エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

三島由紀夫没後50周年企画「MISHIMA2020」 『真夏の死』(『summer remind』) 『斑女』近代能楽集より に狂わされた話


9月27日(日) 16:00~
三島由紀夫没後50周年企画「MISHIMA2020」
『真夏の死』(『summer remind』)
『斑女』近代能楽集より


を配信で観た。


前の週の第一弾『橋づくし』『(死なない)憂国』が期待以上に良くて、かなりハードル上がってたけど、今回の第二弾では全然違う方向から突き刺されてまたはっとした。

第一弾が"動"の芝居なら、第二弾のは"静"の芝居という印象。
『橋づくし』と『(死なない)憂国』はどちらも音の使い方や言葉をリズムに乗せていくのが気持ち良くて、流れる音と言葉に登場人物の感情が合わさって濁流になって、気がついたらめちゃめちゃに殴られてる……みたいな感覚だった。
今回の『真夏の死』(『summer remind』)と『班女』は、どちらも沈黙と静寂の見せ方が本当に上手くて、静謐な空気の中に滲む狂気が美しくて、恐ろしくて、鋭利な刃物で切り裂かれるような、突き刺されるような、そんな気持ちになった。


公演は現在アーカイブ配信がされてるので、未見の人は是非こちらからどうぞ。*1
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2065101
【販売期間:2020/10/11(日) 20:00まで】

 

ちなみに第一弾の感想はここ。

 

 

というわけで、また個人的な感想を書き留めておきたいと思う。
ネタバレとか一切気にせずに書くレポというか覚書というか自分語りというか……な何か。

 

 


『真夏の死』(『summer remind』)
作・演出:加藤拓也
出演:中村ゆり、平原テツ


舞台上には二脚の椅子と、男と女。
ノローグ中心のシンプルな語りで物語は進んでいく。


主人公は、海の事故で義理の妹と二人の子どもを亡くした女だ。
女と、その夫の語りが、物語の中心となる。


二人とも話し方がとても自然で、第三者に向けて話している場面でも変な気負いのようなものが全くなくて、本当にただ"その人"としてそこにいた。
語りから会話への切り替えも流れるようで、時間や場所の経過がすっと入ってくる。

二人は基本的に椅子から動かないので、最初は正直ちょっと退屈だった。画面がつまらないというか、淡々と進んでいってしまうというか……。
それがいつの間にか引き込まれていたのは、二人の吐露する心情が真に迫るものだったからだ。
どちらの気持ちも、よくわかる。複雑な気持ちが痛いほど伝わってくる。

 

女は、義理の妹と子どもの葬式で、来る人みんなに「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。
自分がついていながら、こんなことになったから。
自分がちゃんと子どもたちを見ていれば、こんなことにはならなかったかもしれないから。

そして、みんなは慰めの言葉をかけてくれるけど、本当は「お前のせいだ」と思っているんでしょう? と思っている。


自分を責める気持ち。
謝らずにはいられないような気持ち。
それは、他人がそれを望むからなのか?
己の内なる自己ならぬ、内なる他者がそれを言う。

 

女は、義理の両親の前で「申し訳ありませんでした」と泣き崩れる。
娘と孫をいっぺんに失った義理の両親の前で、ただ泣くことしかできない。そのことを悔しく思いながらも、ただ泣くことしかできない。


何人死んでも泣くしかできない。
怒っても泣いちゃうし、泣くだけじゃ悲しみの量とか大きさとか何も表せない。
ていうか泣くって何なんだ?

私にとっての「泣く」は、感情が溢れる瞬間だ。
その感情に名前はない。
一言では表せない何かが込み上げてきて、目から水滴となって落ちる。
その気持ちが何だったのかがわかるのはだいたい泣き止んでからで、最後まで結局わからないこともある。

だから、女が泣きながら「私の背中をさする手は私の気持ちをどこまでわかってるんだろう」と思っているのは、なんだかわかる気がした。

 


夫は、自らも妹と子どもを亡くした悲しみに苛まれながら、なんとか日常を取り戻そうとする。
しかし妻は、悲しみを忘れることを、自分の心の傷が癒えることを恐れる。


不幸な人はいつまで不幸でいなきゃいけないんだろう?
忘れることは悪いことなのか?
時間が一番の薬ともいうけれど、不幸なことを忘れて幸せになることは罪なのか?


いつまで悲しめばいいんだろう……というのも、なんとなくわかる。
親しい人を亡くしても、ご飯は美味しいし、ペットは可愛い。
でも、それを表に出すのはなんとなく憚られるような気がしてしまう。

もっと小さなところだと、Twitterで悲しいニュースを見たときも、思ったりする。
楽しいこと呟くためにTwitterを開いて、悲しいニュースを見ると、どうしたらいいかわからなくなる。

 


妻はライブに行くようになる。
子供の思い出話をするようになる。

自分を罰するために。
辛い気持ちを忘れないように。
徹底的に反省するために。

「楽しめば楽しむほど我に返ったときの反省が大きくていい」と語る女。
でも夫はそんな妻を見て「向き合おうとしてるんだ、立ち直ろうとしてるんだ」と喜ぶ。
致命的なすれ違い。


そうして夫婦は新しい命を授かる。
妊娠がわかったのは、二人の子どもを亡くした半年後だ。

新しい命が自分への戒めになると思っている妻。
素直に喜んだ夫。

ただ二人ともに共通しているのは、子供を亡くしたばかりの夫婦がすぐに新しい子を作るのはどうなんだろうと気にしていること。

 


そして、いよいよ出産のとき。


いきむ女。大きく膨らむ床。
女の苦しく切ない声と共に、床がどんどん膨らみ、椅子にしがみつく女を覆い隠す。


舞台の床にビニールのようなものが敷かれていて、その中に空気が入っていくのだが、これには本当に驚いた。
しかも、よく見ると床が膨らむたびに、さらさらと砂が押しのけられていく。砂!舞台上に砂!!!!
ちなみにぱっと目に入る舞台装置は二脚の椅子だけなのだが、この椅子の高さが変わるのにも驚いた。脚がするするとせり上がり、数メートルの高さになるのだ。ライブの場面ではぴかぴかと光ってもいた。
このシンプルだが、少し奇妙な舞台装置も、夫婦のいびつさを象徴しているのだろうか。


夫婦の間に満ちていた不穏な空気が、妊婦の腹の中でどんどん膨らんでいく。
足元から膨らみ、女を覆い隠すまでになる。
そしてそれがぷつりと弾け、産声と共に、へその緒が溢れ出す。


グロテスクな臓物。
新しく生まれた娘。


男は、慌てて駆け寄り、その肌色の物体を手繰り寄せ、持ち上げ、へその緒を切る。
そしていとおしそうに、自分の身体に巻き付け、抱き上げ、あやす。


夫にとっては希望の象徴。
女にとってはそれは戒め。

 


幸せそうな夫の横で、女は語る。

物語の中の事件は、登場人物にとって何らかの意味がある。
じゃあ、自分達の身に起こったことは?
私たちの子どもが死んだのは、何か私たちの成長に繋がるの?
海に行ったら子どもから目を離しちゃいけませんって教訓? でもそんなのしょぼすぎない?
何かの意味があったの?
でも物語の中の事件も登場人物にとっては意味がなくてもいいんじゃないか?

 


そして、事故から二年後の夏。
新しく生まれた娘が一歳の夏。


女は、あの海に行きたがる。
でも夫はそれに反対する。
夫は、また誰かを失うことを恐れている。


でも、結局行くことになる。
あのときと同じ旅館に泊まることにする。


女は、"戒め"を抱き上げて海へ行く。
話しながら青い布を引っ張って歩き、そこが海岸線になる。

夫は浜辺を歩く妻を、旅館の窓から見ている。
するすると高く上がった椅子の上で、煙草を吸いながら。


女は、浜辺を歩いているうちに、自分の中の子どもたちの記憶がまだ失われていないことに気がつく。


楽しかった日々の、他愛のない日常の記憶。

振り返った女の、中村ゆりの顔が、なんともいえない表情でどきりとした。


女は浜辺を歩く。
波の音が響く。

舞台上では青いバランスボールが跳ね回る。
潮騒が形を持ったら、たぶんこんな風なんだと思う。


女は、海を見つめる。
夫は、女を見ている。

波の音がふつりと途切れる。

 

あ。

 

と、思った瞬間、女は抱えていた"戒"めを海に投げ捨てた。

波にさらわれていくグロテスクな臓物。

でも、それは、グロテスクな臓物にしか見えないけど、それは、

波にさらわれていく、一歳になった娘。

 

私は画面の前で動けなかった。
一瞬の暗転の後、役者が並んで礼をして、観客が拍手を送り、MISHIMAのロゴが回り始める。


加藤拓也さんは、静寂を作るのが上手すぎる。
でも、その静寂をラストに持ってこられると、止まった心臓が動き出すタイミングを失ってしまう。

そしてこうして、物語自体を投げ捨てるような唐突な終わり方も、劇団た組の舞台で観てきたはずなのに、今回はとくに衝撃的だった。


女は、娘を海に投げ捨てた。

それは、戒めを捨てたということか?
もしくは新たな戒めを自分に課した?


どういうことか、わからない。
わからないけど、驚くほど美しい。
ひたひたと満ちていた女の狂気がこんな形で解放されるとは思わなかった。
それまでの夫婦の感情はどちらもなんとなくわかるなと思いながら観ていたからこそ、最後にこんな形で裏切られるとは思わなかった。


賛否両論あるだろうなと思うけど、私はすごく好き。
というか近代文学の終わり方ってこういう「ふつっ」と暗転するようなものが多い気がして、そういうのも含めてすごく好き。

加藤拓也さんのこういう突き放すような終わり方を観るたびに、坂口安吾の『文学のふるさと』に書かれてることってこういうことかなと思う。
このラストに対して「なんでや!!!!!!!!!!!!」って気持ちの収まりがつかない人は、読んでみてもいいかも。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html

 

 

(閑話休題)

というわけで、『真夏の死』(『summer remind』)のラストが衝撃的すぎて呆然としていたのが、27日の夜。
続けて『班女』を観るつもりだったが、余韻がすごすぎてとてもそんな気持ちではなかったので、その夜はそのまま寝た。

そして、配信終了間際の29日深夜に、駆け込みで『班女』を観て、感想をまとめたいなと思っているうちに今日になってしまった。

以上、一週間も経ってから感想をあげる言い訳おわり。

 

 

『班女』近代能楽集より
演出:熊林弘高
出演:麻美れい、橋本愛中村蒼


今回の「MISHIMA2020」で、この作品だけは三島の戯曲そのものだ。
だから、舞台設定や言葉遣いにはやや時代を感じる。

でも、それも含めて最初から最後までずっと美しかった。

 


いつまでたっても現れない男を待ち続ける女、花子。
花子は毎日、駅のベンチに腰かけ、電車がくるたびに降りてくる男の顔を確かめるが、愛したあの人はどこにもいない。
待ち続けるうちに、女はついに気が狂ってしまった。


そんな記事が、新聞に載った。

それを読んで気が狂いそうになったのは、画家の実子だ。

実子は、美しい狂女・花子を自宅に住まわせている。
花子を描いた絵だけは展覧会に出してない。

実子が恐れるのは、新聞記事を見た男が、花子のところにやって来ることだ。
そして花子が、自分のもとを去ることだ。


「どこか遠くに旅に出よう。追い詰められたら死ねばいい」

そう実子は言う。

実子は花子の美しさに見入られている。
花子の美しさを愛している。
花子を、花子の愛した男・吉雄と会わせたくない。


実子にとって、吉雄は恋敵なのだ。

 

実際、花子は美しい。
花子を演じる橋本愛の顔が、本当に整っていて、つんと尖った鼻が人形のようで、実子がこの美しさに狂うのもわかる気がした。


花子が美しいのは姿形だけではない。
彼女は一途に愛した男を待ち続ける。
心を狂わせ執着する姿までも美しい。


心を狂わせ執着する姿が美しいのは、実子も同じだ。

「その人の心はあたしの心」
「愛されない人間」

 


そして、実子が恐れていたように、新聞記事を見た吉雄が、花子を訪ねてくる。

しかし、吉雄のことを花子は認識できない。

交換した扇を示しても、名を呼んでも、花子は「吉雄さんのお顔ではない」と繰り返す。

扇を投げ捨て帰っていく吉雄
橋を落とす実子。

「橋」と書いたが、そう呼んでいいのかはよくわからない。
舞台前方、エプロンの中が部屋のようになっていた。
ミュージカルだとオーケストラがいたりする場所だ。
冒頭、実子はそのエプロンから現れる。
でも、そこは会場の観客からは見えないと思うんだけど、どうなってたんだろう?

そして吉雄は、エプロンの前方をつたって、橋のようなものを渡り、花子に会いに来る。

それを、最後に実子は落とすのだ。
もう二度と邪魔者が現れないように。


そうして「私は待つ」と言う花子。
「私は何も待たない」と言う実子。


「こうして今日も日が暮れるのね」
「素晴らしい人生」


二人の、二人だけの人生が続く。

 

鬼気迫る情念、執念、狂気。

美しい。
構図が美しい。
顔が美しい。


『真夏の死』では忍び寄る狂気に自分まで侵食される気がしたが、『班女』は美しい女の孤独な狂気に指一本触れさせてもらえなかった。

ただただ、美しかった。

 

 


この二つの作品は、どちらも静かな狂気に満ちた美しい舞台だったけれど、その性質は全然違っていて、それぞれ面白かった。

第一弾も含め、三島の作品を下敷きに現代のいろんな演出家のお芝居が観れて本当にものすごく楽しかったから、またこういう企画があるといいなと思う。
三島の原作もちゃんと読みたくなった。というか読んでから観たらまた違う感想になる気もする。

 

相変わらずまとまりのない文章になってしまったけど、自分の考えを書いたから、これでようやく他の人の感想を読みに行ける。
あと、特典付アーカイブで加藤拓也さんのインタビューと脚本が見れるらしいので、それも楽しみ!

私はもともと加藤拓也さんのファンでこの企画を知ったけど、これで初めて加藤拓也作品を観た人がどんな感想を抱いているのか正直めちゃめちゃ気になっている。
もし逆に加藤拓也ファンの感想を読みたくてここにたどり着いた人がいれば、2018年以降の加藤拓也作品はだいたい観劇して感想書いてるので適当に漁っていってください。


もしかしたら、他の人の感想読んだり、加藤拓也さんのインタビュー見たりしたら、また何かを書きたくなるかもしれないけど、とりあえず終わります!

 

*1:脚本や演出家のインタビューが観られるスペシャル特典付もあるみたいですが、私はこれを書き終わったら観る。
自分の感想をまとめる前に余計な情報をいれたくないタイプのめんどくさいおたくなので。