エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

下鴨車窓『散乱マリン』を観て感じたこと、考えたこと


11月28日(土) @三重県文化会館小ホール
下鴨車窓『散乱マリン』
作・演出:田辺剛

 

を観た。


正直、わけがわからなかった。
「わからなさ」にもいろいろあって、演劇作品はだいたい「わからないけどわかる」とか「わからないからこそ面白い」みたいな感想になることが多いんだけど、今回の『散乱マリン』は久しぶりに「わ、わ、わ、わからーーーーん!!!!!!」となってしまった。

でも、嫌な「わからなさ」ではなかった。
自分にはフィットしなかったけど、ものすごく響く人がどこかに絶対いるだろうなと思ったし、そういう人のことが羨ましいような気もした。
というか私も全然まったくフィットしなかったわけではなくて、ひとつひとつのシーンには惹かれたけど、全体像が上手く見えなかった感じ。


そして私の観に行った回は、たまたまアフタートークのある回だった。
作・演出の田辺剛さんと、名古屋で演劇をやっている小熊ヒデジさんによる、30分ほどのトーク
それによって、かなり理解できた部分もあって、面白く思えてもきたし、なんだか勿体ないような気持ちにもなった。

 


以下、読んでいる人も観た前提でつらつらと書きます。
感想というかレポというか、自分の考えたこと感じたことのメモ。

 


舞台上には積み上げられた自転車。
真っ黒な舞台の中央が一段下がっていて、その四角いスペースの中の芝生に、自転車の部品がばらばらと散らばっている。

三重県文化会館小ホールは、間口に比べてものすごく天井が高くて、その空間に積み上げられた自転車が空中に浮かんでいるようにも、海底に沈んでいるようにも見えた。

 

暗闇の中、ざあざあと響く風の音。
いや、もしかしたら波の音だったかもしれない。

 

最初に現れたのは、盗まれて放置された自転車を取りに来た女と、自転車保管センターの職員の男だ。
二人は、バラバラになって積み上げられた自転車を見て呆然としていた。

大好きな祖母から譲り受けた自転車。
大事に乗って、有料の駐輪場に停めていたのに盗まれてしまった自転車。
そしてどこかに放置されて撤去されて保管されていたはずの自転車。

それが今は、バラバラになって積み上がっている。

必死にパーツを拾い集め始める女の手を、職員の男が引っ張る。

「佐藤さん!逃げますよ!!!!」

 

慌てて走り去る二人。

 

変わりに怒鳴りながら走り込んで来たのは、作業服の男女だった。


「あー!もう!まただよ!カラス!」


どうやら二人はアーティストのアシスタントらしい。
まもなく二人のボスである芸術家も息を切らしながら坂を登ってやってくる。
さっきまで壁に囲まれた自転車保管センターだったはずの場所が、一瞬で山奥の広い原っぱへと変わる。

積み上げられた自転車は、彼らの作品のようだ。
ガイドラインを引き、設計図と見比べながら、細かな部品ひとつひとつを配置していく。

でも、カラスが自転車の部品を持って行ってしまうから、いつまでたっても作品が完成しない。


突然響くカラスの羽ばたきの音が恐ろしかったのは、私がスピーカーの近くに座っていたからだけではないと思う。

 

一方、自転車を盗まれた女は、彼氏を連れて再び保管センターにやってくる。
バラバラになった部品をなんとか探し出すために。

でも、ここらには野犬がうろついている。
職員が慌てて逃げ出したのは、凶暴な野犬が向かってきたかららしい。

 

 

舞台上の、同じ装置が、場面によって全く違う二つのシチュエーションになる。

そしてお互いの姿は、相手は凶暴な野犬や、狡猾なカラスに見えている。

 

 

祖母の形見の自転車を探す女と、その彼氏の、少しトゲのあるやり取り。
女と職員の男がラインを交換するときの、男女のなんだかちょっとくすぐったいような空気。
バラバラになった自転車を諦めきれない女と、それを手伝う二人の男は、温度差はあるものの同じ目的に向かって動いている。なんとか自転車のパーツを集めようと奮闘する。


アシスタントの女は、やたら距離が近くてスキンシップの多い同僚の男に辟易している。
同僚の男は陽気な性格で仕事もきちんとこなすが女への下心が丸出しで気持ち悪い。
アートイベントの事務局の女はあきらかに芸術への理解も興味もやる気もなくて、アーティストの男の苛立ちは募るばかり。
でも、そんなことじゃいつまでたっても作品が完成しないから、とにかく集中して手を動かすしかない。アーティスト達三人も、それぞれの思いはあるが、作品のために奮闘する。


ひとつひとつのシーンにはリアルな手触りがあるのに、二つの場面が交錯すると、一瞬でわかりあえない異質な状況が生み出される。

 

必死で自転車のパーツを集める三人は、アーティスト集団にとってはカラスにしか見えない。
必死で前衛的な作品を組み立てる三人は、自転車を探す人々にとっては野犬にしか見えない。

 

この噛み合わなさが、とてもこわかった。
人は野犬を恐れ、カラスを疎むが、野犬には野犬の、カラスにはカラスの営みがある。
それと同じように、人間同士であっても、理解できないことはたくさんあるが、他人には他人の営みがあるということなんだろうか?

 

唯一、二つの世界を行き来できるのは、狩人のサタケだ。

祖母の自転車を探す三人には、アーティスト達は野犬に見えている。
アーティスト達には、自転車の部品を広い集める三人がカラスに見える。


でも、サタケはサタケのようだった。
サタケはおもちゃのナイフを手渡すが、おもちゃだったはずのナイフは、相手に突き刺した瞬間に本物になる。


サタケは「昔ここは海だった」と繰り返す。


二つの世界が、現実と虚構が入り交じり、今はいつでどこで何の話かわからなくて、すべてがいっしょくたになってそこにあった。

バラバラになって積み上げられた自転車。
その傍らに横たわるそれぞれの世界での主人公。
そして二人を見下ろす人々。

 

そこに至るまでの、ひとつひとつのシーンで描かれてきた状況や心情がリアルだっただけに、ラストに向けて加速していく矛盾したファンタジーが怖かったし、意味がわからなかった。
とくにサタケ、お前はいったい何者なんだ。お前が立っているそこは、どこなんだ。

 

 

 

アフタートークで、田辺剛さんは震災のことを自分なりに書きたかったと言っていた。
津波でさらわれて行方不明になったたくさんの人々。
今もなお海底に眠っている白骨。

でもそれを、そのまま白骨が積み上がっているような描き方をすると、間口が狭まってしまうから、自転車として表現した。


私は、自転車が積み上がったキービジュアルを観て、気になって、観劇を決めた。
これが白骨が積み上がったチラシで「震災の云々」みたいなあらすじだったとしたら、たぶん私は観に来てなかった。
だから、この話はなんだかすとんと自分の中に落ちた。

 

海の底にバラバラになって沈んだ無数の白骨。

もう無理だってわかってても諦めきれなくて、なんとかして探しだして、広い集めて、できることなら元通りにしたいと願う人。

自分の中で区切りをつけるために、死者を弔う儀式をしようとする人。
この作品においては、捨てられる運命の自転車をアート作品にすることが、弔いの儀式だ。


同じものでも、人によって見え方や感じ方が違う。
見る人によって、同じものが全然違って見える。

 

震災をどう捉えるかも、舞台をどう捉えるかも、人によって全然違う。

 

私が『散乱マリン』を観て感じたのは、わかりあえない、噛み合わないことの恐ろしさだ。
そしてそこにどんなに切実な想いがあろうとも、誠実な営みがあろうとも、おもちゃのような嘘のような現実で一瞬にして無に帰してしまう恐ろしさだ。

 

小熊さんは、アフタートークで作品の「透明感、広さ、大きさ」に触れて「真っ暗な中にホログラムが映し出されているような」と表現されていたけど、その感覚も少しわかる気がした。

 

なんだか大きなものの中にいる無力な自分を感じた。


観た直後に「どうしよう、よくわからない」と感じてしまったのも、ある意味で圧倒的な無力感に襲われていたのかもしれない。

 

人間は本質的に「わかりたい」生き物だ(と思う)から、理解の範疇を超えるものに出会うと混乱するんだろうな~と思う。

でも見終わってからも、ふと思い出す光景がたくさんあるから、もしかしたらこれから「ああ、あれは、これか」と思う瞬間が来るのかもしれない。

 

あと、田辺さんが「自分は人よりも場所を描くことに興味がある。首から上ではなく、腰から下。その人の立っている空間、地面、時間、歴史」というような話をされてたのが面白かった。
その話を聞きながら、私は人の内面に意識を向けすぎて空間や足元を疎かにしているかもしれないなと思ったりした。

 

なんだかだんだん何が言いたいのかわからなくなってしまったけど、とりあえずぐちゃぐちゃでも言葉にしておけば何とかなる気がするので、このまま投げておく。


終わります。

 

 

【めちゃめちゃどうでもいい追記】

そもそも、下鴨車窓を知ったのは京都の俳優、中村彩乃さんが下鴨車窓の『微熱ガーデン』という作品に出演したことがきっかけだった。

で、その中村彩乃氏は京都で安住の地という劇団を主宰してるんだけど、そこで脚本や演出をやっている岡本昌也さんが、ハイバイの作品に演出助手として関わっていることを知った。
ハイバイも、ずっと気になっているけど観たことがない劇団だったから、岡本昌也氏のツイートで観に行こうと決めて、行くなら三重かな……と思い、公演情報を調べ始めた。

そしたら、同じ会場で一週間前に下鴨車窓の公演もあることを知り、観に行くことにしたのだ。


何が言いたいかと言うと、自分の好きな人やものが巡りめぐって繋がるの面白いな~という、ただそれだけの話です。


そういえばハイバイ『投げられやすい石』の東京公演では、これまた大好きな劇団た組の加藤拓也さんと俳優の藤原季節さんがアフタートークのゲストに呼ばれていたりして、自分は行けなかったけど勝手にテンションが上がっていた。


ちなみに発端となった『微熱ガーデン』は、ずっと気になっているけど観る機会を逃し続けているので、いつか必ず観たい。

 

本当の本当におしまい。