夢の記録をつけることに関する考察
数年前から夢日記をつけている。
この場合の「夢」は、寝ているときに見る夢のことだ。
「日記」といっても毎日詳細に記録しているわけではなく、印象的な夢のときだけ、スマホのメモにちょこちょこっと打ち込む程度である。
起きても覚えてるくらい印象的な夢は、ストーリー性に富んでいて映画のようだったり、漫画やアニメのキャラクターが現実の知り合いのように登場したり、意味不明な恐ろしいことが起きたり、ちょっと性的だったりするような、そんな夢だ。
寝起きのぼんやりした状態で曖昧な記憶を頼りに書くので、あとから読み返すと意味不明な単語の羅列ということも珍しくない。
今でもはっきりと夢の中の光景を思い出せるメモもあれば、すっかり忘れていて何のことやらわからないメモもある。
私が夢日記をつけ始めたのは、単純に面白い夢を記録しておきたかったからだ。
そして実際、自分のつけた夢日記を読むのはとても面白い。
夢日記をつけることに関するメリット・デメリットはいろいろあるらしいが、「気が狂う」とか「明晰夢が見れるようになる」とか、そういうことに関する実感はない。
ただ、思ってもみないところで、「もしかしてこれは、夢日記をつけているからか?」と思うことがある。
それは、ライブのMCの覚え書きができるようになったことだ。
大学生の頃から、年間20~30本のライブに足を運んでいるが、いわゆるライブレポのようなものを書くのはあまり得意ではなかった。
興奮のせいか、セットリストもMCも全然覚えていられなくて、後から他の人の書いたレポを読んでやっと「そうそう、こんなこともあった」と思い出すくらいだった。
それが、いつの頃からか自分でMCレポができるようになった。
ライブ中にスマホを弄ったりメモをとったりはもちろんしないので、書くのはライブ終了後だ。
ライブハウスを出てから、まずは覚えている範囲でスマホのメモあるいはTwitterにMCを書き出していく。
順番は気にせず、とにかく覚えているところ……というか、覚えておきたいような可愛かったり面白かったりした言動からどんどん書き出す。
そうすると最初は断片的な記憶しかないが、書いているうちにだんだん思い出してきて、細かいやり取りが蘇ってくる。
この作業が、夢日記をつけるときに似てるなと思うのだ。
ちょっと前にある友人から「どうしてこんなにMC覚えていられるの?」と聞かれて、そう思った。
もしかしたら夢の記録をつけることで、曖昧な記憶をたどっていく力が鍛えられたのかもしれない。
元々MCレポを始めたのも、ライブに来れなかった友人のためだ。
だから、夢日記もMC記録も、「残したい」「伝えたい」という思いが根本にある。
そして、MCをどこかに文章で残しておくと、より印象に残るからか、実際に見た景色も忘れづらくなる気がして、最近は意識してライブ終了直後にメモを残している。
ただ、夢と同じで、直後に言葉にしておかないと忘れてしまう。
まあ、ライブも夢みたいなもんだしな……とも思う。
何にせよ言葉にしておくことは大事だし、楽しいから、夢を記憶するためにも夢の記録は続けようと思った。
ということを、言葉にして記録しておこうと思って書いた。
記憶力を鍛えたい人は、夢日記をつけてみるのもいいかもしれない。
ちなみに最近の私の夢日記はこんな感じ。
一行目が勝手にタイトルになるんだけど、すでに意味不明で、中を見るまで何も思い出せないのが面白い。