エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

『絢爛とか爛漫とか』を観た感想とか勝大さんの話とか

 

8月31日(土) @DDD青山クロスシアター

『絢爛とか爛漫とか』
作:飯島早苗/演出:鈴木裕美

を観てきた。



きっかけは出演者の鈴木勝大さんだ。
勝大さんが出るからという理由で足を運ぶのは、2016年10月『露出狂』、2018年3月『岸 リトラル』、2018年11月『貴方なら生き残れるわ』に続いて四作品目である。

結論から言うと、めちゃめちゃ良かった。
何が良かったかと言うと、「舞台の勝大さんを観に来たファン」である私の気持ちがめちゃめちゃ満たされた。


だから、普通に感想をまとめようと思ったが、終わってみたらほとんど勝大さんのことしか覚えてなくて困った。


とにかく勝大さんを、鈴木勝大という役者を、その演技を、表情を、声を、動きを、余すことなく楽しむことができた…………そんな舞台だった。

 

 

物語の舞台は昭和初期。
登場するのは四人の男達だ。


小説を一本発表したきり、いっこうに二本目が書けず苦悩する小説家・古賀(安西慎太郎)。
ダンスやバイオリンを嗜むモダンボーイで批評家志望の泉(鈴木勝大)。
恋した女性をことごとくエログロ耽美な小説のモデルにしてしまう小説家・加藤(川原一馬)。
大雑把な性格で自由奔放な豪傑・猪岡(加治将樹)。


130分間、舞台に立つのはこの四人だけ。
四人の間で交わされる言葉が、向けられる表情が、揺れ動く感情が、この物語の肝である。


だから、この四人を演じる役者さんのファンの人は絶対に観に行った方がいい。
今までにない密度で、細かなディテールまで余すことなく役を、役者を、味わうことができる。


以下、どこからそう感じたかをつらつら書こうと思う。

 

 

・徹底した具象舞台

物語の舞台は、古賀の部屋だ。
畳で、奥の障子の向こうに縁側、さらに奥のガラス戸の向こうにはこじんまりとした庭が見える。

舞台上手には椅子と本棚。
下手には玄関やお勝手に続いているらしい襖がある。

小道具もすべてが具象物で、演劇的な"嘘"がない、見たまんまの世界で物語が展開する。


物語は春から始まり、夏、秋、冬と季節が移り変わって行くが、そのたびに室内に飾られている花や、庭先の景色が変化する。

 

今まで私が勝大さんを観た三作品は、すべて抽象舞台だった。
もちろん、具象が良くて抽象が悪いというわけではない。抽象舞台で、ひとつの空間がシーンによって様々な表情を見せるのも演劇の楽しみだと思う。むしろ個人的な好みだと抽象舞台の方が好きだ。

しかし、今回、徹底した具象舞台を観て思ったのは、「どこにも嘘がない見たまんまの世界だと、役者も一切嘘がつけない、見たまんまの姿になるな」ということである。
純度100%のその人としてそこにいる……とでも言ったらいいだろうか。


具象舞台は、すべてが本物だ。観客が自由に想像する余地がない分、すべてを見たままに受け止める。
だから、役者の演技に少しでも"嘘"があると気になってしまう。
今までは抽象舞台の方が役者の技術が求められると思っていたが、必ずしもそうでないことを知った。
(そういう意味では、今回の『絢爛とか爛漫とか』でひとつだけ気になったのは、鴨居が低かったことだ。おそらく当時の一般的な設計に忠実なのだろうが、スタイルの良い現代の役者たちは頭をぶつけそうで、気になってしまった。)

 

 

・細部までとにかくリアル

上の具象舞台にも関係するところだが、装置や小道具だけでなく、衣装や音響や照明も細部までこだわってリアルさが追求されていた。

たとえば衣装は、場面ごと、つまり季節が変わるごとに変わっていた。
夏には夏らしく、冬には冬らしく。家でくつろぐ格好なのか、それともよそ行きの晴れ着なのか。


照明も、季節によって明るさや角度が変わっていた。
とくに夏の日差しが斜めに差し込み、縁側の椅子の肘掛けが濃い影を落としているのがとても良かった。
他にも、昼間で窓を開けているのか、夜で室内の電灯なのかによっても明るさの質が変えてあって、どうしたらそんな照明になるのか、思わず灯体を見上げてしまったほどだ。


音響も、流れるのは基本的に環境音である。
音量や聞こえ方も部屋の中に聞こえてくる音としてあくまで自然で、たくさん音があってもうるさく聞こえない。
外を走り回る子どもの声、家の前に止まる車の音など、舞台上に見えていないところまで世界が広がっていることを感じさせるような、そんな音響だった。


音響も照明も「演劇らしく」ではなく、あくまで「自然に」作り込まれていて、とてもとても良かった。

 

 

・ていうか四人しか出てこないから出番も台詞量もすごい!

当たり前の話だが、ほんとにそうだったのだ。

そもそも、私が今までに観た勝大さんの舞台を思い返してみると、『絢爛とか爛漫とか』は出番も台詞量も段違いだ。

 

『露出狂』では、勝大さんはメインの登場人物だったので、出番はたくさんあった。だが、そもそもの登場人物の人数も多く、一人をじっくり見るという感じではなかった。(そんな中でも自然に勝大さんに目がいって「舞台の勝大さんすごいな!?」と思ったりもした。)


また、『岸 リトラル』では一人の役者が何役も演じていたため、「一人の人間」としてそこにいる感覚は希薄だった。


『貴方なら生き残れるわ』では、メインの登場人物ではなかった上に、登場人物も多かった。

 

だから私は圧倒された。
勝大さんが常に舞台上にいる。しかも四分の一だから、めちゃくちゃ集中して見ることができる。


会場が比較的小さかったというのもあるかもしれない。
今回たまたま席が前方だったこともあって、顔の皺や指先の動きまでばっちりしっかり見ることができた。


声も、マイクなどを通していない生の声だ。
しかも囁くような演技でもそのまましっかり耳に届く。

 


・ていうか勝大さんの良かったところの話していい?

いやまあ勝手にするんですけど…………

まず顔が綺麗すぎる。横を向いたときのおでこが綺麗。鼻の角度も芸術的に美しい。

指も綺麗すぎる。指先とか爪の形までまじまじと見たのは初めてかもしれない。綺麗すぎる。

あと腰が細すぎる。スーツ似合いすぎる。

煙草!バイオリン!ありがとうございます!

ねえ、いつの間にそんな微妙で絶妙な表情できるようになったの?
目の表情すごいし、聞く演技がめちゃうまい。
喋ってるときももちろん良いけど、黙ってるときの存在感が最高すぎる。
話を聞く勝大さんが良すぎて、肝心の話している人の言葉を聞き逃したところがある気がする。

 


・他の役者さんも良かったんですよ…………

自分が元々ファンだから、勝大さんにばかり目がいっていた部分もあるが、他の役者さんもこれを機にファンになりそうなくらい良かった。

みんな、そのまま、そこに、生きていた。

だから、冒頭にも書いたけど出演者のファンの人は絶対観に行った方がいいと思う。

ちなみに全員がおでこを出すヘアスタイルなので、おでこの美しさや顔の造形が引き立ってたいへん良かったです。

 


・全員のことが愛しくなるストーリー

ここまで全然話の内容に触れていなかったが、お話自体もとても面白かった。

中心となるのは、二作目が書けなくて悩む小説家・古賀だ。


構想はある、が、書き始めることができない。
自分は偉大な小説家だと思いたいが、実際は嫌になるほど凡人だ。
だから小説家をやめたいのにやめられない。
凡人だからこそ、すがりたくなる。


古賀の場合は小説だが、この自尊心と劣等感に苛まれる感覚は、いろいろな人に当てはまるのではないだろうか。


素直になれない古賀は、思ってもいないことを言ってしまったり、思ってても言えないことがあったりする。

でも、むしろこういうぐちゃぐちゃな気持ちに翻弄されているところが、いかにも「文学的」だなというような気もして面白い。

 

他の三人も、それぞれ「思うままを言ってしまったこと」「思ってもいないことを言ってしまったこと」「思ってるけど言えないこと」「自分でも何が言いたいかわからないこと」を抱えている。

その不器用さが、たまらなく愛しくなる。

 

四人でああだこうだと話し、悩み、笑いながら、最後には四人がそれぞれ自分の進むべき道を見つける。

もしかしたら四人が古賀の部屋に集うことは、もう二度とないかもしれない。

でも、たとえ離ればなれになったとしても、四人が相互に大きな影響を与えあいながら悩んで悶えて足掻いた日々を共にした事実は消えない。


……まあ、とか言いつつこれからも頻繁に会ったりするのかもな……なんて、思ったりもした。

 

 


以上が、私の『絢爛とか爛漫とか』を観た感想だ。

今回、あまりにも勝大さんばかり見てしまって、他の役者さんの表情やなんかを見れていないことを少し後悔しているので、機会があればまた観劇したい。

 

終わります。