エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

劇団た組『貴方なら生き残れるわ』の配信を観て考えたこと

 

劇団た組。第17回目公演『貴方なら生き残れるわ』が、YouTubeで無料配信された。


劇団た組は、普段、まったく公演の映像化や書籍化、音源化などをしない。
だから、あの公演をもう一度観れるなんて思いもしなかった。


私にとって、『貴方なら生き残れるわ』は劇団た組の作品の中でも特別なものだ。
初めて観に行った劇団た組の公演で、めちゃめちゃ刺さって、揺さぶられて、一気に脚本・演出・主宰である加藤拓也さんのファンになった。

ちなみに、その時にぐちゃぐちゃな感情を必死で書き留めたのがこれ。片方ははてな匿名ですが、書いたのは私です。


 

今回は観るの二回目だし、生じゃなくてネット配信だし、もう少し落ち着いて観れるかな~と思っていたけど、実際は初めて観たとき以上にかき乱されてしまった。

ので、改めて感想というか自分語りというかを書いておきたくなった。

 


再生して最初に感じたのは、やっぱりこの芝居は、彩の国さいたま芸術劇場小ホールだからこそだなということだ。

中央のバスケットゴールと、床に引かれたコートのラインは、高校の体育館そのものだ。
客席は、そこをぐるりと囲んで見下ろすような構造になっている。

映像で観ると、客席に座る人々が、本当に体育館やスタジアムで観戦をしているようで、余計に「劇場」というよりも、ここは「体育館」だという気がした。


役者は、四方の出入り口から"体育館"に駆け込んできて、縦横無尽に走り回り、本当にバスケの試合をする。


そこには「正面」とか「センター」とかいう概念はない。
彼らはただただ体育館で部活をしているだけだ。


だから実際の劇場では、どうしても「死角」が生まれる。
男の子たちがわちゃわちゃと集まっていたり、自分の位置からだと背中しか見えなかったり…………それがこの舞台の立体感やリアルさを造り出していたとも思う。


映像では、役者の表情がよく見えて、それはカメラを通すメリットだなと思った。
何人かが次々に話す場面で、実際の劇場だと「今の誰の言葉?」となっていたところがわかったこともだ。


演劇は「今 ここ」で「生」であることに大きな意味があるものだと思う。
そのため、演劇を映像として画面越しに観ると、劇場での経験に比べて情報量がものすごく少なくなってしまう印象だったが、今回の『貴方なら生き残れるわ』に関しては、映像だからこそ新たに得られる情報がたくさんあって面白かった。

それに、「映像だと集中できない」とか「なんとなく鮮度が落ちている」というようなことが全くなかった。
元々の作品が好きで、衝撃的な観劇体験だったからこそ、映像で観ることにためらいもあったのだが、そんな心配は無用だった。

 

 

映像だからこそ、クローズアップされる表情、動き、言葉。

二回目だからこそわかる、伏線。

話の筋がわかっているからこそ響く、展開。

 

 

初めて劇場で観たとき、私は最後の試合のあたりからずっと泣いていた。
今回は映像だし、二回目だし、もう少し落ち着いて観れるかな~と思っていたが、実際は劇場で観たとき以上に泣いてしまった。家だと嗚咽を堪える必要がないから余計かもしれない。

 


この作品は、「松坂の目を通して見た吉住の物語」だと思う。
初めて観たとき、私は吉住・當座・沖先生の3人の物語に没頭していた。それは二回目に観た今もそうで、やっぱり沖先生が部活に来れなくなるところで胸が締め付けられたし、當座がいつも何かを誤魔化すように笑い混じりの話し方をしているのに気がついてどきりとしたし、激昂する吉住の純度の高さに震えた。


とくに當座がやばかった。
吉住と沖先生の方に意識がいきがちだったが、當座の物語も最初からずっと描かれ続けていた。改めて観ると本当に最初からずっと勉強のことを気にしているし、自分に引け目を感じているようだし、それでいて後輩たちとも仲良しだし、そんな姿を見続けてからの「辞める」の破壊力は凄まじかった。

 


その他の部員たちもそれぞれに個性があり、成長があり、"物語"があるが、どうしても吉住・當座・沖先生の物語の陰に隠れてしまう。というか、ストーリーの中で明確に重みがつけてある。でも、だからといってその他の部員それぞれの"物語"が軽んじられているわけでは決してない。

 

私が二回目に観て初めて気がついてはっとしたのは、ヤマピーだ。
ヤマピーは最初の練習試合のとき、積極的に攻めることができないでいた。

「全然仕掛けないじゃん」

そう言ってヤマピーを責めたのは、同級生の友喜だ。

「今日、決めたの俺と吉住さんだけ」
「吉住さん、ずっとイライラしてたじゃん」
「パス出さない、一対一もしない、それならヤマピーじゃなくてよくない?」

ヤマピーだって、自分の不甲斐なさはわかっている。

だから「俺だって自分に何ができるか考えてるよ、パスなのか一対一なのかシュートなのか」と反論する。

でも、「それじゃ勝てない」と一蹴されてしまう。

 


次の練習のゲーム形式で、ヤマピーは「攻めろ!」と言われて吉住相手に仕掛けてオフェンスファールを取られた。
だが、そんなヤマピーを、沖先生も友喜も吉住も「それでいい」と褒める。ヤマピーに押されて転んだ吉住もだ。

「まずは攻めろ。パスとか考えるな」

 

沖先生の言葉は、直前の松坂と野球部仲間とのやり取りとも繋がると思う。

 

《どれくらいのヤツらが将来の野球をやってる自分と今の自分をリンクさせているんだろう》

《将来の自分にとってやりたい事ってなんだったんだろうか》

 

自分は何ができるか。
自分は何をやりたいか。
自分は何のために生きているか。
自分は何になろうとしているのか。

 

最後の試合、IH予選の二回戦で、ヤマピーはオフェンスファールを取られる。
でもそれは、今この瞬間にかけて攻めた結果だから、誰もヤマピーを責めはしない。
ヤマピーにとっては、吉住さんと一緒にバスケができる時間が終わってしまう結果になったけど。

 

IH予選二回戦は、全員の集大成ともいえる試合だった。


松坂は、ずっと練習してきたスリーポイントシュートを決める。


當座は、ルーズボールを必死で追いかけ、ケガをする。でも、それを隠してまで最後までコートに立ち続けようとする。
一回戦の後に「俺の代わりはいる」と言って辞めようとしていた彼がである。


當座の足の異変に気がついた先生とコーチは、続けさせるわけにはいかないと彼を下げようとする。
でも、當座は最後までコートに立ち続けようとする。

「いいから!…………次とかないから……もう、次とか………………今、できればいいから」

 

ケガを隠すのは、部活ではよくある。
指導者の立場からすると、今ここで無理をするよりも将来のために自分の身体を大切にした方がいいと言いたくなってしまう。
でも、彼・彼女たちには「今」しかないのだ。

 

當座は最後までコートに立ち続けようとする。
将来のためとか、進路がどうとか、そんなの関係なく、今ここでみんなでバスケをやるために。

 


あと、数秒で試合が終わる。
点差は1点。
シュートを入れれば明日もまたバスケができて、ダメならこのまま終わり。


吉住がボールを持つ。
みんなが吉住のパスを呼ぶ。

でも、吉住は一人で抜けようとして、抜けなくて、試合は終わる。


吉住の、當座の、沖先生の三年間が終わる。

 

《もっと練習しとけば良かった》

 

 

自分の今が、自分の未来にとってどう影響するかなんて、その時になってみないとわからない。

"今"が"過去"になり、"未来"が"現在"になって初めて、人は後悔をする。

 

体育館行って、適当に部活やって、コンビニによって帰る、そんな当たり前の日常がどれほど大切で得難いものかわかるのも、それが"過去"になってからだ。

 

吉住と當座と沖先生の三年間が終わる。
彼らの"高校のバスケ部での物語"が終わる。


そして、松坂も部活を辞める。

このあたりのことは以前の記事にも書いたけど、でも結局、松坂が辞めてよかったかどうかは誰にもわからなくて、沖先生も言っていたように松坂自身が「その選択をしてよかった」を思えるように生きるしかない。

 

 

 

そういえば、どうして『貴方なら生き残れるわ』というタイトルなのかは、最初から疑問に思っていた。

一年半経って思うのは、結局、この先どうなるかは誰にもわからないということだ。

部活を辞めてよかったのかなんて誰にもわからないし、将来どうしてるのかもわからないし、もしかしたら明日死ぬかもしれないし、もしかしたら今日もわからないうちに未来に重大な影響を与えるような何かを経験しているのかもしれない。

人生は選択の連続で、そんな"わからない"世界を何とか生き抜いていくしかない。

何が正解かはわからないから、「貴方なら生き残れるわ」と誰かに肯定してもらいたいような気もする。

 


今さら隠しても仕方がないから書くけど、私の仕事は高校の教員だ。
学校現場では「生きる力」という言葉が頻繁に用いられる。
先の見えない現代社会を「生きる力」を育むのが、私たちの仕事だ。

でも、結局「生きる力」って何なのか、その力はどうやったらつくのかは、はっきりとはわからない。

だから、それぞれが自分なりの答えを出して、自分の信じたやり方で、何とか目の前の生徒たちがよりよく生きていけるようにと願って仕事をしている。

自分のやっていることが正解かはわからない。
生徒たちの将来にどう繋がっていくかもわからない。

でも、だからこそ、今ここで目の前のことを一生懸命にやるしかないよなと思っている。

 


これは非常に個人的な余談だが、今年から私は演劇部の顧問になった。自分自身はずっと演劇に関わり続けていたが、指導者の立場に立つのは初めてだ。
「顧問」として見る高校演劇はどんなものなんだろうとわくわくしていたのに、新型コロナウイルスの流行で、生徒にすら会えない毎日が続いている。
どんなに長い休暇でも部活まで全くないなんてことは今までになくて、本当に寂しい。

そして当然だが、行く予定だったライブや舞台や野球の試合もすべて延期や中止になってしまった。
部活もない、趣味のイベントもない、で生きる希望を失いそうだ。

 

でも、こんな情勢だからこそ、普段は映像公開などを全くしない劇団た組が、無料で配信に踏み切ってくれた。
しかも、大好きな『貴方なら生き残れるわ』!!!!
ずっと「あの人にもあの人にも観てほしいな~!」と思いながら手段がなくて諦めていた作品なので、これを機にいろいろな人に観てもらいたいと思う。


加藤拓也さんが、「今ここ」の「演劇体験」を大切にする人だから、記録を残さない主義だというのはわかっている。
でも、映像でも劇団た組の演劇体験としての質は全く落ちないし、むしろ「これは生で観たかった!」と思えるような作品ばかりだと思うから、できればどんどん公開や販売をしてほしい。

 


そういえば私が配信を観るときに恐れていたのは、映像を観ることで自分の実際に観た記憶が上書きされてしまうことだったのだが、それも杞憂に終わった。むしろ、当時の記憶が補強されて、よりはっきりした。
ていうか、配信されたのは私が観に行った回だった。「このへんで観てたな~」と客席を眺めていたら自分がいたから間違いない。本当にびっくりしたし、これは神に感謝するしかない。神様ありがとう。

 


そもそも私が『貴方なら生き残れるわ』を観に行ったのは、出演者の鈴木勝大さんのファンだからなのだが、始まってみたら話そのものが面白すぎて、「勝大さんの記憶」は正直あまり残ってなかった。
でも今回、映像で観て思ったのは、やっぱり勝大さんの話してないときの立ち居振舞いが最高すぎるということだ。聞き方とか、話す直前の空気がめちゃめちゃ上手い。
勝大さんの表情アップもたくさんあって嬉しかったです、神様ありがとう。


劇団た組の舞台では、役者さんの自然な姿とか今までにない演技がたくさん観れるし、いつも「この人にしかできない!」って役をあててる感じがして、楽しい。

 


劇団た組の舞台はやっぱりめちゃめちゃ良いことを再確認したから、次も絶対観に行きたい。


まとまらないので終わります。

 

 


劇団た組
「貴方なら生き残れるわ」記録映像
https://youtu.be/7QHhaiufY1s

 

劇団た組『誰にも知られず死ぬ朝』を観て考えたこと。

 

2月23日(日) @彩の国さいたま劇場 小ホール
劇団た組。第20回目公演 『誰にも知られず死ぬ朝』
作・演出◎加藤拓也/音楽・演奏◎谷川正憲(UNCHAIN

 

を観た。


死にたくても死ねない主人公と、死にたくなくても死んでしまう人たちの話。


タイトルとあらすじだけ見ると「死」という言葉と「死なない」という設定に少し身構えてしまうけど、実際は観る前に想像したよりもずっと朗らかで、身近で、親しみやすく、だからこそ切なく、とても純度の高い話だった。


以下、ネタバレとか一切気にせずに勝手に書きたいことを書きます。
感想というか、レポというか、わりと感情ぐちゃぐちゃのまま書いた個人的な何か。

 

 

 

 


まず最初に言いたい……

 

安達祐実ヤバない!?

 

いや、ほんとにヤバいよ、安達祐実…………私、昨日の昼に観てから今までですでに3人の友人・知人に「安達祐実のヤバさ」を熱弁してしまった…………


芝居が始まり、役者たちがゆっくりと位置につく。
そして一人ずつ「今から◯歳くらいをやります」と宣言していく。

その最後が安達祐実だったのだが、ミントグリーンのパーカーを着て白いスカートを履いた彼女は、はにかんだ笑みで「私は13歳くらいをやります」と言ったのだ。


13歳!!!!!!
安達祐実!!!!13歳!!!!!!!!!!!!

 

もうその時点で、安達祐実が会場の空気の全部をひっさらってしまった。

 

本当に彼女は13歳に見えるのだ……見た目も言動もすべてが思春期の少女なのだ…………

 


でも、安達祐実は歳をとる。
正確には、安達祐実演ずる「りっちゃん」は、劇中で順調に歳をとっていく。

最初は13歳の不安定な少女だった彼女が、20歳になり、結婚と妊娠をして、最後には38歳(つまり安達祐実の実年齢)になる。その頃には生まれた子どもは18歳だ。


歳を取らない見た目変わらない主人公のすぐそばに、常に歳を取り続けるけど見た目が全く変わらない安達祐実がいるヤバさ。


りっちゃん(安達祐実)が、主人公の歩美に「ねえ、ほんとは何歳?」と無邪気に尋ねる場面があるのだが、観ている側としては「いや、お前もな!!?!!???!?!?」って感じだ。

 

でも、見た目が変わらなくても中身が成長と共に変化してるのは明らかで、13歳のりっちゃんと、38歳でお母さんのりっちゃんでは全然違っていて、そんなところも安達祐実はヤバかった。

 

実は前回の『今日もわからないうちに』*1のとき、一緒に観に行った友人はヅカオタだった。
そんな彼女は終演後に「主演の大空ゆうひさんは宝塚のトップスターだった」と教えてくれた。そして二人で「宝塚で男役やってた女優に『女の子なんだから(男みたいなことやめなさい)』って言わせるの、かなりエグいんだけど、わざとかな?」と話していたのだが、今なら言える…………絶対わざとだ…………………加藤拓也さん、たぶんそこまで狙ってキャスティングしてる…………………………

 


13歳のりっちゃんと、歩美。
20歳のりっちゃんと、歩美。
38歳のりっちゃんと、歩美。

 

この二人の対比関係が、物語を鮮やかに彩る。

 

 

ストーリーの中心となるのは、死にたくても死ねない歩美(村川絵梨)と、その夫・良嗣(平原テツ)の二人だ。


歩美は、死なない。
正確には死んでもすぐに生き返る。
いつから生きているかもわからないし、どうやって生き返っているのかもわからない。どうして死なないのかも、どうしたら死ぬのかもわからない。


周りの人はみんな歳をとって死んでいくのに、歩美だけはずっと死んでは生き返りを繰り返しながら生き続けている。


良嗣は、歩美が死なないことを知り、それでもなお共に生きたいと願った。
そして歩美と一緒に死ぬために、歩美が死なない秘密を探ることにする。


医者である良嗣は、いつかは必ず死ぬ人間の命を助けることの意義を考えて悩んでいた。
死なない歩美は、人間はいつか必ず死ぬから、特別な人を作らないようにしていたけど、良嗣と結婚した。

 

 

必ず死ぬのに誰かを愛する。
必ず死ぬから誰かを愛さない。
必ず死ぬから誰にも愛されたくない。

いつ死ぬかわからないのはみんな一緒。

 


劇中は、「死」という言葉で満ちている。


冒頭、母親に頬を打たれたりっちゃんは、部屋を飛び出し、屋上に向かう。
そしてそんなりっちゃんを、歩美と良嗣が追いかける。

頬を打った母親は、良嗣の兄の妻で、要するに良嗣と歩美から見ると、りっちゃんは姪にあたる。
でも、兄夫婦=りっちゃんの両親は追いかけてこない。「いつものことだから」と溜め息をついている。

 


本当には死なないなら「死ぬ」と言っていいかは、本気で死ぬつもりがあるかないかに関わらず、微妙なところだな……と思う。

 

歩美は13歳のりっちゃんに、「『死ぬ』なんて言わないで」と言う。
38歳のりっちゃんは18歳の息子に、「『死ぬ』なんて言わないで」と言う。

そして歩美は、たいへんカジュアルに死ぬ。
死んで生き返れば身体の不調が治るから、寝違えを治すために死んだりする。
でも、毎回「このまま本当に死ねたらいいな」と思いながら死んでいる。

歩美は死んでも生き返るから、死んでいいのかというと、それも微妙なところだなと思う。

 


私自身も、本気で死ぬつもりはなく「死ぬ」と言うことがよくある。誰かに言うわけでも、SNSに投稿するわけでもない。ただ、本当に死にたいわけじゃなくて「恥ずかしい」とかそういう気持ちが高まると「しにたい~~~~」と独り言がぽろっと口から出てしまう。
誰かに何かをというよりは自分自身の羞恥心と自尊心で死にたくなることが多い。虎になるより前に死にたくなっちゃう、自分が嫌すぎて。でも実際に死ぬわけじゃない。いや、死にたくなくはないけど、どうせいつかは死ぬし、それなら死ぬまで生きるか~と思うし。


ていうかそもそも私は「死」を、唯一人間が選べるものだと思っていて、だからそれを選びたくても選べない歩美はしんどいよな~~~~~~~~と思いながら観ていた。
人生は選択の連続だから選択肢は常に少しでも多い方が人生豊かになるような気がする。そして、どんなに選択肢の少ない人生だとしても常に1枚は持ってるカードが「死」というイメージだ。でも、それは選択肢として持っていることに価値があるカードだから、絶対に選んじゃいけない。選ぶと手持ちの選択肢が1枚もなくなっちゃうから、常に選ばずに持ち続けていることが大事だと、個人的には思っている。
「いつでも死ねるけど、今は死なない」方が人生楽しい気がするし。


でも現実問題、"普通"の人は、いつか「死」のカードを引く瞬間がくるわけで、そうなったときに何をよしとするかはたぶん人それぞれで……。つまり、自分でも意識しないうちに「死」が訪れるといいと思う人もいれば、自分で今度は「どうやって死ぬか」という選択肢の中から選びたいという人もいると思う。

 

良嗣は、歩美が生き返ると知ってからも、歩美が死ぬと悲しむ。
でも、歩美と一緒に死ぬために、歩美が死んでも生き返る理由を探るために、何度も歩美を殺す。悲痛な声で「ごめん」と言いながら、歩美を殺す。
歩美はそのたびに「このまま本当に死ねたらいいな」と思いながら殺される。そして生き返る。だから、良嗣が謝る必要はないと思っている。


「どうやって死ぬか」は、裏返せば「どう生きるか」であって、そうなると死ねない歩美は生きられないような気もして、だから良嗣に「殺してもらう」ことで歩実の「生きる意味」も生まれたのかなと思ったりもする。

 


良嗣は結局、歩美が死んでも生き返る理由を見つけることはできず、そして歩美より先に死ぬ。

 


作中では、歩美以外の人は全員歳をとる。
役者の見た目が劇的に変化するわけではないが、見せる表情、話す言葉、ちょっとした仕草や立ち居振舞いに年齢が感じられる。
それが本当に本当にすごく上手で、当たり前なんだけど「役者さんって演技上手いな」としみじみ思った。


一番「成長した」と感じるのは、13歳の少女から38歳の母親になるりっちゃんなのだが、一番「歳をとったな」と感じるのは、良嗣だ。


良嗣は病気で、もう後がない状態になる。
兄よりもずっと老けて見えるし、歩美と比べると見た目にはかなり差が出てくる。実際は歩美の方がずっと年上のはずなのに、見た目は良嗣の方がずっと年上のようになってしまっている。

 

良嗣と結婚するときに、歩美が一番恐れていた瞬間が、近づいてくる。


劇中では、歩美と良嗣のなれそめが断片的に挿入される。


今までと同じように、良嗣の前からも姿を消そうとする歩美。
そして、そんな歩美を必死で探し、追いかける良嗣。


誰かを特別に思うと、その人が死ぬときにつらいから、特別な人を作らないようにしているのだと訴える歩美に、良嗣はめちゃめちゃな告白をする。


「家帰って、歩美がいると、"沸く"んだよ!」
「"沸く"って、なに……」
「気持ちが?」

「そんなに言うなら、何で俺の電話出たの?」
「それ、は、…………私も、ちょっと、……"沸いた"……から…………」


お互いの気持ちを認め、キスをしようと顔を近づけた次の瞬間、そのまま時間軸がすっと"現在"にスライドする。ゆっくりと顔を近づけた良嗣は、背中の曲がった老いた病人に。応える歩美の手が、良嗣の歩みを支える。


歩美はあの頃のままで、良嗣だけが、老いて死のうとしている事実を、まざまざと見せつけられる。

 

良嗣は死ぬ。
家で死ぬことを望み、「飲むとゆっくり心臓が止まる薬」をもらって、歩美と共に眠りにつく。そして、歩美が眠っている間に、こっそりその薬を飲み、誰にも知られず死ぬ。

 

 


た組の舞台は、静寂を作るのが巧すぎる。

ただの無音ではなく、……孤独な魂が浮き彫りになるようなそんな"しん"とした静寂。

そこに染み込んでくる谷川さんの歌もすごい。
歌っているのに静寂に満ちていて、すごい。


自分の肉体が邪魔に思えるくらいの、静寂。

そして静寂の中で浮き彫りになる、孤独な歩美の魂。

 

 

 

 


純度の高いものに触れるとこちらまで泣けてきてしまう。

 

このシーンで涙が出たのも、良嗣が死んだことが悲しかったのではなく、あまりにも純度の高いものに触れたからだと思う。


私はわけわからんところで泣けてくるな~~~と思うようなことがよくあったんだけど、たぶんそういうことなんだなと今回でわかった。


自分の感情が昂って泣くと言うよりは、純度の高い美しい何かを目の前にすると共鳴して泣いてしまう。

たとえば後藤まりこちゃん、たとえば1917の戦場を駆け抜けるシーン、たとえば三浦しをん舟を編む』の「辞書は言葉の海を渡る舟だ」のくだり、たとえば宮下奈都『羊と鋼の森』冒頭の描写、たとえば『今日もわからないうちに』でぐるぐる回る迷子の母娘を観たとき、たとえば『誰にも知られず死ぬ朝』で安達祐実演ずる母親が息子を叱責する場面。


そう、実は私は、良嗣が死んだときよりも、安達祐実演ずるりっちゃんが、息子である基樹に感情をぶつける場面でぼろぼろに泣いていた。


りっちゃんの息子、基樹(藤原季節)は、18歳の高校卒業間際の青年だ。
面白いことがなくて、毎日酒を飲んでは友達と遊び回っていて、見た目がとても若い歩美のことを「良嗣の遺産目当てで近づいた女」だと思っている。


基樹は、良嗣から歩美宛の遺書を預かるが、酒に酔ってそれを窓から投げ捨ててしまう。
もちろん大切なものだとわかっているし、探しても見つからないから焦ったし、悪いことをしたとも思っている。

でも、それを母親に突きつけられると、素直に謝れない。

「だから、ごめんって言ってんじゃん!」

と、開き直ったように吐き捨てることしかできない。

「でもどうせ遺産のことだろ? 歩美さん、若すぎるもん、おかしいよ!どうせ遺産目当てなんだろ?」

挙げ句の果てには、そんなことを言ってしまう。
基樹は、歩美が何年も生きていることを知らない。何度も死んで、何度も生き返っていることを知らない。だから、歩美と良嗣が歩んできた過去なんて知るよしもない。


りっちゃんは、基樹の頬を打つ。
「何てこと言うの!」と全身を震わせるりっちゃんは私の角度では背中しか見えなかったけど、表情が見えないからこそ、余計にりっちゃんの感情が立ち現れてくるように感じられた。

そこにいたのは、38歳の、基樹の母親であると同時に、13歳のりっちゃんだった。

 

そのりっちゃんから、私はりっちゃんと歩美が歩きながら話していた姿を思い出し、歩美がりっちゃんと歩きながら話した良嗣のことを思い出し、

…………いやそんな理屈は後から思い付いた余計なもので、とにかく私はここでぼろぼろに泣いた。

そこに立つりっちゃんの純度の高さに、震えて泣いた。

 


良嗣の遺書は、結局、りっちゃんを通して歩美の手に渡ることになる。

 

歩美は、良嗣の後を追おうとしていた。


包丁を手にした彼女は、「これは初めて」と呟く。
たとえ生き返るとしても、死ぬ瞬間は痛いし苦しい。


歩美は、少しの躊躇いのあとに、意を決して自らの腹に包丁を突き刺す。そして傷口から手を突っ込み、腸を引きずり出す。

「これは演劇上での、演技で、嘘だ」と、わかっているはずなのに、観ているこっちまで痛くなってくる。

歩美は、わざと今まで経験したことがないくらい痛くて苦しい方法で死のうとしているように思えた。
良嗣を失った悲しみとのバランスを取ろうとしているように思えた。


でも、歩美は死ねなかった。


そこにりっちゃんがやってくる。
歩美は、腸を引きずったまま、自分の血にまみれた手で、良嗣の遺書を受けとる。


歩美が遺書を読んでいる、そのとき…………


基樹の運転する車が、赤信号で停止する。
そして次の瞬間、横から出てきた車とぶつかり、……………………ぷつんと照明が落ちる。

 

これがラストシーンだ。

 

基樹、絶対死ぬじゃん……っていうのは、正直わりと序盤から思ってた。
いやまあ普通の人間なんだから、いつかは必ず死ぬんだけど、周りの人間が基樹に「お前はまだこの先の人生長いから」と語りかけるたびに、(それは誰にもわからないことだけどな?)と思っていた。

だから、常にどのシーンでも「もしかして次の瞬間、基樹死ぬのでは?」と思ってた。
友達と自転車を2人乗りする場面も、友達4人で高いところに登ってお酒を飲んでいる場面も、無免許の友達に車に乗るように誘われる場面も、すべてが刹那的に感じた。

 

基樹は、自分が死ぬなんて思ってない。
どう生きてどう死ぬかなんて考えてない。
毎日、つまんないな~と思いながらぼんやり生きている。
すっかり大人になってしまった私からしたら、そういう瞬間のきらめきみたいなものは少し羨ましくもあるんだけど、かつてそういう子どもだった自分もどこかにいる。

 

最後も、基樹がどうなったかは明言されない。
一命をとり止めているかもしれないし、あのままあっさり死んでしまっているかもしれない。
それは誰にもわからない。


そして、良嗣の遺書に何が書いてあったかも、観客は知ることができない。
なぜ、基樹から渡してほしいものだったのかも、はっきりとはわからない。

 


これは完全に私個人の妄想だけど、良嗣が「"基樹から"歩美に渡すこと」を重視していたとしたら、もしかしたらあの遺書は、歩美へのメッセージであると同時に基樹へのメッセージだったのかもしれないなと思う。

良嗣は、基樹に遺書を手渡すとき、「お前が一番若くて、一番長生きするから」と言っていた。
ということは、自分が死んですぐ歩美に読んでほしいような内容ではなかったのではないだろうか。良嗣はもっと未来のことを考えたいたのではないだろうか。
たとえば遺書の内容が、「俺のかわりに、基樹の将来を見届けてやってくれ」みたいな感じだった場合、歩美だけでなく基樹の将来も願っていることになる。

基樹は、遺書を読まずに窓から投げ捨てた。精子をくるんだティッシュと同じように。
そしてそれは祖父に拾われ、母に見つかり、結局は母の手から歩美に渡ることになった。
もし、そういうことで、最後に基樹が本当に死んだのなら、それもそういうことなのかもしれないなと思う。


まあ、これは私の勝手な妄想なので、本当のことはわからない。

 

 


そういえば私はよく何かを観ながら全然関係ないことを考えてしまったり、目の前のことを即座にツイートとかブログ投稿する想定をしてしまったりして、見ているのに見ていない状態になることがあるんだけど、た組は会話のテンポが早いから、ちょっとでも意識が散ると一瞬で聞き逃す……。
とくに今回はとにかく密度が凄かった。

会話のテンポが早いっていうのは、走ってるわけじゃなくて、親しい人とならこれくらいのテンポで話すなという速さで、聴いててめちゃめちゃ気持ち良いものではある。
ポンポンポンってピンポン球みたいに言葉が行き来するから楽しい。

でも集中力がいる。
だって舞台上の二人は親しい仲かもしれないけど、私は二人には今日初めて会った赤の他人だから。
他人の会話はテンポを掴むのが難しい。
でも、いつの間にか、私も溶け込んでしまっている。取り込まれる。呑み込まれる。


そうして集中していたから、逆に些細な会話が思い出せなくて、今こうして書きながら必死に思い出しているけど、忘れてしまっていることがめちゃめちゃある。
でも、生きていくってそういうことの積み重ねなんだよなぁ……。

 

 

 

 


全然違う話をする。


彩の国さいたま劇場 小ホールは、中央の空間を半円のすり鉢状になった客席が囲むという、少し変わったつくりの劇場だ。私は初めて行ったとき、「野球のスタジアムみたいだな」と思った。
つまり何が言いたいかというと、演技スペースと最前列の客席を仕切るものが何もない。最前列の客は、演者と完全に同じ地面に存在することになる。

そして私は今回、最前列だった。
要するに私は、以前からたびたび感じている「境界線がなくて、こわい」状況に置かれることとなった。


劇団た組の舞台は、ただでさえ毎回、リアルすぎて現実と虚構の境界線が曖昧になる。
「今ここで交わされている会話はフィクションだけど、私はいつか誰かと似たような話をしたことがある」「どうしてこの人は、あのときの私の気持ちを知っているんだろう」という気持ちになる。


今までに私が観た劇団た組のお芝居は、すべて現代が舞台で、わかりやすい言い方をすると「とてもリアルな話」だったから、余計だ。

そういう意味では、今回の舞台は少しファンタジーと言えるだろう。
"死なない"なんて、"あり得ない"。

 

開演前に、パンフレットの前書きを読んで、私は心臓が止まるかと思った。
それは、加藤拓也さんの書いていることが、私自身ずっと考えていたこととあまりにも似通っていたからだ。


わかるとかわからないとか、共感できるとかできないとか、リアルとかリアルじゃないとか、嘘とか本当とか、フィクションとかノンフィクションとか、そういう話だ。


私はずっと「虚構と現実の境界線」と「わからないから面白い」ことについて考えていた。

他の芝居を観たり、仕事をしたりする中で考えるきっかけとなるような出来事もたくさんあったけど、最近とくにこのことをぐるぐる考えているのは、あきらかに劇団た組の芝居のせいだった。

だから近いうちに、自分の考えを整理してまとめたいな~~~~と思っていたのだけど、なんだか完全に先を越された気がしてめちゃめちゃ悔しかった。
いやまあ、これも私の勝手な思い込みだし、誰かが先に何を言っていたとしても、私は私の考えを書くんだけど。


ちなみに最初に読んだときはびっくりしすぎて「何これ加藤さん、私のブログ読んでるの??????」とか思ったけど、よくよく考えたら『誰にも知られず死ぬ朝』が発表された当初から「フィクションとノンフィクションの狭間」という言葉も劇団公式Twitterで発信されているから、単に私が観客としてある種の"正しい解釈"をたまたま受けとることができていただけの話っぽい。

 


前書きで加藤さんは、「あちこちでダメだと言われる嘘を、ここでは良しとしたい。嘘に寛容であれる場所にしておきたい」と述べている。


演劇の舞台は、"嘘"ばっかりだ。

でも観客は、安達祐実を13歳の少女と信じ、椅子の上が屋上の手すりの外側に見え、そこから飛び降りたら本当に死んでしまうと焦る。

 

私は今まで、「た組の舞台は本当にリアル」と何度も書いてきた気がするが、それは裏を返せば「めちゃめちゃ嘘が上手い」のと同義だ。

うまく嘘をつくために必要なのは、「徹底して本物を観察して真似ること」…………ではなく、「本物を観察し、その本質だけ抽出した別物をつくること」と「騙す側がその価値を信じること」だと思う。

たとえば、具象舞台だとちょっとの不自然さが気になるが、ルールに基づいた抽象舞台ではだいたい何がどうなっても許されるのは、そういうことなんだろう。
机の足が突然、屋上の手すりになっても、役者が本気でその"手すり"にしがみつけば、それは本物になる。

 


そして、嘘は必ず、本当のことを元に作られる。
た組の舞台は、その嘘の元となった「本当」の気配がいろんなところに潜んでいるのも面白い。

でも人によって、何を「本当」と思うかは違うんだろうなとも思う。

大きなテーマとは別に、小さな要素があらゆるところに散りばめられていて、その全部を拾っていたらキリがない。
そして観客の今まで歩んできた経験により、どこに気がつき、どこが響くかはきっと変わる。

登場人物全員が、ひとりひとり様々な要素を持っていて、観る人の切り取りかたで全く違う人物像になりそうな気もする。

 

なんだかここまで安達祐実のことばっかり話してしまっているけど、他の役者さんもめちゃめちゃ良かった。別の舞台で見たことがある人ばかりだったけど、そのどれよりも良かった気がする。

劇中で私がとくに好きだったのは、中嶋朋子さん演ずる江梨香だ。
良嗣の兄の妻、歩美から見ると義理の姉で、りっちゃんの母親なのだが、ものすごく良かった。大好き。

 


そういえばタイトルの『誰にも知られず死ぬ朝』というのを見て、"朝"という時間帯もいつ"死んで"いるのかわからないよな~とぼんやり思ったりもした。
何時まで「おはよう」なんだろうね、的な。

 

 

 


なんか他にも書きたいこと、書いておかなきゃいけないことがある気がするんだけど、まとまらないのでこのへんで終わろうと思う。


今までで一番まとまってない自覚はある。あと長い。

でも観て感じて受け取ったものはこんなもんじゃないんだよ…………どうしたもんかな…………


とりあえず「現実と虚構の境界線」みたいな話は、本当に近いうちにまとめたい。

 

終わります。

 

 

 

埼玉西武ライオンズ南郷春季キャンプ2020覚書


埼玉西武ライオンズ春季キャンプ2020
@宮崎県・南郷スタジアム

に行って来た。


私が行ったのは、2月1日(土)、2日(日)の二日間。
初めてのキャンプ、初めての宮崎、ていうかそもそも九州初上陸と、初めて尽くしの旅だったけど、とても楽しかった。

行く前はめちゃめちゃ不安だったし、行ってみて初めてわかったこともたくさんあったので、来年のための覚書。
これからキャンプ行く人の参考にもなるといいなと思うけど、実際参考になるかはわからない。

 

 

 

行く前に悩んでいたこと


日程

A班キャンプの期間は2月1日(土)~19日(水)
平日は仕事があるから、土日で行って帰ってくるか、祝日に絡めて休みをとるしかない…………となると、選択肢はかなり狭まってくるけど、前半後半どっちがいいんだ~~~~?????と悩んでいた。
Twitterで助けを求めたところ、「終盤に行くにつれて実戦に近い練習や紅白戦が増える」「今年は第2クールから実戦が多くなりそう」「個人をひたすら追うなら前半がオススメ」と教えてもらったので、最初の土日に行くことにした。
土曜の早朝に家を出て、一番早い飛行機で昼頃に現地着、日曜の夕方の一番遅い飛行機で宮崎を経ち、深夜に帰宅というスケジュール。

 


泊まる場所

キャンプ行きを決めたのが年明けで日南市のホテルはほぼ全滅だったため、宮崎駅から徒歩20分で一泊9000円くらいのビジネスホテルに泊まることにした。
どうせお風呂入って寝るだけだったので、とくに期待もこだわりもなかった。ホテルのレベルとしては及第点……というか、この設備ならもう少し安くてもよくないかって感じだった。宮崎駅自体は構内にお土産屋さんや飲食店もあり便利。
ちなみに宮崎駅南郷駅は電車で1時間半~2時間ほど。実質の移動時間や距離よりも、電車の本数がないことのほうがつらい。(詳細後述)

 

 

服装

・ショートダウン
ヒートテック+Vネックニット
・スキニー
・スニーカー

宮崎の気温を調べるもいまいちピンと来ず、とりあえずアウターはダウンで、脱ぐとやや薄着……くらいで行った。結果的に大正解。
日中は陽射しが強くて、風もなく、メインスタジアムの内野に座ってると暑いくらい。ダウン脱いでてちょうど良かった。
ただし、日陰はひんやりしてるし、風が吹くとちょっと寒い。朝晩も冷える。
アウターは風を通さない素材なら、ブルゾンとかでも良かったかもしれない。(ただ、地元が余裕で氷点下だからダウンじゃないと私はしんでた)

 


荷物

・大きめリュック
サコッシュぽいショルダー

一泊二日で、服も二日間同じニットとスキニーで過ごしたから、荷物はこれだけ。
飛行機乗り慣れてないから、預ける荷物があると時間がどれくらいかかるかわからなくて、機内持ち込みギリギリサイズのリュックにした。

それぞれの中身は
・リュック→着替え、化粧品、スキンケア用品、ヘアアイロン、充電器、眼鏡、カメラ、ユニフォーム、タオル

サコッシュ→財布、リップ、鏡、のど飴、ハンドクリーム、モバイルバッテリー、双眼鏡、サインペン、サイン帳

球場ではカメラは首から下げていた。
あと、二日目は買ったお土産をリュックにいれるために、カメラバッグは出して別で持って歩いた。

 


行ってみてわかったこと

持ってて良かったもの

・カメラ
これまで全くカメラに触れたことがなかったが、キャンプに合わせてミラーレスを購入。レンズキットの望遠レンズだけでもスマホよりは遠くまで綺麗に撮れるので、素人には十分だった。ずっとカメラ構えていたわけではなかったし、二日目の午後はバッテリー切れで物理的に使えなかったけどキャンプ自体はすごく楽しかったので、必須アイテムではない。
ただ、持ってて良かったと思う点としては、やっぱり良い瞬間を残せると嬉しい。あと、遠くでわちゃわちゃしてるところをとりあえず最大ズームで撮っておけば、手元で拡大して「あ、一緒にいたの◯◯選手か~」とわかって良かった。


・双眼鏡
普段、試合に持っていくのと同じものを持参。メインスタジアムで入れるのは内野席のみなので、外野での練習は普通に遠い。良い望遠レンズつけたカメラがあれば双眼鏡いらないのかもしれないけど、私は"撮る"より"見る"がメインだったので、持っていって良かった。


ヒートテックレギンス
寒かったらスキニーの下に履こうと思って持っていったけど、上述の通り日中は暑いくらいだったので、その必要はなし。ただ、夜のホテルの部屋が寒くて、部屋着として履いていた。エアコンはあったけど夜の間ずっと暖房つけてると乾燥するし、荷物減らしたくて寝間着持っていかなかったからホテル備え付けの浴衣切るしかないし……という状態だったけど、ヒートテックレギンスのおかげで安眠できた。ジャージ持ってくよりかさばらないから、お風呂上がり誰にも見られない宿なら寝間着代わりにヒートテックレギンスありだなと学ぶ。


・信頼できるフォロワー
マジでこれが一番持ってて良かった!!!!
キャンプに行くのを迷っていたときに背中を押してくれたフォロワー、日程や服装や持ち物を悩んでいるときにアドバイスくれたフォロワー、早起き応援してくれたフォロワー、現地で合流して二日間行動を共にしてくれたフォロワー…………楽しいキャンプを過ごせたのは、あなた方のおかげです、本当にありがとう……。
とくに現地で、キャンプ慣れしてるフォロワーさんと合流できたのは幸運だった。わりと一人でどこにでも行くタイプだし、合流してからも「ちょっと私はブルペンへ!」みたいに別行動もしてたけど、やっぱり仲間がいるのは心強い。あと、「えっ、今の見ました!?可愛い~!」みたいなことを言える人がすぐ隣にいるのは本当に有難い。文字通り。
持つべきものは信頼できるおたくのフォロワーだなとしみじみ…………。

 


なくてもよかったもの

・カイロ
寒いかと思って貼るタイプを持った行ったけど全然必要なかった!天気にもよるだろうけど、この二日間は一切出番なし!


・ユニフォームやタオル
一応、最推し野手のユニフォームとタオル、最推し投手のタオルは持った行ったけど、ほとんど出しもしなかった。選手にサインもらうならユニがあるといいかもしれないけど、選手タオルはまず必要ない。そして最推し選手は二人ともサインのチャンスもなかったので、出す機会なかった。
現地では、ユニフォーム着てる人はほとんどいない。むしろトートバッグやキーホルダーで推しアピールしてる人が多い。

 


現地で買えたもの

・お昼ご飯
うどん、やきそば、たこやき、チキン南蛮丼などの屋台が出ている。一日目はチキン南蛮丼、二日目は肉うどんと焼き芋を食べたけど、どれも美味しかった。


・グッズ
御朱印帳(サイン帳)
・サインペン(マッキー)
球団グッズの屋台もあり、2020年球団カレンダー、ねこげんカレンダー、骨牙カレンダー、松坂大輔グッズなどが売られていた。
同じ屋台で、マッキーや御朱印帳、色紙、ボールの販売もあり。私はサインペンは持参していたけど書いてもらうものを何も持っていなかったので、念のため御朱印帳のみ購入(2500円)。でも、御朱印帳が埋まるほどサインをもらう予定もなかったし、実際にもらったのも一人だけだったので、普通に家から普段使いの手帳かスケブ持って来ればよかったとちょっと後悔。

 


移動がたいへんだった話

・電車の本数がなさすぎる
岐阜県民にしか伝わらない例えをすると「宮崎県の宮崎駅だから岐阜県の岐阜駅くらいかと思ってたら、東海道本線じゃなくて高山線だった」レベルで本数がない。一時間に1本もない。
一番困ったのは、二日目の朝。宮崎駅から南郷駅まで行こうとすると、始発(宮崎5:28発―南郷7:38着)を逃したら次は南郷10:58着しかなかった。
途中の油津駅まで行く電車はもう少し本数があったので、とりあえず油津まで電車で行って、そこからタクシーで南郷に行くことした。油津から南郷スタジアムまではタクシーで20分くらい……のはずが、いろいろあって南郷駅までに(詳細後述)。油津駅から南郷駅までも、タクシーで20分ほどで2300円くらいだった。たぶん油津から南郷スタジアムまででも3000円あれば行けると思う。


南郷駅からもまあまあ歩く
南郷駅からスタジアムまでは、徒歩15~20分くらい。
行きはひたすら上り坂、帰りはひたすら下り坂。道自体はわかりやすいし、個人的にはこの距離なら歩くか~くらいの道程だったけど、後から地味に足腰に来た。シャトルバスやタクシーという選択肢もあったし、二日目の帰りはフォロワーさんに便乗してタクシーで駅まで行った。ギリギリまで現地にいようと思うと、タクシーの方がいいかも。まあでもこの距離なら特に何もなければ次回も歩くかな……。重い靴だと確実にしぬので、軽めのスニーカー推奨。


・メインとサブ・ブルペンの移動は高低差がヤバい
たぶんこのツイートがわかりやすいと思うけど、本当に高低差がヤバい。


しかも、この青いシートは選手・関係者用の通路なので、一般のファンはこの横にある坂を利用することになってるんだけど、これがまた地味につらかった。

 

 

今回の現地での動き、簡易レポ

【一日目】2月1日(土)

・9:45頃、宮崎空港
・すぐに宮崎空港駅に向かうも、一番早い電車が10:20発だったため、そのまましばらく待つ。
・電車の中でサンデーライオンズと文化放送ライオンズナイターのアカウントをチェック。キャンプのスケジュールを確認。
・12時過ぎに南郷駅着。駅舎がライオンズのデザインになっていてテンション上がる。そこから歩いてスタジアムへ。
・到着してすぐメインを覗くと、少し早いがランチ特打に入っているっぽい。栗山がいるのは確認できた。
・とりあえず一周してみようと思い、ブルペンへ。
・不意に現れた今井くんがカッコ良すぎてビビる。
・メインに戻り、チキン南蛮丼を食べながら打廻りを見る。
・金子は、少し打つたびに赤田コーチとお話していた。
・鈴木将平くんがうるさくて可愛い。「バッティング入りまーす!」とか言ってた。
・予定よりだいぶ早く個別練習に入ったらしく、14時半頃にメインから人が消える。
ブルペンの方に行ってみると、今井くんと大将くんがいる。
・サブでは森くんをはじめとする捕手陣が練習中。フェンス一枚隔てただけの距離の近さにビビる。
・通路付近には、サイン待ちのファンが列を成している。ブルペンのあたりで、光成くんと本田さんとルーキー浜屋くんがサインをしていた。
・メイン近くの通路付近もサイン待ちのファンで溢れている。金子がメインから出て来たが、すぐにバスに乗ってしまう。
松坂大輔がメインから出て来て、「サインお願いします」の声に答えてファンの方に来てびっくりした。何人かにサインをしていたっぽい。
・下のブルペンから小川さんと森脇さんが上がってくる。途中、子どもに呼び止められ、サインに応じる二人。森脇さんが目の前に来たので、思い切ってサインをお願いする。緊張しすぎてよく覚えてないけど、対応めちゃめちゃ丁寧で優しかった。
・森脇さんはそのあと小さい子にサインをお願いされていたが、どうやらその子の差し出したグッズが違う選手のものだったらしく、「これ?サインしていいの?ほんとに?」と笑いながら尋ねていた表情が柔らかすぎてしんだ。
・小川さんもゆっくりサインしながら進んでいてめちゃめちゃ優しい。
・その後も、投手が続々と上がってくる。サインはしたりしなかったり。疲れてるだろうからファンサなくても全然いいし、練習ほんとにお疲れ様だし、早く帰って美味しいもの食べてあったかい布団で寝てほしい。
・17時頃に現地を出て、歩いて南郷駅へ。南郷17:28発―宮崎19:03着の電車に乗る。
宮崎駅構内の居酒屋で夕食をとる。何を食べても美味しかったけど、とくに鰹が印象的。ただ、駅を出てホテルに向かうまでにも居酒屋や飲食店はたくさんあったから、次回はもう少し調べて行きたい。
・ホテル到着。寝る前に翌朝の電車を調べ、絶望的に本数がないことを知る。
・去年のキャンプの練習スケジュールを見ると、だいたい9時前に早出の練習、10時頃に全員来て、11時頃にキャッチボールを始めている。遅くとも11時には着いていたいので、早起きできるように祈りながら就寝。

 

【二日目】2月2日(日)

・朝5時半起床。6時すぎにホテルを出る。まだ暗い宮崎の街を歩いて駅へ。
宮崎駅のファミマでお金をおろし、朝ごはんと飲み物を買う。
・宮崎6:43発―油津8:10着の電車に乗る。電車は空いてて、4人掛けのボックスシートに一人で座れた。他の乗客もたぶんみんなキャンプ民。
油津駅は広島のキャンプ地の最寄り駅で、駅舎もカープ仕様。
・ロータリーには、客待ちのタクシーが3台くらい。タクシーに乗り込んで「南郷スタジアムまで」と言うと、「今、パレードがあるとかで南郷駅のところ交通規制してるみたいだよ」と言われる。「パレード?????」となりながらも、とりあえず南郷駅まで行ってもらうことに。
・タクシーの運転手さんに「西武のファンの人はおとなしいイメージ」と言われる。
・8時半頃、タクシーで南郷駅着。確かに人だかりができていて、報道陣もたくさんいる。
・よくわからないまま駅の前で何かを待っていると、紙の特製フラッグが配られる。その後のアナウンスで、これからあるのは「ライオンズ南郷駅誕生セレモニー」だと判明。ライオンズ仕様の駅舎は、地元の高校生が発案し、クラウドファンディングや地元企業の協力があって実現したものらしい。
・その情報をもとにTwitter検索すると、宮崎駅を7時半頃に出発し、南郷駅に9時頃に到着する臨時列車が運行されているらしい。それ乗れば良い時間に来れたやん!!!!検索結果に出してくれよ乗換ナビ!!!!
・臨時列車には、一般客の他に、協力企業の方や、ライオンズ辻監督、森選手、源田選手、山川選手、平井選手も一緒に乗っていることがアナウンスされる。平井さん!!?!えっ、ほんとに!??!?!???!?
・9時頃、臨時列車が到着し、セレモニー開始。
・ライオンズ南郷駅を発案した地元高校生グループの代表の子の名前が「レオ」くんで、どよめく(が、本人いわくライオンズとは関係ない由来らしい)。
・セレモニー中、後列の端に並んだ球団マスコットのレオと源田くんが、ずっとひそひそお話ししてて可愛かった。写真撮影タイム前後には太ももの太さを比べるようなやりとりも。
・山川は、隣の高校生にちょくちょく話しかけている。観客席の少年野球の子の声にも反応したりしていて、山川は子どもに優しいことを再確認。
・セレモニーは30分ほどで終了。そこからまたスタジアムまで徒歩で向かう。
・10時頃に現地着。メインでは早出の練習が終わりがけ。まだ二日目の朝なのに、佐藤龍世くんが守備練習でへろへろになっていた。
・メインでひたすらウォーミングアップやアジリティを見る。
・龍世くんが、源田くんをはじめとした先輩たちに弄られてて可愛い。リアクションが大きいので構いたくなる気持ちはとてもよくわかる。
・アジリティ中、源田くんと金子はよく隣で話してて、やっぱり仲良さげ。そこに森くんも加わって、三人で固まっていることが多い。
・キャッチボール、前日のペアが金子&栗山さんだったと聞いて楽しみにしてたけど、この日は違った。金子は木村と、栗山さんは阪神から移籍してきた森越さんと。
・投内連携が見ていて楽しすぎて、外野を見るのをすっかり忘れる。状況に合わせてキャッチャーが指示だす声まで聞こえてめちゃめちゃ楽しかった。
・投内連携では、平良くんが、ボールをこぼして投げられない場面もあった。あと、源田くんの守備は練習でも抜群に美しくてたまらん。
・レオがめちゃめちゃスタンドに来る。そしてファンに手を振ったり、子どもの頭を撫でたり、カメラを構える真似をしたり、空いてる席に座ったり、めちゃめちゃ自由。ファンサがヤバい。レオくんの夢女ならしんでた。
・このあたりでカメラのバッテリーが切れる。昨夜、充電せずに寝たから自業自得。
・練習スケジュールの投手の方に「サードスロー25」とあったので、サブの方に行ってみる。平井さんの姿を探すも、最初は見つからず。ブルペンでは8人くらい投げていた。
・サブに平井さんを発見。サードから、ファーストまで投げる練習。バッテリー瀕死のカメラで必死にシャッターを切る。
・ファーストにいるコーチが「いいねいいね~!」みたいに言い始めるのを、平井さんが「出た!野次将軍!」と笑っていた。
・平井さん一人だけの練習だったので、それほど時間は長くなかった。その後はしばらくブルペンを眺める。ブルペンの脇のベンチでは、與座くんと松本くんが一緒にスマホを覗き込んでて可愛かった。しばらくして與座くんは「てっちゃん、めしいこ~」と同い年の宮川哲選手(おそらく)に声をかけて消える。
・メインに戻り、ランチ特打を眺めながらお昼を食べる。ランチ特打のメンバーは昨日と同じで、栗山、メヒア、スパンジェンバーグ。
・特打が終わると、栗山さんやスパンジェンバーグもボール拾って片付けててぐっとくる。スパンジェンバーグはバッティングピッチャーさんにも握手を求めていた。
・打廻りと個別強化(打撃)でひたすら金子を見る。
・その間、龍世くんはコーチとマンツーマンでフォーム改善をしていた。膝?太もも?のあたりにゴムのバンドをつけて、引っ張ってもらいながらバットを振る。下半身の修正?
・15時すぎ、タクシーで南郷駅へ。
宮崎駅15:35発の電車で空港へ。ちょうどいい時間の電車が観光用の特急しかなかったが、自由席に乗れて一安心。
宮崎空港に17時半頃到着。空港でキャンプに来ている球団の選手の私物等が展示されていることを初めて知る。
・使用機到着遅れで、飛行機の離着陸が30~40分ほど遅れての運行になる。夕食をとり、お土産を買って待つ。
・21時頃、中部国際空港着。

 


来年に向けて

・飛行機と宿は早めに手配する。とくに宿はもう少し南郷の近くに泊まりたい。
・美味しいお店を調べておいても良かった。何食べても美味しかったから良かったけど、あとから知って気になるお店もあったため。
・カメラの充電は必ずしておく。予備バッテリーもあった方がいい。

 


まとめ

めちゃめちゃ楽しかったから絶対また行きたい!
宮崎県自体もすごく良いところだったから、今度はもう少しゆっくり行って観光もしたい!
写真撮らない、サインもらわないでもキャンプは十分楽しめる!でも、このへんは時と場合によるので準備をしておくに越したことはない!
ほんとに楽しかったし、開幕が楽しみ~~~~~~~~!!!!!!!!!!!

 

 

 

おまけ

スタンドでめちゃめちゃ自由だったレオ
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打撃練習中のねこさん

(一日目、ミラーレスで撮影)

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(二日目、スマホで撮影)

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サードスローをする平井さん

(ミラーレスで撮影)

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(スマホで撮影)

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おしまい!

 

遠征おたくの2019年


突然だが、これを見てほしい。


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0101*東京カウントダウンライブ
0105*名古屋サーキットイベント
0106*名古屋ライブ
0119*京都舞台
0120*大阪舞台

0201*名古屋ライブ
0202*名古屋hazama展示会
0223*名古屋ライブ
0224*東京ヒーローショー

0316*甲子園野球
0317*甲子園野球
0321*名古屋ライブ
0323*名古屋ライブ
0324*名古屋サーキットイベント

0406*名古屋ヒーローショー
0407*名古屋ライブ
0414*東京ライブ
0420*東京ライブ
0421*東京舞

0501*京都ライブ
0511*東京舞
0525*埼玉野球
0526*岐阜舞台
0526*名古屋ライブ

0601*東京追悼式
0601*東京野球
0613*名古屋ライブ
0614*名古屋ライブ
0619*名古屋野球
0621*名古屋ライブ
0630*京都フェス

0706*名古屋ライブ
0727*東京舞

0818*名古屋サーキットイベント
0812*大阪hazama展示会
0820*埼玉野球
0831*東京舞

0901*東京舞
0901*東京舞
0907*大阪フェス
0908*大阪フェス
0916*埼玉野球
0928*岐阜フェス
0929*岐阜フェス

1004*名古屋ライブ
1005*大阪舞台
1011*名古屋ライブ
1019*金沢ライブ
1023*名古屋ライブ

1103*東京ライブ
1109*大阪サーキットイベント
1110*大阪舞台
1123*名古屋ライブ
1124*名古屋ライブ
1126*東京舞

1201*東京ライブ
1206*東京舞
1207*東京舞台マチネ
1207*東京舞台ソワレ
1214*名古屋ライブ
1221*名古屋フェス
1222*名古屋フェス
1231*東京カウントダウンライブ
ーーーーーーーー

内訳(地域別)
岐阜名古屋:20回
関東:17回
関西:6回
その他:1回

内訳(ジャンル別)
フェス・ライブ:36本
舞台:17本
野球:7試合
その他:3


これは私が2019年に観たもの行ったものの記録なのだが…………

多いと思うだろうか、少ないと思うだろうか、こんなもんだろうか。
私比だとこれはかなり多い。去年はライブ舞台野球その他もろもろ全部合わせて40本程度だったはずなのに、今年は軽く50を越えている。


しかも恐ろしいことに、私はどこに行くにも強制的に遠征になる地方民なのだ。

具体的には、名古屋に出るのに2時間半、東京・大阪にはそれぞれ5時間以上はかかる。ちなみにすべて片道の最短ルートである。

体感としては名古屋は完全に「ホーム」なのだが、名古屋から2時間あれば余裕で東京にも大阪にも行けると考えると、十分「遠征」だ。あんなに一緒だったのに……。

 

そして距離があるということは、もちろん移動にお金もかかる。
2019年、趣味に使ったお金をざっくり計算したら、チケット代グッズ代もろもろで50万、交通費で50万くらいだった。


合わせて100万!?うそでしょ!!?!

と思ったが、クレカの明細とマネーフォワードは嘘をつかない。
まあ月4本×1回につき2万と考えると「こんなもんか……」って感じなのだが、いやそれにしても!!!!!!
収入における趣味費の比率!食費より余裕で多い!!!!!!!!!!


何が悲しいって、半分は交通費ということだ。
あと今おそろしいことに気がついたが、宿泊費を計算にいれてない。こわいからもう見ないことにする。

 

さすがに今年は行きすぎたな……と思う。
お金もそうだが、体力もヤバい。平日、定時まで仕事して3時間高速飛ばして名古屋まで向かい、次の日朝8時から普通に仕事……みたいなことを何度もしていたのだが、さすがに体力がヤバい。
残業&休日出勤当たり前の職場なので、定時退勤とか週末がっつり遠征とかをしようと思うと、そうじゃない平日にできるだけ仕事を片付けなきゃいけなくて、結果的に夜遅くまで職場にいることになって……を繰り返したりもしていた。

こうやって振り返ってみると、身体を壊さずにここまでこれたのは奇跡に近い気がする。
ちなみにここには、自分がやる方の演劇の稽古(週2回程度)と、趣味が絡まない友達との旅行や実家への帰省は含んでいないから、実際の予定の量はもう少し多い。

 

2020年は、もう少し遠征を控えたい。
そうすれば体力的にも余裕ができるし、少しはお金も貯まるだろう。

単純な話、遠征を半分にすればゆっくり休める文字通りの休日が倍になって、遠征を半分にすれば趣味に使っていた100万のうちの50万は貯金に回せるはずだ。

 

 

 

でも、それって本当に幸せか?


2019年たくさんのライブや舞台や観戦に行って、後悔したことなんて一回もなかった。
むしろ行かなかったことを後悔した記憶の方が鮮明だ。

どれもめちゃめちゃ楽しくて、しあわせで、来て良かった生きてて良かった◯◯が好きで良かったという気持ちに満たされて帰った記憶しかない。


100万以上使ってたのは衝撃的だったけど、その100万を貯めて得られる幸せと、ライブや舞台や観戦に行って得られる幸せを天秤にかけたら、どちらが勝つかは明らかじゃないか?

第一、同じ演目でも同じステージは二度とないし、世の中には100万積んだって二度と観られないものに溢れてるのだ。

それなら行くしかなくないか!!?!


体力的なことは気を付けないといけないとは思うけど、それだって今が一番若くて元気なわけで……それなら行くしかなくないか!!?!

 


というわけで、私は今も東京に向かっている。
アルカラ主催のカウントダウンライブのためなのだが、正直言って動機は「細美ホリエの弾き語りが観たい」というただそれだけだ。
いや、もちろんそれ以外も楽しみだけど!それ以外も楽しみだけど、他の出演者のことはよく知らないのだ。
だから、ここでまた新しい出会いがあればいいなと思っている。

実は昨年も同じようにカウントダウンライブに行った。
2019年、細美ホリエの弾き語りからスタートして最高の一年になったから、2020年も細美ホリエの弾き語りで最高のスタートを切りたい。


2019年ほんとに楽しかった!
私を楽しませてくれたすべての人とものにありがとう!


来年もほどほどにたくさん楽しみたい!!!!


よいお年を!!!!!!!!!!

 

 

ちなみに2019年観たもの行ったものの詳細はこちらのツイート参照。

夜が終わる方へ~真夜中ブランケット解散に寄せて~

 


12/1(日) @三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
真夜中ブランケット LAST ONE MAN

のライブレポ的なものを書こうとしたけど、案の定さっぱりまとまらなかったので、「私と真夜中ブランケット」についてつらつらと書こうと思う。

 

 

 

思えば、真夜中ブランケットに出会ったのは本当に真夜中だった。


私の記憶と記録が正しければ、2013年、冬。


当時は関西に住んでいて、FM802のRADIO∞INFINITYという番組がお気に入りだった。
その番組のリスナーからのタレコミのコーナーで、真夜中ブランケットのI HATE Uが流れたのだ。


RADIO∞INFINITYは木曜深夜に放送されていたのだが、中でもタレコミコーナーはいつも午前2時を回った頃にやっていた。
だから、私はまさに草木も眠る丑三つ時に、真夜中ブランケットに出会ったことになる。



「I HATE U」 真夜中ブランケット - YouTube


真夜中に突然、こんな色気だだ漏れの激ヤバサウンドをイヤホンから流し込まれた私の気持ちがわかるか!?


まず音が最高に気持ちいい。
その中をかき分けて漂うように響く掠れた声。
歪さを真っ直ぐ描いたような歌詞もめちゃめちゃ良い。
もうこんなん……こんなん好きになっちゃうじゃないですか……。

 

ちょうどその年の4月に、マヨブラはアルバムをリリースし、レコ発ツアーで関西にも来てくれたのだが、あいにく私は予定が合わず参戦は叶わなかった。

それが余りにも悔しくて、音源が欲しすぎて、わざわざバンドにメールで問い合わせたりもした。
結局Amazonかなんかで買ったような気がするけど、とにかく「MAN IN THE BOX」を手に入れたときはほんとに嬉しかった。

 


それから月日は流れ、2019年。

私にとってのマヨブラは、「大好きでめちゃめちゃ音源聴いてるけどライブには行ったことないバンド」だった。
理由は簡単で、マヨブラはほとんど東京でしかライブをしていなかったからだ。

 

大学を卒業した私は、地元である岐阜で就職して、ライブを観るなら名古屋に行くことが多かった。

関西や東京に遠征することもあったが、めちゃめちゃ好きなバンドのワンマンか、めちゃめちゃ好きなバンド同士の対バンか、もしくはフェスなどの特別なときくらいだった。


マヨブラのライブはずっと観てみたい気持ちはあったが、あと一歩が踏み出せないまま、今まで来ていた。

 

状況が変わったのが、今年の2月。
マヨブラが名古屋に来てくれたのだ!


初めて観たマヨブラのライブは、そりゃもう最高だった!
めちゃめちゃ色っぽくて、かっこよくて、気持ちよくて、楽しくて、あっという間だった。


私が繰り返し繰り返し聴いていたMAN IN THE BOXのリリースからは5年以上経っていたから、当時の曲はあまりやらなくて、「あの曲もあの曲も聴きたいのに何でリリース直後に行かなかったんだ!」と強く思った。

と同時に、「これからはマヨブラが来てくれるのを待つんじゃなくて、自分から行こう」とも思った。

 

 

しかし、またタイミングが合わないまま、季節は巡り2019年、10月。

真夜中ブランケット、突然の解散発表。


残されたライブは、11/3のレコ発と、12/1のラストワンマンの2本のみ。


解散決まったからライブ行くとか自分ダサいなとか思ったけど、それでも行かないよりは行く方が10000000000000000倍いいよなと思い直して、なんとか遠征の予定を組んだ。


めそめそしてたら、友達に「逆に考えるんだ!解散前に出会えた奇跡!」と励まされたりもした。

 


11/3のレコ発は、対バンのバンドもみんなマヨブラへのリスペクトに溢れてて、めちゃめちゃ良かった。
ていうかそもそも対バンのバンドも全部カッコ良かった。

「マヨブラ、東京でしかライブやらないし、対バン数多いし、しかも全然知らないバンドばっかりだから外したらつらいしな~」とか思ってた自分を殴りたい。

30分でもマヨブラは最高だったし、対バンも最高だったから、もっと早く東京にマヨブラを観に行くべきだった。

 

 


そしていよいよ、12/1がやってくる。

ちなみにボーカルの殿は、ワンマンにあたって、こんなツイートをしていた。



なんかもうここまで来ると寂しいっていうか普通に楽しみになってくる。
だって真夜中ブランケットの長尺が観れるんだよ!?
30分でもめちゃめちゃ楽しかったライブが、2時間近く観れるんだよ!!!!


あ~~~~~~でも楽しみだけど寂しいよ~~~~~~~~~こわいよ~~~~~~~~~


とまあ、こんなテンションで迎えたラストワンマン。


入ってすぐに、ステージ上にセトリが貼ってあるのが見えて、慌てて目をそらす。


定刻を15分ほど過ぎて、いよいよ、終わりの始まりがやってきた。千夜一夜物語の千一夜目。


なんかもう細かいこと覚えてないんだけど、とにかくずっと楽しくて気持ち良かった。
あとやっぱり曲がめちゃめちゃ良い。昔の曲も最新の曲も、どれもめちゃめちゃカッコ良い。
中には初めて聴く曲もあったけど、そんなの関係ないくらい奥底から揺さぶられて、自然と身体が動いてしまう。
もう本当に幸せで、このまま終わらないでほしいな…………みたいなことばっかり考えていた。

 

フロアのエモさとは対象的に、ステージ上のメンバーはあっけらかんとしていた。
というか解散云々よりも長尺やべ~の方が強い感じだった。


なぜかそれしか買えなかったらしく、炭酸水を飲みながら「これ大丈夫なのかな、俺」と笑う殿。

mizukiさんが「長いからみんな休憩してね」と言うと、「ていうか俺らが休憩ほしい」と殿が返す。

コダさんは最初のブロックが終わったあたりで「腕パンパン」と言っていた。

終盤、殿がフロアを煽って「……みんな元気だな、うらやましいわ」と呟く場面もあった。

 


ウルトラカルトQのギターリフやばいな、とか、やっぱりMAN IN THE BOX収録の曲はライブで聴くの初めてでも身体に染み付いてるな、とか、え~~~今のミズキさんの手元やべ~~~~~~とか、そんなことを考えてるうちに、時間はあっという間に過ぎていく。

 


「今日が最後だけど、みんなにプレゼント。新曲やります」と言われたときには度肝を抜かれた。
いやだって、このタイミングで新曲って!
しかも今日初披露でリリース予定もなくて、ほんとのほんとに今日だけのための新曲って!!!!

新曲の「さよなら満月」は、めちゃめちゃ良かった。
今日のために書き下ろされた新曲だから当たり前なのだが、歌詞がドンピシャすぎる。


この新曲の歌詞で、一気に解散を実感してエモくなったのは私だけじゃないと思う。

ていうかそもそも、解散ライブだと思うと全部の曲の歌詞がなんとなく意味深に聞こえる気がする。
先週のTHEキャンプの解散ライブでボーカルのイトウさんも言っていたが、「全部、今日のための曲のように聞こえる」のだ。


「さよなら満月」の細かい歌詞は忘れてしまったから、リリースは難しくても、せめて歌詞だけでも公開してほしい。
なんだが、明かりのない夜の浜辺で寄せては返す波の音を聴きながら月を見上げているような気持ちになる、そんな曲だった。

そういえば私は「海と雨」がめちゃめちゃ好きなのだが、今日はまだやってないなと思い出したりもした。(ちなみに結局やってくれなかったので、それだけが心残りかもしれない。私もイルカに乗って帰りたかった)

 

 

そこから最後のブロックはあっという間だった。

escalateやJAP!JAP!JAP!やSpit Sh!tでめちゃめちゃに踊らされた。

私が初めて出会った真夜中ブランケットの曲、I HATE Uはやっぱり何度聴いても最高で、11/3に続いて「大嫌い」を「大好き」に変えて歌う殿にひゃ~~~~~~となったりした。
来るとわかってても、ひゃ~~~~~~となっちゃうのは、I HATE Uのひねくれた歌詞から放たれる「大好き」があまりにも真っ直ぐだからだと思う。

だからあなたが、だからあなたが、だからあなたがあなたがあなたが~~~~~~~~~~~~みたいな気持ちになってしまう。

 


I HATE Uが終わると、殿が言った。

「次が最後の曲。アンコールはない!」
「同じ重力の中でみんな踊りましょう」


最後の曲は、Dance with Gravityだった。


「最後の合図は君が出す」と歌う殿を見ていたら涙が止まらなくなって困った。
こんな風に泣く予定なんてなかったのに、これが真夜中ブランケットの"最後の合図"だと思うと、なんかもうダメだった。

 

"夜が終わる方へ さぁ舵をとれ"
"大丈夫さ いつも僕ら"
"引き寄せられるメロディ"

 


真夜中ブランケットの長い夜が明ける。


私は真夜中ブランケットの曲の、暗闇で彷徨う魂に寄り添うようなところがとても好きだ。

見上げた夜空に宇宙を感じるようなところがとても好きだ。

湿度や温度があるところがとても好きだ。

素直じゃないけど率直なところもとても好きだ。


真夜中ブランケットの長い夜が明ける。

暗闇に彷徨う魂を、夜明けに導いて。


「明けない夜はない」とはよく言われるけれど、「暮れない昼」もなくて、私のそばにはいつだって夜の暗闇がある。

今、夜は終わりへ向かうけれど、きっとまたこの音に引き寄せられて、それぞれの夜と、それぞれの夜明けに繋がっていくんだと思う。

 

 

 

最後の音が、響いて、消える。

メンバー三人が正面を向いて、


「真夜中ブランケット、」

「「「解散!」」」


と最後はみんなでポーズを取って終わった。

 

こんなに綺麗に、こんなにあっさり、自分たちで幕を引くのも、それはそれで悪くないなと思ったりもした。

 

 

でもやっぱり寂しいし、もっともっとたくさんライブ観たかったし、音源もたくさん欲しいから、10年に一回くらいふらっと集まって同窓会してくれたらいいな。

 


大好き!

 

 



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いつかの私と『かつて我々』


劇団た組 居酒屋公演『かつて我々』を観て考えたこと…………なんだけど、作品についてというよりは、ただの自分語りになる。あとたぶん何の話かわからない何かになる。内容についてのレポを求めている人は、一つ前の記事に書いたのでそちらへどうぞ。この記事は誰も興味ないかもしれないけど自分は自分の文章がめちゃめちゃ好きだから、私は私のために勝手に書く。

 

でも、劇団た組の舞台を観ると、いつも自分でも気がついていなかった「いつかの自分」に出会ったような気持ちになってしまうから、感想があっという間に自分語りになってしまうのも仕方ないんだよ、許してほしい。

 


私は、高校から演劇部に入って、大学でも学生劇団に所属していた。
だから、今回の「かつて一緒に演劇をやっていた仲間たちが集まって飲む」というシチュエーションは、めちゃめちゃ身に覚えがあるものだったし、そこでやり取りされる言葉や感情も、あるあるわかるの連続だった。


当時の仲間たちの中には、就職して自分自身が舞台に立つようなことは一切なくなった人もいる。結婚して子どもがいる人もいる。
自分で演劇をやることはなくなっても、仲間の舞台を観に行ったり、いつか機会があればまたやりたいと思っていたりする人もたくさんいる。
だから、「観に行ったりしてる?」「今でも連絡取ってる?」「俺もできるならやりたいけど仕事がね」みたいなやり取りは、とても身近で、今まで自分もそこにいた飲み会のことをいろいろ思い出した。


ちなみに私はというと、就職してしばらくは観る専門になっていたが、去年からまた縁あって役者としてもぼちぼちやらせてもらえるようになった。今は働きながら週に2回程度稽古に行くような生活をしている。
アマアマのチュアチュアだけど、素人ではない、微妙なポジション。役者と名乗るのも烏滸がましいけど、実際に役者として舞台に立つこともあるからそこは堂々と名乗らないといけないような気もして、自分でもよくわからないけど、とりあえず趣味で演劇をやっている。


一方で、劇団を立ち上げたり、劇団に所属したり、上京して芝居をやっているような仲間もいる。

今年の夏にも、上京して本気で演劇をやろうとしてる後輩と、上京して普通に仕事をしていて演劇はやってない同期と、上記の通り普通に仕事をしながら演劇も趣味でやってる私で、東京で飲んだ。
それこそ『絢爛とか爛漫とか』を観た夜で、『今日もわからないうちに』を観る前日だ。

後輩の出た舞台を5月に観ていて、その感想やなんかも喋った。

5月に観た舞台は、後輩とそのまたひとつ下の後輩の二人芝居で、高校時代の二人の会話がそのまま板に乗ったみたいな雰囲気だった。
私が知ってるのは高校で一緒に過ごした期間のことだけだけど、中学生のときは何部だったかとか、高校卒業してから何をしたとか、そういう断片的な情報が散らばっていて、すべてがノンフィクションではないけどフィクションではない部分も多いことが私にはわかった。

また二人とは一緒に舞台に立ったこともあるし、二人の演技を観たことも何度もあるので、そういう意味でも面白かった。

 

ただ、葛藤もあった。


私は知り合いの出ている舞台を観に行くときも、知り合いとか友達としてではなく、一人のファンとして観客として客席にいたい。
私が一番苦手なのは、劇場にときどきいる、内輪のノリを持ち込みたがるような人だ。つまり「役としての何か」を受けてではなく「知ってる役者がそれをする」から笑うような、そんな客。そんな風にはなりたくない。
あくまで、"役者"ではなく、"役"を観に行きたい。


だから、後輩の舞台は、後輩たちのことを知っているからこそエモいなと思う部分もたくさんあったのだが、純粋な"観客"として、二人のパーソナルな部分を一切知らずに観てみたかった気持ちもある。


ちなみにこの感覚は役者さんのファンで舞台を観に行くときにも発動する。
その人のファンだから、どうしても「◯◯さんが●●を!」みたいな気持ちで観てしまう部分があるんだけど、本当はそういうの抜きにして純粋にそこで起こっていることだけをそこで生きている人から受けとりたい。
……とここまで考えて気がついたけど、私よく考えたら役者で観に行き続けてるのって鈴木勝大さんだけかもしれない。
そして観るたびに「みたことない勝大さんだ!」ってなって帰って来ている気がする。
もしかしたら私が勝大さんの舞台をずっと観に行ってるのは、"役者"を観に行っても"役"を観て帰ってこれるからなんだろうか?


そういう意味では、今回の『かつて我々』もそうだった。

目の前の会話もリアルすぎて、これは実際にあった話なのかなと思えてくる。どこまでが誰かの経験に基づくノンフィクションで、どこからがフィクションなのかわからない。現実と虚構の境界線がわからない。


そして話す五人も、本当にこの人はこういう人なのかなと思えてくる。役と役者の境界線がわからない。
観終わってから主演(?)の越後拓哉さんが気になって名前で検索をかけたら、本当にガンになって闘病中の方で「そ、そこがノンフィクションなの!!?!」と度肝を抜かれた。
あのやり取りの繊細な何かは、この舞台に生み出したものじゃなく、自分の中身を少しだけ見せてくれてたんだろうか。


そうなると、私が元々パーソナルな部分もある程度知ってるのは鈴木勝大さんだけなのだが、まさか勝大さんもタイガみたいな人なのか……とも思えてくる。
勝大さんは実際はタイガよりも分別のある人だという認識なんだけど、それももしかしたら私の認識が違っていたのかなと思えてしまう。

 

役と役者の境界線もだが、今回の『かつて我々』は、物理的にも精神的にも"演劇空間と客席の境界線"が曖昧でこわかった。

そもそもステージがあるわけではない居酒屋での公演。
しかも、演技スペースを区切るわけでもなく、観客は透明な存在としてそこにいることになる。
そこは「客席」なんだけど、それと同時に居酒屋の「席」でもあって、観客は透明なんだけど「そこに実際いる」存在として作品内部に取り込まれる。

 

さらに、そこで繰り広げられるのは、ありふれたどこにでもあるような日常の会話だ。
普段は意識せずに聞き流しているような何かが、意図的に目の前に作り出される。しかも、意図的でありながらも意図しない方向に転がっていく、そんな"普通"で"自然"な日常会話。


そうなってくると、自分の生きている現実と、目の前の虚構の境界線はどこなんだろうと思えてくる。
とくに今回は、登場人物の境遇や会話に共感できる要素が多かったから尚更だ。


目の前のこれがリアルな虚構だとすると、もしかして私の生きてる現実も客観的に見ればドラマチックなんだろうか?

 

 


誰もが見られる景色でも、写真家が一瞬を切り取ることで、それは芸術になる。
それと同じように、誰もが経験している日常でも、脚本家が一瞬を切り取れば、それは芸術になるんだなと思った。
加藤拓也さんが『在庫に限りはありますが』のパンフレットの前書きで書いていたのも、そういうことなんだろうか。

 

 

 

なんかもっともやもや考えていたことがある気がするけど、言葉にできないので、とりあえずこれくらいにしておく。

 

さいごに。
私は何かを観に行こうとすると強制的に"遠征"になる地方民だ。

だから、たとえば好きなバンドの30分のステージのために、往復6時間かけて行ったりする。もちろん交通費もかかる。
それでも私は生で観たいから、肌で感じたいから、行く。
行くときは「楽しみだな~」と思いながら行くし、帰るときは「楽しかったな~」と思いながら帰るから、むしろ現実に戻るまでの時間が長くなってお得な気すらしている。

でも、今回の居酒屋芝居に限っていえば、「ふらっと近所に」くらいの距離感で観に行けてたらまた違う感想になるのかもなと思ったりもした。

まあでも、帰ってきてからもずっと思い出してはいろいろ考えているから、45分のために行った甲斐はめちゃめちゃあった。


これだから観劇はやめられないんだな~~~~~~~~~

 

まとまらないけど終わります。

 

 

 

普通の感想というかレポ的なものはこっち。



 

あの日、あの場所、『かつて我々』

11月26日(火)@魚屋さんじゅうまる
劇団た組 居酒屋公演
『かつて我々』
作・演出◎加藤 拓也


を観てきた。
いや、「観た」というよりは、「たまたまそこに居合わせた」と行った方が近いかもしれない。


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会場についてみると、想像以上に普通の居酒屋で驚いた。
夜は通常通り居酒屋として営業しているお店を、昼間だけ借りているようだ。

中央に箸と皿が並んだテーブル。
そしてそれを囲うように壁際にチラシの置かれた椅子が並んでいる。キャパはたぶん20人前後。一目でフロア全体が見渡せるくらいの広さだ。

「チラシの置いてあるお席にお座りください」

と言われたはいいが、どこに座ればいいのかめちゃめちゃ迷った。普通の劇場だと「良い席」あるいは「自分はこのへんで観たいなという位置」がなんとなくわかるが、それが全くわからなくて戸惑った。
どこに座っても、確実に死角が生まれる。役者全員の顔を見ることはたぶんできない。そして、どこにどの役者が来て、どう展開するのかも全く読めない。


でも、始まってみたら、そんな心配は無用なものだとわかった。
冒頭でも書いたけど、「観る」というより「たまたまそこに居る」という感じの何かだったからだ。
たぶんどの席に座っても楽しめたし、どこの席からでもその席なりの面白さがあったと思う。


居酒屋で、たまたま隣になったグループの会話が気になって、つい聞き耳を立ててしまうような、そんな何かだった。
観客に向けた分かりやすい説明は一切ない。
ただただ普通に喋っている会話が聞こえてくるだけ。


あらすじを書こうにも筋があるようなないようなだったので、流れだけメモしておく。
ちなみに役名も聞き取れたり聞き取れなかったりだったので、わからないところは役者さんのお名前で代用させてもらおうと思う。

 

あ、思いっきりネタバレというか全部書いてしまっているので、これから観る人は観終わってから読んでください!何も知らずに観た方がいいと思う。きっと楽しめるから大丈夫!

 


最初にやってきたのは二人の男(越後さんと勝大さん)。
そして後からもう一人(風藤さん)も合流する。
会話の内容から推測すると、昔からの親しい仲間が、久しぶりに集まって飲むことになったらしい。

三人ともかつては演劇をやっていた。

一人は、今も舞台に立ち続けている風藤さん。
一人は、今はもう役者はやってなくて最近結婚した、タイガ(勝大さん)。
一人は、ガンになって手術をしてもうすぐ地元に帰る越後さん。


「今日だれ来るの?」
「え、こんだけ」
「こんだけ?」
「誘ったけど断られた」

そんなことを話してる内に、かつての仲間の女二人(飛鳥さんと森さん)も合流する。

「えっ、何、サプライズ!?」
「え、てかこれ何会?」

話の中心は、ガンになった越後さんだ。
そしてその周りを、タイガが引っかきまわす。

女性二人は、越後さんがガンだと知らなくて、それを越後さんもそこまで伝えようともしてないのに、タイガは無茶振りに近いやり方で言わせようとする。
というか、タイガはそれが最善だと思って、「越後さんのため」にやってるが、実際は相当デリカシーのない言動になってしまっている。

そんな風だから、言う側も言われる側もなんかちょっと変な空気になってしまう。
越後さんにとってのガンは、それはもちろん重大なことだけどあくまで個人的なことという印象なのだが、タイガはそれにみんながもっと同情して、心配して、嘆くべきだと考えている。
でも、女性陣の反応は、ドライとまではいかないが、ライトでフラットだ。
実際に聞かされた側としては、もちろん心配は心配だけど、あまり心配すると相手を心配にさせてしまう気がして、あえて淡々と受け止めるような反応になるのも、自然なことだと思う。
越後さんもそれをやさしさとして理解して受け取ってる空気があった。


重大なことをあえて軽く言うやさしさ。
相手に剥き出しの感情をぶつけないやさしさ。

そういう心の機微が理解できず、わかりやすいものを相手に求めるタイガ。


タイガはなんというか、いるよなこういう奴……という印象だ。
本人の中では論理が成り立っているんだろうが周りから見ると脈絡がない。話を聞いてほしいばっかりで他人の話は聞かない。悪い奴ではないんだけど、すごく可愛く思えるときと、たまらなく鬱陶しく思えるときがあるような、そんな奴。

周りの対応もとてもリアルで、それも、あるよなこういうこと……って感じだった。
空気の読めない発言やウザい絡みの後に、一瞬静かになるあの感じ。


まあでも、そういうところも含めて、なんていうか「許されてる」間柄なんだなと思った。
詳しいことはわからないが、五人がとても親しいことはわかる。
そして、幾度となくこんな風にお酒を飲んだり、他愛ない会話をしたりしていたことも。


ただ、こうして会うのは久しぶりだからか、ところどころ会話が噛み合わない。
周波数が合いきってないというか、思ったのと違うボールになっちゃうというか、そんな感じだ。

そういうところも、めちゃめちゃリアルだった。
どんなに仲が良くても、久しぶりに話すときはチューニングが必要になる。
会ってない間に、何か変化があったのなら尚更だ。


これも会話や雰囲気からの推測だが、五人の年齢は30代半ばくらいだと思う。
恐らく、仲間と演劇に打ち込んで馬鹿やってた20代の頃とは、少し心境が変わっているのだろう。
一緒に演劇をやっていた頃のことを懐かしく思い出し、「そんなこともあったね~」「またやりたいね~」と話す姿は、改めて自分自身と向き合い、ちょっと落ち着いた後のように思える。
一番昔のままのタイガも結婚しているし、飛鳥さんと森さんも結婚してるし、何なら妊娠もしている。


結婚や妊娠の話から、流れはいつの間にか別の方向に向かっていく。


決して嫁の顔を見せようとしないタイガ。
理由は「普通だから見せて微妙な反応になるのが嫌」

でも何とか説得して、四人はタイガの嫁の写真を見る。
と同時に、スマホの操作を誤って、タイガと嫁のハメ撮り動画まで流れてしまう。

「まって、これはなし」
「え、何?ハメ撮り?嫁?」
「タイガの声とかも入ってるの?」
「何それ聞きたい」

そして、なぜかハメ撮りを観るための交換条件として、その場にいる全員がタイガに喘ぎ声を聞かせることになる。

目をつぶるタイガ。
その周りで悩ましげな声をあげる四人の男女。


なんかもう何を見させられてるんだと思いながら笑いをこらえるしかなかった。


四人の努力の甲斐あって(?)、タイガはハメ撮り動画の続きを再生する。ただし、声だけだ。

聞きながら普通に話をする五人。
女の喘ぎがいよいよ切羽詰まってくると、みんなが一斉に口をつぐみ、耳を傾ける。
私もつい、一緒に聞き入ってしまう。

そしてフィニッシュの瞬間、タイガの声が入って再生が終了し、芝居も終わった。

 

…………えっ?


という感じだったが、イった瞬間に、役者がすっと立ち上がって頭を下げたので、私はその瞬間、自分は「聞き耳を立てる隣の客」ではなく、「観客」だったことを思い出して、拍手をした。

 

脚本・演出の加藤拓也さんが「観終わったあとにかなりどうでもいいと思えます」ってツイートされてたのはこういうことか~という感じだった。

 

あとマジでどうでもいいんだけど、私の観終わった直後の感想は「釜めしは!!?!」だ。
序盤に料理を注文するときに釜めしを頼んでいて、店員さんが「40分ほどお時間かかりますがいいですか?」と言った時点で、私は勝手に「上演時間が45分のはずだがら、この芝居は釜めしが出てきたら終わるんだな」と思っていた。
それが出てこなかったから、なんだか勝手に裏切られたみたいな、突き放されたような気持ちになった。

「もう45分も経った?????」というくらいあっという間に感じたのも事実だ。
夢中になりすぎて全然時間が気にならなかった。あと2時間くらいこのまま聞いていたかったし、何なら私も飲み食いしたかった。

 

というわけで、なんというか今までの観劇とは全く違う、新たな何かを経験した。

 

強いていうなら、この日の朝に都内某所のファーストフード店でうだうだしてたときに、隣の男子大学生グループが「この曲さっきからずっと流れてるけど途中で絶対マ◯コって言ってね?」なんて言うからつい耳を澄ませてしまったときと同じ感情だった(実話)。


めちゃめちゃどうでもいいんだけど、誰かに話したくなるような、そんな感覚。
私は一人だったので、余計に人に話したくて仕方がなくなった。あと友達に会いたくなる。


そういえば観終わってから、帰るまでにまだ時間があったので、カラ館に行ってちょっとだけヒトカラをした。
タイガが「カラ館でバイトしてた」なんていうから、ついなんとなく行ってしまったけど、あんまり何も考えずにいつも歌う特命戦隊ゴーバスターズのOPを入れたら本人映像で、さっきまで目の前でウザい発言繰り返したり下ネタ連呼していた鈴木勝大さんがピュアピュア桜田ヒロムとしてそこにいてドヒャ~~~~~~~~~となったりもした。

 

観終わったあとは「何だそれ!?」となったけど、トータルではめちゃめちゃ面白かったから、できるならもう一度観たい。
というか今週末にも(好きなバンドの解散ライブを観に)三軒茶屋に行くので、当日券チャレンジしようと思えばできなくもないのだが、公式から「できるだけたくさんの人に観てもらいたい」とアナウンスされてるので我慢する。
まだ観てない人で行ける日程がある人は是非観に行ってください。チケット代500円だし。

 

バージョン違いメンバー違いのあらゆる『かつて我々』を観たいから、同じような設定でまたやってほしい…………とも思ったけど、よく考えたら普通に街に出ればいつでもどこかで上演中なのか!?
えっ、何その「書を捨てよ、町へ出よう」みたいなやつ!

 

 

劇団た組の居酒屋公演「かつて我々」に関する記録としては以上なんだけど、本当はもう少し続きがある。


劇団た組の舞台は終わってから自分のことを振り返りつつぐるぐる考えてしまうところまで含めての作品だな~と思う。
今回の『かつて我々』も、内容を説明しても「で?」って感じかもしれないけど、そこには「いつかの私」が確かにいて、終わってからは目の前にいた人たちよりもそれを観ていた自分のことを考えてしまった。


ただ、うまくまとまらなかったので、それは別の記事にすることにして、とりあえずいったん終わります。

 

 

 

※追記。別の記事にしました。