
コバ「『今日は来てくれてありがとうございます』って、リアルタイムの感謝のみで、今までの感謝は口にしないの?」
イト「それはさ、この曲終わってから言おうと思ってたんだよ!」
コバ「いつもそうだよね、君は。流れが読めないよ!」

──────

イト「ここまで本編16曲やってきて、僕が作った曲が8曲で、コバヤシくんが作った曲が8曲で、ちょうど半々で……狙ったわけじゃないんだよ!たまたま!」

イト「俺、最初はギターも弾けなくて、作ってもらった曲を覚えて歌うだけで、そこから自分のペースで少しずつできることを増やしていって、今では8曲8曲でコバヤシくんと同じくらい曲も作れるようになったんだなぁって…………ありがとうね」
コバ「……俺だけ卒業するみたいじゃん」
イト「コバヤシくん、今までありがとう~、遠くに行っても元気でね」
コバ「向こうは寒いからねぇ」


──────


イト「リュウシは朝、起こしてくれるんですよ。俺、朝が本当にダメで、遠征のときとか電話してくれる」
リュ「この人ほんとに6時間後に歌ってるのかなって声で電話出る『ァ"ィ"……』みたいな。しかも一回じゃ起きないから20分後くらいたって連絡ないと寝てるなと思ってもう一度かける」

イト「リュウシはギター弾いてるだけにみえてね……」
リュ「ちょいちょいちょい!」
イト「リュウシはギター弾いてるだけだとみんな思ってると思うけど」
リュ「俺そんな風に思われてたの?」


イト「THE CAMPは最初5人組で、そこからこの三人が残ったんだけど、正直リュウシが最後までいるとは……リュウシが一番大人になったし、ステージの上にいる人っぽくなった」
リュ「いや俺、THE CAMPスタートしたとき17歳だったからね。みんなも17歳のときと比べたら全然違うでしょ?」
イト「最初は黒髪で天パでメガネだったのにねぇ」
コバ「いや、俺やん!」
イト「(コバヤシも)12年経ったらこうなるかもよ」
コバ「12年後か~、46?ちょっと丸くなってるかもな」


──────


リュ「ここまで来たら(サポートドラムの)ウエジくんにも喋ってほしいよね」

ウエ「THE CAMPのサポートドラムしてきて、今日が最後なんだけど、リュウシは『今までありがとう』ってキャップをくれました」
イト「え~~~~~~~!」
コバ「言ってよ!」
イト「そうやって好感度上げてくるじゃん!」
コバ「なんだかんだ一番しっかりしてる!」
(このへんイトウさんとコバヤシさん逆かも)


イト「いやでも本当にサポートありがとう。今までにサポート入ってくれたドラマー(つらつらと名前あげる)も。本当にドラム脱退したときTHE CAMP危なかった」
コバ「俺が『一旦活動休止しよう!』って言ったとき、『それはダメだ!』って言われて、ずっと続けてきた」
イト「休止したら危なかった」
コバ「俺よりも、イトウくんの方がヤバかった」

イト「続けけてきて良かった」


(最後にもう一度、ピカデリー。お客さんもみんなで大合唱)


──────

 

めちゃめちゃうろ覚えだし、たぶん間違ってるところもあるけど、こんな感じ!

もっとTHE CAMPのライブたくさん行っておけば良かった!!!!
本当に楽しかった!!!!ありがとう!!!!さらば!!!!!!!!

 



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私と金子と自意識と~2019年シーズンを終えて~

突然だが私は埼玉西武ライオンズのファンだ。

ファン歴は十数年。
新聞で前日の結果を知るしかなかった中学時代。
年に一度だけ交流戦を観に行くことが楽しみだった高校時代。
初めて自力で本拠地に観戦に行った大学時代。
そしてパ・リーグtvを契約し毎日中継を観つつ年に数回現地に足を運ぶ現在。
私と埼玉西武ライオンズの距離は縮まったり離れたりしながら、今まで続いている。

 

西武で一番好きな選手は、金子侑司選手だ。でも、私が胸を張って「推しは金子です!」と言えるようになったのは、ごくごく最近である。
私は長年、自分が金子選手のファンであることを認められなかった。

これから、私が「かねこのおたく」になるまでを綴る……と見せかけて、「ここが好きだよユウジカネコ」を語ると共に、2019年シーズンを振り返ろうと思う。まあ要するにおたくのめんどくさい自分語りだ。
なお、私は金子選手のことを普段「ねこさん」と呼んでいるが、この記事の中では「金子」に統一する。(※金子選手はチームメイトにも「ネコ」の愛称で呼ばれている)

 

 


そもそも私がなぜ金子ファンを自称するのに時間がかかったかというと、まず一番大きな理由はおそらく、金子が「イケメン」だからだ。

私は、イケメンが好きだ。でも、「イケメンが好きな自分」は嫌いだ。
それこそ10代の頃から、イケメン俳優や男性アイドルにキャーキャー言うのは恥ずかしいと思っていた。

「私は顔が良い男になんて興味ないのよ」という顔をしていたかった。

と同時に、イケメン俳優や男性アイドルにキャーキャー言える人が羨ましかったのも事実だ。
念のため言っておくが、私は「イケメンが好きな自分」が嫌いなだけで、「イケメン」も「イケメンが好きな人」も否定するつもりはない。

 

これはただ単に、私の自意識が過剰に尊大なだけであって、平たく言えば「普通とは違う自分」「流行とか外見に左右されない自分」でいたかっただけである。
"いたかった"と過去形なのは、今の自分はどちらかというと「普通になりたい」欲求が強いからだ。


また、年齢を重ねるに連れて、顔が良い男性に対しても素直に「か、顔が良い~~~~~~♡」と言えるようになった。

 

ただ、「イケメンが好きな自分」に抵抗があるのは、今も変わらない。

だから、「顔がかっこいいな」と思ったのが事実だとしても、「顔が良いことは認めるけど、顔以上に◯◯が良い」と言えないと、なんだか自分で自分が許せないのだ。


金子の話に戻ると、金子は「イケメン」である。実際に顔が整っていることも事実だが、何よりも球団やチームメイトを始めとした周囲に「イケメンキャラ」扱いされ、「イケメン売り」されている。
だから、野球が多少わかる人なら西武ファンでなくても「金子?ああ、あのイケメンの?」という認識の人も少なくないと思う。実際に私も金子の名前を出して、そういうリアクションをされたことが何度もある。
そのたびに私は、「いや、確かにイケメンなんですけど、顔で好きになったわけじゃないんです!」と言い訳めいた言葉を続けなければならないのだ。


事実、私が金子を好きになったきっかけに顔は関係ない。


まず私が、最初に金子を強く意識したのは、2013年のフレッシュオールスターだ。
イースタン・リーグの三番・二塁手としてスタメン出場し、打って走って大活躍した。
その際にドヤ顔ではしゃぐ姿がネットで話題になったのだ。(今でも当時のまとめサイトが残っているはずなので、興味がある人は検索してみてください)

そのとき、「調子乗ってるの可愛いな!笑 しかも西武のルーキー!」と思ったのが、記憶にある一番初めの金子侑司である。
それより前にも開幕一軍で注目はしていたはずだが、あまり記憶にない。当時は大学生で寮生活をしており、中継を観られない環境だったせいもあると思う。


金子は俊足が売りのスイッチヒッターで、入団当初は内野手、とくに二塁か遊撃の守備につくことが多かった。
俊足スイッチヒッター!!!!
こんなん……こんなん好きにならざるを得ないやん????????????????


私はとにかく足が速い選手が好きだ。
祖父は阪神ファンで幼い頃は阪神の中継ばかり観ていたが、赤星が大大大好きだったし、西武ファンになってからは野手では片岡が一番好きだった。

だから、もう「俊足」の時点で好きになっちゃうのだ。
しかもスイッチヒッター内野手
ハイかっこいい!!!!!!!!!!!!!!!!


しかも、金子の守備は、いわゆる"魅せる"タイプ。
ファインプレーもあるが、やらかしも多い。
私はこのやらかし気味の魅せるタイプも大大大好きなのだ…………同時期に阪神の上本大和の二遊間にはちゃめちゃにテンションが上がっていたといえば通じるだろうか…………(上本や大和も若手イケメン売りされてた話はとりあえず置いといて)

 

そんなこんなで私は、金子のやらかすところも込みで好きだったのだが、あいにくこれは他人に説明しづらく、自分の「顔で好きになったんじゃなくて、」に続く言葉に、いまいち説得力が持たせられないでいたのだ。

 


もちろん、「イケメン」「俊足スイッチヒッター」「”魅せる”タイプの内野手」という点以外にも、金子選手の推しポイントはたくさんある。

 


「自分はこうありたい、こう見られたい」という意識がとても強いところも、金子の好きなポイントの一つだ。
最初は、金子の「自分がイケメンである」と自覚した振る舞いが好きだなと思っていた。
だが、彼の言動を見ているうちに、「自分がイケメンであることを自覚している」というよりかは、「カッコイイと思われたい」に近いような気がしてきたのだ。

自分が思う「カッコイイ自分」になりたい。
チームメイトに信頼される野球選手になりたい。球団に戦力として認められる野球選手になりたい。ファンに応援される野球選手になりたい。みんなに愛される人間になりたい。

メディアに出てくる金子選手は、ファンサービスが上手い。
「こういうの好きでしょ?」と言わんばかりの振る舞いを見せることも少なくない。

しかし、野球に対する姿勢はどこまでもストイックだ。
早出の特打ち。コーチにマンツーマンで指導を受ける姿。守備でも打撃でも走塁でもがむしゃらな姿勢。

人はそれを「ギャップ」と言うかもしれないが、私はこれは根本的には同じだと思う。

 

そんな金子を象徴する言葉が、「華麗奔放」と「平常心」だ。
この二つの言葉は金子選手の座右の銘で、グラブの表に「華麗奔放」、裏に「平常心」と刺繍を入れている。(※2019年現在は変更しているとの情報あり)

表は華麗奔放、裏は平常心。
華麗奔放な守備をするためには、地道な練習で基礎的なスキルを磨き、何事にも動じない心を育てることも必要だ。
しかし、金子選手はそんな「ひたむきに努力する自分」はあまり見せようとしない。それは、「ひたむきに努力するところは見せないほうがかっこいい」と思っているからではないだろうか。


まあこれは正直かなり私個人の妄想である部分が大きい*1のだが、この金子選手に対する考察が言語化できたとき、私はより一層、金子が好きになった。


自意識過剰な抵抗感で「イケメン金子」を遠ざけていた私だが、そんな「イケメン金子」もまた、彼自身の自意識の産物なのだ。


私が「イケメン好きな自分が受け入れられない」とうだうだ言っていたように、金子も「カッコイイ自分でありたいのに、そうなれない」事実に苦しんでいた。
そこ同列で語るのかよって感じだけど、「自分に対する解釈違い」という点では同じなのだ、きっと。


そして、私が今、素直に「金子ほんとにかっこいい……大好き……」と言えるのは、他でもない金子自身がどんどん「カッコイイ自分」を実現してくれたおかげだ。

 

2019年、金子は守備でも走塁でも大きくチームに貢献した。

内野手としてはかなりやらかし気味だった金子だが、出場機会を求めて2016年頃からは外野手に挑戦、2017年には登録も外野手に。
外野でも最初は不安定さが目立ったが、次第に感覚をつかみ、脚力を生かした広い守備範囲でファインプレーを連発するようになった。とくに、フェンス際でも恐れずに突っ込んでいく姿が印象的だ。
「いい当たりだ!レフト!金子侑司!……捕っています!!!!」という実況を聞いたのは、一度や二度ではない。*2
金子の守備に助けられる場面も多く、今では「あの頃に金子の守備disってた人たちどこ行った!?」と思うくらい、ファンからも信頼される外野手に成長した。


また、盗塁もリーグトップの41盗塁。
ただ走るだけでなく、相手チームを揺さぶって与えた影響を考えると、数字に表れない貢献度はもっと高いと思う。


こうして金子自身が自分の思う「カッコイイ野球選手」に近づいてくれたおかげで、私も胸を張って「金子が好きです!」と言えるようになった。

 

こんな書き方すると「活躍してないときはファン名乗るのが恥ずかしいって!?」と怒られそうだが、そもそも「なりたい自分になろうと足掻く金子侑司」が好きだけど、おたくじゃない人にそれを説明するのが難しすぎるだけなんです……すみません……。

 

そういえば、もうひとつ今季の金子で印象的なことは、良い意味でも悪い意味でも「調子の波がなかった」ことだ。

私は、金子の「調子がノってるときは調子に乗ってるし、調子に乗れば乗るほど調子がいい」ところも大好きなのだが、2019年シーズンは、あまりそういう姿がなかったように思う。
でも逆に、「まじでむりそう……」という日も少なかった。
そんなに調子がよくなさそうに見えても一試合に1本はヒットが出たり、守備でのファインプレーがあったりした。
また、そういうときの金子は露骨に肌ツヤが変わるというか、顔面の作画が良い時といまいちな時があったりもしたが、今季はずっと「良い顔」をしていたように思う。

このへんはデータに基づいていないおたくの曖昧な記憶に基づく感想なのだが、佐藤友亮コーチの言う「感情の起伏もなくなってきたし、人間的な成長が、何よりも大きい」*3には、これも含まれているのかなと思ったりした。


また、逆に以前はあまり見せなかった「カッコワルイ自分」を表に出すことも増えてきた気がする。
具体的には、2019/5/3対日ハム戦5回裏ビハインドを追いかける展開で追い上げムードの中で回ってきた打席、捉えた良い当たりがサードライナーになり、バットを大きく振り上げて、たたきつけるかと思われたがそのまま固まって、やめた場面とか。
一塁への走塁や、二塁への盗塁で際どいタイミングでアウトになってうなだれる姿とか。
2019/10/13対ソフトバンクCSファイナル第四戦9回表にホームランを追いかけてフェンスによじ登る姿とか。
今までだったらあまり見せようとしなかったひたむきな姿も、見せるようになったような気がする。
それが何を意味するのかは断定できないし、そもそもこの感覚も私個人の主観でしかないが、私はそんな野球に真剣でひたむきな金子はとてもカッコイイと思う。

 

というわけで、2019年の金子侑司選手は、顔もプレーもずっとかっこよかったのだ。
私はますます金子のことが好きになった。


ここに至るまでに、背番号Tシャツを買う、KANEKOユニフォームを買う、などの段階も少しずつ踏んできた。
(とくにユニフォームは、決して安くはない買い物だし、強制的に推しとペアルックになるし、着ていると周囲からその球団のその選手のファンとして見られるし、私にとってはかなり思い切った決断だった。購入したのは2018年シーズン中だが、「推しに恥じないファンになろう」と思ったことを強く覚えている)


だが、最後の最後に私の心の壁を壊してくれたのは、金子侑司選手自身だ。

今なら言える。「一番好きなのは金子侑司です」と、胸を張って。

 

ねこさん、ありがとう。これからもずっとカッコイイあなたでいてください。
応援しています。

 

 

 

*1:2000%妄想だよなと思っていたら、つい最近この説を裏付けるような本人の発言が次々と観測されている。
参考リンク:その足で、その守備で……絶体絶命の西武に金子侑司が必要不可欠な理由 http://a.msn.com/01/ja-jp/AAIGTP9?ocid=st

*2:この副産物として「帽子を落とす金子侑と拾う秋山」が誕生した

*3:上記参考リンク参照

劇団た組『今日もわからないうちに』を観て1ヶ月経っても忘れなかったこと、忘れたくなかったこと

 

9月1日(日)@世田谷シアタートラム
劇団た組 第19回目公演 
『今日もわからないうちに』
作・演出◎加藤 拓也
音楽・演奏◎谷川正憲(UNCHAIN


を観てから、気がついたら1ヶ月以上経ってしまった。


劇団た組の舞台を観るのはこれで三作目。
観るたびに、めちゃめちゃに感情をかき乱される。

だから感想にもなりきれない何かを書きなぐるのがいつものパターンなのだが、今回は友人と一緒に行って観劇後に感想を話す機会があったので、一回そこで昇華されてしまった。
(その友人は私が「劇団た組の舞台めっちゃ良い」と言い続けていたら興味を持って一緒に来てくれたし、今回の作品も楽しんでくれたみたいで本当にありがたい)

また、実は昼にこの作品を観てから夜に三谷幸喜の『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』を観たので、単純に書いてる余裕がなかったのもある。

 

それでも、見終わって何日かして、「ああ、あれはそういうことかな……」と思えてきたことがあって、ちまちまメモに書き留めていた。

別に感想を書くのもブログを更新するのも義務でも何でもないのだが、きちんと何らかの形で残しておきたいので、1ヶ月経った今も鮮やかに覚えていることを、書き記しておきたいと思う。

大切なことを忘れてしまわないように。

 

 

 


会場に入ると、真っ黒な舞台の上から木でできた屋根の骨組みが吊るされていた。
真ん中には下に続く階段。奈落をそんな風に使う舞台は初めて観た。
「うちの中」には、普通の家具が、普通じゃない様子で並んでいる。
椅子はうつぶせに寝かせられているし、冷蔵庫は仰向けだし、ここがリビングという設定だとしたらあきらかにおかしな場所に洗濯機がある。


「変な舞台装置だなぁ」と思っていたが、開演してすぐに、これもひとつの演出だとわかった。


主人公の恵は、ある日突然、自分の家のことだけがわからなくなる記憶障害になってしまう。

朝は覚えているのに、家を出ると自分の家がわからなくなるから、帰ることができない。
夫の一志に迎えに来てもらって家に帰っても、自分の家だとわからない。どこに何があるかもわからない。
でも、翌朝になると、自分が記憶障害で家を出ると家を忘れてしまうことも忘れてしまう。
娘の雛には心配をかけたくないから病気のことは内緒にして、至るところにメモを貼ることで、一志と協力しながら、なんとか日常生活を送ろうとする。

 


観劇の前は、タイトルの『今日もわからないうちに』って、「今日のこともわからないのに未来のことを話してる」みたいな意味かと思ってたけど、「今日もわからないうち(=家)に」か!と気がついた。
そして、「今日もわからないうちに(何かがどこかで進行していく)」って意味もあるのだと思う。

 

恵は今日もわからない家に帰り、今日もわからないうちに何かがどこかで進行していく。
同じうちで暮らしていても、わからないうちに起こっていることはたくさんある。

 

恵と一志は、最初は決して仲睦まじい夫婦というわけではなくて、一志は毎月こっそり別の女の子にお金を渡して会っていた。
でも、恵を支えるために、その女の子との縁を切ろうとする。

恵が記憶障害になったことで、夫婦の仲は以前より深まったように思える。

 

一方で恵も、実父の一郎に毎月お金を渡していて、そのことを一志はよく思っていない。
一郎は常に高圧的な態度で、三人が住む家にやってくる。
雛も、おじいちゃん(一郎)のことを嫌っている。
恵が病気になったことを伝えても、一郎は態度を変えない。


一人娘の雛は、中学校でソフトボールをやっている。
本当はピッチャーがやりたいのにやらせてもらえないし、おじいちゃんには「女の子なんだからソフトボールなんてやめろ」と言われるし、学校の先生や好きな男の子にも「男っぽい」と言われるし、もやもやは募るばかりなのにお父さんもお母さんも最近なんだか様子が変だし、「みんな何なの!?」という状態だ。


この雛役の池田朱那さんの演技が抜群に良かった。
「演技」と言ってしまうとむしろ語弊があるかもしれないが、思春期特有の不安定さ、鋭さ、瑞々しさが、そのままひとつの結晶としてそこにあって、はっとさせられるようだった。
家族に対する無愛想な態度も、周囲に対する憤りも、好きな男の子と話すときの甘酸っぱい空気も、学校の先生に対する無遠慮さも、お母さんに甘えたい無垢な気持ちも、「自分の中にも確かにあったいつかのあの頃」を見ているようだった。


劇団た組の舞台を観るといつも、自分でも気づいていなかった「いつかのあのときの自分」に出会ったような気持ちになる。
今まで知らないふりをしていたけど、「いつかのあのときの自分」は、「今ここに描かれているこれ」だったのかもしれないなと思わされる。
脚本・演出の加藤拓也さんは、世界に対する解像度がものすごく高いし、それを切り取りかたちづくる力もずば抜けているんだろう。

 


作品全体の話に戻ると、今までの劇団た組の作品と同じく、今回も作り込まれた自然さと不自然さが際立っていたなと思った。

私が観て感じた劇団た組のひとつの特徴は、会話の自然さだ。
そのときにその人が言う言葉として嘘がないし、余計な力も入っていなくて、全く台詞っぽくない、本当にその場で普通にお喋りをしているような会話なのだ。


そう思って今回も観に行ったのだが、幕が開いた直後、私は驚いた。
なんだか言葉がすべて棒読みに聞こえる。
一対一で話しているはずなのに、会話が成り立っている感じが全然しない。

「あれ?劇団た組の舞台ってこんなんだっけ?それとも役者が下手なのか?」

 

でも、物語が展開していくに連れて、その違和感はどんどんなくなっていった。
役者が、役として、一人の人間として、ちゃんと会話をしている。
普通に話しているような何気ないやりとり。
それでいて思わず息を飲むような生々しい感情。


私はこの芝居を観ながら2回泣いたのだが、1回目は家がわからなくなった恵が雛の手を引きながらぐるぐる走り回る場面だ。
「どこ?どこ?」と言いながら必死の形相で走る恵。
「お母さん!どうしたの!?痛い!痛いよ!転んじゃう!お母さん!」と叫びながら半分引きずられるようについていく雛。
二人が手を繋ぎ、同じ場所をぐるぐるぐるぐる走り回る、絵面としては滑稽なのに、声が、表情が、本当に切羽詰まっていて、こわくて、涙が出た。
お母さんと娘のはずなのに、このときの恵はすっかり「お母さん」ではなくなっていて、まるで子供が二人で迷子になっているようだった。


こんな演技ができる人たちが、あんな棒読みで演技をするはずがない。

とすると、あの棒読みの台詞も「成り立たない会話」という演技なんだと思う。

一対一で会話してるはずなのに、全く相手に言葉が届いていないし、相手からの言葉を受け取ろうともしていない。
いわゆる「言葉のキャッチボール」ができていない状態だ。


思えば、「キャッチボール」は作品の中でも重要なものとして扱われていた。

冒頭の場面で、恵は一志に向かってボール(だったかな?スマホ?)を投げようとするが、一志は「何やってんだ!危ないよ!家の中だよ!」と止める。
恵は「じゃあ公園行く?」と聞くが、一志は「行かないよ」と連れない返事だ。

まあ、家の中で妻が突然キャッチボールを始めようとした際の反応として自然ではあるが、キャッチボールを「気持ちをやりとりする行為」だと仮定するとまた別の何かが見えてくる。
一志にとって、家の中は「"キャッチボール"をする場所」ではないのだ。
そして、恵は「"キャッチボール"がしたい」のに、できない。


雛は、昔、お母さんとしたキャッチボールが忘れられない。
そして、物語の終盤で、雛と恵は昔のように公園でキャッチボールをする。
このときの恵はぜんぶ忘れてしまっていて、雛のことももしかしたらわからないのかもしれないが、それでもキャッチボールをする二人の間には確かに通じ合う何かがあった。


そう考えると、雛の「ソフトボールでピッチャーをやりたい」というのも、「誰かに自分の気持ちをぶつけたい」という欲求の表れなのかなとも思う。
ソフトボールも野球も、ピッチャーがボールを投げることでゲームが始まる。雛も、自分の言葉を、気持ちを、誰かに投げたかったのではないだろうか。そして、そこから何かが始まってほしかったのではないだろうか。
でも、実際には雛は外野で、ボールが飛んでくるのを待つことしかできないのだ。

 

言葉は、受け取ってくれる誰かがいて、初めて生きたものになる。

記憶もきっと同じだ。
自分以外の誰かが、自分のことを、自分とのことを、覚えていてくれるから、自分は自分として生きていられる。

 


自分はどこまで覚えてるんだろう
何を忘れて、何を覚えて生きてきたんだろう
忘れちゃいけないこと、忘れた方がいいことってなんだろう

 

 

恵の記憶障害の原因は、きっと一志の浮気だろう……と思っていた。

しかし、最後の最後で物語は予期せぬ展開を見せる。

 

恵と雛の涙なしでは観られない場面のあと、街の風景のスライドショーと共に谷川さんの歌声が響く。

「ああ、これで終わりかな…………すごく良かったな……」と思ったら、まだ続きがあった。


三人の家に、一郎がやってくる。
ここで観客は、まだ問題は何も解決していなかったことを思い出す。
逆に言うと、ここまで忘れていたのだ。この厄介な父親の存在を。

 

そして、一郎の口から、昔、認知症の妻を殺し、恵と一緒に埋めたことが明かされる。

まさかそれが、根本的な恵の忘れたいことだったのか。
忘れたくても忘れられないことだというのか。


そんな一郎を、雛は金属バットで殴打する。


最後は、殴り殺した一郎を家族三人で埋めるのだ。


仰向けに寝かせらた冷蔵庫の蓋を開け、手書きで「土の中」と書かれた白い紙をぺたりと貼り付け、そこに無理やり一郎の死体を押し込む。


「え?マジ?ほんとに殺しちゃったの?え?シュールすぎない?ちょっとまって、これで終わり?」と混乱してるうちに、終演した。

 

一郎を殺したことについても、恵は忘れてしまうにしても、雛は忘れられないし、これはまた負のループが始まってしまうんじゃないか?

 

正直、幕の下ろしかたとしては賛否両論やや否だ。
どういう気持ちで観ればいいのか最後でまったくわからなくなった。

まさかこの"わからなさ"まで含めて計算された演出なのか。

 

"忘れられない"という意味では、大成功かもしれない。

現に私は、1ヶ月経った今でもあの最後に冷蔵庫に死体を押し込むときの会話や、直後にそこから死体も起き上がって一礼する景色まで、鮮明に覚えている。

 


人の記憶はあてにならない。
恵は忘れてしまう病気になったが、病気ではないはずの私も日々いろんなことを忘れながら生きている。

だから、大切なことは忘れないように言葉にする。
私が感想を書くのも、忘れたくないからだ。

でも、それでも忘れてしまうこともたくさんあるからもどかしい。

そんな思いから公演のDVDや脚本がほしいのだが、加藤拓也さんはそれを許してくれない。
あくまで今そこにある「行為」としての演劇を観るしかない。その「行為」には、観る人のモーションやエモーションも含まれているのだと思う。


ここに書いたのは1ヶ月経っても忘れなかったこと、忘れたくなかったことだ。
もしかしたら、忘れてしまったけど大切なこともあったかもしれないが、それはもう誰にもわからない。


今日もわからないうちに、私は何かを感じて何かを忘れて生きていく。

 


だんだん謎ポエムになってきたので終わります。