エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

犬僕、丁寧、GOOD WAR、ドードーが落下する

 


9月18日(日)豊岡演劇祭

安住の地 一人芝居企画 @ワークピア日高

板敷きの会場に、靴を脱いで入る。
演劇専用の空間ではなく、たぶん普段は会議室とかそんな感じの場所。
個人的には、アマチュアの社会人サークルで演劇やってたときに借りてた地域のコミュニティーセンターの談話室を思い出した。

客席は座布団とパイプ椅子。
演技スペースと客席は地続きになっている。

カーテンは閉め切られているが、完全暗転するわけではない。
照明機材も最低限だけど、ものすごく効果的だった。

舞台上にはいろいろな形の椅子が点在している。
それが、役者の動きによって表情を変える。


『犬が死んだ、僕は父親になることにした』
作・演出:私道かぴ
出演:沢栁優大

(あらすじ)
妻の犬が死んだ。妻が独身時代からずっと飼っていた犬だ。
僕が帰ったら犬はひとりで死んでいた。よりによってその時家にはだれもおらず、というのはいま妻は身重で、里帰り出産ということで遠くに行ってしまていたのだ。妻に電話をする。葬儀屋を調べる。思いの外淡々とことは進んで、静かな夜が訪れる。死んでしまった犬と、僕の長い夜がはじまる。
―――動物の生と性を描く、一晩の物語。

 

死んでしまった犬は、元々は妻が飼っていた犬で、男は妻との出会いから現在までを回想しながら、その関係の中にいた犬のことを想う。


“僕”と、その妻を、沢栁優大さんが一人で演じるんだけど、その行き来が本当に見事で、鮮やかで、とても良かった。
そもそもの佇まいが中性的なのに加えて、照明の光の当て方が絶妙で、なんだかすごく色っぽかった。

僕と妻との会話、一人でやってるのにどちらの言葉かわかるし、それが不自然じゃないし、どうしたらあんなにシームレスに繊細な演技の切り替えができるんだろう。

とにかく、「男が一人で、二人と一匹の日々を振り返る」というシチュエーションと、沢栁さんが一人で男も妻も演じながら語るスタイルが合っていて、一人芝居ならではの良さが詰まった作品だった。


僕は、妻と共に過ごしてきた犬との日々を想う。
一匹のオスのダックスフンドと、一人の男である自分と、妻。

犬は、妻の恋人で息子で家族で…………自分は妻の恋人から家族になって、今は息子が生まれようとしていて…………


一人の男の中で、生と性が重なって混じり合っていく。
一人の役者の上で、それが表現される。


素直に良いものを観たなと思ったし、他の人にも勧めたい作品。

 

『丁寧なくらし』
作:私道かぴ/演出|岡本昌也
出演:雛野あき

(あらすじ)
くらしは今朝起きてすぐ決断をした。
これからは、目の前の一つひとつを見過ごさずに生きていくことに決めた―――。
「身体」をテーマに終始一人称で描かれる新感覚の演劇作品。身体の捉え方が変わる演劇体験をお届けします。


同じ会場で、少しレイアウトを変えての公演。
『犬僕』が繊細な作品なら、『丁寧』はダイナミック。

舞台上を縦横無尽に動き回りながら、自分の身体の話をする。
いきいきとした肉体が躍動する様を見せつけられる。

こちらは音の演出が印象的だった。
わざと節をつけた台詞。
スピーカーから流れる音楽。

ストーリーは正直よくわからなかった。
目の前の現象を楽しむ感覚。


ラストシーンで、カーテンが開かれる。
突如差し込む自然光。そして開け放たれる窓。

外から、音が聞こえてくる。
「何の音」って説明できない。豊岡の、江原の音。空気。

劇場という閉鎖空間が、一気に外と繋がる。
自分もそこから来たはずなのに、外の世界がすごく魅力的なものに思えるから不思議。
魅力的なものを求めて劇場の“中”に来たはずなのに。

身体の内側と外側のこと全部を考えるのも、そういうことなのかな〜。

 


ルサンチカ『GOOD WAR』 @日高文化体育館
構成・演出:河井朗
出演:蒼乃まを、伊奈昌宏、斉藤綾子、渡辺綾子
音響:河合宣彦

(作品について)
『GOOD WAR』は、私たちが「あの日」と聞いて想像する争いと日常で構成されています。

私たちは生きている限り、これからもだれかと戦い続けなければなりません。現時点で戦っていなくても、生きている限りいつか争いに巻き込まれます。

『GOOD WAR』ではいずれ来る「その日」と、過去にあった「あの日」との向き合い方を鑑賞者と共に考えるべく、だれかの「あの日」が集積された記憶のモニュメントとして演劇作品を立ち上げます。


会場は体育館。
ステージに背を向けて、フロアに演技スペースが設定されているけど、これも客席と演技スペースは地続きになっている。


これは……これはいったい何だったのか、今でもよくわからない。

役者は何かを語りながら現れて、体育館の観客席に座ったり、フロアに立ったりする。
それはきっと、誰かのあの日の話で、そこには確かに物語があるんだけど、全てが断片で全体像はわからない。

役者は自由に、いろいろなところに行く。
歩いたり、座ったり、上ったり、降りたり……。

いろんな場所からいろんな音がする。
それは役者が立てる音だったり、声だったり、スピーカーから発されるものだったりする。

「こういうことなのかな」と思った瞬間、それは雲散霧消していて、あくまで「今 ここ」に現象として立ち上がるものを鑑賞するしかないというか、観測し続けないといけないというか…………。

脈絡がないんだけど、何かがある気がして、わかりたいのに何もわからなくて、これは何だと思っているうちに終わってしまった。
物語があるはずなのに、物語からは拒否されている感覚。

観ていた他の人は何を思ったんだろう。

 


9月23日(土) @KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ


劇団た組『ドードーが落下する』
作・演出:加藤拓也
出演:藤原季節、平原テツ、秋元龍太朗金子岳憲、今井隆文、中山求一郎、安川まり、秋乃ゆに、山脇辰哉


(あらすじ)
「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」

イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。

 

大好きな劇団た組の新作。
正直、今までの作品と比べたら刺さらなかったんだけど、ぞわぞわする感じは嫌いじゃない。

以前KAATで劇団た組を観たときは、円形の舞台の両側に客席があったけど、今回は普通に片面のみ。
撮影OKの舞台模型が展示されていたので写真に収めてきたけど、こんな感じ。


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真ん中の街のセットは、入場したときは宙に浮いていて、その影が舞台上に落ちてぽっかりと穴が空いてるみたいに見えた。

開演と共に、街のセットが下に降りてくる。


具象物が抽象的に置かれてるのが面白い。

しかもこれ、ビルのてっぺんがパカって開いて中から小道具が出てきたりする。そんなんあり???
なんなら、身につけてきた衣装をそこにしまってたりもした。なんでもありかよ〜!

劇団た組のこういう遊び心というか、小さな固定概念をぶち壊しながら淡々と進めてくところ、反則だよと思いながらも成り立っちゃってるのがマジですごい。演劇って自由なんだな……と思う。

 

芝居の中身は、「青春失踪劇」と銘打たれてるけど「疾走」してた印象が強い。

あと、最初は笑って観てた場面がだんだん笑えなくなってくるのがこわい。


冒頭、カラオケでの打ち上げで、夏目さんはHOT LIMITに合わせて服を脱ぐ。露わになった上半身には黒いマジックで線が描かれていて、夏目さんは手を上に組んで踊り、みんなはそれを笑って見ている。
途中で江南スタイルも混ざってきて、キャッチーなビートと仲良しの業界仲間のノリが、観客として観てても楽しい。
こういう悪ノリ内輪ネタな感じを意図的に描くのも加藤拓也さんマジで上手い。大好き。


でも、それがだんだん笑えなくなってくる。
HOT LIMITはその後のシーンでも何度か流れるんだけど、そのときにはなんだか笑えない雰囲気になってる。


もっと怖かったのは「ルージュの伝言」だ。
これは中盤に歌われて、すごく楽しいシーンなんだけど、同時にものすごく怖かった。


カラオケで、女の子がルージュの伝言を熱唱しながら、ベッドに上がる。
男たちは舞台装置をグワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと動かして、歌う女の子もベッドに乗ったまま移動する。

そして、前半ずっとそこにあった装置たちが形を変え、舞台は夏目さんの一人暮らしのアパートになる。

“不安な気持ちを残したまま”
“街はDing-Dong 遠ざかってゆくわ”

不安な気持ちを残したまま、街のセットはぐるりと動かされ、夏目さんの一人暮らしのアパートになる。

何だそれ何だそれ、めちゃめちゃ楽しいのにめちゃめちゃ怖い。
この歌詞ってそういう意味なの?そういう意味になっちゃうの???

 

夏目さんは、たぶん統合失調症だ。
だんだん言ってることがおかしくなって、見えないはずのものが見えてきて、そこにいるはずの自分のことが見えなくなってくる。

伸也は、それでも夏目さんとの対話を試みる。


観ながら、ハイバイの『投げられやすい石』を思い出していた。
おかしくなってしまった友達と、それでも友達としての何かを果たそうとする姿が重なった。


共有できる部分があるからこそ、切り捨てられない。


伸也は最後、夏目さんの世界を共有して、舞台は終わる。
観客は笑っていいのかいけないのかわからない空気を味わうことになって、そこで終わる。

 

「こえーよ」というのが、素直な感想。

今回は自分の中で共感できる部分がなかったから比較的平穏な気持ちで観られたけど、これちょっと何かが自分の中で違ったらめためたにされてたんじゃないか?

 

「なんだったんだ〜〜〜〜〜」と思いながら中華街でタピオカ飲んで帰路についたら、新幹線が雨で運休になって帰れなくなった。
急遽、神奈川で一泊して、翌朝も東海道新幹線は混乱してたから、北陸新幹線使って帰った。

 


以上、9月の観劇遠征記録。