エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

劇場で『たむらさん』に会ってきた


10月11日(日) @新国立劇場 小劇場
『たむらさん』
作・演出:加藤拓也


を観てきた。
東京で!劇場で!生で!観てきた!!!!


劇場でお芝居を観るのは、2月の劇団た組『誰にも知られず死ぬ朝』以来、実に7ヶ月ぶり!

正直かなり迷った。
この時期に東京行って大丈夫かな……とか、もし何かあったらいろんな人に迷惑かかるな……とか。

でも、観なかったら絶対後悔するし、県外移動=悪いことではないよなと思ったから、行くことにした。
ただし、劇場以外には行かない、食事もしない、友人にも会わないと決めて行った。本当に行って、観て、帰るだけ。

でも、めちゃめちゃ良かった。
本当に本当にめちゃめちゃ良かった。


制限の解除された客席は満員御礼で、役者の一挙一動にざわめくあの空気に胸がいっぱいになって、全然そういうシーンじゃないところで込み上げてきてちょっと泣いた。

何より、舞台の空気をずっと肌で感じられたことが、生の感覚を同じ場で共有できたことが、本当に嬉しかった。

とくに今回の芝居は、橋本淳演ずる"たむらさん"の一人語りが中心で、語りから生まれる空気がすごくて、直接"たむらさん"に会えたことが嬉しかった。

 

以下、ネタバレとか気にせず勝手に語ります。
レポというか感想というか自分語りというか……なあれ。

 

 

舞台奥にはキッチン、その手前に食卓。そして椅子、椅子、椅子、椅子。
舞台上には様々な形の椅子がばらばらと置かれていた。


開演前のアナウンスが流れ、しばらくして豊田エリーがすたすたと歩いてくる。
しかし、客電は落ちない。舞台上の照明も変わらない。
客席が明るい状態のまま、豊田エリーはキッチンに向かう。観客に背を向け、何やら炊事を始める。


そこに、橋本淳がやってくる。
客席を見て、ぺこぺこと軽くお辞儀をしながら。
一言も発せず、中途半端な微笑みを浮かべているだけだが「あっ、どうもどうも、はい、あ、どうもどうも」といった雰囲気だ。

橋本淳が中央に立ち、客席を見渡し、静かに口を開く。

「あの、相談があって、あ、私たむらといいます。あー、で、相談の前にちょっと遡ってお話しすることになるんですけど、あ、僕、今年30になるんですけどね」

口調や内容はうろ覚えだが、だいたいこんな感じ。
演劇っぽいわざとらしさや力みは一切ない。
ただ目の前にいる人に、少しずつ自分のことを話していく。


それだけといえば、それだけだ。


橋本淳=たむらさんが、自分のことを語る。
その後ろではずっと、豊田エリーが無言で台所仕事をしている。


舞台上には二人の役者がいるが、ほとんど橋本淳の一人芝居のような語りが続く。
でも、それがちっとも退屈ではなくて、むしろただそこにいるだけの豊田エリーの存在感も相まって、不思議な緊張感の中、話が進んでいく。

 


たむらさんは話しながら、舞台上の椅子を動かす。
椅子に座ったり、椅子の上に立ったり、椅子を相手に見立てたりしながら、物語は進んでいく。


小さい頃、身体が弱かったこと。
だから水泳とフットサルをやっていたこと。
幼なじみの女の子が苦手だったこと。
小4で明るいキャラに転向したらいじめられたこと。


最初に動かした二脚の椅子の背には、赤いランドセルと黒いランドセルがかかっていた。
いじめの話をしながら、黒いランドセルの中から黄色い塗料を取り出したときには驚いた。

「なんかドラマで見たことある方法でいじめてくるんですよ。トイレの個室に閉じ込めてホースで水ビシャーとか」

そう言いながら、黒いランドセルに黄色い塗料を塗りたくる。
床に垂れた塗料はぞうきんで拭いて、またランドセルの中にしまう。


「でも、親には何も言えなかったですね。心配させたくないっていうか、普通に情けないなと思って。親父がちょっとやんちゃしてたような人で、俺にもやんちゃな方がいいみたいな話してくるような人だったし」


たむらさんは、いや橋本淳さんは、たむらさんになったり、たむらさんの父親になったり、母親になったり、友達になったりと、独白と会話を行き来する。
椅子に座って語る様子は、つい先日のMISHIMA2020『真夏の死』(『summer remind』)とよく似ている*1
独白と会話の移行がスムーズで、でもそれでいてちゃんと切り替わっていて、役者さんすごいな~としみじみ思う。


たむらさんの物語は続く。


たむらさんの両親は離婚する。
母親がホストに貢いでいたことがバレたからだが、根本的な原因は父親の風俗通いにあるらしい。
そして、たむらさんは父親の方についていくことを選ぶ。


たむらさんは地域のサッカーチームに入った。
いじめっこは、そのことも気にくわない。
些細なことで言いがかりをつけてくる。


たむらさんが、いじめっこと取っ組み合いの喧嘩をする場面。
実際の舞台上では、橋本淳が椅子を相手に格闘をしていた。
椅子に床に押し倒され、必死の抵抗で椅子をはねのけ、足をまきつけ、羽交い締めにする。
無言で行われるそれは、本人にとっては緊迫した場面なのに、目の前の景色は妙に可笑しくて、客席からは、さざ波のような笑いが起きる。
その客席から沸き起こる空気の振動は、劇場でないと感じられないもので、私はここでちょっと泣いた。

 

「でもね、死にました」


たむらさんがそう言ったとき、劇場の空気が一瞬止まった。
それまでの雰囲気と「死」という言葉が、あまりにそぐわなくて、私もすぐには意味が理解できなかった。


たむらさんをいじめていた男の子は、小5のときに死ぬ。母親に首を絞められて。
母親は心中のつもりだったが母親は死ねずに生き残り、息子はしっかり首を絞められて死んだ。


「学校でお別れ会をやって、みんな泣いてるんですけど、正直、雰囲気で泣いてた部分もあると思うんですよね。いや、自分も泣いてましたけど。まあでもいじめてたやつがいなくなったわけで、気が楽になった部分もありますね」

 

たむらさんは中学生になる。
坊主だった髪を伸ばして、美容院なんか行っちゃったりして、モテとか意識しちゃったりして。
イキッて「俺は先輩と知り合いなんだぞ」みたいな顔して上の学年の廊下を歩いたりなんかして。
たむらさんの地域のサッカーチームの先輩は、部活の後輩をトイレに呼び出して暴力を振るっていた。
たむらさんは、地域のサッカーチームに所属しているけど、サッカー部ではないから無関係なのに、何も知らずにその現場に入ってしまう。

殴られ、床に倒れる同級生たち。
ばったばったと倒される椅子。

 

たむらさんは高校生になる。

男子校だけど、近くに女子校が二つあって、女子とはすぐに繋がれる。
最初に付き合った彼女はなぜか一人暮らしをしていて、顔がめちゃめちゃタイプで、でも顔が好みすぎるからか、初めても二回目も失敗しちゃって、そのときに「お前とだと勃たねえわ」みたいなこと言って自然消滅。


同級生には、イキる方向性を間違えた変な奴がいる。
煙草を吸うとかじゃなく、野良猫を殺したりしている。


ポケットから取り出したペンで、床に絵を描き始めるたむらさん。
黒い床に、白いインクで、不恰好な猫が描かれる。


私はそれを見ながら気が気じゃなかった。
「いやちょっと待って!? 床に直接ペインティング!? それ落ちるんやろうな????さっきの黄色い塗料みたいにすぐ拭き取るんだよね????????????」と思っていたら、役者がその上で転がり始めたから、「まままままさか油性!? えっ、それポスカとか、そういう!!??!???!?」と、内心めちゃめちゃ動揺していた。
舞台の床って汚しちゃいけないものだと思っていたから、そんなのありかよ~~~~~~~~って感じだったし、これ一日1公演だからゆっくり落とせるけど、複数公演だったら難しいよなぁ……ていうか綺麗に落ちるんだよな?みたいなことばかり考えてしまった。
観劇後、舞台おたくの友人に話したら「同じ会場で血糊ってか赤い塗料ドバァしてたの見たことあるよ」と言われたので、新国立劇場小劇場はかなりそのへん自由みたい。

 

猫の絵を描き終わった橋本淳は、きょろきょろと舞台上を歩き回り、食卓の下に潜る。
このときの橋本淳はたむらさんではない。殺すための野良猫を探している同級生だ。
そして食卓から顔を出し、猫を見つけ、にやにやと近づいて、飛びかかる。

床に描いた猫の上で転げ回る橋本淳が立ち上がると、上着の中にじたばたともがく何かがいる。
実際は片手を服に突っ込んで動かしているだけなのだが、動きがめちゃめちゃリアルだし、何より橋本淳の目が異様で、明らかにヤバい奴だ。

橋本淳=同級生は、長椅子の裏の木箱に猫を入れる。
そしてその上に、もうひとつの木箱を打ち付ける。

ゴン。ゴン。

と響く乾いた音が恐ろしい。
そして、木箱からふわりと浮き上がった白い風船を迷いなく割る。

弾けた風船の、小さな命の欠片が床に散る。

 

息を飲む観客を引き戻すのも、やっぱり橋本淳だ。
橋本淳は一瞬で、軽やかな口調のたむらさんに戻り、そのヤバい同級生はいつの間にか学校を辞めたことを語る。

そして、自分は高校2年生でバスケ部に入ったと続ける。
今度は床にバスケットコートを描きながら。


たむらさんの語る、ゆるいバスケ部のエピソードは、劇団た組の『貴方なら生き残れるわ』*2のバスケ部とよく似ていて、脚本・演出の加藤さんの中にあるバスケ部がこういう姿なんだろうなと思った。

 

そしてバスケ部の友達に連れられて行った風俗店で、たむらさんは自分の母親を見つける。
先にフィニッシュして出口に送られていく友人の隣を歩く、自分の母親。
「いやいやそれどころじゃないんですけど」となりながらも、あえなく吐き出される精。
黒い床に黄色い塗料がピュッと飛び散る。

 

高校を卒業したたむらさんは、広告代理店に就職して、毎日つまんない飲み会やカラオケに連れ回されながらもなんとかやっていく。
そして、クライアントとして出会った女性と付き合い始める。
「この人と結婚すんのかな」と思いながら7年付き合って、彼女の誕生日にプロポーズする。


ようやく背後の女性が登場したことに私は安心した。
最初からずっと舞台上にいるのに全然話に絡んでこない女性の存在が、なんだか怖かったから。
これでようやく現在に話が戻って、今度は夫婦の話になるんだなと安心した。


「で、ここまでが振り返りで、ここからが相談なんですけど」


でも、その安心は一瞬だった。


「自殺したんですよ、彼女」


再び劇場の時が止まる。


どうして?
さっきまでめちゃめちゃ幸せなプロポーズのエピソードとか話してたのに?
じゃあずっといる彼女は、食事を作り終えようとしている彼女は、いったい……?

 

彼女は、結婚式当日に、ウエディングドレスで踏切に飛び込んだ。

 

彼女の遺書には、彼女が、たむらさんの父親と関係を持ったことが綴られていた。
しかも、たむらさんの父親との子を堕胎していたことも。

 

「本当のところどうしてどうなったのか彼女に確かめることはもうできないわけで、同意だとしても嫌ですけど、レイプしたとも思いたくないし、親父は、誘ったのは彼女の方だって言いますけど、そうだとしても普通、息子の嫁と関係もちます? 」

 

そう話すたむらさんの顔はぐちゃぐちゃだった。
後方の席だったから、表情がはっきり見えたわけではなかったけど、そのときのたむらさんがぐちゃぐちゃなのはよくわかった。

 

「悪いのは明らかに親父なんですけど、でも実際のところ親父が何かの罪に問われて法で裁かれるかと言うと、たぶんできないんですよ。まあ、もう周りからいろいろ言われて社会的には裁かれてるんですけど」

「でも、何かしないと気が済まないんですよ。復讐したいのか、更正してほしいのか、日によってそのへんは変わるんですけど、俺の気が済まないんですよ」

 

中央でそう語るたむらさんの後ろでは、食事の準備が整いつつあった。
女が、二人分の皿を食卓に並べる。
少しずつ、しあわせそうな食卓が出来上がる。

 

たむらさんは、ぐちゃぐちゃだった。
私も、何をどうしたらいいのかわからなかった。

たむらさんの父親が悪いのは確かで、でもそれを裁くような法律がないのも確かで、でもここでたむらさん自身が父親を手にかけたらそれはきっと何かの罪に問われて法で裁かれるわけで、でもたとえ罪だとしても、それは父親の犯した罪を考えると軽いような気もしてしまって、さらにたむらさんが味わった苦しみにも釣り合わないような気がして、どうすればいいのかさっぱりわからなくて、結局たむらさんはどうするんだろうというのをただ見守るしかなくて、

 

やんちゃな方が好きな父親。
風俗通いが原因で離婚した両親。
母親に絞め殺されたいじめっこ。
先輩に殴られて、床に倒された友達。
野良猫を殺す同級生。
高校生も3千円で相手してくれる風俗にいた母親。


今までの光景が、全部繋がってよみがえる。

 


遠くから踏切の音が聞こえてくる。
舞台が暗くなり、SSがパカパカと点滅する。

食卓の下に、白い紙が貼られる。
たむらさんはそこに黒いペンで、線路と踏切を描く。

後ろから照明で照らされてスクリーンのようになったそこに、女が横から花嫁の影絵を差し出す。

踏切の警報音が大きくなる。
電車のゴーッという音が近づいてくる。

たむらさんは黒い床に、白いペンで電車の絵を描く。
影絵の花嫁は影絵の踏切の上を跳ね回る。


電車の音はどんどん大きくなる。

たむらさんの感情に飲み込まれる。
あまりに大きすぎる何かに触れて、ここでも涙が出た。


これはたむらさんの頭の中だ。
ずっと電車の音が鳴り止まない、たむらさんの頭の中。
様々な考えがごうごうと渦巻く、たむらさんの頭の中。

 

 

音が止み、暗転し、ほどなくして食卓のあたりが薄ぼんやりと明転する。

席につき、食事をする夫婦。


「やっぱりさ、復讐かな」
「いや、更正かもよ」


食事を口に運びながら、夫婦は言葉を交わす。


「いや、俺は復讐だと思うな」
「ええー、そうかなぁ」
「たむらさんはどうなんだろうね」


さっきまで"たむらさん"だった男が、他人事のように"たむらさん"の話をする。

いや、彼は、たむらさんではない。
本当に他人なのだ。

じゃあ、さっきのたむらさんは?


「てかさ、実家、犬飼った」
「あ、結局? 何?」
「柴。でもブサイクなの」
「柴でブサイクとかある?」
「ちょっと待って写真見せる」
「……ほんとだ、ちょっとブサイク入ってんね」
「でしょー?」
「名前は?」
アチャコ。で、アチャって呼んでるんだって」
「何それ、アチャでいいじゃん」
「ね、私もそれ送った」

 

他愛ない、しあわせそうな会話。
夫婦のなんてことない日常。

たむらさんが、手に入れる直前で失ったもの。


会話に、少しずつ雑音が混じる。

遠くてよく見えなかったけど、流しの水が落ちっぱなしになっているような気がした。

少しずつ大きくなる水の音。
他愛ない夫婦の会話。

 

 

 

いったい何だったんだろう。
たむらさんは、誰なんだろう。

観終わった後、そんなことを考えた。

 

夫婦の会話からすると、たむらさんはどうやら父親を手にかけたらしい。
それが良いことなのか悪いことなのか、私には判断がつかない。

最後に父親を殺して地面に埋めた『今日もわからないうちに』を思い出したりもした*3

 

何が正解なのかも、何が本当なのかもよくわからなくて、でもめちゃめちゃ面白くて、終わってからもずっとぐるぐる考えてしまう。


加藤拓也作品は、この少しずつ暴かれていくような感覚が恐ろしいし、面白い。

あと橋本淳さんが本当に本当にすごかった。
あの人はいったい何者なんだ。

橋本淳と豊田エリーは、加藤拓也さんの『在庫に限りはありますが』*4にも出演していたが、そのときともまた全然印象が違った。

 


さっぱりまとまらないし、何の答えも出ないけど、演劇の面白さを全身で浴びた気がする。


劇場で、たむらさんに会えてよかった。

終わります。