エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

『友達』って何なんですか、という観劇感想。


9月25日(土) @配信18:00回
シス・カンパニー公演『友達』
原作:安部公房
上演台本・演出:加藤拓也


を観た。


以下、ネタバレありの感想覚書。
とりあえず取り急ぎの走り書き。

気になってる人は27日(月)23:59までアーカイブ観れるので是非。

(……と思ったら、アーカイブは事前にチケットを購入していないと観られないみたいです。ごめんなさい!大阪公演ならまだ少しだけ残席あるっぽいので、そっちならまだ間に合う……?  9/27 20:30追記)

 

 

照明で区切られた正方形の空間。
中央にはドア。
そこに寝そべる一人の男。

ドアを開けると、奈落に繋がっていて、階段で人が出入りできるようになっている。


男が開けたドアから、女がひょっこり顔を出す。
そして次々に現れる人、人、人、人…………
みんな手には大きな荷物を持っていて、あっという間に9人の老若男女が男の部屋に入ってくる。

 

突然の出来事に戸惑う男だが、全く話が通じない。
警察を呼んでも相手にされない。
恋人にも信じてもらえず、頼った弁護士は「僕もなんです」と言い出す始末。


「多数決」と「正義」で物事が決まっていく。
男は部屋も財布も通帳も仕事も恋人も奪われ、家の「仕事」をするしかなくなる。

 

 

観ていてずーーーーーーーっとストレスが凄かった。

まず話が通じないのが怖すぎる。
日本語を話してるのに日本語の会話が成り立ってない。

破綻した理論を論理的に語られるから気が狂う。


原作は未読だけど、台詞回しが完全に安部公房のそれ。
でも、小説として読んでいるときは楽しめる言葉選びや台詞回しが、生身の人間の口から出てくると想像以上にキツイ。

じっと目を見て話されるのも、終始笑顔なのも、逆にこわい。


このストレスの後には、ちゃんとカタルシスがあるんだろうな!!?!と思いながら見ていても、一向にその気配がなくて、ただただ苦しい。
でも、その苦しさがだんだん麻痺して面白くなってくるのが、また怖い。

 

隣人愛って何なんだ。
私たちはみんな孤独で、でも一人じゃなくて。
血の繋がった家族でも結局は他人だけど、それがなくても家族のような他人もいて。
そういう繋がりの中で、みんなそれぞれの役割や仕事をしながら生きていて。

でも、一人になりたくて。

 


ラスト、男が赤い『檻』に入れられる。

完全に「赤い繭」じゃん!!!!!!!!!

ってなった感想を誰かと共有したくて、終演直後にTwitterで「#SIS友達 赤い繭」って検索したけど、誰もそんな話してなかった………………ネタバレになるからみんな伏せてる……?

 

 

そういえば私は、もともと安部公房作品も、加藤拓也作品も好きで今回の公演を楽しみにしていたんだけど、安部公房のエッセンスが強すぎて、「加藤拓也」はあまり感じられなかった。

でも、後から思い返すと、あの虚構なのにどうしようもなく現実という構造そのものが加藤拓也さんがいつも舞台でやってることと同じのようにも思える。

ここで終わったらこう終わったら気持ちいいなというところで幕が降りたから、加藤拓也作品の呆気ない幕引きが好きな私としてはむしろ裏切られたような気持ちになった。

 


終演後、配信限定でキャストさんの舞台裏挨拶があったのがとても良かった。

個人的には管理人さんの目が怖すぎたのと、お父さんが…………お父さんがめちゃ凄くて………………役者さん全員めちゃめちゃ上手かったんですが、とくに印象に残りました。

 

大阪公演が楽しみなような怖いような……とにかく無事に行けるといいな〜〜〜〜!!!!!


終わります。