エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

安住の地『よそほひ』を観て考えたことと、ワークショップのこと。

 

 

2月15日(日)@元映画館

安住の地『よそほひ』

 

脚本・演出 | 私道かぴ

出演 | 中村彩乃 林田惠子 

 

 

を観てきた。

女の化粧にまつわる二人芝居。江戸時代末期〜明治までを描いた第一章と、現代を描いた第三章の連続上演。

あと、同時開催のワークショップ「『よそほひ』のテキストからシーンを立ち上げよう!」にも参加してきた。

 

どちらも本当に満ち足りた時間でとても良かったから、忘れないうちに書き留めておく。

 

 

公演についてはたぶん最初はTwitterで知って、そのあと挟み込みチラシで見て存在を思い出した。そしてその挟み込みチラシで、上演だけでなく3種類のワークショップも開催されることを知った。

 

私が参加したワークショップ「『よそほひ』のテキストからシーンを立ち上げよう!」は、3種類の中で一番「演劇」っぽかったから、申し込むのにはちょっと勇気が必要だった。

でも講師が私道かぴさんと中村彩乃さんで、脚本演出家と主演俳優が芝居の立ち上げ方を教えてくれるのってめちゃ面白そうじゃん!?と思って申し込みを決めた。

私は一応、学生時代に演劇をやっていたんだけど、裏方をやることの方が多かったから自分の演技には全く自信がない。というか自分は「"そちら側"ではない」みたいな感覚がずっとある。

 

だから今日は朝からすごく緊張していた。

そもそも観劇と参加を決めたのが数日前で、そのときから自分の「よそほひ(粧い/装い/扮い)」を意識するようになっていた。

「化粧」をテーマにした作品だから、自分の化粧のことを何か開示しないといけないのかな……みたいなことも考えたし、それを語る自分の顔に施された化粧を見られる気がして、普段よりも念入りに化粧をして行った。気分はメイクレッスンに行く前。行ったことないけど。

そもそも最近、自分で自分の化粧がわからなくなってきたというのも観劇の決め手としてある。年齢を重ねて肌の質感が変わってきて、服装の系統も変化してきて、自分に似合う化粧って何だろうな〜とか、そもそも自分ってどう見られてるのかな〜見られたいのかな〜みたいなことを最近よく考える。

 

 

会場の元映画館は、日暮里駅から歩いて15分。

途中の道のりが思いっきりただの住宅街で、「本当に合ってる?」と思いながら歩いて行くと、スーパーマーケットの2階にその空間はあった。

受付をして中に入ると両側に椅子が並んだガランとした空間。雰囲気は昨日行った中野の水性にちょっと似てるかもしれない。

 

参加者は私を含めて4人。

男性も女性もいて、全員が初対面。

 

最初に軽く自己紹介をして、それからテキストが配られて、普段「安住の地」や中村彩乃さんがどうやってお芝居を立ち上げて行くかを教えてもらって、それを実際にやってみる。

配られたテキストは今回は上演されない『よそほひ』の第二章。だから、観劇前でもネタバレはない。むしろワークショップをしてから本編を観劇したことで視点が増えて理解が深まったかもしれない。

 

とにかくめちゃめちゃ面白かった。

戯曲の書き方や読み方も、演技の立ち上げ方も、「そういうのあるんだ〜」の連続だった。私道さんや中村さんの話も面白いし、参加されていた人たちもそれぞれ解釈や考え方が全然違って、新鮮だった。

そもそも私道さんの戯曲や、安住の地の芝居づくりが、そういう個人のパーソナルな部分によって支えられているから成り立つワークショップだったような気もする。

 

演技経験はなくても全然問題ない。大きな声を出す必要もないし、激しい動きもしない。服装も普通に観劇に行く格好で大丈夫。

 

同じワークショップは2/19にもう一度あるから、少しでも興味がある人は是非参加してみてほしい。演劇やったことなくても面白いと思う。

ここから先はもっと詳しいワークショップの内容を書くけど、これから参加する人はもしかしたらあんまり前情報なく行ったほうがいいかもしれないので、ネタバレ注意。

ワークショップが始まる前、私たちの緊張をほぐすためか、私道さんが軽い雑談をしてくれる。

 

「場所の力で、なんかちょっと静かになっちゃいますよね。ここ元映画館は今でも映画館としても使われていて、ステージ上のスクリーンはそのためです。よく見ると小さな穴が開いていて、それはスピーカーの音を通すためだそうです」

 

何も映し出されていない灰色のスクリーンには、確かに小さな穴が一面にポツポツ開いていて、ずっと化粧のことを考えながらここに来た私にはなんだか毛穴のように見えた。

 

立ったまま軽く身体を伸ばしながら自己紹介をして、どうしてこのワークショップに参加しようと思ったのかを話す。

参加者はおおむね安住の地のファンで、興味があって来た人たちっぽかった。そりゃそうか。

 

椅子を車座に並べて座る。

配られたテキストは、『よそほひ』の第二章の冒頭。A4用紙一枚の短い場面。幼い女の子が、初めてのお化粧をされているシーン。

台詞もだけどト書きが印象的で、すでに戯曲を読む楽しみがある。

 

私道さんは脚本を書いてるときは「楽しいな」と思って書いてるけど、俳優にそれを「再現」してほしいわけではないらしい。むしろそこから得たイメージの部分を膨らませてほしいと考えている。その状態や現象が見たい、というのが面白い。

 

中村彩乃さんは、脚本のテキストからイメージしたことをばーっと紙に書き出す。そうすると頭がクリアになるというか、演技の方向性がなんとなく見えてくる。

実際に見せてもらった紙には、イメージマップが書かれていた。戯曲の中から言葉を拾って連想ゲームをしながらイメージマップを広げる。「ふわふわ」みたいなオノマトペがあるのも面白い。イラストを描くこともあるらしい。

 

脚本に書かれた「言葉の力」はとても強いから、あえてそこからちょっと離れてみる。それをやってみるワーク。

 

紙とペンを渡され、各々が筆を走らせる。

 

結果が人によって全然違って面白かった。

 

テキストから考えた自分の言葉を字と絵で表現する人。この人はどういう人か、どういう表情をしているか、どういう関係か。

テキストのイメージをそのまま2次元の絵で表現する人。抽象的なイメージからスタートしたはずの絵が、最終的な全体像は具象的にも見えて面白い。

脚本の中の気になる言葉を拾って分析をする人。似た表現だけど違う言葉遣いなのはなぜか、そこから湧くイメージ。

私は、脚本の中で起きていることから思い出された自分の経験をひたすら書いていた。あとはどんな場所を想像したかとか。

 

自分のイメージメモと他の人のとを比べると、文字の多さと脈絡のなさが気になる。渡された紙には罫線が入っていたけど、私は完全に罫線を無視して、しかも紙のいろんなところにいろんなことを書いていた。人によってはわりときっちり書いてる人もいたし、罫線通りでなくてもトピックの階層の書き方に秩序がある人もいたから、見比べると自分の頭の中ぐちゃぐちゃだな〜と思う。

そして他の人のイメージと見比べて、私は自己の内側に興味があるのだなということも改めて思う。ひたすら主観的なエピソードが多い。自分のこと好きすぎか?

 

 

そのあと、私道さんや中村さんが声に出して読むテキストに合わせて、ふわっと動いてみる。安住の地では、よくこういうワークをするらしい。深く考えずに感じたままに動く。動いている内に「今の動きって、こういう風にも見えるよね」みたいなのがあれば、そのまま演技に落とし込んでみることもある。

 

大きな一つだった円を、私道さんと参加者2人、中村さんと参加者2人の小さな円二つに分けて、自分と戯曲とイメージを結びつける。

数行ずつ、何を考えたかを話しながらテキストを読むと、新たな発見がある。言葉にしてみて初めて認識できること、一緒にワークをしている人が言っていて気がつくこと。

 

 

次に実際に動いてみる。

私はテキストを読んだときはそこまでネガティブな感覚はなかったんだけど、動いてみたらなんだかすごく不安というか、嫌だった。

自分がそれを言うのではなく他人の言葉に動かされるシチュエーションが、戯曲の中とリンクしていたからかもしれない。

戯曲から手を離し、目も閉じて、聞こえる言葉が持つ感覚に素直に従う。もし自分が劇団でその役を演じる俳優だったら、もちろん脚本の言葉をすべて覚えてしまうだろうから、むしろこの他者に動かされる感覚にはなれなかった気がする。

 

最後に、他の参加者の人の発表を観る。自分も見せる。

これも人によって全然違って、同じテキストでもこんなに違う表現、違う手触りになるんだ〜〜〜〜〜とびっくりした。演劇って正解ないんだな、本当に。そしてそんなに「俳優」って感じじゃなかった人たちが、観る/観られるの関係になると一気に「俳優」になるからすごい。みんな普通の人のはずなのに、とても美しいと感じる。

 

演劇、おもしろ〜〜〜〜〜〜〜が詰まった時間だった。

ワークショップを終えて、一度会場を出る。開演まではまだ少し時間があったから、なんとなくそのへんをぐるっと歩いた。天気が良くて気持ちいい。暑くも寒くもなくて良い日だなと思う。

 

 

再度入場して、本編を観劇。

(ここからは本編のネタバレあり)

 

 

スピーカーからはかすかに水の音?がしている。

その音が高まって、スッと消えて、芝居が始まる。

 

和服に身を包んだ林田惠子が静かに現れ、無言のまま身支度を始める。和服に詳しくないから種類とかはよくわからないけど、普段着の着物っぽく見える。

静かに顔を洗い、顔に何かを塗る。その手つきは丁寧で、特別なことをしているわけではないのに、なんだか目が離せない。

 

朝起きてからの一連の動き。

顔を洗い、ヘチマ水で肌をうるおし、お歯黒をする前に口をすすいで、それらの身繕いを亭主が起きてくる前にすること。それが、母から教わったこと。

 

厳しかった母の思い出とともに、中村彩乃が現れる。中村彩乃も和服を身に着けている。娘である林田惠子の姿勢を、母である中村彩乃が正す。

 

でも、次の瞬間には、林田惠子は母になり、中村彩乃が娘になっている。

 

母から教わった眉剃りとお歯黒のやり方を、同じように娘に教える。

剃刀の持ち方、それを肌に当て「ざりっ、ざりっ」と眉を剃り落とす。

眉がなくなった自分を鏡で見る娘の表情は、あの日の自分と重なる。娘を通して自分を見、自分を通して母を見る。

 

中村彩乃が母になり、娘を産み育てる頃、年号が明治になり、やがて眉剃りとお歯黒が廃止になる。

 

母から教わった眉剃りとお歯黒。でも、自分は娘に眉剃りとお歯黒を教えることはない。

初めて眉を剃った日の恥ずかしさ、当人は気が付かないけどその剃り跡が青々と美しかったこと。そういう女の心の機微があったことも、忘れられてしまう。

 

中村彩乃の語りは静かに空間を揺らす。

今はもう感じることのなくなった「揺らぎ」だ。

でも、確かにあったはずの、その揺らぎ。

 

 

ここで休憩が告げられて驚いた。45分間があっという間だった。

密度の濃い、丁寧な時間。

 

 

 

休憩明け、観客も協力して客席を動かすように指示がある。

演技スペースを挟むように向かい合って並んでいた椅子を、演技スペースを囲んだ円形に並べ直す。

 

円の内側に、スタッフさんが小さな鈴を複数個置く。

そこに再び林田惠子と中村彩乃が入ってきて、第三章が始まった。

 

現代的な衣服に装いを変えた二人は、笑いながら円の中に入り、床に座る。鈴がコロコロと可愛い音を出す。

 

子どもが、母親の部屋に入って化粧品で遊んでいるのだ。お互いに口紅やアイシャドウを塗り合って笑う。大人に見つかったら叱られる、秘密の遊び。

 

自分も小さい頃、母の化粧品にいたずらをして叱られたことを思い出す。赤ん坊だった弟のお尻に塗るベビーパウダーを自分の頬に塗って真っ白になったこともあった。女の子は誰でも通る道なのだろうか。それとも男の子もそういうことをするだろうか。

 

二人の少女は引き出しの奥を探る内に、個包装のグミのようなものを見つける。それって……グミじゃなくて…………自分も両親の箪笥の奥から"それ"を見つけた記憶が蘇る。

 

「ぐにぐにする〜」とはしゃぐ中村彩乃を残して、林田惠子が去る。

もう一度、場に現れたときには、林田惠子は母になっていた。

 

子どもを叱り、めちゃめちゃにされた化粧品を拾い集める母。

いつも綺麗にお化粧をしていた母。

そんな母に育てられながらも自分は化粧をしない娘。

 

でも、そんな母があるときから化粧をしなくなる。理由は、娘である自分にも、姉である叔母にもわからない。

 

すっぴんの母を、娘は見つめる。

ファンデーションを塗っていない肌。アイシャドウを塗っていない目元。

自分によく似たその顔。

 

娘は化粧を始め、やがて恋人ができ、結婚をして、娘を産む。

「ばぁば」になった母は、孫である娘にとても甘い。

 

中学生になった娘も化粧をするようになる。

母になった「自分」はそのことが受け入れがたいが、祖母になった母は、孫である娘と一緒に化粧をして出かけるのが楽しみのようだ。

 

 

ここからは私自身の話。

 

私自身も、母に顔が似ている。

母は、母の母によく似ているけど、私は母の母とはたぶんあまり似ていない。

年を取るごとに母と娘はどんどん似ていく。私は母に、母は母の母に。

実家に帰って母と会ったり、母の実家に行って祖母と会ったりするたびに、自分もいつか行く道をそこに見る。だから、劇中に描かれた感触には覚えがあった。

 

私は一年くらい前に結婚して、「妻」になった。子どもはいないから、少なくとも今のところ「母」にはなってない。でも、私もいつか母になる日が来るかもしれない。

 

半年くらい前に結婚式を挙げた。そのときにプロのメイクさんにお化粧をしてもらった。

成人式も大学の卒業式も化粧は自分でしたから、ちゃんとしたフルメイクをプロにやってもらうのは初めてで、とても新鮮な感覚だった。いつもの自分の顔が、違う手で仕上げられると別人のように感じられた。

 

結婚式場のサービスで、親族も着付けやヘアセット、メイクを申し込むことができた。だから母は着付けとポイントメイクを申し込んでいた。

結婚式の1ヶ月ほど前、母から電話があった。

「おばあちゃんのメイクも式場に頼めない?」

 

私には同居の祖母がいる。父の母だから、私の母から見ると義母にあたる。両親が共働きだった私は、この祖母に育てられたようなものだった。

そんな祖母も今はすっかり老い、外出といえば週に数回のデイサービスくらいだ。

 

結婚式に参列するにあたり、一度家で、母が祖母にメイクをしてみたらしい。

「でもダメなの。皺が深くて、ファンデーションもアイシャドウもうまく乗らなくて……」

途方に暮れた母が、式場に頼めないかと電話をしてきたのだ。

 

式の当日、祖母はとても綺麗にお化粧をしてもらっていた。

まぶたがキラキラしていて、眉も白髪に合わせた明るい茶色で描いてもらっていて、私はそんな祖母を初めて見た。

 

 

舞台上で老いていく母(林田惠子)の姿を見ながら、私は母と祖母のことをずっと考えていた。

私は母の娘で祖母の孫だけど、母も誰かの娘で誰かの孫で、もちろん祖母も誰かの娘で誰かの孫で、呼び名や立場が変わっても一人の女として生き続けていて、そんなことを考えていた。

 

認知症になった母は、今まで自分の中に覆い隠していた「寂しさ」を全身に纏う。少女のように泣き崩れる母を、娘は見つめる。

 

 

幼い頃に引き出しの奥から見つけたもの。それが「スキン」と呼ばれるものだと、大人になった今ならわかる。

舞台上ではそれ以上語られることはなかったけど、なるほど言われてみれば、コンドームも新たな自分の皮膚みたいなものだし、誰かと接するときに身にまとうものという意味では女の化粧と似ているのかもしれない。

子を成すということはスキンを着けずにするということで、当たり前だけど自分もそうやって生まれたんだよな〜と考える。

父と母との間を隔てていたスキン。それが取り払われて生まれたわたし。母の肌と、私の肌と、娘の肌。

 

 

冒頭で床に散りばめられた鈴たちは、母が散らばった化粧品を集めるときに一緒に持っていかれた。それは娘の素直な母への憧れのようなキラキラした気持ちだったように思う。

 

そしてその鈴は、孫が生まれたときに祖母となった母の手で再び床に散りばめられる。女性の声を「鈴を転がすような声」と形容することがあるが、自分(中村彩乃)が封印させられた女性らしさみたいなものが、孫である娘とのふれあいの中では大切にされていて、その対比が切ない。

 

そしてその鈴を、母となった中村彩乃はかき集めてポケットにしまう。その後の場面で、中村彩乃が動くたびにポケットから、かすかに鈴の音がする。自分の中にしまった子どもらしさ、女らしさ、母への憧れが、かすかな音で空気を揺らす。

 

 

「よそほふ」ことをしなくなった母。

「よそほふ」ことができなくなった母。

 

そんな母に、娘は最後のよそほひを施し、舞台は終わる。

 

 

終盤ずっと泣いてたんたけど、なんで涙が出るのか自分でもよくわからなかった。強いて言うなら「おかあさーん」みたいな気持ちだった。

劇中の登場人物は自分にも自分の母にも似てなかったけど、なぜか自分の話のように感じられた。

それはたぶん私自身も普段から化粧をしていて、舞台上の俳優の手つきが覚えのある感覚をなぞっていたからだと思う。

優しい手つきが肌をなぞるたびに、自分の心の中の柔らかいところの輪郭を撫でられているような観劇体験だった。

 

化粧をしない男性だと、どういう感想になるのかとても気になる。

 

 

俳優さんはお二人とも本当に素晴らしかった。

70代の林田惠子と、30代の中村彩乃。お互いが母にも娘にも孫にも友にもなる。同じ一人の人間が場面によって無邪気な少女にも、呆けた老婆にも、落ち着いた大人の女にも見えるのって、どうしてなんだろう。演劇って面白い。

 

年老いた母を演じているときの林田惠子のたるんだ頬を見ながら、「この人ってこんな輪郭だったっけ」と思った。顔が変わったわけでも、化粧を変えたわけでもないのに、少女を演じているときには全くそんなこと感じさせなかった。

 

中村彩乃は横顔が美しかった。おでこが逆光でつやつやと光っていて、白目の白さが若さだった。

 

二人が向かい合って「母の顔が、私とよく似ている」と気がつく場面を、偶然だけど真横から見れたのは幸運だった。二人の横顔が本当に美しくて、そして血の繋がりはないはずなのに確かに似た顔に見えた。

昨日、和田企画を観ている時も思ったけど、実際はそうでなくても「◯◯だ!」と言われると、そう見えるようになる仕組みが、人間の中にはあるんだろうなと思う。

だから、他人のはずの二人は母と娘にも、祖母と孫にも見えるし、なんだか自分のようにも見える。

 

 

この土日は、二人芝居を観ながら自分のことを考える二日間だった。大満足。

 

まとまらないけど終わります。

 

 

 

和田企画『なる、ならない、なれない、ある』を観た後に、自分の中にあったもの。

 

2月14日(土)@中野 水性

和田企画再始動公演『なる、ならない、なれない、ある』

脚本:大池容子(うさぎストライプ)

演出:大北栄人(アー)

出演:大石将弘、和田華子

 

【あらすじ】

「誰かいない? そういう当事者の人、知り合いにー」

39歳、男性、バイトがやめられない俳優・新島に、突然転がり込んできた “大規模映画のメインキャスト” オーディション。演じなければならないその役は、トランス男性。

合格をつかむために新島がたどるのは、取材のできる「当事者」を探す旅だった──

 

 

 

を観てきた。

本当に本当にめちゃめちゃ良くて、観てる間ずっと目の前で起きていることに夢中で、それでいてずっと自分自身のことを考えていた。

観た後もぐるぐるが止まらないから、思いつくままに書く。

 

以下、ネタバレあり。

観劇感想とかレポというよりは個人的な自分語りになるかもしれない。

 

 

観劇のきっかけはTwitter(X)で流れてきた公演案内。

和田企画も出演俳優さんも全く存じ上げなかったんだけど、タイトルになんだかものすごく惹かれた。

 

脚本の大池容子さんは、以前にうさぎストライプを観て好きだなと思った記憶があったから、これはきっと面白いやつだなと思って観劇を決めた。

 

 

会場の「水性」は、中野駅から歩いて10分くらい。

アーケードや中野ブロードウェイを抜けて歩いていくのはかなり楽しかった。

 

会場に着いてみると、道に面した入り口を入ったら本当にすぐ演技スペースと客席が一体になった空間で、ちょっと驚いた。元々はお店だったのを改装したのかな?

舞台と客席に段差も境界線も何もなくて、ちょっとドキドキする。客席自体も3列しかなくて、とても近い。

 

舞台上には半透明のビニールシートがフックで吊るされていて、その向こうに小さな丸テーブルと椅子がある。

奥の壁には造り付けの棚があって、棚の上にはシェードランプと赤いストールと、なぜかトルコ語の教本。

 

開演時間、スタッフさんがシャッターを下ろし、自動ドアを手動で閉める。なるほどこれは開演後の途中入場はできない。

そうして「密室」となった空間で、演技が始まる。

 

 

佐々木(和田華子)が出てきて、トルコ語の本を手に取り、ビニールシートの向こう側の椅子に座る。

うっすらとシルエットが透けて見えるが、その輪郭ははっきりしない。

 

「イワがある」

佐々木が言う。何かを読み上げるみたいに。

 

一瞬、「違和」かと思った。でも、文脈的には「岩」だと思う。どちらにも聞こえる。

佐々木が手を上げる。空中にある何かを掴むみたいに。その影が大きくビニールシートに浮かび上がる。

 

言葉はやがて不明瞭になる。外国語、たぶんトルコ語

 

そこに新島(大石将弘)がやってくる。

ビニールシートをフックから外して、カーテンを寄せるように端に寄せる。そこで初めて佐々木の姿が露わになり、そこはカフェになる。

 

 

佐々木と新島が待ち合わせをしたカフェ。

新島は売れない俳優で、大きな映画のオーディションを控えている。

 

「オネェ……いや、トランス男性の役をやるので、当事者の人に話を聞きたくて」

 

その一言だけで新島が知識のないシスジェンダーの男性だとわかる。

オネェは「男性として生まれながら女性らしい言葉遣いや仕草をする人」のことで、トランス男性は「出生時は女性として生まれたが性自認が男性の人」のことだ。逆である。

 

その他にも新島の言動の端々に理解のなさが滲み出ていて、許されるなら「お前、ちょっと一旦黙れ」と張っ倒しに行きたい気持ちになった。

佐々木の表情にも、不信感や不快感が浮かぶ。

 

新島は「本とかもいろいろ読んで、本当に苦労されてることがわかって、それで演じるにあたってやっぱり当事者の方の生の声を聞かせていただきたくて」と言うが、なんか全部ズレててしんどい。

 

 

そんな新島に、佐々木は言う。

「新島さんって演技上手いですが? 賞とか取れますか?」

「授賞式のインタビューで『僕がトランス男性を演じる最後のシス男性であることを願います』って言ってくれるなら、取材に応じます」

「もう終わりにしたいんです、こういうの。こういう『当事者のお話聞かせてください』みたいなの」

 

 

「マイノリティー役は当事者が演じるべきなのではないか」という議論は、少し前からいろいろなところで見かけるようになった。

LGBTQとか障害者とか、そういう役をシスヘテロや健常者の俳優が演じることの是非については、いろいろな意見があると思う。

 

そもそも「演技」は全部が嘘で、俳優は「自分ではない何者か」になる。大金持ちにも、浮浪者にも、サラリーマンにも、ひきこもりにも、スーパーヒーローにもなる。

独身でも親を演じる俳優はたくさんいるし、殺人鬼を演じる俳優が本物の殺人鬼であるはずがない。

 

 

新島は、そんな「演技」の力を信じている。

自分から遠い役を演じられる俳優が良い俳優であり、自分もそんな俳優になりたいと思っている。

だからトランス男性の役を演じたいと思っている。

 

「でも、その『遠さ』って、あなたから見た距離ですよね? いつだってあなたがいるところがゼロで、日本が中心の世界地図みたいなものですよね?」

 

佐々木の言葉は、「遠く」にいる新島にはうまく届かない。

 

 

新島が運転する車の助手席に、佐々木が乗っている。

新島は途中で、佐々木にハンドルを渡し、途中で運転者がチェンジする。

現実にはあり得ないけど、演劇だとなぜか受け入れられる。

本物のハンドルはそこにはないけど、俳優が両手を前に出して掴んで回す動きをするとそこにハンドルが現れて、そこは車の中になる。

同じフィクションでも映画やドラマではダメで、そこにないものをあるように見せる演劇だからこそ成り立つ演出だなと思う。

そこに本物がないからこそ、嘘を本当にすることができる。

 

もっと言うと、今わたしがいるのは東京中野の水性というスタジオだけど、でも新島と佐々木は、車に乗って海に行って、それを私は素直に受け入れることができて、今わたしはここにいるけど、ここではないどこかの自分ではない誰かの物語を、まるで自分のことのように感じながら見ている。

 

私はシスヘテロの女性で、だから舞台上にいるトランス男性の佐々木とも、シス男性の新島とも、全く違う人間であることはあきらかなんだけど、いやでもそういう属性云々置いといてそもそも違う人間だしな? じゃあなんでこんなに佐々木の苦しみが「理解る」ような気がするんだ? 新島だってムカつくけど、その無神経さの中には哀しいけど「理解る」というか、自分にもあるな……と思う部分もあると思えるのは何でなんだ?

 

 

新島は車の中で自分が学生時代にいじめられていた話をして、そうして着いた海で佐々木に「自分も話したんだから、佐々木さんも話してください」と迫る。ものすごく身勝手で乱暴だ。

それでいて佐々木が話そうとすることに対しては「いや、そういうことじゃなくて」と聞く耳を持たない。

勝手に「トランスあるある」みたいなのを佐々木に当てはめようとして、目の前の佐々木のことはちっとも見えてない。

 

 

舞台上の二人は、場面によっていろんな人になる。

 

さっきまで佐々木だった和田華子は、赤いストールを羽織ると新島のマネージャーに、エプロンをつけると新島のバイト先の店員に。

新島だった大石将弘は、眼鏡をかけると佐々木の友人になる。

 

見た目の変化はそれくらいなのに、別人だなとわかる。俳優さんってすごいなと思う。

でも、本当に本当の別人になれるわけではない。というか、ならない。ただ、二つの肉体が、ずっとそこにある。

 

 

「もっとトランスに生まれたつらさとか!」

「じゃあ逆に聞いてもいいですか、シス男性に生まれたつらさとか何かあります?」

 

「もっとトランス男性らしさを演技で出したいんですよね」

「いや、あなた普段の生活でシス男性らしくと思って生活してますか?」

「いや、してないですけど」

 

 

佐々木と新島の会話はずっと噛み合わない。

佐々木はずっと佐々木としてそこにいるだけなのに、新島はそこにない何かを見出そうとしているように感じる。

 

「もっとトランス当事者らしく!」

 

新島が、佐々木に、演技指導をする。

髪をスポーツ刈りにして、膨らんできた胸を隠すように猫背になって、震える声で性別違和を告白するトランス当事者。

どこかで見たことがあるようなその場面は、薄気味悪い「気持ち良さ」があって、こわかった。

 

 

でも、そんな「当事者」はどこにもいない。

舞台は目まぐるしくフィクションの世界を飛び回りながら、少しずつ現実にチューニングが合っていく。

 

その間に佐々木と新島は何度も入れ替わる。

佐々木が言っていた台詞を新島が、新島が言っていた台詞を佐々木が言う。

 

真っ暗な中で二人はヘッドライトをつける。

暗闇の中で、ヘッドライトをつけた俳優が客席を向くと、光をつけた俳優の姿は消える。でも、二人が向かい合うとお互いがお互いに照らされて、おぼろげだけど姿が見えるようになる。

 

半透明のビニールシートの中に潜り込むと、ビニールシートがキラキラと光って、身体の輪郭は曖昧になって、見た目は綺麗なんだけど、蠢く様子はとても恐ろしい。

言っていることは綺麗なのに内部に蠢くものが見えなくて怖いのと同じかもしれない。

 

 

新島が受けようとしていたオーディションは、受けることもできずに終わる。

当事者とか当事者じゃないとかとは関係のないところで、当事者も知らないうちに何かが始まって終わっていく。

 

 

佐々木が今ほんとうにつらいと思っているのは、両親に金の無心に来る厄介な親戚のおじさんの存在だ。

 

新島が佐々木に成りすましておじさんを撃退する場面は痛快だった。なぜかちょっと泣きそうになった。

新島の俳優としての、自分とは違う存在を演じたい気持ちが、ここで初めて役に立つ。

 

暗転後、大石将弘が「佐々木」として登場する。

性別移行が進んで、身体が男性になった佐々木。念願のトルコに行って気球に乗ったけど、思ったのと違った佐々木。新島がちょい役で大河ドラマに出たことを友人と話す佐々木。

 

 

なる、ならない、なれない、ある。

 

俳優は舞台上で何者にでも「なる」けど、何者にも「ならない」というか、なれない。でも、自分という存在は常にそこに「ある」。

 

 

観劇して私が思ったのは、結局みんな「自分」になりたいんだよな〜ということだった。

俳優の演じたさもテーマのひとつだったけど、そもそも人は生活する中で常に何かの役割を演じている。職場とか家庭とかお店とか、場所が変われば自分が演じる役も変わる。でも、全部ひっくるめて「私」で、私が私でない瞬間なんてない。

 

観劇をはじめとするフィクションを楽しむ経験は、ある意味では自分が自分でなくなる経験かもしれない。

自分ではない誰かに感情移入して、自分にはない何かを得る。

でも、結局そこで自分の中に湧いてくる感情とか感想も、そもそもは自分の中にあるものなわけで……だから人によって同じものを見ても感じることが違って……でも同じ部分もあって……そういう意味でフィクションは鏡とも言えて……

 

全然まとまらないし、何回「私」とか「自分」とか言うんだろう。

でもなんかこういう内側に向かう営みなんだよな……それを外側に転化するのが「演じる」ということ?

 

 

話は変わるけど、観劇の前にこのインタビュー記事を読んで、そこで初めて和田華子さんがFtMのトランス当事者であることを知った。

https://shihai2023.studio.site/h7XpozYG/wadakikaku_interview

 

本当に本当に失礼なのはわかってるんだけど、そのとき最初に思ったことを正直に告白すると「なのに、華子なんだ」だった。

なんとなく男の人になりたい人は中性的な名前を名乗りたいのだと思い込んでいた自分がいることに、そのとき初めて気がついた。

 

「マイノリティーを理解したい」「偏見はない」というのが、いかに傲慢なことか……

 

 

自分自身はシスヘテロの女性で、働いてて、結婚してて、子どもはいなくて、社会的に見たらマジョリティーだと思う。

でも、なんとなく自分自身のマインドとしては世間の波に乗れていないというか、なんとなく少数派みたいな感覚がずっとある。

もっと詳しく言うと10代くらいまでは「普通は嫌だ、特別になりたい」と思っていて、20代超えた頃から「普通になりたい」と思い始めて、30代になった今は「普通ってなんだろな〜」と思っている。

この時点で傲慢なマジョリティーのマインドのような気がしないでもない。

 

人には人の苦しみがあるし、自分と共に生きていくしかないんだけど、自分って浅いな……みたいな残念さもあって、いやこれも裏返すと「マイノリティーは深い!」みたいになって気持ち悪いな!?

 

 

全然なにが言いたいかわからない……なにか良い感じのことを言いたいのに書けば書くほど「そうじゃないんだよ〜」って感じにしかならない。

 

 

とにかくめちゃめちゃ面白かったんですよ。そう、面白かった!

目の前で起きてることがずーっと面白かった!ちょっと嫌な気持ちになるところも、わかるな〜と思うところも、演劇的なしかけも、俳優さんの表情も、声の揺れも、本当に本当に良かった!

 

観てる間は結構笑ってたけど、終わったあとにちょっと泣いた。

ときどきある。完全に終わってからぽろぽろ泣けてくる作品。

 

良かったな……良かったです……………

 

まとまらないから終わり。

 

 

2025年観たもの行ったものまとめ!

 

あと少しで2025年が終わる〜!

去年の今頃は新幹線で東京に向かっていたけど、今年は家でのんびり過ごしています。

 

今年の個人的一大イベントは結婚したこと!

でも夫も趣味に生きる人で週末は家にいないことも多いから、私も気兼ねなく出かけている。

 

というわけで、恒例の1年間の振り返り〜!!!!

 

 

 

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◯ライブ

 

0101*ヒロインズカウントダウン(Ill)@東京

0111*ヒトリエ@名古屋

0201*オ?ワ?リ?カ?ラ?/セバスチャンX/チーナ@水戸

0215*Ill/ギルギル他@東京

0222*9mm Parabellum Bullet@東京

0412*OOPARTS2025

0413*OOPARTS2025

0424*Ill@名古屋

0427*Ill@東京

0508*Ill@名古屋

0524*Ill@名古屋

0622*オワリカラ@東京

0807*四星球/超能力戦士ドリアン@名古屋

0810*IDOL SUMMER JUNGLE(Ill/ギルギル)@東京

0815*Ill@大阪

1013*sukida dramas@名古屋

1115*Ill@名古屋

1125*Ill@東京

1214*オワリカラ@京都

1226*Ill@名古屋

 

(ライブ17本+フェス3日間=計20本)

 

 

ライブの本数は昨年並み。

一番たくさん観たのはIll(イル)ちゃんでした!

 

元々好きだったtwinpale(ツインペイル)っていうアイドルグループが、新メンバーを入れて改名してIll(イル)になったんですけど、本当に可愛いし楽しいし最高なんですよ……

認知いらないおたくを自認してたけど、特典会で名前呼んでもらえたらやっぱり嬉しくて「また来るね♡」ってなっちゃったから、チョロいです、我ながら……

 

あと今年はオワリカラの再始動も嬉しかったな〜!

2月の水戸で「我々、活動休止中なんでね……お手柔らかに〜」とか言いながらバチバチのライブしてて、うひゃ〜〜〜〜〜ってなりながら6月東京に行きましたよ……

そしたら行きの新幹線の中で何年も会ってないライブ友達から「今日オワリカラいる?」って連絡来て、それも嬉しかった。

12月のオワリカラ京都も、その友達と観たんですけど、ま〜カッコよくて……最高だよ本当に…………

オワリカラは「梅雨と冬しか活動しないバンド」になったみたいだから、冬のうちにたくさん観た〜い!ということで、1月の名古屋も行く!楽しみ!!!!

 

あと、後半全然ライブ行けなかったけど、9mmがやっぱり最高で……

2/22のライブのセトリも超良かったし、4月のOOPARTSはシネマ三島セトリで……1曲目がpsychopolisで……ちょっと意味がわからなかったですね、マジで。

来年3月にactⅠの再現ライブやってくれるのもアツすぎる……しかもボトムライン!!!!

今やってる終わらないツアーにも行きたいな〜。

 

 

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◯観劇

 

0112*劇団た組『ドードーが落下する』@横浜

0126*天保十二年のシェイクスピア@名古屋

0209*劇団ゼロ『キャッシュオンデリバリー』@岐阜

0515*南極『wowの熱』@配信

0713*美しきまほろヤマトタケル各務原

0811*ほぐすとからむ@東京

1012*ここが海@東京

1012*血は立ったまま眠っている@東京

1109*チ。@名古屋

1130*南極『SYZYGY』@東京

1207*スリー・キングダムス@東京

1227*ゆうめい『養生』@横浜

 

(現地11本+配信1本=計12本)

 

 

うーん、少ない!

でもどれも面白かったな〜〜〜〜!!!!

 

もう一度観たいのは『天保十二年のシェイクスピア

これはとにかく曲が良くて本当にわくわくした!

 

加藤拓也さんの『ここが海』も、しみじみ良かった。

今年唯一ちゃんと感想ブログ書いた作品だけど、これは気持ちを言葉にしなくちゃと突き動かされるような作品だった。

 

ずっと配信で観てた南極のお芝居を、やっと生で観に行けたのも嬉しかったな。

ポップでキュートで、なぜだかわからないけどちょっと泣ける。

「今 ここ」のエネルギーに打たれて、「演劇」ってすごいや〜という気持ちになった。

 

 

あとリストには入れてないけど、高校演劇の中部大会で観た四日市西高校の『虹と意地のバンバラバン』もすごく好きだった。

バカバカしいんだけど、笑いながら何故かちょっと泣けてしまうお芝居が私は好きなんだな〜。

 

 

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◯映画

 

0614*ミッション・インポッシブルファイナルレコニング

0706*国宝

0813*ジュラシックワールド/復活の大地

 

(劇場3本)

 

ちゃんと観に行ったのはこの3本。

とくに『国宝』は、観た人がみんな「良かったよ〜!」と言っていたから観たら本当に良かった。

血とか芸ってなんなんだろうなと思いつつ、でもとにかく目の前にあるものが美しいんだ……。

 

そういえばテレビでは『サマー・ウォーズ』を人生で初めて観た。今更。

今まで散々ネットとかで観てたミームの元ネタが知れて新鮮だった。

個人的には主人公の友人の佐久間がヘキにぶっ刺さりましたね……友達ポジの明るいメガネが好き。

 

 

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◯お笑い

 

0330*こんにちパンクールの大ライブ@東京

 

 

大喜利集団「こんにちパンクール」の単独ライブ。

お笑い系のリアルイベント行くの初めてだったけど、冗談抜きで翌日に腹筋が筋肉痛になるくらい笑い転げた。

 

YouTubeでたまたま流れてきた「大喜る人たち」というチャンネルのショート動画をきっかけに大喜利を観始めて、こんにちパンクールに出会った。

 

「こんにちパンクール」は、アオリーカ、警備員、蛇口捻流、ジョンソンともゆき、田野、FAN(8月22日の彼女)、ぺるともの7人組で、本当に面白いのでおすすめです。

 

 

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◯野球関連

 

なし!!!!来季に期待!!!!!!!!!

 

今年は本当に配信でも全然野球観なくなっちゃった。

一応スポナビで結果を確認するくらい。

 

来季は涌井の試合を観に行きたい。

 

 

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以上!ふりかえり終わり!!!!

 

 

そういえば今年は、行ったことなかった土地にたくさん行けた年でもあった。

 

2月にはオワリカラを観るために茨城初上陸したし、6月は友達と和歌山に旅行したし、新婚旅行でドイツに行ったし、夫と北海道旅行にも行った。

ライブや観劇の遠征で知らない土地に観光がてら行くのも楽しいし、普通に旅行も好きだから、来年もいろんなところに行けたらいいな。

 

それでは、よいお年を〜!

『ここが海』に満ちた愛

 

10月12日(日) @世田谷シアタートラム

『ここが海』

脚本・演出:加藤拓也

出演:橋本淳、黒木華、中田青渚

 

 

【あらすじ】

岳人と友理は共に仕事をしながら、真琴を連れて日本各地のホテルやロッジ等を転々としながら暮らしている。

ホテルに長期滞在中のある日、友理の誕生日を祝う為にレストランを予約していた岳人は、性別を変更しようと思っていると友理から告げられる。 

 

 

 

を観てきた。

 

以下、思いつくままの感想。

自分語りもかなり混じった、勝手にいってるだけの何か。

 

 

 

一言で言うと、なんていうか………もう、ものすごい、愛の話だった。

 

 

2022年上演の『もはやしずか』も、加藤拓也脚本で橋本淳と黒木華が主演の夫婦のお話で、正直個人的には『もはやしずか』がそこまで刺さらなかったから今回もあんまり期待してなかったんだけど、結論から言うとめちゃめちゃ良かった。

 

まあ、違うお芝居だから感じ方が違うのは当たり前なのかもしれないんだけど、もしかしたら自分の状況が変化したからというのもあるのかな〜と思ったり……

 

私は『もはやしずか』を恋人と一緒に観に行ったんだけど、つい半年くらい前、その恋人と結婚して夫婦になった。

自分自身も「この紙切れ一枚で何が変わるんだ〜と思うけど、実際いろいろ違うよな〜」と思いながら婚姻届を提出して関係の呼び名を変えたから、夫婦の関係が変わっていく『ここが海』が刺さったんだろうか?

 

 

あとはとにかく、橋本淳と黒木華の会話が良すぎた。

脚本に書かれているであろう言葉の選び方も好きだし、書かれていないであろう部分を自然に表現する二人の技術が凄まじかった。「技術」とか言っちゃうと「演じてる感」みたいなのが出ちゃうかもしれないけど、実際は全然そんなの感じられなくて、本当に自然で、舞台上に生きてて、凄かった。

 

二人の娘役の中田青渚さんも、とってもチャーミング!

華奢な手足が10代の女の子〜〜〜〜〜〜!!!!って感じだったけど、実際は成人されてるんですね……完全に10代のクソガキ(褒めてる)でしたよ……

 

 

 

舞台上は、木目調の壁で覆われた一室。

中央のカーテンの向こうには廊下らしき空間。

 

 

ソファとベッドと作業台が一緒にある空間って不思議だなと思ってたら、開演してすぐホテルの部屋だとわかって納得した。

 

 

開演のアナウンスなどはなく、ほんのわずかに照明が変化して壁面に日付が標示されて、すぐに役者が入ってくる。

 

パソコンに向かう岳人(橋本淳)に、友理(黒木華)が進捗を問う。

気取らない親密な雰囲気の会話で「あ〜、この2人は夫婦なんだな〜」とわかる。

 

岳人が友理の手を握ってすりすりしながら日常会話を続けるのが、くすぐったい。

加藤拓也作品、こういうな〜〜〜〜んてことない「恋愛関係にある二人」の空気を捉えて舞台上に出現させるのが巧すぎるんだけど、本当に何???

 

会話から、二人ともライターみたいな仕事をしてる同業者なのかなと伝わってくる。

お互いがお互いをリスペクトしている、仲睦まじげな、友達みたいな夫婦。

 

でも、岳人が隣の部屋に行くたびに、友理は、ちょっと、纏う空気が変わる。表情が曇り、迷うような動きを見せる。

 

これは何かあるのかな、と思ったところで、理由が明かされる。

 

 

「話がある」と言いながらも、言い淀む友理の手を、岳人がそっと包み込む。

その手をやんわりと引き抜き、友理は岳人に告げる。

 

「自分は女じゃないかもしれない」

 

性別への違和感。

自覚したのは四年くらい前で、でも気がついてなかっただけでたぶんずっとで、ホルモン治療は今すぐにでも始めるつもりで、手術もいずれは考えていて、それで将来的には離婚を考えるっていう選択肢の可能性もあるわけで、でもそれは離婚したいってわけではなくて話し合って行きたくて、それで…………

 

互いに言葉を重ねながら、会話は進む。

 

岳人は混乱しながらも友理を理解し、受け入れようとしているように見える。

友理自身も混乱している。そして受け入れる姿勢を見せる岳人をやんわりと拒む。自分自身も不安なんだ、きっと。

 

 

気まずい沈黙とか、話せば話すほどすれ違っていくままならなさとか、そういう苦しい空気を作るのも、加藤拓也さんは本当に上手だなと思う。

と同時に、言葉でここまでのコミュニケーションができる夫婦っていいな〜とちょっと思ってしまった。

私は夫が大好きだけど、それでも時々衝突することはあって、そういうとき私はたくさん言葉を重ねてしまうんだけど、その言葉の量とペースが極端すぎて夫に「ちょっと待って、そんなにいっぺんにいろいろ言わないで」と言われることがまあまあある。(それは普通に相手のことを考えずに思ったことをばーっと述べ立ててしまう私が悪い)

だから、ままならない状況ながらも、お互いに会話のストレスに耐えながら話し続けられる(途中で「もう黙って!」とならない)のって、それだけで夫婦として成り立っていると言えるよと思ったりもする。

 

 

 

 

「真琴は?真琴にはいつ言うの?」

「今夜言おうと思ってるよ」

 

真琴は、二人の娘だ。

この時点では「マコト」という名前と17歳であることしか情報がなくて、男か女かもわからなくて、でも2人が「マコト」のことを大切に思っていることは伝わってくる。

 

 

結婚して、17歳の子供もいる、妻であり母である人が、男になる。

それっていったいどうなるんだろう?

 

 

そのあとのシーンで登場した真琴は、華奢な手足の可愛い女の子だった。

ちょっと海外っぽい雰囲気なのは、両親と共にホテル暮らしをしているからだろうか?(滞在しているのは国内だが)

 

 

真琴は高校には行かずに、広域通信制高校の授業を受けているようだ。

次の場面で教授のネット回線の悪さに苛つきながらノートを写真に撮ってアップロードするところが描かれる。

 

 

 

岳人と友理は、ホテルの部屋を分けることにする。

真琴は、母の告白を驚きながらも受け入れているようで、二人の部屋を行き来しながら過ごす。

 

真琴と岳人や、真琴と友理も、なんだか友達みたいな雰囲気だ。

「普通の家庭」とはちょっと違うかもしれないけど、でも家族としての愛や信頼はたしかにある。

 

 

でも、岳人と友理の関係は、どこかぎこちない。

真琴の存在が、岳人と友理を繋いでいるように見える。

 

 

それが少しまた変化したように感じられるのが、友理が岳人の日記を見たあとからだ。

岳人がいないときに部屋に訪れた友理が、たまたま開いていたパソコンにあった日記を見てしまう。

 

 

ところでこの場面、台詞が一切ないのにそれがわかるのすごいな〜。

岳人、カードキー持たないまま部屋を出ちゃって、フロントでもう1枚もらってきて部屋に戻るのね。

な〜んにも台詞ないのに、動きで全部わかる。

 

加藤拓也作品の、こういう観客への信頼が感じられる演出もすきだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜

照明変化と役者の動きだけでスッと場面が変わるのとかも、同じ信頼が感じられてだいすき…………

 

 

 

そして友理は、日記を見てしまったことを岳人に告げる。

かる〜い調子で「読んじゃった、ごめんね」と。

読まれたことに照れる岳人。

 

 

この直前には岳人と真琴の他愛のないやり取りや、耳ツボを押し合う謎の時間があって、会場もあたたかい笑いに包まれていて、その流れのまま、なんだかとっても良い場面に見える。

 

そういえば序盤から真琴は、ソファの隙間にお菓子のゴミをこっそり詰めて隠していて、それに岳人が気づいて、ソファの隙間からはたくさんゴミが出てきて、岳人は会話を続けながらそれをゴミ箱に捨てる。

その間ずっと真琴は、「母には話していない、岳人だけが聞かされる秘密」として、最近彼氏ができたことと彼氏と飲酒をしたことを話していて、岳人は「いや別に怒らないよ、怒ってないけど、ダメだよそれは」と言いながらゴミを捨てる。

 

なんかそれもとっても愛で、岳人ってとことん相手を受け入れようと努めていて、自分の気持ちは相手にぶつけないように気をつけているんだろうな〜と思う。

 

 

そんな岳人が、誰にも読ませるつもりはなく気持ちを綴った日記を読んで、友理はどう思ったんだろう。

 

 

 

岳人と友理の関係は、たぶん少しずつ変わりながら、続いていく。

 

そういえば友理はちょっとずつ声が低くなっていく。

服装や髪型は最初から中性的だったけど、ソファに座る姿勢もどんどん男っぽくなっている。

 

声はホルモン治療の影響かもしれないけど、ソファに座る姿勢は意図的なはずで、友理は意識して「男らしい」動きをしているんだろうか?

それともそれまでが意識して「女らしい」動きをしていて、今は「自然に」「男らしく」なっているんだろうか?

 

 

 

 

場面が変わって、もう少し時間が進む。

 

体調を崩していたらしい岳人。

友理に「薬を混ぜたお粥」を頼むが、友理は実は今まで一度もお粥に薬を入れてなかったことを告白する。

岳人はそれを食べて薬のおかげで体調が回復したと思っていたが、プラシーボ効果だったらしいことがわかる。

 

「薬ってあんまり身体によくないし」という友理は、今ホルモン治療をしていて、それによって身体が変化していて、もしかしたら気持ちも変化していて、それってどこまで「ほんとう」なんだろうかと思いながらこのやりとりを見ていた。

 

 

 

そして会話は、真琴にここでの友達ができた話を経て、次の滞在先である北海道のコテージの話題へと移っていく。

 

真琴が行きたくないと言ったら岳人だけで行けばいいと言う友理。

友理の発言に対してショックを受ける岳人。

 

 

お互いに「ごめん」と謝って、でもなんだか気まずい空気が流れて、突然の暗転。

 

 

 

真っ暗な中、波の音だけが響く時間は本当にこわかった。

序盤で岳人が「海に落ちたら周りが全部水なのが怖すぎるし、暗い海は恐ろしすぎる」と話していたのを思い出す。

 

 

 

照明がつくと、カーテンの向こうは雪景色になっていた。

 

雪の中に植物が生えていて、それに真琴らしき影が近づき、一枝折る。

 

室内に戻ると、そこはコテージのようで、さっきまでベッドがあった場所はキッチン、作業台があった場所はテーブルとチェアに変わっていた。

舞台装置がガラッと変わっていて驚いたけど、たぶん暗転中に壁をひっくり返したんだと思う。忍者屋敷のどんでん返しと同じ仕組み。

 

 

真琴は、アルミホイルを筒状に巻き、とってきた植物を電子レンジにかけて乾燥させて粉にする。

どうやら大麻をとってきて吸おうとしているらしい。

 

部屋から出ていく真琴。

そのあとから入ってきて、異変に気がつく友理。

友理は寝ていた岳人を起こして、外に出たらしい真琴を追う。

 

 

友理の服装はすっかり男らしくなっていて、髪型も少し変わっていて、でも真琴を叱る姿は「お母さん」で、見た目が変わっても娘に向ける気持ちは変わらないんだなと思う。

 

あと、友理と真琴が二人で話す場面で、友理が「岳人、絶対こう言うよ」と話していた内容を、あとから岳人が本当に全く同じことを言っていたのが可笑しくて、めちゃめちゃ愛を感じた。

 

友理は友理で、岳人のことを愛してるし、理解してる。

でも、自分のことを理解してもらえるかわからなくて、こわくて、関係を経とうとしてたのかな〜と思う。

序盤で離婚の話をしてたときも、「岳人は私が男になっても愛せるのか」という軸で話をしてた。

友理が悲痛な声で繰り返した「岳人はゲイじゃない」という言葉は、裏返せば「自分は性自認が男で岳人が好きだからゲイかもしれない」ということなのかなと私は受け取った。

 

岳人はずっと愛を伝えてるけど、友理にとってのそれは「女の私」に向けられているもので、でもそんな友理にずっと岳人は一人の人間として向き合おうと努めてる。

なんとなく友理は友理の中の自分と向き合っていて、岳人はそんな友理に向き合う自分と向き合っていて……みたいな構図のイメージ。

 

 

 

大雪でインタビュアーが来られないから、代わりに岳人が真琴にインタビューをする。

性転換をすることに関するインタビュー。

 

ボイスレコーダーを回して、質問リストに沿って敬語で話しかける岳人。

真琴に「敬語も質問されるのも違和感ある」と言われながらも「俺、真面目にやってるんだけど」と返す岳人。

 

真琴は今まで岳人に話していなかったであろうことも、インタビュアーの岳人に話していく。

岳人は、気がつくと敬語じゃなくなっていて、質問もリストに沿ってるかもしれないけど岳人自身の疑問のようにも聞こえて、だんだんインタビューではなく二人の対話になっていくようにも思える。

というか、もしかしたら、初めて、性別違和について二人が冷静にすれ違わずに正直に話せていたのかもしれない。

 

 

インタビューが終わると、岳人は一枚の紙を取り出す。離婚届だ。

岳人の分はもう記入してあって、あとは友理が書くだけの離婚届。

 

 

これを書いたら、もう結婚できなくなる。

家族じゃなくなるわけじゃないけど、家族とは呼ばれなくなる。

 

友理が決めたことのはずなのに、岳人の方がもう覚悟が決まっていて、友理はなかなか書くことができない。

 

そんな友理を、岳人は見つめ、そっと隣に腰掛け、包み込むように手を握る。

友理も、その手を返して、指を絡めて握り返す。

 

二人の肉体的な接触は、たぶん友理が性別違和を告白したあの日以来で、「あの日」の岳人のスキンシップは性的なコミュニケーションもかなり含まれていたけど、今のこの「手を繋ぐ」という行為は真摯に友理に寄り添う気持ちに満ちていて、友理もその手を握り返したことで岳人の気持ちを受け取れたんだなということがわかって、手を繋ぎながら離婚届にサインをする夫婦の姿は「愛」そのものだった。

 

 

ラストシーン、真琴の誕生日会の準備をする三人。

 

「飾り付け今年サボんない?」と不満げに言う真琴に対して、岳人はさらっと「真琴が三十歳になっても飾り付けすると思うよ、俺達は」と言う。

 

「俺達は」……「俺達は」なんだ…………岳人は、真琴の三十歳の誕生日も、岳人と友理で祝うつもりなんだ……………

友理はそれには触れずに会話は続いたけど、この言葉は友理にとってこの上なく力強いメッセージになったんじゃないかな〜〜〜〜

 

 

 

暗転して、舞台が終わる。

今まで観てきた加藤拓也作品は、途中で突然ふっと終わることが多かった気がするから、「ああ、絶対これがラストシーンだ」とわかる満ち足りた終わり方はなんだか新鮮だった。

と同時に、岳人と友理と真琴の三人の生活はまだこれからも続く気がして、終わってからなんだか涙が出た。

 

 

 

 

めちゃめちゃ良かったです、ほんとに。

 

 

 

終わってからすぐ、戯曲本とパンフレットを買った。

加藤拓也作品でパンフがあるのが久しぶりに気がして嬉しい。

 

自分の言葉で感想まとめるまで読んじゃいけない気がして我慢してたから、ようやく読める〜!

これを書くにあたって、台詞を確認するために戯曲本の方は中を見たんだけど、加藤拓也さんのあとがきと演出ノートが付録についてて「ウワーーーー!?」ってなっちゃった。

 

これからゆっくり読みます!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

一人じゃないヒトリエと、ヒトリエの一人について


1月11日(土) @名古屋 CLUB QUATTRO
HITORIE 10-NEN-SAI FINALE TOUR


に行ったんだけど、なんかもういろいろヤバくて…………いろいろヤバくて……………誰かに話さないとやってけないんだけど、安定の一人参戦だし、まだ大阪も東京も控えてるからあんまり大っぴらに話すのも憚られるし、とりあえずここに書き殴っておく。

レポにもなりきらない個人的な覚書。
セトリとかMCとか覚えてる限り書くのでネタバレ避けたい人は注意してください。

 


入場のSEがなんか聞き馴染みのないやつだった気がする。
かっこいい。

ガッツポーズで登場するシノダ。
満員のフロアを煽りながらギターを持つ。


一曲目SisterJudyからのモンタージュガールって、昔アプセで空きっ腹に酒と対バンしたときも同じ始まりじゃなかったっけ?
この流れ大好き!!!!

今日は下手側で、3人とも良い感じに見える位置だったんだけど、最初からイガラシさんがノリノリオラオラでひ〜〜〜〜〜ってなった。
あと、今日のイガラシはアイリッシュセッター!(イガラシ犬種判定bot
てか最近ずっと髪長めだからアイリッシュセッター…………何年か前はトイプーとかキャバリアのときもあった。

からのオンザフロントライン!
かっこい〜!
この時点で新旧織り交ぜてやってくれるのねという安心感。ありがとう。

MCはなんかシノダがいつもより上機嫌な気がした。
というか素直?
いつも名古屋は謎の半ギレのこと多いから……。
とにかく「こんなパンパンのクアトロ初めて。たくさん来てくれてありがとう」みたいなことをずっと言ってた。ず〜っと言ってた。後にこれが伏線になるのである……。


ここからは曲順あんまり覚えてない。
けど、個人的にめちゃめちゃヤバかったのがワンミーツハー。

去年の野音は仕事で行けなかったから、ワンミーツハーをやったとは聞いていたけど自分はライブではまだ観てなかった。

個人的にワンミーツハーは印象深くて、それはたぶんヒトリエをしっかり聴き始めるきっかけになった曲だからだと思う。
ワンミーツハー出た頃、たしか私は大学卒業間際で、パソコンでひたすらMVを観てた気がする。それまでもヒトリエの曲は聴いてたしライブも何回か観てたはずだけど、明確に「刺さった」のはワンミーツハーだった。

で、ワンミーツハーの何がヤバいって、初回限定版にインスト(ボーカル抜き)だけでなく、全部のパートを一つずつ抜いたバージョンが収録されていた。

↓こんな感じ
1. ワンミーツハー
2. ワンミーツハー(Instrumental)
3. ワンミーツハー(non-wowaka)
4. ワンミーツハー(non-shinoda)
5. ワンミーツハー(non-ygarshy)
6. ワンミーツハー(non-yumao)

しかもDISC2には、それぞれの手元を映した映像付き。
「さすが『弾いてみた』やってた人たち……おたくの需要をわかっている……」と思った記憶がある。

で、それの何がヤバいって、抜けることによって余計に意識するんですよ、その抜けたパートを。
聞こえるはずの音が聞こえない、「不在の在」とでもいうのかな……むしろ、ない音が聞こえてくるというか……とにかくヤバくて大好きなんですよ、私はそのシングルが…………


で、今日のワンミーツハー。
3人になっての初めてのワンミーツハー。

ものすごく正直な感想としては、「3人」だなというのを嫌でも意識してしまうワンミーツハーだった。

4人時代の曲を3人でやること自体に対しては私はとても肯定的で、むしろやってほしい曲がたくさんある。
そして3人でやる4人の曲も最高だなというのがいつもの感想だった。

強いて言うなら最初はシノダのピロピロギターとうろうろ大暴れがないのが寂しかったけど、最近のシノダはギターボーカルとして立派に歌いながらギターヒーローしてるから大満足だった。


でも、今日のワンミーツハーは、なんだかとてもショックというか…………私の知ってるワンミーツハーと全然違って、wowakaさんがいないことを突きつけられる、そんなステージだった。
もちろん曲もアレンジもシノダの声もめちゃめちゃ良いんだけど、でもやっぱり不在を強く感じてしまった。


まあ、そんなセンチメンタルな気持ちは次のワールズエンド・ダンスホールで吹っ飛ばされるんですが。

ワールズエンド・ダンスホールは全然違うベクトルのヤバさ。
てか去年のクアトロでいきなりかまされて「まじかよ!?」ってぶち上がったから今回も覚悟はしてたけど、でもなんか入りがいつもと違って、「シャッタードール? トーキーダンス?」と思ったら「わーーーーーーーーーるずえんどだんすほーる!!!!!!」って感じだった。

ここ、前に出てきて弾くシノダとイガラシが、完全にミクとルカ姉でしたよね……私には見えました…………

 

で、たしかこのへんからしっとりした曲になったと思うんだけど、イガラシとゆーまおのコーラスがめちゃめちゃ良かったの何だっけ……良かったことしか思い出せない…………

あと、daybreak seekerがウルトラ良かったです。
手招きするシノダの色っぽさよ…………
このときのピンクの照明が美しかった。名古屋クアトロ、劇場でいうプロセのとこに客席振りで設置してあるLEDに乳白色の拡散フィルター入れてあるのが超良かったです。客席に当たっても眩しすぎず色が綺麗に見える……。


あと、シノダがいそいそとマイクをスタンドから外してシールド手に持ち始めたから何かと思ったらselfy charmでした。最高。だいすき。


ジャガーノートは赤と青の照明がカッコよかった。
私、どこかで見かけた「ジャガーノートはシノダのイメソン」ってやつ、ほんまそれと思ってて…………新しめのヒトリエの曲で一番好きかも……今までもライブで観たことあったけど、今日マジでカッコよかったです……


今日のシノダののびのび感は、やっぱりお客さんいっぱい入ってて、反応も良かったってのもあるのかな。
めちゃ野次飛ばすメンズが何人かいて、シノダはそれをあしらいながらもまんざらでもない感じだった。


と、思ってたら…………、と思ってたらだ。

アンノウン・マザーグースの大合唱を終えたフロアに向かって、シノダが言った。

「今のヒトリエを一番見てほしいヤツがいるんだけど、今日も来なかった。去年一年あれだけ頑張ってやってたけど、一度も来てくれなかった。きっとこれからも現れることはないと思います。あいつがいない時間の方が長くなって行くでしょう。皆さん、あいつの分まで見届けてください。」

細かいところはうろ覚えだけど、こんなようなことを言った。

途中で、wowakaさんのことだとわかった。

そして始まるNOTOK


戯言たちは風任せ
息を呑んだ少女、夢任せ
嗚呼、
終いにこの街の色も
誰も気付かれず変わるのでしょう

振り出しまで戻れどまだ
息を止めることはできないな
誰一人と視得ないのは
誰一人あたしじゃないから

宵闇を切る鴉と
朝に怯える声も
もう良いよ、って
確かめたくて
あの娘を探してる

その果てに観た答えを
この心にくれよ
それが誰かを傷つけたとしても

それでも人は続く
呼吸をやめるまで
その声を焦がし尽すまで
あの娘の夢が覚め
空が白むのなら
この戯言だって良いだろう

数秒で終わる世界を
何処まで続けたいんだ
正解不正解なんて
あたしの中にしかないわ

 

シノダが歌う歌を聴きながら泣いた。
声をあげて泣いた。
この歌詞をシノダに歌わせるwowakaと、歌うことを決めたシノダと、演奏するイガラシとゆーまおを思って泣いた。

wowakaさんの歌詞をシノダが歌うことによって、wowaka本人が歌っていたときとは違う意味を感じることは今までにもあったけど、さすがにこの世界は残酷すぎないか!?


誰にも知られずいなくなったwowakaさん。
それでも歩みを止めなかったヒトリエ
wowakaを失っても彼の言葉は残り、ヒトリエも続く。
でもヒトリエは、wowakaを失った穴を背負い続ける。
誰も立ち止まってなんかいないけど、誰もwowakaの代わりはできない。
代わりを探してもwowakaじゃないと意味がない穴をずっとどこかに抱えてる。
その果てに答えなんてあるんだろうか。
心の穴が埋まる日はきっと来ない。
それでもヒトリエは続く。
シノダが歌うと決めたから。
イガラシがそう言ったから。
ゆーまおもそれに続いたから。
ファンもそれを信じようと思えたから。
いつか終わりの来る日々の答えを知ってる人はもうこの世界にいない。


こんな残酷なことってあるか!?
結局私は、私たちは、wowakaのいない世界を生きるしかない。

この曲めちゃめちゃ、めちゃ好きだし、最初に聴いたときはここまで思わなかったのに、なんか今日はぶわ〜〜〜〜っとなっちゃった。


3人のヒトリエしか知らない人にとってはどうなんだろう。
私はwowakaさんがいるヒトリエを知ってるからこう思うだけなんだろうか。
というか4人の方が印象強いけど、活動年数としてはもうほぼ同じなんだよな……でもやっぱり3人になってからのほうが、wowakaさんのことをたくさん考える気がするよ…………


本編ラストはイメージだった。
「こんなのさあ 意味はあるのかい?」
歌い初めの歌詞が泣いたあとの脳みそに染み渡る。

 

というわけで本編が終わってからは呆然としていたけど、アンコールで出てきた3人のいつものゆるゆるトークで笑ったら、この気持ちは一旦忘れてしまった。

ヒトリエのこのアンコールの物販トーク、いいですよね。

シノダパーカーは「サムライスピリッツ」リスペクトらしい。
その話を聞きながらゆーまおさんが爆笑してたのが面白かった。

イガラシプロデュースのゆーまおロンTの写真は、野音のこのアンコールのトークのときにカメラマンの西槇さんが「アナログで三連になるように撮った」一枚。
西槇さんは9mmのライブ写真やアートワークも手がけてる人なんだけど、こないだ9mmのYouTubeでも「デジタル加工で何でもできちゃう時代にアナログでいろいろ挑戦してる人」って紹介されてたから、「これもか〜!!!」って感じだった。(9mmのジャケ写だと、フィルムを電球で焼いて?独特な模様を出したり、ロゴを実際に海で燃やしてそれを写真撮ったり)

あと、ゆーまおさんがラーメン二郎でゆーまおTを着た男子大学生に遭遇してハラハラした話も面白かった。
自分は野菜マシで限界だったのに、ゆーまおT男子は「全部マシマシで」とさらっと注文していた頼もしさに胸を打たれてたのおもろすぎる。


アンコールはセンスレス・ワンダー!
からのYUBIKIRI!!!!!

 

泣いて笑って怒って吐いて吸って吐いて
意外と僕らそんな暇じゃない忙しい
それじゃ今日はここでおしまい
だからまた声聞かせて
もし消えたくなったら
誰より先に
僕に知らせてくれ

 

この歌詞すきだな……
泣いちゃったのバレたかと思った……
いや、誰よりも本人たちが泣いてるからこういう歌詞が書けるのか?

 

今のヒトリエも、過去のヒトリエも、ぜんぶ大好きだなと思った日でした。
アルバムも楽しみ〜!!!!!

終わります。

 

 

2024年観たもの行ったものまとめ!


今日が大晦日って本当ですか?
もう2024年終わる????

全然実感はないけど、恒例の一年振り返りまとめ!


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ライブ参戦

0128*GUILTY×GUILTY/twinpale/他@川崎
0208*9mm/BIGMAMA@名古屋
0209*9mm「VAMPIRE」再現@名古屋
0211*後藤まりこ@名古屋
0217*ストレイテナー@大阪
0218*ストレイテナー@名古屋
0225*sukida dramas/猫を堕ろす@名古屋
0304*9mm「VAMPIRE」再現振替@名古屋
0413*OOPARTS
0414*OOPARTS
0506*ヒトリエ@名古屋
0609*空きっ腹に酒×愛はズボーン@大阪
0715*ヒトリエ@大阪
1121*シノ鉄@岐阜
1222*twinpale/他@東京
1231*9mm×アルカラ@東京
1231*HEROINES COUNTDOWN 2024-2025@東京

(ライブ15本+フェス2日間=計17本)

ライブの本数はかなり少なめ。
でも大好きバンドがたくさん観れてとっても楽しかった!
こうやって見るとひたすら9mmテナーヒトリエだな……。

今年は夏が仕事で忙しかったので夏フェスに一度も行けなかったのが心残り。
中津川ソーラー武道館がなかったのも大きいかも。

どのライブも最高だったけど、印象深いのは9mmのVAMPIRE再現ライブと、誕生日にアイドルイベント行って特典会で「おめでと〜♡」って祝ってもらったこと!
とくに9mmの名古屋BOTTOMLINEのライブ3本は、本当に本当に最高だった〜!9mmの全員が曲に夢中になってるモッシュピットだいすき!

今日は今から9mm×アルカラの「アブノーマルに火をつけて」からの、アイドルイベントで年越しです!
「アブノーマルに火をつけて」は、9mmの新しいアルバムがマジで良すぎて年明けまで待てないから行くことにした!お馴染みのZeppダイバーシティ!ところで気がついたらゲストボーカルもりもりでびっくりしたんですけど、これほんとに2時間で終わる?
そして汗だくぐちゃぐちゃでアイドルちゃんに会いに行くの恥ずかしいんですけど、汗だくぐちゃぐちゃにならずに9mm観れる気がしないので、開き直って両方楽しむぞ〜!


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観劇記録

0113*ジャズ大名@名古屋 ※公演中止
0113*劇団彗「創作廃人クリエイターズ・ハイ」@岐阜
0125*20歳の国「長い正月」@配信
0127*劇団やるせない「カルヴァドス・ポム・ド・イブ」@岐阜
0127*劇団のりしろ「トランス」@岐阜
0203*劇団ゼロ「七人の語らい」@岐阜
0203*劇団du「伝説の殺し屋田中」@岐阜
0211*劇団芝居屋かいとうらんま「ジュリアーノ警部シリーズseason3EP6『愛と欲望の銃弾』」@岐阜
0223*安住の地「あかり。」@神戸
0309*テラヤマキャバレー@大阪
0316*試験管ベビー「二度見、三度見。」@名古屋
0428*デカローグ@東京
0504*カラカラ天気と五人の紳士@岡山
0518*stage reading「a bright new boise」@神奈川
0602*柿喰う客「殺文句」@東京
0608*忍ミュ第14弾
0721*加藤拓也キッズプログラムKAAT「らんぼうものめ」@神奈川
0811*NAGOYA演劇SEKIGAHARA(指先ペロペロキャンディー/ハコトバコ/劇の虫/右脳中島オーボラの本妻)@名古屋
0907*ノラ「来来来来来」@京都
0907*劇団彗「ペリカンは眠っている」@岐阜
0920*オイスターズがささしまライブの公園でつくる野外劇@名古屋
0921*NODAMAP「正三角関係」@大阪
1019*指先ペロペロキャンディー「怨念がおんねん」@岐阜
1026*高校合同公演「ガンバ!」@岐阜
1104*朗読劇「泣いた赤鬼」他@岐阜
1104*Oi-SCALE「阻む壁」@東京
1109*試験管ベビー「あいやしばらく!」@名古屋
1110*青森中央高校「もしイタ」@岐阜
1222*ハイバイ「て」@東京
1230*南極ゴジラ「バード・バーダー・バーデスト」@配信

(現地28本+配信2本=計30本)


今年ほんとに仕事が忙しくて全然観れてない気がしていたけど、こうやってまとめるとまあまあ観てるな〜。

1月のジャズ大名が公演中止になってしまったことが今でもショックだ……観たかった…………。

どれも面白かったんだけどマイベストを一本だけ選ぶなら、配信で観た20歳の国「長い正月」かもしれない。
とある家族の100年を定点観測するお芝居で、シームレスに時を超えて行く脚本と演出がめちゃめちゃ良かった。演技も自然で丁寧でさりげなくて、でも演劇的な面白さもあって、めちゃめちゃ良い。
年末年始に合わせて再配信されてるから年始に観たい!みんなも観てくれ!!!!
https://www.confetti-web.com/events/5375

あと、ここには書いてないんだけど、高校演劇の全国総文で観た東播工業高校「廻る」も大好きだった。
ある観覧車を舞台に、時空が巡り、人間関係もぐるぐる回りながら変化していくお話。男の子たちの無邪気なやりとりとそこに滲む切なさがたまらなかった。
私こういう定点観測で人間を描くお芝居好きなんだな、きっと……。

来年の観劇初めは劇団た組「ドードーは落下する」!
初演はそこまで響かなかったんだけど、だいぶ書き換えられてるらしいし、キャストも変わってるから楽しみ〜!

 

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野球関係

0607*中日×楽天バンテリンドーム(先発:涌井)


現地に行ったのはこれだけ!
ランナー涌井が観れてテンション上がった!

金子侑司選手の引退試合は、二泊三日の出張と重なってしまって、出張先で泣きながら観た。うそ、楽しく野球やってる金子侑司さん観ながらにこにこだったかもしれない。
金子侑司さんのトークショーとかまた行きたいんですけど、なんとか仕事の都合つきやすいところにならないかな……。

西武ちゃんは弱すぎて笑うしかなかったので、来季はもうちょっと頑張ってほしいです。


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映画鑑賞記録

●0101*翔んで埼玉〜琵琶湖より愛を込めて〜
●0103*窓ぎわのトットちゃん
●0107*ゴジラ-1.0
●0107*鬼太郎誕生ゲゲゲの謎
●0108*ゴジラ-1.0 4dx
●0114*カラオケ行こ!
●1219*劇場版忍たま乱太郎ドクタケ忍者隊最強の軍師 前夜祭
(舞台挨拶ライブビューイング付き上映)
●1229*劇場版忍たま乱太郎ドクタケ忍者隊最強の軍師

(劇場8本)

見返してみたら極端すぎてびっくりした。
年末年始だけ映画観に行く人?

観に行ったやつはどれも面白かった!
劇場版忍たま乱太郎はたぶん年明けも観に行きます。
なぜなら私は13年前の忍たま映画でカムバックした人間なので……。あとドクタケミュージカルが楽しすぎて、そのためだけにまた観たい。

配信では観たことあるやつしか観てないので記録してない。
具体的にはひたすらジュラシック・パークシリーズを何度も観ていた。

今、観に行ってなさすぎて何がやるのかもよく知らないから、面白そうなのがあれば教えてほしい。

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以上!
2023年の振り返り終わり!

もうすぐ新幹線が品川に着く〜!
アブノーマルに火をつけてもヒロインズカウントダウンも楽しみ!

来年も無理せず無茶するぞ!
良いお年を!!!!

 

ノラ『来来来来来』に満ちていた何かの話

 

9月7日@THEATRE E9 KYOTO
ノラ 第二回本公演『来来来来来』

【脚本】本谷有希子
【演出】しおと、ひかり
【出演】星元裕月、村井萌、丹下真寿美、中村彩乃、土肥希理子、延命聡子、アイウエあおい


を観てきた!


観劇のきっかけは出演者の中村彩乃と土肥希理子。
二人は京都出身の俳優で、一時期は同じ学生劇団で活動していて、今も精力的にいろんなお芝居に出演してるんだけど、学生時代から今までたぶん一回も共演したことがなかった。
私は二人のファンで、それぞれの活動を追いながらずっと「共演してほしいな〜」と思ってたから、今回ようやく!!!!念願の!!!!初共演!!!!しかも本谷有希子脚本!!!!!!!ということで大喜びで観に行った。

本谷有希子作品も、小説では読んだことあったけど、生で観るのは初めて。


結論から言うと、ものすごいエネルギーに満ちたお芝居で、意味不明なのに妙に惹き込まれて、めちゃめちゃ良かった。


以下、ネタバレありの覚え書き。
個人的な感想メモ。

 

終演後にデジタルパンフレットを購入したけど、自分の感想まとめてから読もうと思ってまだ開いてないです。

 

 

舞台上には背の高いフェンスがたくさんと、中央に四角い箱がひとつ。
フェンスは自由自在に動き、様々なシーンを形作る。
四角い箱は、あるときは麩を揚げるフライヤーに、あるときは食卓に、あるときは棺桶に姿を変える。

全体的に無機質で閉塞感があるイメージ。
とくにキャストがフェンスに囲われると、本当に檻に入っているようで恐ろしい。

 

私はこのお芝居を、愛を求める女たちの群像劇だと思った。


主人公の蓉子(星元裕月)は、新婚1ヶ月で夫に逃げられ、狂った姑の世話を、狂いかけの小姑から押し付けられる。
明らかに大変な状況で、事態はどんどん悪化していくのに、蓉子はそれを受け入れ続ける。


誰かに褒められ、必要とされたい主人公の蓉子。

夫を愛し、次男を愛すも、両者に逃げられ、執拗な嫁いびりをする姑・光代。

母に愛されたいが愛されず歪んだ長男の暴力受けながら姑の我儘を聞き続けるが、それでも夫を捨てられない小姑・千鶴子。


自分の望む愛が得られず、でも愛されることを諦められない夏目家の女たち。
そんな壊れかけの夏目家に出入りする他の登場人物たちも、また歪んでいる。


義父に愛されたくて悶え苦しむアキ。

すべての男に愛を与える”あそこが優しい“女・ヒロ子。

学校でいじめられて夏目家の野鳥園に通うみちるは、まだきっと愛を知らない。

 

登場人物たち全員がちょっとずつ狂っていて、設定だけ見たら誰にも感情移入できないのに、観ていると全員の気持ちがわかって不思議な感覚だった。
リアリティがないのにリアルなのは、生身の人間が内包するパワーなのか? それとも役者の技量の高さか?


役者は全員ものすごい存在感だった。

蓉子役の星元裕月さんは声がめちゃめちゃ良かった。
あとお顔がとにかく端正で、横顔が美しい。
序盤のおずおずとした態度から、中盤の吹っ切れたような明るさ、そして終盤の自分自身を解放した姿への変貌が凄まじかった。

光代役の延命聡子さんもすごかった。
じろりと相手を睨みつけ、曲がった背中で足を引きずりながら歩く姿は醜悪な老婆そのもので、ものすごく怖かった。
だからこそ終盤の呆けた表情がショッキングで、蓉子とのやり取りが映える。

千鶴子役の丹下真寿美さんは、明るく無邪気な口調でさらっとおかしなことを言うのが怖い。一番わかりやすく狂っていたのは彼女かもしれない。

アキ役の土肥希理子はとにかくチャーミング。
笑うと目尻と口角がくしゃっへにゃっとするのが可愛い。
それでいて疼く身体を持て余し、身悶える様は色っぽい。
私は彼女を10代の頃から知っていて、こういう大人の女を演じるところも何度も観てきたけど、やっぱり年齢を重ねた方が魅力的に演じられる役というのはある気がして、それが今日観たアキだった。
あと全然関係ないんですけど、お手々ちいさくて可愛いな?と思いました。何だこの感想。

殺伐としたお芝居の中で、このアキと、中村彩乃演ずるヒロ子のやり取りが癒しだった。
個人的に中村彩乃のヘラヘラした役が大好きだから、ヒロ子が終始ヘラヘラしてて最高でした。
でも「嫌いな人とかいないの私」って笑うヒロ子は、自分のことが嫌いなんじゃないだろうか。
愛を欲しがる女たちの中で、このヒロ子だけが愛を与える側で、でもそれでいて一番孤独なのは彼女だったのかもしれない。

みちる役の村井萌さんは、身体つきから若さを感じた。
役者さんたちの実際の年齢を知らないけど、一番若く、幼く、健康的に見えた。
蓉子を慕いながらも痛いところを指摘する若さというか青さというか残酷さというか……彼女の言葉で蓉子は揺さぶられる。

男役のアイウエあおいさんは、ほとんどセリフのない「男」という概念の役だったけど、でもこの役にも肉体を与えるのは演出として必要だったと思う。
難しい役どころだよなぁと思っていたら、アフタートークで「中村彩乃さんが別の作品で『木』を演じるときに言われたというアドバイスを参考に、自分は『川』のつもりでいた」という話がとても面白かった。

 


物語のキーとなるのは姑の飼っている鳥たちだ。
姑が夫に愛されるために作った野鳥園。


冒頭、蓉子と千鶴子は絞めたニワトリの羽をむしっている。

光代は鳥たちを可愛がりながら、毎日「粗末にしていい命」を決めて食卓に上げる。

そんな光代を、千鶴子は糾弾する。
「お義母さんの可愛がり方は異常ですよ!SMですか?カニバリズムですか?」
そうして激昂した光代の目の前で、千鶴子はクジャクを揚げ殺す。


蓉子と夫の純愛の象徴であり、光代も大切にしていたクジャク


クジャクのオスは羽を広げて求愛する。
でも、戯曲の女たちは男からの愛を求め続けているのに、男から求愛されることはない。

作中で2回出てくるクジャクを揚げ殺すシーンは、求めても手に入らない男からの愛への脱却なのか執着なのか……

そういえば蓉子は、クジャクの尾羽根で作った髪飾りを大切に頭につけていた。クジャクの尾羽根、蓉子の求める愛の象徴。
でも、姑に頭を撫でてもらった蓉子は、髪飾りをみちるに譲る。
蓉子は自らの求める愛を手に入れたということだろうか。

 


アフタートークで、「どこを起点に役作りをしたか」という質問に対して、土肥希理子さんが「義父の前で、油に腕を突っ込み、塗りたくるシーン」だと話していた。
最初はアキがどうしてそんなことをしたかわからなかったが、稽古をしているうちに千鶴子の「あんたも油に入れば変わるわよ!」という言葉を受けてだと気がついたということも。
私は普通に観ててそういうことなんだろうなと思ってたから答え合わせができて嬉しかった。

千鶴子はクジャクを揚げ殺した後、煮えたぎる油の中に飛び込み、両足を大火傷することで夫からの優しさを手に入れた。
だが、熱されていない油に腕を突っ込んだアキは、義父からの愛を得ることができない。
蓉子が「地獄みたい」と言った、熱い油とこの家や地域に渦巻く異常さ。自分の中にある「地獄」に自ら突っ込む覚悟がないと、何も変えられないんだろうか。


同じ質問に対して、中村彩乃さんは「みちるに対して『えへへへへ〜』と返すところだ」と答えていた。
このみちるとヒロ子が生卵を飲みながら話すシーンは、個人的にこのお芝居の中で一番好きな場面かもしれない。

聞かれたくないことに対して曖昧な笑みで誤魔化すヒロ子。
中村彩乃はヒロ子を「生卵のように、外側は硬いけど殻が破られると中は脆い」と言っていた。演出のしおと、ひかりさんとのやりとりの中で「ヒロ子は身体は渡しても心は渡さない」とも言われていて、なるほど〜と思った。

終盤のカオスの中で、「お腹が痛い!死にそう!」と叫ぶ人々を見て嗚咽するヒロ子の姿がフラッシュバックする。
そういえば生卵って妊婦は食べないほうがいいんだよね。
男性をナカに迎え入れた結果、内側から身体が変わっていくことを、ヒロ子はどんなに恐ろしく思っていただろう。

 

抑圧されていた何かが決壊する瞬間が、たくさんあるお芝居だった。
不条理な会話は意味不明なのに妙に胸に響くし、殺伐としているのに可笑しくなっちゃう。
不快なはずの場面が妙に心地良い不思議。

カオスの向こうにあったラストシーンは、意外なほど静かであっけない。


女たちの苦しみは無限にあって、人間の業は計り知れないほど深く、満たされない心や身体を抱えて今日も生きていくしかない。
登場人物たちが私の分まで暴れてくれていたから、観ていて清々しかったのかもしれない。


まとまらないけど終わります!!!!