エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

劇団た組『ぽに』を観て思ったこととかいろいろ


10月31日(日) @神奈川芸術劇場大スタジオ
劇団た組『ぽに』
作・演出:加藤拓也


を観てきた。

神奈川芸術劇場、通称KAATはずっと行ってみたかった劇場の一つだったから、そこに劇団た組を観に来れたのが凄く嬉しかった。
想像以上に中華街に近くて、活気溢れる飲食店の並びから一本外れたところに劇場があるのがなんだか不思議だった。


劇団た組の舞台の、日常の延長線にある非日常が好きだ。
すぐ隣にある異質さが好きだ。

今回の『ぽに』も、私は何を見せられてるんだろうと思いながら、目が離せなかった。

 

 

以下、ネタバレとか気にせず思いついたことを書きます。
感想ともレポともつかない、ぐちゃぐちゃなままの何かだけど、とりあえずの覚え書き。

 


いろいろ言いたいことはあるんだけど、まず一つだけ…………

 

松本穂香さんも藤原季節さんもえろすぎない!!?!


いやあの、松本穂香さん、めちゃめちゃエロい…………というか、やらし〜……………めちゃめちゃにしたい………………

あとクズいセフレの藤原季節が……さいこうすぎる……………………


この二人がいきなり中○しの話してるところから始まるんですけど、付き合ってないのに中○しするくせに律儀に毎回許可を取る藤原季節も、それをいつも「いいよ」っていっちゃう松本穂香も、お互いにどうしようもなさすぎてさいこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


みたいなアホな感想しか出てこなくて、大事なこと全部飛んだ。
「あ、これってこういうことかな……」と思った次の瞬間に、この二人のさいこ〜〜〜〜な絡みが毎回あるせいで、「エッッッッ」てなっちゃって全部飛んだ。

 

マジでこの二人のファンの人は観た方がいいと思う。

私は松本穂香さんは存じ上げなかったけど大好きになっちゃったし、藤原季節さんのことは今までよりもっともっと好きになった。


直接的に性的な会話もあるんですけど、そうじゃなくてこの二人がそ〜ゆ〜関係ってとこが個人的に好みすぎてダメでしたね…………ビジュアルもキャラもさいこ〜ですよ………………

 

松本穂香さん演ずる円佳は、嫌なことがあってもへらへらしちゃう感じの優柔不断な女の子で、それがどうしようもなくやらしかった。
私が男だったら、いや女のままでも、そんな態度取られたらめちゃめちゃにしたくなっちゃうよ!と思った。
でも、そういう態度に欲情しちゃう自分どうなんだろうと思いながら観ていた。


藤原季節さん演ずる誠也は、たぶん売れない役者で、付き合う気ないのに中○ししちゃうようなクズなんだけど、でもへらへらしてる円佳を叱るときは妙に論理的で、そっちの論理は成り立ってるのに、本人の存在はかなり非論理的なところまでクズくて最高だった。

 

 

 

円形の演技スペース。
ドーナツ状になった中には、金網でできたボックスが2つと、学校椅子と、学校机。
周りには水道、ブランコ、ロープネットの遊具。

……え?水道…………もしかして水、出る? (※出ました)
……え?ロープネット?登るの?登るんだよね? (※登りました)

 


観客席は四方にあって、私は今回たまたま最前列で、しかも正面ブロックは一段上がったところに客席があったけど、側面ブロックと背面ブロックは演技スペースと地続きで、要するにまた私は境界線がない状態で劇団た組の世界に触れることになってしまった。
しかも今回、役者がハケずに舞台の周りに座ってる場面が多くて、ふっと横を見ると薄闇の中に役者さんが体育座りしてて、それも不思議な気持ちになった。
そういえば、横で眺めてる場面と、ハケてる場面があったけど、どのシーンを眺めてるかには意味があったのかな…………何度か通えたなら、そういうことも気にしながら観てみたかった。

 

劇団た組のお芝居がシームレスなのは前からだけど、今回はとくに演技空間も場面転換も、開演の仕方もシームレスだった。

すべてが地続きで、なめらか。すべてが私たちの足元と繋がってる。

 

開演前のアナウンスが一通り終わる。
四隅の出入り口から、足音を響かせて役者が入ってくる。

松本穂香と藤原季節が、ドーナツ状の舞台の中に入り、金網でできたボックスをひっくり返して揺する。中からはたくさんの玩具が転がり出てくる。

藤原季節さんが、ベルトをゆるめてズボンを脱いで、その瞬間、照明が変わって舞台が始まった。


明らかに事後の男女。
男──誠也(藤原季節)はズボンを上げてベルトを締め、女──円佳(松本穂香)は「なんでいっつも中で出していいか聞くの?」と甘えた声で聞く。

 

円佳は、オペア留学をするためにシッターのバイトをしている。
私も知らなかったが、オペア留学というのは、ホームステイ先でシッターをして給料を得ながら留学するシステムらしい。
業者に40万払って、英語の勉強をしながら、シッター経験を積んでいる。

でも、シッターの研修期間はとっくに過ぎているはずなのに、円佳は一向に英語が喋れるようにならないし、留学の目処も立たない。
そんな円佳に対して誠也は、「いや、本気で喋れるようになりたいなら参考書買って勉強すればいいじゃん。ほんとは留学する気ないっしょ?」と言うが、円佳は「え〜でも〜」と曖昧に笑うばかりだ。


留学プログラムを提供し、円佳にシッター先を紹介している会社の担当の男は、妙に胡散臭い。
そして円佳がシッターに行っている先の男の子──れんくん(5才、平原テツ)は、なんだかちょっと難しい。


二人の会話に登場する人物が、実際に舞台上にも現れる。
そうして、"今"と交差しながら話が進んでいく。

 

シッター先の家で、れんくんと過ごす円佳だが、時間になっても母親が帰って来ない。
先に帰宅した父親は、妻がシッターを頼んでいることをよく知らないらしい。
電話に出た妻は、酔っ払っているらしく、それってもしかしてお母さん、お仕事じゃないんじゃないの????って雰囲気だ。

父親は円佳に、延長料金だと言っていくらかのお札を握らせる。
円佳は「いや〜そんな〜こういうのは〜」と断りながらも最終的には受け取る。


……というようなやり取りを円佳がしてる間に、誠也は友人とサウナに行って「最近どうなの?」とか話してる。


全然関係ないんだけど、過去の劇団た組の公演のパンフで加藤拓也さんとキャストさんの座談会にサウナの話題出てたなと思い出した。
ていうかそろそろ公演パンフも作っていただきたいのですが…………好きな人の言葉が文字でほしい私にとって、パンフの有無は死活問題ですよ………………………なんとかなりませんか劇団た組さん……………………………………………


話を戻す。
誠也とその友人(秋元龍太朗)は、どうやら役者仲間らしい。
でも、友人の方は明らかに売れてて、テレビとかも出てて、今度朝の番組でコーナーが持てる。

友人との会話で「彼女? いや、なんもないわ、マジで」と笑う誠也。
「つーか俺、お前に紹介したいコいるわ」


ねえ誠也、それって円佳のこと?
円佳、ついさっき、あなたに告白したよね?

円佳が「本気で好きになっちゃう前に、ちゃんと付き合えないならこういうのやめたい」って、めちゃめちゃ可愛い顔で、照れ隠しにへらへら笑いながら言ったとき、あなたは「俺は付き合うなら結婚とかも考えたいの。中に出して子供できたら結婚するしさ」とか言ってたよね?
そんで「ちょっと考えさせて」みたいな感じで保留にしてたよね?


そんな女の子を友人に紹介しようとしてるの、ほんとにどうしようもなさすぎてヤバい。
このヤバいは、「さいこ〜〜〜〜」という興奮と、「さいて〜〜〜〜〜〜」という軽蔑を、1:1で混ぜた「ヤバい」です。

 

そんで三人で謎解きイベントとか行っちゃって、その帰りに友人が円佳に連絡先聞いたりとかしちゃって、明らかに円佳に気がある友人の取り繕えてない下心と、ほんとは乗り気じゃないのに誠也が止めてくれないからへらへらっと笑って受け入れるしかない円佳の反応と、そういう展開を予想していたはずなのに何故かちょっとだけ拒否感を示しつつもそのまま流れに任せようとする誠也の曖昧さが、やけにリアルな手触りでそこにあったりして、「あ〜〜〜〜〜この!この!男女の!あ〜〜〜〜〜〜!!!!」みたいな気持ちになったりした。


下鴨車窓の『散乱マリン』観たときも思ったけど、男女の連絡先交換の瞬間ってなんでこんなにもぞもぞした気持ちになるんだろう。
私も幾度となくもぞもぞした気持ちで連絡先交換してきたからか?
でもそれが舞台上にあるってことは、きっと皆もぞもぞした気持ちで連絡先交換してるんだろうな。

 


そして円佳は、相変わらずシッターとしてれんくんの相手をしている。

いつもどおり我儘なれんくんは、炭酸が飲みたいから買えと円佳にねだり、駄々を捏ねる。
いつもどおりイライラしながらも言いなりになってしまう円佳。
コンビニの店員は盲目で、バーコードをひとつピッとするのも大変そうだ。


いつもどおりの仕事だと思っていたところに、大きな地震が来る。


地響き。緊急地震速報

実際には揺れてないはずなのに、ブランコが揺れ、商品棚が揺れ、円佳がよろめくと、本当に地面が揺れているように感じる。

開演前のアナウンスでしきりに「体調の悪くなられた方はご遠慮なくお声がけください」と言っていて、これはもしかして時節柄というだけでなく、観るもののトラウマを煽るような何かがあるのかなとぼんやり思ったんだけど、これはこのシーンのためかと合点がいった。

それくらいこわかった。

金網でできたボックスが、積み重ねられ、押さえるキャストの腕の中でゆらゆらと揺れる。
それはオレンジ色の光を発し、煙を上げている。

火事だ。


二人のいたマンションは、火事になる。
さっき炭酸のジュースを買ったコンビニからは、すっかり商品が消えていて、一本の水を手に入れるので精一杯だ。

れんくんのお父さんとお母さんは、翌朝まで帰ってこれない。

れんくんは相変わらず我儘で、円佳を困らせる。
普段はれんくんの言うとおりにしている円佳だが、今日ばかりは違う。

「私もう仕事の時間終わってるんだからね? 帰ろうと思えば帰れるからね、私」

そんな中、れんくんはどこかに走り出してしまう。
円佳は、そんなれんくんを追いかけずに、一人で誠也の部屋に帰る。
そして誠也と同じベッドで眠りにつく。


翌朝、誠也の部屋に、「ぽに」になったれんくんがやってくる。

服はぼろぼろで、足は腐っていて、43歳のれんくんは、匂いをたどって円佳のところに来たらしい。


「ぽに」が何かは、よくわからない。

でもどうやら、「ぽに」が来ているということはれんくん本体が危なくて、そして「ぽに」は普通はお母さんのところに行くはずだけど何故か円佳のところに来ていて、「ぽに」が来るとお祓いをしないと将来子供ができたときに連れ去られるらしい。


事前に出た記事では、この作品は「“仕事とお金の責任の範囲”をテーマにした作品」だと紹介されていた。

だとしたら、「ぽにがやってくる」というのは「責任が追いかけてくる」ということなのか。

「ぽに」が「責任」だとしたら、英語の「responsibility」からとって「ぽに」なのか?
この「責任」を意味する英単語が「response(応答)」から来てるのが面白いなと前から思っていたんだけど、そう考えるとある意味で円佳は常に周囲の期待に応えてしまう女とも言えるし、それでいて何にも応えられてないよなとも思う。

 

れんくんの両親は円佳と、円佳の会社の担当者に、責任を問う。

「これは業務上の過失になりますよね?」
「あなた、一応、プロとしてどうなんですか?」

円佳はきっとそこまで責任感を持ってこの仕事をしていたわけではないし、担当者もなんとか穏便に収めようとする。
二人を責める両親も「そりゃ、こちらにも責任はありますが……」と頭を抱える。

 

ぽに化したれんくんは、5歳のときよりもずっとものわかりがよく、この世界で一番まともな存在に思えた。
本当は一番おかしな存在のはずなのに不思議だ。


お祓いにいった円佳は、胡散臭い男に言われるがままに、穴に上半身を入れる。

お祓いは9割の確率で成功し、そして成功すると9割の確率で失明するらしい。

男は低い声で、奇妙な節をつけながら呪文を唱え始める。

「鬼さんこちら、手のなる方へ。鬼さんこちら、手のなる方へ」

れんくんはそれを「え、これ俺はどうしたらいいの?」と笑いながら見ている。
儀式の終了が告げられても、彼はそのままそこにいた。


なーんだ、何も起こらないじゃん…………と思ったが、


穴から身体を出した円佳は、目元を布で覆われていた。
序盤に出てきた盲目のコンビニ店員がしていたのと同じものだ。


あの店員も、こうして視力を失ったのか?
円佳も、今は普通に見えているようだが、このまま何も見えなくなるのか?


ラストシーン、ぽに化したれんくんは消える。
本体に戻れたということだろうか。

そして、突然、円佳が周りを見回し、足元を手探りし、呆然とするところで、ふつり、と芝居は終わる。


ああ、見えなくなったんだな、と、直感的にわかった。

最後、ブランコが揺れたけど、あれはもしかして見えてないけどぽにのれんくんがいたんだろうか。

 

ぽにを祓うと失明するって話だったけど、「ぽに」が「責任」なのだとしたら、責任を拭い去るというのはある意味で目を塞ぐことになるのかなと思ったり……。

だって円佳、見えてても見ようとしてなかったものたくさんある。

留学するする詐欺になってる中途半端な自分。
嫌なことをはっきり嫌だと言えない中途半端な反応。
告白しても流そうとしてくるクズいセフレとの中途半端な関係。

円佳も円佳で、誠也とは違う方向性のどうしようもない人間だと思うんだけど、でも円佳の中にも誠也の中にも、他の登場人物の中にも、ちょっとずつ「わかるな〜」と思う部分があって、結局は私もどうしようもない人間だな〜と思った。


円佳だけじゃなく、登場人物全員、目をそらしてることがたくさんある。

れんくんのお母さん、絶対それお仕事じゃないじゃん?
れんくんのお父さん、絶対そのことわかってるじゃん?

誠也だって、役者としてうまくいってるとは思えない。
役者仲間は朝の番組でコーナー持てることになったのに。

 

目をそらしてること、耳を塞いでいること。
自分を守るためのやさしい嘘たち。


そういえば、円佳の肉体に対する接触が多くの場面で、ぬいぐるみの腕によって行われていたのも、演出上の「やさしい嘘」のように感じた。


常にぬいぐるみの腕で円佳に触れる誠也。

見た目はぬいぐるみの腕なのだが、行為を終えた誠也がその指を拭き、その手で円佳の頭を撫でたり身体を抱きしめたり腕枕をしたりするので、誠也にとっては本物の自分の腕なのだとわかる。


誠也は、ぬいぐるみの腕で円佳のスカートをめくり、円佳を殴る。

れんくんも、ぬいぐるみの腕で円佳を殴打する。

風俗嬢も、ふわふわした塊で円佳の肉体を愛撫する。


これが実際の肉体による暴力や性的な接触だったら、見ていてもっとつらかった気がする。
だから、そういう意味のオブラートとしてのやさしい嘘なのかなと思った。


でも、円佳は素手で誠也の頬を張っていて、常に生身ではない腕で相手に触れる描写がされていた誠也って何だったんだろうとも思った。

 


意味なんてないのかもしれないけど、意味を見出そうとすれば、どこまでも考えられてしまう気がする。

日常もたぶんそうで、意味なんてないけど、すべてに意味があって、人によってその感じ方や受け取り方は違う。

 

劇団た組の舞台は、虚構としての面白さが、恐ろしいほどのリアルさでそこにあって、目の前の人たちの日常をそのまま観ているみたいな気持ちになる。
演劇的な嘘がたくさんあるのに、全部が生々しく感じられる。

今回も、2時間あっという間で、もっと観ていたかったと思った。

 

全然まとまらないけど、きりがないので終わります。

 

 

↓これを書いた数日後に思ったこと