三島由紀夫没後50周年企画「MISHIMA2020」『橋づくし』『(死なない)憂国』にめちゃめちゃにされた記録
9月21日(月) 20:00~
三島由紀夫没後50周年企画「MISHIMA2020」
『橋づくし』『(死なない)憂国』
を配信で観た。
率直に言うと、事前のイメージと全然違った。
なんだか勝手に堅苦しい戯曲を想像してしまっていたけど、実際は現代的で、挑戦的で、なんていうか「こういうのを"アバンギャルド"って言うのかな」と思った。
そう、今は2020年。三島の自決から50年、コロナですべてがめちゃめちゃになった世界。
舞台自体もすごく良かったし、配信はカメラワークも凝っていて、配信ならではの面白さと演劇の良さが両方詰まっていたから、未見の人は是非アーカイブを観てほしい。
ていうかこれで3000円くらいって安すぎないか? これが家で観られるの最高すぎないか? コロナじゃなければ配信しなかったかもと思うと、コロナってやつも悪くないかもなと思えてくる。いいから観てくれ。
アーカイブ配信チケットはこちら
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2065101
【2020/9/23(水) 23:59まで】
さて、ここからは個人的な感想。
ネタバレとか一切気にせずに思い付いたまま書く覚書というか自分語りというか……な何か。
『橋づくし』
作・演出:野上絹代
出演:伊原六花、井桁弘恵、野口かおる、高橋努
舞台上には不思議な石の土台のようなもの。
他には何もない真っ黒な舞台上に、賑やかに話しながら女が二人、三人、四人現れる。
甲高い声と、テンポの早い会話で、何を言っているかさっぱり聞き取れない。
そして四人が静かに並んで立ち止まる。
「では、始めましょう」
中心に立った女、小弓さんが先ほどとは打って変わった落ち着いた声で宣言すると、舞台は宵闇に包まれ、「それ」が始まった。
花柳界では古くから伝わる願掛け。
陰暦の8月15日、何も話さず、誰からも話しかけられず、一度通った道は再び通らずに、七つの橋を渡りきる。
闇夜に響く下駄の音。
四人はひたすら無言で歩き続ける。
それぞれに叶えたい願いを胸に。
ストップモーションで固まる一団から、満佐子がひらりと抜け出す。
そして、バレエのような、コンテンポラリーダンスのような動きで舞いながら、この状況と自らの心情についてを語る。
音声は録音だ。
その間も、他の三人は歩き続ける。
満佐子が隊列に戻ると、今度は小弓が同じようにひらりと舞い始める。
荒い息づかいと率直な動きがコミカルでチャーミング。
ていうかちょっと喋ってる。それはありなのか!?
そして、かな子も同じように舞いながら自らの心情を語る。
声はやや棒読みだが、ダンスは非常に表情豊か。
無言で歩くところを演劇にするってどうやるんだろうと思っていたから、なるほどそうきたか~~~~~と思った。
状況説明は歩きながらト書きを読むように台詞を並べるのもかっこいい。
そして、用心棒としてつけられた女中のみなだけ心情が一切語られない。ただただ、静かに三人の後をついて歩く。
みなを演じるのは高橋努さんだ。他の三人とは明らかに体格が違って、得体の知れなさが増す。
役者の身体表現もすごかったが、演出もすごかった。
最初は何だろうと思っていた舞台上の土台のようなものは、棒がさされ、帯が渡され、あっという間に橋の欄干になった。
舞台装置は非常にシンプルなのに、映像を使った演出や、帯のかけ方で表情を変える橋の欄干や、盆を回す仕掛けで、全然飽きない。
そして願掛けは、かな子が腹痛で脱落し、続いて小弓も知り合いに話しかけられ失敗する。
残されたのは、満佐子とみな。
だんだんみなのことが忌々しくなってくる満佐子。
ただでさえ大きなみなの身体が、照明に照らされ、大きな大きなシルエットとなって満佐子に襲いかかるようだ。
願いって何だろう。
願掛けをしてまで叶えたい願いって、何なんだろう。
彼女たちは、いったい本当は何を求めているんだろう。
そしてたどり着いた最後の橋で、満佐子も警官に呼び止められ、願掛けは後少しのところで失敗する。
最後まで無言を貫いて橋を渡りきったのは、ついてきただけのはずの、みなだけだ。
走り去るみな。
橋の真ん中で慟哭する満佐子。
流れ出すアップテンポなミュージック!!!!
ついさっきまで三味線だったのに!?
いきなり何!?
と思う間もなく、着物を脱ぎ捨て踊り出す三人の女!!!!!!
リゾートなファッションでグラス片手に揺れる三人の女を見ながら、私はなぜか泣きそうだった。
さっきまで真剣な表情で、己の願いを叶えるために奔走していた女たちが、そしてそれが叶わなかった女たちが、今は笑顔で踊っている。
願掛けは失敗したが、どうやら三人の女の願いはそれぞれ少し違った形で叶ったらしい。
「みなったら、いったい何を願ったのかしら」
「ほんとよねぇ、なーんにも教えてくれないんだもの」
「憎らしいわね、みなって本当に、憎らしい! 」
そう言って笑う女たちは本当に幸せそうで、みなが願ったのは三人の幸せだったのかもしれないなとぼんやり思った。
もしかすると、みなは「皆」で、それは私なのかもしれない。
私は、最初は物珍しい仕掛けや演出に感心しながら観ていたが、いつの間にか三人の女たちの願掛けが成功することを願っていた。
だから、最後の橋でみなだけが駆け抜けたとき、みなを恨んだ。満佐子の願掛けが失敗したのは、みなのせいだとすら思えた。
でも、もしかしたら三人が最後に笑えたのはみなのおかげかもしれない。
だとしたら、みなは、「皆」の幸せを願った「私」だ。
最後に全員が現代のファッションでパーティーに興じていたことで、なんだか彼女たちが身近に感じた。
今からずっと昔の女たちの切なる願いが、今を生きる私たちに通ずるもののように思えた。
「女の幸せ」の形は変わっても、「幸せになりたい」という思いは昔も今も変わらないんだろうなと思う。
観終わった後は、不思議と爽やかな気持ちになった。
(転換)
アゲアゲなミュージックなまま、役者たちが礼をして、躍りながらハケて、照明が変わる。
「(死なない)憂国 まで あと10分」というテロップが出て、暗転するかと思ったら、なんとカメラが回ったまま転換し始めてびっくりした。
大勢のスタッフが、『橋づくし』の装置を片付け、『(死なない)憂国』の装置をセッティングする。
これって普段は緞帳おろしてやることじゃないのか!?
それを丸々見せてもらっていいのか!?
やったーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
なんだか対バンライブの転換時間みたいだな~
私あれ見るの好きなんだよな~
とか思いながら観ていたら、次の『(死なない)憂国』でライブが重要なモチーフとして出て来て、それもびっくりしたりした。
まさかそこまで含めてこの演出なのか!!?!
そうこうしている間に10分はあっという間に過ぎ、次の作品が始まった。
『(死なない)憂国』
作・演出:長久允
出演:東出昌大、菅原小春
流れ始める映像。
バルコニーで演説をする三島由紀夫。
そして、運び出される棺。
映像の前に、真っ白な服を着た男が現れる。
ハンドマイク片手に、自らの心情をぶちまける。
「2020年。つまり、あれから50年も経った。なのに、全然わからないんだ。あなたが守ろうとしてた日本って何なのか!」
そこからは濁流のような言葉と音楽とエネルギーに飲み込まれた。
画面から流れ出す熱がすごすぎて、ぐちゃぐちゃになった。
ぐちゃぐちゃのまま書いたら下手くそなレポみたいになってしまったけど、なんかもうここからどうにもできないからそのまま載せる。
満員のライブハウス、もみくちゃになる観客の上を人間が転がる。
「俺たちは!俺たちは!!!!」
主人公は、警官をしている男、信二。
ライブハウスに行くのが生き甲斐で、ライブハウスで出会った麗子と去年の12月に籍を入れた。
4月26日。
新型コロナウイルスの流行で緊急事態宣言が出された時期。
新宿ロフトに立て籠り、躍り狂う仲間たち。
それに呼ばれなかった、信二。
「憂国だよ!三島の憂国と一緒だよ!何やってるんだよ、あいつら!!!!」
「俺たちはここで躍り続ける」と宣言し、立て籠る仲間たち。
それに呼ばれていない、むしろそれを取り締まりに行かなきゃならない信二。
ライブハウスに行かないと生きていけない。
濃厚接触は避けられない空間。
濃厚接触こそが、ライブ……生きる。
ライブハウスの「ライブ」は「生きる」って意味と同義で、今はそこに行ったがゆえに「デッド」しちゃう「デッドハウス」になってたとしても、死んだように生きるくらいならそこで躍り続けたい。
信二はソファの上に立ち上がって叫ぶ。
信二も麗子も、ずっとハンドマイクだ。
ライブのMCみたいに、時には支離滅裂なことを、マイクに向かって叫ぶ。
「三島ならどうする? いや、結果は出ている……『憂国』に書いてあるんだ。『憂国』の主人公は、2.26事件の仲間たちを討伐するくらいなら、と……」
「……そいつ、そいつはどうしたの?」
「じ、自決をした……切腹をして腸をぶちまけて、喉を切り裂いて、自決をしたんだ…………でも俺は、でも俺はもう正常な判断ができないぃいいコロナでぇええええ…………」
「俺は、裏切るよ……自衛だ…………自分を守るためにさ、あいつらを、裏切るよ……………………ロフト行ってくる~」
激しく揺さぶられ、引き裂かれそうになる信二の感情。
そこに重なるぐちゃぐちゃになりながら盛り上がるライブ映像。
普段の信二は、仕事のストレスを爆音とモッシュで癒しているんだろうなと思う。
ライブハウスの密な空間で、汗に濡れた身体をぶつけ合う気持ち良さを、私も知っている。
信二は、フェイスシールドをつけ、日本刀で、そのライブ映像が映し出された幕を切り裂く。
「武士ってこんな気持ちなのかな……」
仲間を取り締まる仕事から帰り、そんな風にうずくまる信二を麗子は一蹴する。
「武士ってんじゃねーーーよ!!!!『悦』じゃん!!!!!!!!」
「俺なんか……今すぐ消えた方がいい…………」と繰り返し呟く信二を抱き締め、麗子は「情緒……情緒、情緒…………」と囁く。
それはまるで、傷ついた自分自身を抱き締めているようだった。
ていうか私もメンタルぼろぼろでマイナス思考しかできないとき、誰かに「情緒情緒」って抱き締めてほしい。
信二は腹に日本刀を突き刺す。
『憂国』の、自決をする場面を朗読しながら。
そんな信二を、麗子は救う。
2020年の『(死なない)憂国』の麗子は、泣くように笑いながら、あるいは笑うように泣きながら、氷結のぬるま湯割りで、信二を現実に引き戻す。
「酒の度数は上がれば上がるほど人を幸せにするんだぞ!氷結はそんじょそこらの宗教よりも人を救ってると思うのね。でね、お湯で割るとヤバいって気づいてさ……ぬるま湯で割るんだよ!氷結ぬるま湯割り!信二、飲もうよ……氷結ぬるま湯割り……」
そうして信二は息を吹き返す。
概念の刀で貫いた身体が、氷結ぬるま湯割りで甦る。
ここまでが、4月26日の話。
ここからは、9月21日の話。
半年後も、氷結に救われながら、信二と麗子は生きている。
そして再び信二のスマホが鳴る。
あのとき取り締まった、新宿ロフトの仲間から電話がかかってくる。
ライブハウスでイベントやるから来いよと誘われて、二人は袖を通してなかった結婚式の衣装に身を包み、ライブハウスへと向かう。
物理的には死んでないから!
まだ生きてるから!
ゾンビみたいになっちゃってるけど、まだ物理的には死んでないから!!!!
流れ出した音楽が「生きてるって何だろう 生きてるってなあに」と繰り返す。
ライブハウスの写真が映し出される。
そこに写る笑顔の人々と、チェック柄のタキシードに身を包んで叫ぶ信二と、チェック柄のドレスに身を包んで躍り狂う麗子を見ながら、私はまた泣きそうだった。
「生きてるって実感する場所」という意味では、ライブハウスも劇場も、たぶん一緒で、ていうか人それぞれきっとそういう場所があって、でも実感できなくても私たちは生きてるって事実は変わらなくて…………
コロナで、ずっと家にいなきゃならなくて、大好きなものがなくなっていくのを見ながら、どうすることもできなくて、でも、私たちは生きてて…………
なんか、上手く言えないけど、死んでる場合じゃねーーーーーーーーーーーーーみたいな気持ちになった。
感想がぐちゃぐちゃすぎるけど、綺麗なものに存在意義はないって麗子さんも言ってたし、作中でも汚ない×汚ないでむしろ良いみたいなことも言ってたし?
でもなんていうか、普段は言えないような気持ちを剥き出しにできる場所が、やっぱり必要だよなと思った。
私にとってはライブハウスも、演劇も、それができる場所だ。
あと、演劇って、自由でいいんだよなというのも、思った。
『橋づくし』も『(死なない)憂国』も、今まで見たことないような面白い演出がいろいろあって、でもそれが小手先だけのテクニックじゃなくてちゃんと意義のあるものになっていて、ここまでのことをしても受け止めてくれる「演劇」って空間はなんてあたたかいんだろうと思った。
現実世界じゃあり得ないようなことも、舞台上ではすんなり受け入れられて、でもそれは生身の人間がライブで演じるという不自由な制約があるからこそ成り立つ自由さでもあって…………演劇って面白いな、ほんとに!!!!!!!!
ていうかそもそも私は加藤拓也さんが作・演出をするということでこの企画を知って、今週は「まあせっかくだし観とくか」くらいの気持ちだったけど、本当に本当に観て良かった。
来週も楽しみ!!!!!!!!!!!!!!!!
相変わらずさっぱりまとまらないけど、終わります!
※2020/10/04 追記:
第二弾の感想も書きました。