エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

劇団た組『私は私の家を焼くだけ』を観ただけの話


12月1日(火) @ネスカフェ原宿
劇団た組。『私は私の家を焼くだけ』
作・演出◎加藤拓也/音楽・演奏◎谷川正憲(UNCHAIN


を観た。


いつもだったら舞台の内容を忘れないように事細かに舞台上で起こっていた事実を追いながら書くところだけど、今回はなんとなくそれが嫌なので、できるだけネタバレしない範囲で、自分の思ったこと中心に書こうと思う。


でも、話の筋や展開を知っていても楽しめると思う。
そのときそのときの瞬間に、その場にいないと味わえない感覚が詰まっているような芝居だったから。
少しでも気になった人は、当日券も出るらしいので是非、自分の目で確かめにいってほしい。

 

 

会場は本当にカフェだった。
明るく開放的な店内の一角、階段のようになったスペースに、椅子が四脚置かれている。
それが今回の舞台だった。

 

開演時間になり、キャスト達が客の間を縫うように歩いてくる。
一人は椅子に座り、二人は階段に腰掛け、一人は観客の方を向いて立つ。
その傍らに、ギターを抱えた谷川さんが腰掛け、チューニングを始めた。

 

観客を見渡し、主人公・可奈役の村上穂乃佳さんが、そっと口を開く。

「こんばんはー。あ……チューニング待ち、です。チューニング終わったら、始めます。あの、ここ、外の音が普通に聞こえてきて、電車の音とか、山手線なんで3分に一回ゴーッていうんですけど、そのたびに大きい声出すので……。トラックとかが、『えるおーぶいいー』とか言うのも全部聞こえるんですけど、負けないように、声出します」

そんな前説っぽい語りからそのまま本編へ。


ここはとある地方の喫茶店
しかし、ワールドカップ開催に伴う再開発のため、立ち退きを迫られている。

お父さんはすごくすごく声が小さい。
でも、立ち退きを迫りに来た人に反対してるうちに、声が大きくなった。

この、声ちっさい時期のお父さんがめちゃめちゃおもろかった。
本当に小さい。可奈も正直聞き取れないけど、聞き返すともっと声が小さくなるから、よくわかんなくても「うん」と言うようになってしまったらしい。

一瞬でも意識離したら聞き取れなくなる緊張感。
いや、聞こえなくてもいいんだろうけど。
タイガースが13失点で負けたとか、ヤクルトが最下位とか、そんなような話をしていたような気がするけど、はっきりとは聞こえなかったからわからない。

 

お父さんの小さな声を聞き取ろうと、耳が研ぎ澄まされていく。
小さな声で話されると、逆に聞かなきゃという気持ちになる。

 

冒頭の父の声は本当に本当に小さかったが、他のキャストの声も、決して大きくはなかった。
でも、それがとても心地良かった。
普通の部屋で、普通に喋ってるような、そんなボリューム。

大きな舞台では声が聞き取れないことはイコールでストレスになっちゃうから、このひっそりした声が心地良く響くのは小さな会場ならではかもしれない。
たぶん配信とか映像でもダメだったと思う。目の前にいるからこそ、聞こえそうで聞こえなかったり、それでも聞きたいと耳を傾けたり、そういうのが面白かったんだと思う。

近い距離で静かに語られると、本当に自分だけに語られてる感覚になるというか、身内感がすごい。
すっと心の奥底に入ってくる。

 

冒頭で、外からの音が気になるかもとアナウンスされたが、それがむしろ良かった。

とくに、静かな場面に響く山手線の音。
家を飛び出した可奈が一人で歩いてるところで、電車の音がしたのめちゃめちゃ良かった。

普通の会話のときは全然気にならないけど、ふとした瞬間に外の景色や音が入ってくる。
外界からの情報も、舞台の一部になってる感覚。


昔、大阪で缶の階の舞台を観たときに搬出入口を開けたまま芝居をする演出だったんだけど、真昼の明るい外の景色の中を自転車が横切ったのが、偶然なのか演出なのか本当にわからなくて、舞台とはなんの関係もない人の偶然の日常なんだろうけど舞台の雰囲気ともあっていてめちゃめちゃ良かったことを思い出した。

 

外界からの情報といえば、開演前に飲んだカフェオレもそうだ。
今回はワンドリンク制だったのだが、感染症対策の一環で上演中の飲食は禁じられていた。だからオーダーした飲み物は開演前に飲み切るか、開演後にテイクアウトすることになっており、私は開演前に飲んだ。

劇中で、主人公たちが営む喫茶店に、常連客がやってきて、コーヒーのホットを注文する。続いて主人公の友人が訪れるのだが、「何飲む?」と聞かれた彼女は「いい、喉乾いてないし」と断る。そんな彼女に常連客は「喉乾いてなくても飲むんだよ。そういうもんなんだよ」と語り、結局彼女はコーヒーを頼むという場面があった。
序盤のシーンだったので、口の中にはまだ先程のカフェオレの味が残っていて、「ああ、そういえば私も喉が乾いているかといえば、そうじゃないけど飲んだし、そういうものとして疑ってなかったよな」と思った。
なんていうか、「場」によって行動が規定されることって、舞台上だけの話ではないのだな〜〜〜〜〜と思った。

 

 


不思議な緊張感の中、舞台は進む。
可奈の語りに合わせて、時間や場所が一瞬で飛躍するのも、演劇を観ている満足感が得られてとても良い。

 

そしてラスト、ここで終われば綺麗なのにというところで終わらなかった。わちゃわちゃして変な感じで終わるあれ。突然ラストでふざけた感じになるあれ。
「ここで終わらないの!?……………そんで、このまま終わるの!?」ってなるけど、現実に生きてる人間に取っては終わるとかないわけで、シームレスな舞台だからこそ、そこもシームレスでもいいような気もする。
いやでもやっぱりあそこで終わった方が綺麗だったよ!
でもそれはたぶん嫌なんだろうな〜〜〜〜加藤拓也さん、ベタなの嫌がりそうだし、ベタをベタにやらないところも好きだからわかるけど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

でも椅子がおうちになるのめっちゃ可愛い!
あの穴なんだろな〜〜〜〜と思ってたから組み上がったときはちょっと感動した。


最後のわちゃわちゃも、本人たちは真面目なところが観ていて可笑しくて、結局人生ってそういうものなのかねとも思う。
必死な人って見ていて面白いし、愛おしい。

 

ところで私は椅子の上に土足で立つのがめちゃめちゃ気になっちゃうんだけど、気にしすぎ?


あと、どうでもいいけど、友達の服が可愛かった。
『真夏の死』で中村さんが着てた衣装にも似てる。
私もああいうスカートほしい。可愛い。ニットの色もめちゃ可愛い。

 


ここまでが、観劇直後にばーっとメモしてたこと。
ここからは、観終わってから丸一日ぼーっと考えてたこと。

ちょっとネタバレある。

 


加藤拓也さんの作品に触れるたびに「この人はどうして、こんなにも人間の心の機微がわかるんだろう」と思う。
しかも、ただ理解してるだけじゃなくて、それを作品の中に落とし込んで再構築しているところがめちゃめちゃすごい。

たとえば、周りに「彼氏は?結婚は?」と聞かれたときの気持ちとか、なんでこんなにわかるんだろうと思う。
まあこういうのに男とか女とかないのかもしれないけど。苦しみは人それぞれで、みんな一緒なのかもしれないけど。
可奈の「彼氏とか結婚とか可愛いとか美人とか、そういうのもううんざりなんですよ」みたいな台詞がめちゃめちゃ刺さったけど、刺さったわりに台詞の細かいところを忘れてしまった。でも、そのときの可奈の表情が忘れられない。

 

「家」というのは一つの居場所なわけで、可奈は自分の居場所を求め続けているのかなとも思った。


友達は、地元を出て東京に行く。
そして東京で出会ったいろいろをプロデュースする人と結婚する。
東京が、その人の隣が、彼女の居場所になる(はずだった)。

結局、彼女は死んでしまうわけだけれど、死んだら焼かれるわけで、『私は私の家を焼くだけ』だけど、みんな結局「死んだら焼かれて骨になるだけ」だなと思ったりもした。

 

茶店は立ち退きを迫られている。
かつて、可奈の父と母が、駆け落ち同然で家を飛び出してきて、二人で一から作り上げた喫茶店
父は頑なに立ち退きを拒む。商店街はどんどんシャッターが閉まっていく。

地元を離れたくないという思いは、たぶん理屈じゃ説明できない。
父にとってのここは生まれ育った土地ではないけれど、でもここに根を下ろして生きていくことを決めたのだ。
そして、同じ場所に、今は娘の可奈も根を下ろしている。
そういう場所は、自分のアイデンティティに関わる。
簡単に切り捨てることはできなくなる。


そういえば加藤さんは、上演にあたってのコメントで「2年前に書いた作品だが、尚今の方が原宿という土地でこれをやっていることに大変意味を感じられる」と述べていた。
原宿駅は、この3月に改装されたばかりのはずだ。
駅というのも、多くの人の日常と思い出が宿る場所である。
実際に私も、数年前、地元の駅のテナントがいつの間にか大きく入れ替わっていてショックを受けた。私が高校時代に通い詰めた本屋も、ミスドも、ロッテリアも、全部なくなってしまっていた。
私自身にとっての原宿は、テレビや雑誌で見る憧れの街ではあるが、実際に行ったのは今回が2回目で、特別思い入れがあるわけではない。でも、青春の思い出が原宿に詰まっている人も多いだろうなと思う。
立ち退きを拒む親子の話を、原宿でやる意味というのは、そういうことなのかなと思ったのだが、どうなのだろうか。

 

 

ところで私は、東京で『私は私の家を焼くだけ』を観ただけなのだが、そのことを大きな声では言えない状況にある。
この時期に東京に行ったなんてことが知れたら、どうなるかわからないから。

前回と同様に、会場以外行かない、誰にも会わない、何も食べないという自分ルールで行ったので、本当に観ただけ。感染リスクは極めて低いと思う。もちろんずっとマスクはしていたし、会話を交わしたのも会場に入るときのスタッフさんとの事務的なやり取りだけだ。

でも、言えない。
観に行ったことは全く後悔してないし、むしろ観に行って本当に良かったと思ってるけど、それを人に話せないのがもどかしい。


早くどこにでも気兼ねなく遊びに行けるようになってほしいけど、まだまだ難しいんだろうな〜〜〜〜

 

とにかく今、私にできることは、手洗いうがいして、栄養のあるもの食べて、あったかくして寝て、体調を崩さないようにするだけ。

 

おやすみなさい。