エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

夢の記録をつけることに関する考察

数年前から夢日記をつけている。
この場合の「夢」は、寝ているときに見る夢のことだ。
「日記」といっても毎日詳細に記録しているわけではなく、印象的な夢のときだけ、スマホのメモにちょこちょこっと打ち込む程度である。
起きても覚えてるくらい印象的な夢は、ストーリー性に富んでいて映画のようだったり、漫画やアニメのキャラクターが現実の知り合いのように登場したり、意味不明な恐ろしいことが起きたり、ちょっと性的だったりするような、そんな夢だ。

寝起きのぼんやりした状態で曖昧な記憶を頼りに書くので、あとから読み返すと意味不明な単語の羅列ということも珍しくない。
今でもはっきりと夢の中の光景を思い出せるメモもあれば、すっかり忘れていて何のことやらわからないメモもある。


私が夢日記をつけ始めたのは、単純に面白い夢を記録しておきたかったからだ。
そして実際、自分のつけた夢日記を読むのはとても面白い。


夢日記をつけることに関するメリット・デメリットはいろいろあるらしいが、「気が狂う」とか「明晰夢が見れるようになる」とか、そういうことに関する実感はない。


ただ、思ってもみないところで、「もしかしてこれは、夢日記をつけているからか?」と思うことがある。

 

それは、ライブのMCの覚え書きができるようになったことだ。

 

大学生の頃から、年間20~30本のライブに足を運んでいるが、いわゆるライブレポのようなものを書くのはあまり得意ではなかった。
興奮のせいか、セットリストもMCも全然覚えていられなくて、後から他の人の書いたレポを読んでやっと「そうそう、こんなこともあった」と思い出すくらいだった。


それが、いつの頃からか自分でMCレポができるようになった。


ライブ中にスマホを弄ったりメモをとったりはもちろんしないので、書くのはライブ終了後だ。

ライブハウスを出てから、まずは覚えている範囲でスマホのメモあるいはTwitterにMCを書き出していく。
順番は気にせず、とにかく覚えているところ……というか、覚えておきたいような可愛かったり面白かったりした言動からどんどん書き出す。
そうすると最初は断片的な記憶しかないが、書いているうちにだんだん思い出してきて、細かいやり取りが蘇ってくる。


この作業が、夢日記をつけるときに似てるなと思うのだ。
ちょっと前にある友人から「どうしてこんなにMC覚えていられるの?」と聞かれて、そう思った。

もしかしたら夢の記録をつけることで、曖昧な記憶をたどっていく力が鍛えられたのかもしれない。


元々MCレポを始めたのも、ライブに来れなかった友人のためだ。
だから、夢日記もMC記録も、「残したい」「伝えたい」という思いが根本にある。

そして、MCをどこかに文章で残しておくと、より印象に残るからか、実際に見た景色も忘れづらくなる気がして、最近は意識してライブ終了直後にメモを残している。


ただ、夢と同じで、直後に言葉にしておかないと忘れてしまう。

まあ、ライブも夢みたいなもんだしな……とも思う。


何にせよ言葉にしておくことは大事だし、楽しいから、夢を記憶するためにも夢の記録は続けようと思った。


ということを、言葉にして記録しておこうと思って書いた。


記憶力を鍛えたい人は、夢日記をつけてみるのもいいかもしれない。

 

ちなみに最近の私の夢日記はこんな感じ。
一行目が勝手にタイトルになるんだけど、すでに意味不明で、中を見るまで何も思い出せないのが面白い。

 


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今、全人類に忍ミュ第10弾を観てほしい理由

 

忍ミュ第10弾がヤバい。

"忍ミュ"とは、『忍たま乱太郎』のミュージカルだ。


私が忍ミュを初めて観たのは第4弾初演。
それから今まで毎年観劇を続けており、つい先日、第10弾を観に行ったのだが、これが!もう!はちゃめちゃに面白かった!!!!
忍たまが好きで、忍ミュが好きで良かった……という気持ちになったし、今まで忍たまや忍ミュにあまり触れたことがない人も是非観てほしいと思ったので、勝手にプレゼンしたいと思う。

 

忍たま乱太郎』を知らない人はいないだろうが、忍ミュを知っている人はごく一部かもしれない。
忍たまのミュージカル」というと、子ども向けの着ぐるみショーを思い浮かべるかも人もいるかもしれないが、それともまた違う。

忍ミュは、大きなおともだち向けの、いわゆる"2.5次元ミュージカル"だ。
メインは6年生をはじめとした上級生たちで、歌ありギャグあり殺陣ありのオリジナルストーリーが展開される。
2010年の第一弾初演から、毎年冬ごろに初演、夏ごろに再演というペースで今日まで10年間毎年欠かさず上演が続いてきた。
そして、2019年5月、ついに第10弾初演の幕が上がった。

 

 

第10弾のおすすめポイント①
「ストーリーがわかりやすく、面白い」

忍ミュは、一話完結のミュージカルオリジナルストーリーだ。
だから前作を観てなくても、忍たまをよく知らなくても全く問題ない。

今回の忍ミュ第10弾のあらすじを簡潔に説明すると、「忍術学園の大運動会に、学園長の命を狙う暗殺者が紛れ込む話」である。

今までの忍ミュだと、新たな登場人物が敵か味方かわからなかったり、敵の本当の思惑がわからなかったりするまま話が進んでいくことが多かった。
その点、今回の忍ミュでは、全員の目的が最初からはっきりしている。

運動会で一番になりたい忍たまたち。
運動会の混乱に乗じて忍術学園の乗っ取りを狙うドクタケ忍者たち。
そして、運動会の混乱に乗じて学園長の命を狙う暗殺者たち。

ドクタケ忍者たちの目的がややぼんやりしているようにも思えるが、彼らは今回完全にギャグパートなので、ストーリーに支障はない。

だから、登場人物も場面転換も多いのだが、「あれ?今これ何の話だっけ?」と迷子になることなく、ずっと集中して観ることができるのだ。

しかも、話がめちゃめちゃ面白い。
運動会の競技の様子も面白いし、暗殺者との攻防戦も面白い。
さらに実際に舞台上で行われる競技によって得点が決まる場面もあるので、どうやら日によって総合点や優勝チームが違うらしい。

 

 

第10弾のおすすめポイント②
「ギャグとシリアス、歌と殺陣のバランスがいい」

今までの忍ミュはギャグもありつつ、ややシリアスの割合が高い印象だったが、それと比べると今回はかなりギャグが多い。
そもそものベースが「忍術学園の大運動会」である。この時点で基本は気楽に楽しめるエンタメなのだ。
しかも、前述の通り全員の目的がはっきりしているので、ギャグパートでも話が脱線することなく、素直に楽しく観ることができる。

一方、ストーリーの軸となるのは「学園長の命を狙う暗殺者が紛れ込む」ことだ。
敵役がへっぽこおとぼけ忍者であることも多い忍たまだが、今回の敵役はガチで"デキる"暗殺者たちである。
彼らが出てくると、話が一気に引き締まる。
しかし、やはり基本はエンタメなので、シリアスに傾きすぎることはない。


また、運動会の中では仲間との絆も描かれる。
同級生同士の絆、先輩後輩の絆など、思わずほろりとしてしまうような場面もある。


この全体のバランスが絶妙すぎた。
個人的には、原作やアニメのバランスにかなり近いと感じた。


また、ミュージカルなのであらゆる場面で突然歌ったり踊ったりし始める。
ストーリーの中のどの部分を歌で、どの部分をダンスで表現するかのバランスも良かった。
ミュージカルだと時折とても大切な台詞が歌にのせられているせいで聞き取れなくてストーリーがわからなくなってしまう悲しい事故が起こるが、そんなことも一切なく、しかも曲も全てとても好みで嬉しかった。

さらに、忍ミュは殺陣(バトルシーン)があるのだが、この殺陣も長すぎず短すぎず、全員に見せ場があって、このバランスもたいへん良いと感じた。

ちなみに忍たま達には皆それぞれ得意の武器がある。
刀での殺陣だけでなく、槍や苦無(クナイ)、縄錘(じょうひょう、縄の先に重りがついた武器)や、フンドシなどでのアクロバットな殺陣は観ていてとても面白い。
これも忍ミュならではの楽しみだ。

余談だが、忍ミュにはJAE(ジャパンアクションエンタープライズ)所属の方も毎回たくさん出演されている。特撮などで活躍する、アクション・スタントのプロフェッショナルだ。
だから山田先生やドクタケ忍者達の殺陣は本当にすごい。めちゃめちゃかっこいい。一見の価値ありだと思う。

 

 

第10弾のおすすめポイント③
「最後はめでたしバンバンザイ」

これは第10弾のというか忍ミュ全てのおすすめポイントなのだが、最後は必ずハッピーエンドである。

どんなにシリアスな展開であろうが、必ず「今日も色々あったけど 最後はめでたしバンバンザイ♪」と歌って踊って終わるのだ。
だから安心感がすごい。これぞエンタメだと思う。

 


第10弾のおすすめポイント④
「俳優さんが良い意味ではじけている」

歌って踊るミュージカルには、一糸乱れぬダンスやハーモニーを売りにしているミュージカルも多いと思うが、忍ミュはどちらかというと同じ振付でもキャラによる個性が重んじられており、その差異を楽しむタイプだ。

だからそれぞれがそれぞれに「そのキャラらしい動き」をしていて面白い。

また個人的には2.5次元舞台をはじめとしたメディアミックスの楽しみは他者の解釈に触れられることだと思うので、「あ~、この人にとってのこのキャラはこういう感じなんだな」とか「それわかる」となるのがめちゃめちゃ楽しい。

そして実は一番の見所は先生・ドクタケ・敵忍者のはじけっぷりかもしれない。
ベテランの役者さん達のアドリブやギャグは、原作のイメージや舞台の雰囲気を壊さないギリギリのところを攻めながら、若手にもやりやすい空気を作っているように思える。
何より本人が楽しみながらやっているのが伝わってきて、観ていてとても楽しい。

というわけで、衣装やメイクで見た目は最初から完全にキャラなのだが、そのキャラをどう表現するかはかなり役者の手に委ねられているので、役者さんのファンの人が観ても面白いと思う。

 

 

本当はもっといろいろあるような気がするが、結局上手くまとめられなかった。

とにかく忍ミュは最高だから、観てほしい……。
東京の平日公演や、大阪公演、名古屋公演ならまだチケットあるようなので観てほしい……。
今まで忍たまや忍ミュ、2.5次元ミュージカルを観たことがない人も楽しめるのではないかと思う……。
また、過去に忍ミュを観たことがあって「なんか違うな」と思った人にこそ観てほしい気もする。

 

決して安くはないので機会があれば……機会があればでいいので…………どうかよろしくお願いいたします……。

 

 

5/1 sukida dramas@京都二条GROWLYが最高だった話。


5月1日(水) @京都・二条GROWLY
GROWLY 7th Anniversary!!
sukida dramas CONTINUE!!!
(w/踊る!ディスコ室町、LADY
FLASH、ゆ~すほすてる、Set Free、yound)

に行ってきた。
名古屋のバンド、sukida dramasの復活祭だ。

今年1月に活動再開の報を受けてから、どれだけこの日を待ち望んで来ただろう。
久しぶりに観たsukida dramasはもう本当に……本当に良かった……。
京都まで来て良かった、sukida dramasが好きで良かった、音楽が好きで良かった。そう思えるライブだった。


sukida dramas観たらブログを書こうと決めていた。
このバンドについては語っても語っても語りきれない。


ちなみに、今日のライブに向かう前に書いた記事はこちら。
私とsukida dramasとの出会いと、私が思うsukida dramasというバンドの話だ。

 

そして、ここから今日のライブの話。
レポとも呼べない感情の記録になると思う。
セトリとかの話もしてるので、26日の名古屋に行く予定でネタバレされたくない人は注意。

 

この日の対バンは5バンド。
どのバンドも今日の雰囲気に合っていてとても良かった。


とくに痺れたのはLADY FLASHと踊る!ディスコ室町だ。
両バンドとも、過去にsukida dramasとの対バンで観たことがあって、バンド同士も仲良しということで最初から楽しみにしていたが予想以上だった。


LADY FLASHは最初の「とらばーゆ」で、sukida dramasとの3マンをぶわーーーーーっと思い出してテンション上がりまくった。
ちょうど3マンをした頃に、sukida dramasがこの曲のMV再現をしていたのだ。
それ以外の曲はほぼ初めて聴くものだったが、なんかもうめちゃめちゃに良かった。
最前でsukida dramasのメンバーがはしゃぎまくってたのもめちゃめちゃに良かった。


踊る!ディスコ室町も、sukida dramasきっかけで出会って好きになったバンドのひとつだ。
もう勝手に身体が動く動く動く。これもたぶんsukida dramasのメンバーもはしゃぎ倒してたんだけど、自分も前ではしゃいでたからよくわからない。
ミキクワカドさんがMCで「sukida dramasはなんていうか………………………………」と沈黙していたのが面白かった。すかさずフロアから「ともだちー!」と声が飛ぶ。
「ともだち……そう、友達なんですよ…………バンドの友達って普通あんまり会わないんだけど、一緒にフジロック行ったりとか……ライブハウス以外でも会う……」「しかも名古屋のバンドだと思ってたらザキヤマは京都に引っ越してくるし」と、これだけでもう仲良しなんだなというのが伝わってにこにこしてしまう。
そういえばLADY FLASHのボーカルの人も「この後ザキヤマの家に泊まります。嘘です」と言って笑いを誘っていた。


ここまでのやり取りだけで、本当に今日はステージ上もフロアもsukida dramasの友達がいっぱいなんだなと実感する。


すでにエモい気持ちになりながら迎えたsukida dramas復活の瞬間。

自ら機材を用意するメンバー達を、私は直視することができなかった。
めちゃめちゃ楽しみなのに、変に緊張している。なぜか突然帰りたい衝動に襲われる。
それでもライブが待ち遠しくて仕方なくて、チラチラとステージ上を盗み見た。

準備が終わり、皆が袖にハケようとしたとき、ギターボーカル・中川さんがマイクの前に立って、何か言おうとして、フロアを見つめて、結局何も言わずに去っていったのが印象的だった。

sukida dramasは、初めて聴くSEと共に現れた。
大歓声のフロアに向かって、中川さんが「これも俺らが作った曲~!」と誇らしげに笑う。

そしてサポートベースを含めた5人がドラムの前で円陣を組む。
sukida dramasのライブが始まる。


中川さんが曲名をコールし、ベースの音が響く。
Lemonadeだ!

先代サポートベース毛利さんとはまた違う、少し柔らかい石川さんのベースの音が、新しいsukida dramasの始まりを思わせる。
中川さんが、岡安さんが、ザキヤマさんが、エイリアンちゃんが、みんな笑顔で楽しそうに楽器を奏でている。

 

"指し示してよ 後悔の向こうを"

"抱きしめてよ 膨大な苦悩を"


メンバー全員が声を揃えてコーラスする部分の歌詞を聴いて、私はなぜこの曲が活動再開1曲目に選ばれたのか、なんとなくわかった気がした。
正直かなり意外だったのだ。私はてっきり最初はKansasかなと思っていた。でも、違うのだ。今の彼らの気持ちは、「Lemonade」なのだ。


"散々眠り無理やり起こしたブレイン カウントダウン終わりさよならを告げてくれ"
"客観的に見ればここは自由で 落胆せずにただいまと告げてくれ"


歌詞に"さよなら"と"ただいま"が含まれているのはただの偶然だろうか。
(実はこの曲が発表された直後は、これはもしかしてまさか脱退した初代ベース・イラミナさんに向けたものなのでは……と頭を抱えたのはまた別の話。)


実は、開始直後から私は溢れる涙を抑えられずにいた。
「泣けるバンド」「泣ける曲」みたいなカテゴライズはなんか違うなと思うし、sukida dramasは笑顔で観るバンドなのにと思いながら、それでも勝手に泣けてきてしまうんだから仕方ない。
こんなに泣きながら観たのはそれこそイラミナさん脱退のとき以来かもしれない。あのときは悲しい涙だったが、今回は嬉しい涙だ。それほどに、どうしようもなく、私はsukida dramasの復活が嬉しかった。


2曲目はたぶんBLUEだったと思う。
私の中のBLUEは、「ブルーな気持ちも青臭い感性も、全部含めて自分なんだから仕方ないだろ!上手く付き合って生きていくしかないんだから!」という曲だ。念押ししておくが、歌詞やライブでのMCを聴いた私個人の解釈だ。
でも、この解釈に基づいて聴くとやっぱり復活したsukida dramasがBLUEを演奏するのは意味があるよなと思ってしまうのだ。
我ながら、こじつけ拗らせおたくしてんな……って自覚はある。


このあたりから記憶が曖昧になってくる。
曲順やなんかがさっぱり思い出せない。
この頃には涙も乾いていたように思う。


「雨降りの午後」をやったのは間違いない。
エイリアンちゃんの伸びやかな歌声が、GROWLYに響く。

MC中にフロアから「エイリアン大人っぽくなったね~」と言われ、「今の誰? もっかい言って!」と笑ってたのが可愛かった。
「身長1.5cm伸びたの!」と言っていたが、それよりもめちゃめちゃ痩せたことが大きいと思う。
顎のラインがしゅっとして、センター分けの髪型も相まって確かに大人っぽく見える。

対する岡安さんは、なんと13キロ太ったらしい。
中川さんに「見ればだいたい分かるわ!」とツッコまれていた。
言われてみればなんだか丸くなったような……。


MCでは、頻繁にフロアから野次とも声援ともつかない声が飛ぶ。
ともすれば身内ノリになってしまいそうだが、今夜のGROWLYはそんなことなくて、あくまであったかい空間だった。

「ともきー!」「がんばれー!」という声に、中川さんが「いや、頑張るけどさ……めっちゃ心強い……ありがとぉ~」と返す。

「岡安ー!」「岡安ー!」と何度も呼ばれた岡安さんは、今まで聞いたこともないくらい大きな声で「俺やーーーー!!!!」とシャウトしていた。
中川さんとエイリアンちゃんに「いや、何、そんなん見たことない!」「ここに来て初めての一面!」と驚かれる。
最終的に「お前今日めっちゃ楽しいやろ、チョケ具合でわかるわ」と中川さんにいじられていた。
そういう中川さんも、エイリアンちゃんも、ザキヤマさんも随所で「いやー、楽しい」「楽しいね~」と、思わず溢れてしまったように、言わずにはいられないといった様子で溢していて、見ているこっちも楽しくなる。

 

ライブ中盤、MCを挟んで、次の曲に行くとき、一瞬しんとフロアが静まり返った。
この間で、「くる」という予感がする。
中川さんが、すう、と息を吸って、口を開く。


"溺れたっていいよ ピストルに撃たれて 殺されてもOK
そこに愛があったかを 確かめたいんだ 確かめたいんだ"


あーーーーーーーーーーーBillowsだ!!!!!!!!!やっぱり!ここで!Billowsだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


最後の"確かめたいんだ"で大きく手を挙げながら、私は必死で嗚咽を堪えていた。いや、うそ、ちょっと嗚咽が漏れてしまった。


私はsukida dramasの曲の中でも、このBillowsがいっとう好きだ。
とくにこのサビが好きだ。

CD音源だと出だしはドラムのみですぐにAメロに入る構成だが、ライブだとサビだけを中川さんが最初に歌う。
私はこのライブver.がめちゃめちゃ好きだ。

一時期、中川さんはBillowsをよく「人生の荒波を乗り越える曲です」と紹介していた。
私にとってのBillowsは「迫りくる波にのるかのまれるかは自分次第」という曲だ。
だから、自分が人生で大きな波に出会うと、いつも聴いていた。
しかも、"溺れたっていい"のだ。波にのまれても、そこに愛があったことが確かなら、それでいいんだ……と思えるから、私は恐れずに挑戦することができた。
好きなことなら、失敗したって、チャレンジした方がいいに決まってる。


私はBillowsのライブver.が大好きだが、ほんのちょっとの、たぶん気持ちの問題で、「良いBillows」のときと「いまいちなBillows」のときがある。
今日のBillowsは文句なしの「めちゃめちゃ良いBillows」だった。

 


今日のsukida dramasは、新曲もたくさんやった。たぶん4曲やった。
活動休止中に、ゆっくりいろいろ考える機会もたくさんあって、それでできた曲だと中川さんは言っていた。

私が一番好きだったのは、「大っ嫌いで、大好きな社会に向けての曲です」と紹介された新曲だ。
いまだかつて中川さんがこんなにストレートな曲紹介をしたことがあっただろうかと驚くと共に、そのサウンドがものすごくsukida dramasで、すぐに好きになった。

新曲やるだろうなとは思ってたけど、まさかセトリの半分近くが新曲とは思わなくて、びっくりした。
これからたくさんライブで聴きたいし、音源化してほしいし、歌詞を観ながら楽しみたい。
sukida dramasは曲もだけど、歌詞もめちゃめちゃ良い。

 


本編最後は「Monday Junctionにて」だった。
疾走感のあるサウンドがいろんな感情を全部さらっていく。


"あー真っ逆様だ本当にしたいことは何だったっけ
あー真っ直ぐに経てるならこんな風に歌っていたいな"

"Monday Junctionに
僕の後悔は捨てておいて"

"フォレスト・ガンプならこう言うだろうね
愛がどんなものかは知ってるってさ"


なんかもうここまで来たら「sukida dramasが好きだ~~~~~~~~~!!!!!!」としか言えない。
それ以外の気持ちが出てこない。


本編始まりがLemonadeで、ラストがMonday Junctionにて。
この2曲は続けて一発撮りで音源化されている。
その勢いそのままに、新しいsukida dramasを見せられたみたいなライブだった。


メンバー全員がハケても鳴り響く拍手。
それが手拍子に変わるとすぐにメンバーが再びステージに現れる。


「懐かしい曲やります」

そう言って始まったのはTeddy Boyだった。
私がsukida dramasを好きになって間もなく発表され、初めての全国流通シングルにもなった曲だ。
MVでメンバーが着てたのとお揃いのパーカーを持っているし、MVが撮影されたカフェにも行ったことがある。


"Music Goes All Night Long
Music Goes Round & Round"


フロアにいる全員が手をあげてのシンガロング。
これこそがsukida dramasのライブだなと思う。


ライブが終わったあと、ふと思い出してsukida dramasの昔のブログを検索して、中川さんが書いたTeddy Boyの説明みたいなものを見つけてうわーーーーーってなったので引用しておく。

 

1.Teddy Boy
タイトル曲です。
Teddy Boyっていうのはめちゃくちゃざっくり言うとヤンキーな!ざっくり言うとやで!
僕はこのバンドをやる上で誰かに何かを伝えたいなんてことは本当に無かった。
5人で音楽をやること自体がバンドを続ける理由でした。
それでも3年もやっとるとやっぱり考え方も変わってくるわけで、表現者である以上何かを届けたいという気持ちが芽生え始めてきたんですわ。
それで何を表現するのか!そんなことは考えるまでもなく「楽しさ」であるわけです。
僕らの音楽性は狙ってこうなったわけではなくて自然と楽しさを前面に出した形になったんですよ。
もともと友達、後輩で組んだバンドやからこうなるのは不自然なことでは無いのかもしれへん!

「楽しさ」ってなんやねん!僕が行きついたのはシンガロングでした。
同じメロディー、同じ歌詞を共有できたらそれは楽しいでしょう!
好きな音楽ならね!

やからとにかく歌ってくれ!
音楽は一晩中回り続けるから!

今までの自分を乗り越えた曲です。

 

これも読むと何がどうってこともないけど「そういうことかー!?」みたいな気持ちになる。

なんかもう、本当に、sukida dramasが好きで良かった。
復活してくれて良かった。


「なんでいつの間に休止したの!?」みたいなことも思ったけど、sukida dramasのみんなが、sukida dramasであり続けるためには、こういう期間も必要だったんだろうなと素直に思えた。


MCで中川さんが「休んでた間、何してた?」となぜかフロアに問いかける場面があったが、私はというと普通に仕事してライブ行ってそれなりに楽しく暮らしていた。
sukida dramasは大切なバンドだが、ないと生きていけないわけじゃない。
他にも大好きなバンドはたくさんいる。

でもやっぱり、無性に聴きたくなるときが、ライブで観たくなる瞬間があるのだ。
sukida dramasは「楽しい」を体現したバンドだから、生であのみんなの笑顔を見ることでしか満たされない何かがあるのだ。

あと単純に私はsukida dramasのメンバーが大好きだが、私はあくまでファンの一人でしかないので、ライブでもないと生存確認ができないというのもある。
元気に生きてる姿を、楽しそうな表情を見せてほしい。

 

なんかもう何目線なのかよくわからない。
とにかく私はsukida dramasが大好きで、復活がめちゃめちゃ嬉しい。


次の5/26はいよいよ名古屋、しかも鶴舞K.D.ハポンだ。
思い出を噛み締めつつ、楽しみに待とうと思う。


sukida dramasおめでとう、ありがとう。

 

 

私とsukida dramas~活動休止からの復活に寄せて~


sukida dramasは「NAGOYA cityを中心に活動する、US/UKインディーをJ-POPで鳴らす男女混成4人組」だ。
以上の説明はsukida dramas公式サイトよりの引用だが、私にとってのsukida dramasは「『"音"が"楽しい"と書いて"音楽"だ!』と教えてくれるバンド」である。


私とsumika dramasの出会いは2013年1月、名古屋アポロシアター(現:アポロベイス)で行われたイベントSynchronized Rockersだ。
当時私は大学生で、キュウソネコカミが観たくてそのイベントに足を運んでいた。
そこで初めてsukida dramasを見て、そのライブで一気に心を奪われた。

演奏していた曲はあまり覚えていない。
それまで私が好んで聞いていたのはゴリゴリジャキジャキでキャッチーなバンドサウンドが多くて、アコギやキーボードがキラキラ鳴っているような、どこか懐かしいような音はむしろ新鮮だった。

印象的なのは、途中トラブルで鳴らなくなったギターボーカルのギターの音が出たときだ。
「鳴った~!」と喜ぶギターボーカルの笑顔が本当に眩しくて、「"音"が"楽しい"と書いて"音楽"というんだな」と何かがすとんと落ちた。

その場でアルバムを買って帰り、それ以来ライブにも何度も足を運んだ。
ライブに行くたびに、新曲が出るたびに、sukida dramasのことが大好きになった。

実習や就職活動に追われている時期には精神的にずいぶん助けてもらった。
sukida dramasのライブで毎回会う友人もできた。


sukida dramasは曲もライブもはちゃめちゃにハッピーだが、言外に「そうじゃない日もあるけれど、だからこそ今は笑おうよ」というメッセージを感じる。
鬱屈とした日々を音楽で笑い飛ばせる強さと切なさがある。
そういう意味では、ジャンルは「J-POP」かもしれないがスタンスはとてもパンクロックだなと思う。
メンバーはきっと器用な人たちじゃないけど、そこがとても愛しくて、勝手に親近感のようなものも抱いていた。

 

最後にsukida dramasのライブに行ったのは2016年の1月だ。
そのライブを最後に、sukida dramasはぱったりライブをやらなくなってしまった。

それが「活動休止」だったとわかったのは、今年(2019年)の1月、sukida dramas復活の報を受けてだ。


いや、復活も何も!いつから活動休止してたんだよ!
もう!!!!!!!!馬鹿!!!!!!!!!!!!!!!!
置いてきぼりにされた私の気持ちも考えてくれよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
でもまたライブが観れるのめちゃめちゃ嬉しい……ありがとう…………


みたいな複雑な感情は、数ヶ月かけて「またsukida dramasが観れる……嬉しい……」へと落ち着いた。


そして今、私は京都に向かっている。
復活ライブが行われるのは、京都二条のGROWLYというライブハウスだ。

名古屋じゃないんかい!
と思う気持ちもなくはなかったが、GROWLYも思い出深いハコである。

私の記憶と記録が正しければ、初めて行ったのは2014年の9月、ここでsukida dramasを観ると同時に今回の対バンである、踊る!ディスコ室町にも出会った。

そしてたぶん2度目は2016年の2月、sukida dramas京都2daysの二日目だった。
最後のゴリラを聞きながら終電に乗るために重たいドアを閉めたことを覚えている。

 


そんなことを書いている内に京都に着いた。
道中、時間があったのでライブ終了後の感想の序盤のつもりで書き始めたら、思ったより長くなってしまったので、このまま公開することにする。

 

令和元年、sukida dramas復活おめでとう!

 




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改元に伴って(というわけでもないけど)ブログ改名しました。


タイトルの通りです。
ブログ改名しました。

旧:くぬぎの森でまぐろを喰らう
新:エモーショナルの向こう側

 

元々のブログ名に、とくに意味はなかった。
自分の使っていたHNである「くぬぎ」と「まぐろ」を適当に組み合わせただけだ。

でも、細々と記事を書いていく内に、このブログ名はあまりよくないんじゃないかなと思い始めた。


たとえばTwitterに記事を貼り付けたときだ。

ブログ名のせいで記事タイトルがわかりにくい気がする。
その上、ブログ名と記事の内容には何の関連性もない。


私は観劇の感想を書くのが主だが、これでは作品名でTwitter検索して私のツイートを見ても目が滑ってしまうのでは……と思った。


感想をまとめているのは自分の記憶を記録するためだが、それをブログ形式でネット上に公開しているのは他人に読んでもらいたいからだ。

それなら、もっと読みたくなるようなブログ名にした方がよいのでは……と思って、改名を決めた。


タイミングが改元に重なったのはたまたまだが、心機一転するには良い機会かもと思ったのも事実だ。

 

新しいブログ名「エモーショナルの向こう側」は、私がブログを始めるきっかけにもなった記事のタイトルから取った。

2017年の暮れに、好きな服について書いた記事だが、アクセス解析を見ると今でも一番読まれていることがわかる。

それは、話題にしているha|za|maやダブルチャカといったブランドがたいへん人気であるために検索してたどり着く人が多いからだろう。
でも、検索結果に出てきた記事をクリックする決め手の一つに、タイトルもあるのではないだろうか。

我ながら、「エモーショナルの向こう側」は良いタイトルだなと思う。


私は「うわーーーー!」って気持ちをなんとか言葉にして残しておきたくてブログにしている。
昂る感情を言葉で分解して、分析して、保存しておく作業と言ってもいい。

言葉にするのは難しいし、言葉では説明できない部分が本当に大切なような気もする。
だからこそ、頑張って頑張って言葉にして、それでも最後まで言葉にならなかった部分が、より純度の高い何かなんじゃないかなとも思う。

それはまさしく、エモーショナルの向こう側を探しに行くということなのかもしれない。


というわけで、これをブログ名として掲げることにした。
ついでにアイコンの画像も設定してみた。


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ちなみに今日は大好きなバンドの復活ライブを観るために京都に向かっている。
またそのこともブログにまとめたいなと思う。


これからも、言葉にする努力を怠らないでいきたい。

 


エモーショナルの向こう側


まぐろ
25歳。女。
Twitterでの名前はいろいろ。
好きなものはたくさん。
思いの丈をぶつけにきます。

 

劇団た組。『在庫に限りはありますが』を観て考えたこと。

 

4月21日(日) @すみだパークスタジオ倉
劇団た組。第18回目公演
『在庫に限りはありますが』
作・演出◎加藤拓也
音楽◎谷川正憲(UNCHAIN

を観た。

 

劇団た組。の舞台を観るのは二回目。
前回観た『貴方なら生き残れるわ』が本当にめちゃめちゃ良くて、「この人の脚本・演出の舞台は絶対に観なければ」と思って、来た。
ここまで脚本・演出に惚れ込んで観劇を決めるのは初めてかもしれない。
好きな人の作品に対して「今回は違うな」と感じることはいくらでもあると思うが、個人的には今回の『在庫に限りはありますが』で「やっぱり加藤拓也間違いないな」みたいな気持ちになった。


以下、感想や考えたことの覚え書き、殴り書き。
読む人も観ている前提で勝手に語ります。

 


舞台上は、小さなハンバーグ屋の店内そのものだった。
木製のカウンターとチェックのクロスがかかったテーブル席は、落ち着いた洋食屋さんといった雰囲気で、こういうお店は美味しいだろうなと思わせる内装だ。

異質なのは、上手の手前に大きなベッドが鎮座していること。
そこだけ妙に生々しく、店内とはまた違う"生活"の空気が漂っていた。


基本的には、ハンバーグ屋の店内で物語は進んでいく。


主人公の洸一は、人前でご飯が食べられない。
妻の里奈とも、ずっと一緒に食事をしていない。

洸一の営むハンバーグ屋は、向かいにできた人気店に客を奪われ、すっかり閑古鳥が鳴いている。

店に来るのは、バイトの田中と、野菜を卸しに来る中島、そして夫婦の友人である門真くらいだ。

田中も中島も門真も、店の現状を心配してくれているが、洸一の"病気"については何も知らない。


洸一は人前でご飯が食べられない。
だから店に客が来ないのか?

洸一は人前でご飯が食べられない。
里奈となんとなく上手くいっていないことと、それは関係があるのか?

洸一は人前でご飯が食べられない。
それの何がいけないのか。
でも、現実はこんなにもままならない。

 

舞台装置はそのままに、照明の変化や家具の使い方で、舞台上は様々な場所に変化する。

洸一の"病気"を治すために訪れる病院、田中が働くガールズバー、そして夫婦の寝室、田中がヒモの彼氏と同棲する部屋。


舞台上手に置かれたベッドの上では、洸一と里奈が眠り、田中とヒモの彼氏がいちゃつき、シーツがどんどん乱れていく。

そのベッドが、ハンバーグ屋の場面でも常に舞台上にある。

食事のための空間に、生々しい男と女の生活を感じさせる家具がある。

まるで、すべて繋がっていると言わんばかりに。


私は最初からそれが気になって仕方なかった。
だから、劇中でさらりとセックスの話題が出たとき、「やっぱりな」と思った。
"食べる"行為は"生"と密接に繋がっているから、それが"性"の話になるのも必然的に思えた。


里奈は、「家族と一緒にご飯を食べたいって思っちゃいけないの?」と洸一に訴える。
と同時に、「セックスはしたいよ! でも洸一は家族だから、家族とセックスはできないよ!したいけど、洸一は家族だから、できないの」とも言う。


洸一はそんな里奈の言うことが理解できない。

でも、里奈も洸一が人前で食べられないことが理解できない。


"食べる"ことで分かり合えない二人が、性的にすれ違うのは、なんとなく納得がいく。


人と人にはどんなに親しくても付き合いが長くても分かり合えない部分は絶対にあって、でもそれをどこまで相手に伝えて、どう折り合いをつけて生きていくかは難しいよなぁ……とも思う。

 

洸一はハンバーグ屋だから、野菜や肉を仕入れる。
あんまりたくさん仕入れても、使いきれずに腐らせてしまう。
だから、必要な分だけ仕入れる。


自分の中にも、感情や愛情の在庫があるんだろうか。
だとしたら、定期的に仕入れなきゃ生きていけないんだろうか。
ご飯を食べないと生きていけないように、新しいものを取り入れ続けないと生きていけないんだろうか。

在庫に限りはありますが、作れるものはあるだろう。
在庫に限りはありますが、なくなるまでは出せるだろう。
在庫に限りはありますが、できるだけのことはしよう。

じゃあその限りある在庫がなくなったら、店を閉めるしかないんだろうか。

 

食べられない人が食べ物屋をやっている話の題名が『在庫に限りはありますが』っていうのは、そういうことなのかなと思ったけど、考えてもポエムみたいな文章しか出てこないので、違う話をする。

 

前作の『貴方なら生き残れるわ』を観たときも思ったが、"普通の会話"と"沈黙"がとても上手いなと思う。

なんてことのない短い言葉の応酬から滲み出るそれぞれのキャラクターの性格や関係性が、どこまでも自然で、でも計算され尽くしてる。

今回の『在庫に限りはありますが』は、沈黙から生まれる間や、何も起こらない時間が絶妙すぎた。

そもそも演劇の舞台そのものが"動"の性質を持ったものだから、そこで徹底的に"静"を作り出されると、一気に引き込まれる。

無音の暗転や、相手にだけ言うような声でのやり取りの最中は、自分自身の肉体が邪魔に思えるほどだった。
自分の呼吸の音も、心臓の音も、隣の人の身じろぎも、客席の気配も、全部が妙に大きく聞こえた。
自分のかけている眼鏡のフチや、睫毛の影や、瞬きすらも邪魔に感じた。

それほどに沈黙が上手い。
空間造りが上手い。


そしてだからこそ、抑圧された感情が溢れる瞬間、"静"が"動"へと転換する瞬間がぞくぞくするほど印象的だった。
普段、穏やかな人が激昂すると本当に本当に怖いよな……というのを、たった90分やそこらの中で感じさせられた。

 

あと、「きっとこうなるんだろうな」という予想が、良い意味で何度も裏切られた。

田中はヒモ彼氏に食い潰されるかと思ったらそんなことなかったし、実は人肉を使っているのは洸一の方かと思っていたらそんなことなかったし、洸一が里奈を殺して食べてしまっているかと思ったらそんなことなかった。

とくに洸一が里奈を殴打した後の、長い暗転の間は「ここで終わったらどうしよう」と思ったが、そうならなくて本当に良かった。
明転後にハンバーグを食べながら洸一が泣く場面でも、「ここで終わったらどうしよう」と思ったが、そうならなくて本当に良かった
洸一がクラクションを鳴らし、里奈が泣いている場面で「いよいよ終わるか」と思ったら、洸一が運転を誤って店に突っ込んで来たのも、良い意味で裏切られた。

洸一が壁を壊してしまったのは、久しぶりの運転で操作を誤ったからかもしれないが、人と人の間の壁も何かの間違いで壊れて親しくなることもあるのかもしれないなと思った。

 

ハンバーグは挽き肉を捏ねて形作って焼き上げてるけど、人間も一回バラバラにして捏ねあげて形を作らないと出来上がらないのかもな、みたいなことも思った。
人肉とかそういう話ではなく、精神的な話。
でも、精神的な部分を混ぜ合わせて"合挽き肉"にするのは、ある意味、人肉を喰らうよりも生々しくグロテスクな話なのかもしれない。


結局なんだかポエムみたいな文章にしかならなかった。

 

ポエムついでに私が"食べる"ことについて昔から考えてもいることも書いておく。

個人的に、食に対する態度はその人の物事に対するスタンスが如実に表れるなと感じる。
食べ物の好き嫌いが多い人は、物事に対する好き嫌いもはっきりしているように思う。

自分の肉体に何をどう取り入れて生きていくかという意味で、やっぱり食べることはすべてに繋がっているような気がしている。
だから知り合ったばかりの男女はまず食事に行くし、食事の席で「無理」と思うことが少しでもあると上手くいかないような気もする。
価値観の違いというか、まさしく価値の観方が食べる行為で明らかになるなと思う。


自分でも何が言いたいのかわからなくなってきたけど、舞台は観ている瞬間よりも観た後に考える行為の方が大切なような気もするから、許されたい。


全然まとまらないので終わります。

 

 


ちなみに『貴方なら生き残れるわ』についての記事はこちら。
片方ははてな匿名ですが、書いたのは私です。


 

 

 

 

『ラ・ラ・ランド』鑑賞直後の覚書

 

 

今日は金曜ロードショーで『ラ・ラ・ランド』が放送されるらしい。

良い機会なので、スマホのメモに残っていた、鑑賞直後の覚書をブログに投げておこうと思う。

 

 

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2017年4月

 

 

ララランド観ました。めちゃくちゃ面白かった。

賛否両論との噂を聞いていたラストシーン。
私はむしろ序盤からずっと感じていた違和感の正体がラストで一気にわかって繋がっていく感覚が最高に気持ち良かった。


この話のテーマは「共鳴」だと思う。
ひとつの音楽、ひとつの物語、ひとつの出会い、ひとつの出来事が、人の心を動かす=共鳴が起こる。

ミアの演技、セブのジャズは、最初は共鳴していない。(=人の心に届いていない)

そんな二人が出会う。
クリスマスの夜、セブのピアノに惹かれたミアが店に入って彼を見つける場面。
ミアはセブの音楽に共鳴したけど、セブの方はしていなかった。だから、セブはミアを突き飛ばすように出ていく。

それからのシーン。
ミアとセブは運命的な出会いで距離を縮めているように見えて、中断や衝突も多く(ジャズについての意見の食い違いや、約束を果たせない、キス未遂など)、なかなか共鳴しきれない。たぶん前半で一番共鳴するのはグリフィス天文台

でもその共鳴は「夢追い人」同士としての共鳴だったのではないかと思う。
叶わない夢を追い続ける、そんな部分で二人は響き合った。彼らが恋人同士になったのは、たまたまその共鳴が「恋」という名前になったというだけに思える。

その証拠に、セブがバンドを始めて「夢追い人」としての姿勢が変わると同時に二人の関係は壊れ始める。衝突やすれ違いが増え、お互いがお互いに共鳴できなくなる。

自分の望まぬ音楽で観客を楽しませるセブ。
自分の理想の舞台で観客にけなされるミア。

セブは、ミアの言葉で望まぬ音楽を始めた。
ミアは、セブの薦めで理想の舞台を打った。

その結果は映画の通り。
ミアは故郷に戻り、セブはバンドをやめてしがない流しのピアニストに。

そんなときにミアに舞い込んだチャンス。
夢を諦めかけているミアに、セブは夢を追いかけることを説く。(言わずもがなかもしれないけど、ミアがセブに『あの音楽好き?』と聞く喧嘩のシーンと対になっていると思う)

ミアが語る、セーヌ川に飛び込んだおばの話。
水面に大きく広がる波紋のイメージは、共鳴の世界に飛び込むことを暗示する?
たとえ1ヶ月クシャミをし続けることになっても、何度だって飛び込む。何度だって、人の心を動かすための挑戦を続ける。

オーディション後の公園のシーン。
二人は再び「夢追い人」同士として対峙する。
そして、お互いに夢を追い続ける姿勢を示す。
セブとミア、何かが欠けている一対一で完結していた共鳴が、二人が自立して歩き出したことにより、それぞれ世界に広がって行く。


5年後。
ミアは映画女優になるという夢を叶え、結婚して子供もいる。
そして夫と訪れた店で、ジャズの店を出すという夢を叶えたセブと出会う。

セブは、映画で活躍するミアを知っていた。(ミアが夢を叶えたことを知っていた)
ミアは、ここで初めてセブも自分の夢を叶えていたことを知る。

二人の目が合う。共鳴する。
物語を通して一番大きな共鳴が起こる。

懐かしい曲と共に、共鳴するミアとセブの中にはあるイメージが押し寄せる。
過去に経験したたくさんの「共鳴しなかった出来事」が、「もしも共鳴していたら」。
ミアがセブのピアノに惹かれた瞬間、セブもミアに惹かれる。共鳴する。
何度もあったぶつかり合いがすべてなかったら。不協和音が和音だったら、音楽になっていたら。

もしかしたらあったかもしれないそんな「幸せな未来」のイメージ。
しかしそれは、あくまで「イメージ」でしかなく、曲が終わると共に、二人は現実に引き戻される。

でも、二人の間に生まれた共鳴は、ずっと響き合い続ける。
バーを出る直前、振り向いたミアと、セブの目が合う。
付き合う前は、振り向くタイミングが合わず、お互いに気がつかないままだったのに。

「夢追い人」同士で共鳴していた二人は、「夢を叶えた者」同士として共鳴した、そしてこれからも「夢を追いかけ続ける者」同士として、共鳴し続ける。


ひとつの音楽、ひとつの物語、ひとつの出会い、ひとつの出来事が、人の心を動かす=共鳴が起こる。
その感情にどんな名前をつけるかは個人の自由で、必ずしも「愛」や「恋」である必要もない。
ミアとセブがこの先会うことはきっとないだろうけど、夢を叶えるきっかけになった出来事にお互いが深く関わったのは確かな事実で、大きな絆である。
二人はきっとこれからもずっと共鳴し続ける。

この映画のテーマは「共鳴」だと思う。