エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

犬僕、丁寧、GOOD WAR、ドードーが落下する

 


9月18日(日)豊岡演劇祭

安住の地 一人芝居企画 @ワークピア日高

板敷きの会場に、靴を脱いで入る。
演劇専用の空間ではなく、たぶん普段は会議室とかそんな感じの場所。
個人的には、アマチュアの社会人サークルで演劇やってたときに借りてた地域のコミュニティーセンターの談話室を思い出した。

客席は座布団とパイプ椅子。
演技スペースと客席は地続きになっている。

カーテンは閉め切られているが、完全暗転するわけではない。
照明機材も最低限だけど、ものすごく効果的だった。

舞台上にはいろいろな形の椅子が点在している。
それが、役者の動きによって表情を変える。


『犬が死んだ、僕は父親になることにした』
作・演出:私道かぴ
出演:沢栁優大

(あらすじ)
妻の犬が死んだ。妻が独身時代からずっと飼っていた犬だ。
僕が帰ったら犬はひとりで死んでいた。よりによってその時家にはだれもおらず、というのはいま妻は身重で、里帰り出産ということで遠くに行ってしまていたのだ。妻に電話をする。葬儀屋を調べる。思いの外淡々とことは進んで、静かな夜が訪れる。死んでしまった犬と、僕の長い夜がはじまる。
―――動物の生と性を描く、一晩の物語。

 

死んでしまった犬は、元々は妻が飼っていた犬で、男は妻との出会いから現在までを回想しながら、その関係の中にいた犬のことを想う。


“僕”と、その妻を、沢栁優大さんが一人で演じるんだけど、その行き来が本当に見事で、鮮やかで、とても良かった。
そもそもの佇まいが中性的なのに加えて、照明の光の当て方が絶妙で、なんだかすごく色っぽかった。

僕と妻との会話、一人でやってるのにどちらの言葉かわかるし、それが不自然じゃないし、どうしたらあんなにシームレスに繊細な演技の切り替えができるんだろう。

とにかく、「男が一人で、二人と一匹の日々を振り返る」というシチュエーションと、沢栁さんが一人で男も妻も演じながら語るスタイルが合っていて、一人芝居ならではの良さが詰まった作品だった。


僕は、妻と共に過ごしてきた犬との日々を想う。
一匹のオスのダックスフンドと、一人の男である自分と、妻。

犬は、妻の恋人で息子で家族で…………自分は妻の恋人から家族になって、今は息子が生まれようとしていて…………


一人の男の中で、生と性が重なって混じり合っていく。
一人の役者の上で、それが表現される。


素直に良いものを観たなと思ったし、他の人にも勧めたい作品。

 

『丁寧なくらし』
作:私道かぴ/演出|岡本昌也
出演:雛野あき

(あらすじ)
くらしは今朝起きてすぐ決断をした。
これからは、目の前の一つひとつを見過ごさずに生きていくことに決めた―――。
「身体」をテーマに終始一人称で描かれる新感覚の演劇作品。身体の捉え方が変わる演劇体験をお届けします。


同じ会場で、少しレイアウトを変えての公演。
『犬僕』が繊細な作品なら、『丁寧』はダイナミック。

舞台上を縦横無尽に動き回りながら、自分の身体の話をする。
いきいきとした肉体が躍動する様を見せつけられる。

こちらは音の演出が印象的だった。
わざと節をつけた台詞。
スピーカーから流れる音楽。

ストーリーは正直よくわからなかった。
目の前の現象を楽しむ感覚。


ラストシーンで、カーテンが開かれる。
突如差し込む自然光。そして開け放たれる窓。

外から、音が聞こえてくる。
「何の音」って説明できない。豊岡の、江原の音。空気。

劇場という閉鎖空間が、一気に外と繋がる。
自分もそこから来たはずなのに、外の世界がすごく魅力的なものに思えるから不思議。
魅力的なものを求めて劇場の“中”に来たはずなのに。

身体の内側と外側のこと全部を考えるのも、そういうことなのかな〜。

 


ルサンチカ『GOOD WAR』 @日高文化体育館
構成・演出:河井朗
出演:蒼乃まを、伊奈昌宏、斉藤綾子、渡辺綾子
音響:河合宣彦

(作品について)
『GOOD WAR』は、私たちが「あの日」と聞いて想像する争いと日常で構成されています。

私たちは生きている限り、これからもだれかと戦い続けなければなりません。現時点で戦っていなくても、生きている限りいつか争いに巻き込まれます。

『GOOD WAR』ではいずれ来る「その日」と、過去にあった「あの日」との向き合い方を鑑賞者と共に考えるべく、だれかの「あの日」が集積された記憶のモニュメントとして演劇作品を立ち上げます。


会場は体育館。
ステージに背を向けて、フロアに演技スペースが設定されているけど、これも客席と演技スペースは地続きになっている。


これは……これはいったい何だったのか、今でもよくわからない。

役者は何かを語りながら現れて、体育館の観客席に座ったり、フロアに立ったりする。
それはきっと、誰かのあの日の話で、そこには確かに物語があるんだけど、全てが断片で全体像はわからない。

役者は自由に、いろいろなところに行く。
歩いたり、座ったり、上ったり、降りたり……。

いろんな場所からいろんな音がする。
それは役者が立てる音だったり、声だったり、スピーカーから発されるものだったりする。

「こういうことなのかな」と思った瞬間、それは雲散霧消していて、あくまで「今 ここ」に現象として立ち上がるものを鑑賞するしかないというか、観測し続けないといけないというか…………。

脈絡がないんだけど、何かがある気がして、わかりたいのに何もわからなくて、これは何だと思っているうちに終わってしまった。
物語があるはずなのに、物語からは拒否されている感覚。

観ていた他の人は何を思ったんだろう。

 


9月23日(土) @KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ


劇団た組『ドードーが落下する』
作・演出:加藤拓也
出演:藤原季節、平原テツ、秋元龍太朗金子岳憲、今井隆文、中山求一郎、安川まり、秋乃ゆに、山脇辰哉


(あらすじ)
「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」

イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。

 

大好きな劇団た組の新作。
正直、今までの作品と比べたら刺さらなかったんだけど、ぞわぞわする感じは嫌いじゃない。

以前KAATで劇団た組を観たときは、円形の舞台の両側に客席があったけど、今回は普通に片面のみ。
撮影OKの舞台模型が展示されていたので写真に収めてきたけど、こんな感じ。


f:id:maguromgmg:20221022172529j:image

真ん中の街のセットは、入場したときは宙に浮いていて、その影が舞台上に落ちてぽっかりと穴が空いてるみたいに見えた。

開演と共に、街のセットが下に降りてくる。


具象物が抽象的に置かれてるのが面白い。

しかもこれ、ビルのてっぺんがパカって開いて中から小道具が出てきたりする。そんなんあり???
なんなら、身につけてきた衣装をそこにしまってたりもした。なんでもありかよ〜!

劇団た組のこういう遊び心というか、小さな固定概念をぶち壊しながら淡々と進めてくところ、反則だよと思いながらも成り立っちゃってるのがマジですごい。演劇って自由なんだな……と思う。

 

芝居の中身は、「青春失踪劇」と銘打たれてるけど「疾走」してた印象が強い。

あと、最初は笑って観てた場面がだんだん笑えなくなってくるのがこわい。


冒頭、カラオケでの打ち上げで、夏目さんはHOT LIMITに合わせて服を脱ぐ。露わになった上半身には黒いマジックで線が描かれていて、夏目さんは手を上に組んで踊り、みんなはそれを笑って見ている。
途中で江南スタイルも混ざってきて、キャッチーなビートと仲良しの業界仲間のノリが、観客として観てても楽しい。
こういう悪ノリ内輪ネタな感じを意図的に描くのも加藤拓也さんマジで上手い。大好き。


でも、それがだんだん笑えなくなってくる。
HOT LIMITはその後のシーンでも何度か流れるんだけど、そのときにはなんだか笑えない雰囲気になってる。


もっと怖かったのは「ルージュの伝言」だ。
これは中盤に歌われて、すごく楽しいシーンなんだけど、同時にものすごく怖かった。


カラオケで、女の子がルージュの伝言を熱唱しながら、ベッドに上がる。
男たちは舞台装置をグワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと動かして、歌う女の子もベッドに乗ったまま移動する。

そして、前半ずっとそこにあった装置たちが形を変え、舞台は夏目さんの一人暮らしのアパートになる。

“不安な気持ちを残したまま”
“街はDing-Dong 遠ざかってゆくわ”

不安な気持ちを残したまま、街のセットはぐるりと動かされ、夏目さんの一人暮らしのアパートになる。

何だそれ何だそれ、めちゃめちゃ楽しいのにめちゃめちゃ怖い。
この歌詞ってそういう意味なの?そういう意味になっちゃうの???

 

夏目さんは、たぶん統合失調症だ。
だんだん言ってることがおかしくなって、見えないはずのものが見えてきて、そこにいるはずの自分のことが見えなくなってくる。

伸也は、それでも夏目さんとの対話を試みる。


観ながら、ハイバイの『投げられやすい石』を思い出していた。
おかしくなってしまった友達と、それでも友達としての何かを果たそうとする姿が重なった。


共有できる部分があるからこそ、切り捨てられない。


伸也は最後、夏目さんの世界を共有して、舞台は終わる。
観客は笑っていいのかいけないのかわからない空気を味わうことになって、そこで終わる。

 

「こえーよ」というのが、素直な感想。

今回は自分の中で共感できる部分がなかったから比較的平穏な気持ちで観られたけど、これちょっと何かが自分の中で違ったらめためたにされてたんじゃないか?

 

「なんだったんだ〜〜〜〜〜」と思いながら中華街でタピオカ飲んで帰路についたら、新幹線が雨で運休になって帰れなくなった。
急遽、神奈川で一泊して、翌朝も東海道新幹線は混乱してたから、北陸新幹線使って帰った。

 


以上、9月の観劇遠征記録。

 

 

『もはやしずか』感想供養

 

4月3日(日)@世田谷シアタートラム
『もはやしずか』
作・演出◎加藤 拓也

 

を観てきた!

けど、それから気がついたら半年が経っていた。
このときは人と一緒に観に行って、終わった後に随分いろんな話をしたから、それで満足してしまったのかもしれない。

戯曲が掲載されている雑誌「悲劇喜劇」も買ったけど、感想まとめてから読もうと思ってたら、感想をまとめられないまま、今になってしまった。

スマホのメモアプリには、直後に書き留めたメモと、書きかけの感想。
今日はこれから劇団た組『ドードーが落下する』を観るので、その前に供養として投げておく。

 

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具象舞台で繰り広げられる会話劇。
あくまで日常のワンシーンなんだけど、微妙な違和感がそこには常にあって、これはどこに着地するんだろうと思いながら観ていたら、突然ガツンとやられた。

 

 

以下、感想覚え書き。
ネタバレとか全然気にせずに思いついたまま書きます。
レポというほど詳細に過程を描写するつもりもないけど、ラストシーンの話はしたいので、これから観る人はぜひ観劇後に「あれってどういうこと?こういうこと?」という話をしましょう。

 

 

会場の中央に、長方形の舞台。
それを両側から挟む形で客席がある設計。

中央にはシステムキッチン、正面から見て舞台上手に大きな掃き出し窓とソファー。ローテーブルや観葉植物なども置かれている。
舞台下手の出入り口は、きっと玄関に続く廊下だろう。
四角くて清潔なリビングダイニングが、この芝居のメインの舞台だった。

今回、私は正面側の前方席だったけど、正面とか背面とかいう概念はなく芝居は進むので、席の位置はどちらでも楽しめると思う。
むしろ前方席だとキッチン台や観葉植物で死角になる部分も多かったから、後方席の方の方が全体が見やすかった気がする。

 

 

 


噛み合わない会話
微妙な違和感
ずーっとぞわぞわする

相手のことを思いやってるのに届いてない感じ
気持ちの空回り

言いたいことあるのに言ってない感じが気持ち悪くて、でも言わないのは相手のためかなみたいな気もして

気遣いが痛い
はっきり言ってよ!ってなるけど、はっきり聞いて傷つくのも怖い


観客である私は康二の過去を知ってるから、「麻衣にちゃんと話せばいいのに……」と思うけど、そんな簡単な話じゃないのもわかる

 

 

康二が何でも食べちゃうのは、弟とのことを自分で消化したいから?
でもできてない?

ラストシーンも、嘘がつけるCGでも康二は6歳の自分に戻っちゃう?
何度シミュレーションしても同じ?

 


淡々と進む会話劇のラストに唐突に現れるラストシーンがめーーーーっちゃ加藤拓也でだいすき。


あと黒木華ちゃんかわいい……おくちがすき…………肌が綺麗…………こんなに近くで観れちゃっていいんですか?

 

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残ってたメモはここまで。
やっぱりすぐに感想書かないといろいろ忘れちゃう。

ドードーが落下する』は一人で来てるから、自分のためにもちゃんと感想書きたいな〜。

 

2021年もろもろまとめ

 

あと数時間で2021年終わるって本当ですか??????
全然実感がないけど、スマホのロック画面には12月31日と表示されているし、テレビでは紅白歌合戦がやっているし、どうやら今日は大晦日らしい。

というわけで、今年観たもの行ったものを振り返ってみる。

 


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ライブ参戦 (●現地 ○配信)

○0123*荒吐20th SPECIAL -鰰の叫ぶ声-東京編 9mm×バクホン(0119配信)
○ビレッジマンズストア
●0417*OOPARTS2021@岐阜
●0626*9mm Parabellum Bullet@名古屋
●1030*ストレイテナー@大阪
●1212*twinpale@名古屋

(現地4本+配信2本=計6本)


いや少ないな!!?!!????!?
こんなに少なかったか!!???!????!??!?!?
9mmとか空きっ腹に酒の配信も観たはずなんだけど、記録してなかった……それにしても少ないな…………????

本数は少ないけど、一本一本はどれも満足度が高くて印象深い。

4月のOOPARTS2021はcinema staff主催で、岐阜出身の彼らが地元でフェスをやってくれたのがすごく嬉しかった。あと個人的には、付き合ってる人と一緒に行けたのも感慨深い。
6月の9mmと10月のストレイテナーは、座席ありだったけど暴れ倒した気がする。大好きな曲がいっぱい聴けて嬉しかった。ストレイテナーの新譜の方向性良すぎませんか???
12月のtwinpaleは、人生初めてのアイドルイベント。蒼井叶ちゃんと白雪姫乃ちゃんの二人ユニットなんだけど、動画より写真より可愛すぎてリアルに泣いた。チェキ撮るのとかも生まれて初めてだったけど、アイドルにハマる人の気持ちがわかった…………二人とも大好き…………。

来年は年明け一発目にsukida drams行くから楽しみ!
またライブハウスにいっぱい行ける一年にした〜い!

 

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舞台観劇 (●現地 ○配信)

○0111*アルプススタンドのはしの方 高校演劇ver. 関西チーム
○0123*ポーの一族
○0228*ポーの一族ライブビューイング
●0314*子午線の祀り@兵庫
●0326*青春にはほど遠い@東京
●0515*スリル・ミー@名古屋
○0925*友達
●1003*友達@大阪
●1009*忍ミュ第12弾@東京
●1031*劇団た組「ぽに」@神奈川
●1127*IMY「あくと」@東京
●1128*うさぎストライプ「みんなしねばいいのにⅡ」@東京

(現地8本+配信4本=計12本)

ここに書けるものはこれくらいなんだけど、高校演劇も含めるとプラス50本くらいになる。そう思うと、たくさん観たな〜!まあ高校演劇は半分おしごとなんだけど、でも良い作品たくさん観れてしあわせです。

去年は配信でもっとたくさん観てた気がするんだけど、今年はライブも観劇もあんまり配信を利用してないな……と、こうやってまとめてみて気がついた。仕事が忙しくてなかなか時間が取れなかったというのもあるかもしれない。でも、それ以上に、ある程度は現地に行けるようになったからというのが大きいかも。

そして感想ブログを……全然書いてない…………。
今年初めての感想ブログ更新が9月の『友達』で自分でもびっくりした。
別に全然義務じゃないけど、来年はもう少し書く人になりたいな。

 

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映画鑑賞 (●劇場 ○配信、テレビ放映)

●0110*ワンダーウーマン1984
○0117*インセプション
●0123*さんかく窓の外側は夜
○0411*ムーンライト
●0523*くれなずめ
○0620*来る
●0718*竜とそばかすの姫
○0828*ジェーン・ドウの解剖
○1219*曲がれ!スプーン
●1231*キングスマン:ファースト・エージェント

(劇場5本+配信5本=計10本)


今日!キングスマン!観てきた!!!!!!
公開延期が繰り返されててようやく……ようやく観れたよ〜〜〜!!!!!!!
たぶんあと3回は映画館に行くと思う。

個人的に刺さったのは『くれなずめ』かな。
設定もめちゃめちゃ好きなんだけど、藤原季節くんが良すぎて…………良かったですね…………。

あと日常的に見すぎてて記録してないけど、アマプラでジュラシックパークシリーズをひたすらぐるぐる観ていた。カレーとか作りながら観まくってた。

アマプラ入ってるので、もう少し活用したいな。


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以上、この一年、私を支えてくれたものまとめ終わり!

全体的に意外と少ないな〜〜〜〜〜!!!!
でも今年は仕事もプライベートもすごく充実してたので、それはそれで良かったかなぁとも思う。


そういえば野球は今年全然観に行けなかったし、西武ちゃん弱すぎてあんまり観てなかったりもしたんですけど、岸潤一郎くんが活躍してて嬉しかったです。
新年一発目のおたくごとは金子侑司トークショーなので、2022年は野球も思いっきり楽しみたいな。

 

来年も良い年になりますように!!!!!!

よいお年を!!!!!!!!!!!!!!

 

うさぎストライプ「みんなしねばいいのにⅡ」を観て考えたこといろいろ

 

11月28日(日) @こまばアゴラ劇場
うさぎストライプ『みんなしねばいいのにⅡ』
作・演出:大池容子


を観てきた!


せっかく東京行くからもう一本くらい何か観たいな〜と思って探して見つけた公演。
うさぎストライプさんはなんとなく聞いたことあったけど、どんな劇団かは全然知らなかった。出演している役者さんたちも知らない方たちばかり。

でも、なんだか物騒なタイトルと、そのわりにゆるゆるポップなチラシに惹かれて、観に行くことにした。
あとは、こまばアゴラなら間違いないやろ〜という謎の自信と信頼と……。まあ、そうは言ってもこまばアゴラ劇場行くの2回目なんだけど、前回は笑の内閣さんの『そこまで言わんでモリエール』を観に行って、なんだかすごく印象の良い劇場だったから。


というわけで、前情報ほとんどなしの博打な感じで観に行ったんだけど、結果的に大当たりだった!
物騒なタイトルとゆるゆるポップなチラシの雰囲気そのままの、キュートでポップで不穏な不思議空間がすごく気持ち良かった。
具象の舞台装置の中で複数の場所や人が交差しながら時空を超えていく演出も面白かったし、出てくる登場人物がみんなすごくチャーミングで観ていて楽しかったし、それでいてずっと得体のしれない気味悪さが隣にあって、その感覚も最高。


実は今回、観劇経験ほとんどない友人と一緒に行ったんだけど、友人もめちゃめちゃ楽しんでくれて、それもすごく嬉しかった。
終演後にその友人と「あれはこういうこと?」「あれめっちゃ可愛かったよね!?」みたいな話がたくさんできたのも楽しかった。
わけのわからなさを楽しめる友人で良かったし、わけのわからなさをわけがわからないまま板に乗せて成り立たせてる演劇だいすき〜〜〜〜!!!!という気持ちでいっぱいになった。


本当に、ずーっとわけがわからないんだけど、でもなんだか怖かったり、なんだか面白かったり、なんだか可愛かったり、なんだか切なかったり、そういうところが凄く良かった。
観劇から一週間経ってもまだ思い出すシーンや、あれはなんだったんだろうと考えてることがいろいろあって、観てる最中もずっと楽しかったけど、観終わってからが本番みたいなところある。

 

以下、ネタバレとか一切気にせずに、観ながら思っていたこと、観終わってから考えたことを、思いつくままに書く。

 

 

会場に入ると、すぐにシンプルな部屋の舞台装置が目に入った。
黒いパンチカーペットに平台で一段上がって、テーブルと椅子とベッドが置かれている。床や壁のラインが曲線的でかわいい。周りの空間ともしっくり馴染む。
正面には大きな四角い窓。その向こうには真っ暗闇。
ベッドの上には大きなひつじのぬいぐるみが鎮座していて、なんとなく女性の部屋なのかなという印象だ。

舞台上手の棚には、お菓子や日用品が並んでいる。
舞台下手にはガラクタに混じってファミリーマートの看板がちかちかと点滅していて、そうかここはコンビニなんだなとわかる。

 

そういえば開演前のBGMで相対性理論の品川ナンバーが流れてテンション上がった。
その他の曲も、知らない曲だけど全部ゆるゆるポップで可愛い曲ばかりで、期待が高まる。

 


舞台が始まる。

主人公は、ハロウィン生まれの看護師、あき(清水緑)。
誕生日なのに職場のハロウィンパーティーで仕事の関係でしかない男に勘違いされて家までついてこられそうになってマジで最悪で、しかも家には死んだはずの母親がずっといる。

あきの母親の響子(小瀧万梨子)は、生前はゴミ屋敷の住人だった。
ゴミ屋敷の中で誰にも気づかれることなく死に、今は娘のあきのことを文字通り見守っている。

あきの住むマンションは、女性専用のマンションで、そしてなんだか呪われている。
ていうかたぶん、響子が呪ってる。
どうやら、あきの実家の跡地に建てられたのが、このマンションらしい。

ゆきえ(あやかんぬ)も、このマンションの住人だ。
捨てても捨てても戻ってくるぬいぐるみや、彼氏とトラブって転がり込んできた隣人に悩まされている。

ゆきえの隣人のなつみ(幡美優)は、マンションのすぐ前のコンビニで働く坂本(伊藤毅)と付き合っている。
坂本はしょっちゅう、なつみの部屋に来るが、なんだかなつみに冷たい。

坂本は、どうやら本当は、あきのことが好きらしい。
好きらしい……っていうか、あきのことをずっと見ていて、なつみと付き合ったのも、あきに近づくためっぽい。

橘(亀山浩史)は、そんなあきの病院にやってくる製薬会社の営業マンだ。
ハロウィンパーティーの後に、あきを送り狼しようとするが、途中に寄ったコンビニで、坂本に殴られる。
そしてたぶん、そのまま坂本に殺される。


死んだはずの橘……というか亀山浩史さんは、"つのくん"として再び登場する。
つのくんは、どうやら、ゆきえが捨てても捨てても部屋に戻ってくる羊のぬいぐるみの化身らしい。


「たぶん」とか「どうやら」とか「らしい」とかばかりなのは、それらが作中で匂わせられるが明言されないからだ。
きっとそうなんだろうな〜というまま、物語が展開していく。


そしてこの個性豊かな登場人物たちが、入れ代わり立ち代わり舞台上に現れる。
一つの部屋が、あきの部屋になり、ゆきえの部屋になり、なつみの部屋になる。
そして梁の上からは、響子がずーっと一部始終を見ている。そして時折、ぬいぐるみを元に戻したり、毛糸の玉を落としたり、怪奇現象を起こす。


最初は、この場所が次々と交錯していくシステムがわからなくて、あきと母親が話しているところに、ゆきえとなつみが来て普通に過ごしていたから、もしかしてあきも幽霊なのかとか思ったけど、繰り返されるうちにすぐに慣れた。
そしてこの、複数の場所が入り混じりながら移り変わっていく感じが、作品のグルーヴ感みたいなのをうまく作っていて、観ていて気持ち良かった。


場面転換は、人の出ハケと、歌によって行われる。

ほとんどは人が出ていって別の人が入ってくると次のシーンという感じだが、物語が渋滞して「え〜、何これどうなるの〜!?」というところで、登場人物は突然歌い出す。

歌っている間に、物語はどんどん動いていく。
一人が歌っている横で、他の登場人物が出てきて、何かをして、また去っていって、自然に次の場面へと移行する。


冒頭では、あきが歌っている間に、自室に帰ってきたゆきえがぬいぐるみを窓から投げ捨てる。しかしぬいぐるみは戻ってくる。だから今度はぬいぐるみの腕をハサミでチョキンと切り落とし、窓からまた捨てる。
一方では、坂本が橘の腕を切り落としている。橘はゴミ捨て場で気絶し、そして「いや、これハロウィンじゃないんだって……ほんとに腕切られたんだって…………どこだよ、俺の腕……」と彷徨い歩く。

中盤、なつみとつのくんが歌っている間に、世界は変貌する。
終わらないハロウィン。日常になった非日常。

そして終盤、坂本に縛られ、絶体絶命のあき。
それを見ながら、響子も歌を歌う。古い上にマイナーすぎて誰も知らないような歌を歌う。

 

この、歌でシーンを成り立たせるのか、力技なんだけど成り立っててすごく良かった。
そういえば「人生を謳歌する」って言うよな……と思ったりもした。

 


舞台上では、不穏な空気が、ポップでキュートにラッピングされている。

不満だらけの毎日。
嫌だけど嫌と言えない空気。
嫌と言っても流されてしまうその場のノリ。
みんな少しずつ間違ってて、でもどこから正せば元に戻るのか、そもそも元は正しかったのかもわからない。

 

今年のハロウィンは終わらないらしい。
期間限定の非日常だったはずのイベントは、いつの間にか日常になり、物資は不足し、仮装した偽物の警察官や医者が皆を混乱させる。

だから看護師のあきは、毎日大忙しだ。
病院の前で拡声器片手に「治療を受けたい方は並んでくださ〜い!私、本物なんで、指示に従ってくださ〜い!」と言って回る。

この、非日常が日常になる感じとか、偽物が大きな顔をしたり流言飛語が飛び交ったりする感じとかは、すごく今の社会を反映してるなと思った。
初演は2016年で、再演に当たって半分以上リクリエイションされてるらしいけど、最初のバージョンではどうなってたんだろう。
脚本は変わってなかったとしても、演者も観客もコロナ禍を経験した今では、感じ方は明らかに変わるよなと思う。

パンフレットで作・演出の大池容子さんが「ちょっと不思議なハロウィンをきっかけに世界が滅びていく、というこの作品を再演しようと決めてから、コロナ禍でひっちゃかめっちゃかになっている現実の世界の方が、まるでフィクションのようだなあと思い知らされることになりました」と書かれていたけど、本当にその通り。

いろんなことがひっくり返った世界だからこそ、フィクションの世界の捉え方も変わって、それはそれで面白い。

 


舞台上で、誰かが明確に「みんなしねばいいのに」ということはなかったような気がするけど、でも全員がうっすら「みんなしねばいいのに」と思っているような気がした。

放っておいてもみんなしぬけど。
とくに、あきは仕事を通して身を持って知っているけど。
でも、みんなしねばいいのにと思ってしまう夜もある。
みんなきっと、みんなしねばいいのにと思ってしまう瞬間を持っている。


唯一の例外は、なつみだ。
なつみは常に“生”へとひた走る。
彼女はエネルギッシュで大胆で、わけのわからない世界の中でわけのわからなさを受け入れて生きている。いや、受け入れているのか、理解できてないのか、それとも全部を見ないフリしてるのか、それはわからないけど。

坂本くんのことが大好きで、坂本くんのためならミニスカポリスのコスプレまでしちゃうなつみが本当に可愛くて、でも「ナース服じゃないと意味ないから」と言われてしまうなつみが可哀想で、そんな様子はどこか“性”的でもあって、同時に“聖”的なものを感じる瞬間もあって、とにかく魅力的だった。

 

だから観終わった後、友人と散々「坂本〜〜〜〜〜まじで坂本お前〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」という話をした。

坂本!お前こんな可愛い子に好かれてるのに、喋ったこともない女ストーキングしてるのかよ!
しかも坂本!お前、なつみには自分から話しかけられるんなら、あきにも普通に話しかけろよ!!!!

 

でも、それができないから、坂本は坂本なんだよな……とも思う。

加減がわからなくて、いつもちょっと間違えちゃって、とりかえしがつかなくなっちゃう坂本。
本当はやり直せるのかもしれないけど、やり直し方がわからない坂本。


坂本は、あきを椅子に縛り上げ、斧を片手に会話する。
「もう最終的には殺すしかないんですけど」とかなんとか言いながら。

「そんなことないよ、やり直せるから!」と諭すあき。


あきと坂本は、どこか似ている。
二人とも現実に悪態をつき、なんでいつもこうなっちゃうんだろうなぁと思いながら生きている。

 


世の中は不条理なことだらけで、その不条理の化身のような存在が“つのくん”だった。

つのくんはたぶん、羊のぬいぐるみだ。
ゆきえが捨てても捨てても部屋に戻ってくるぬいぐるみ。
あきが小さい頃に大事にしてたから、響子が捨てられなかったものの一つ。

そんな羊のぬいぐるみは、めちゃめちゃ背の高い、手足の長い男になって帰ってくる。
ぬいぐるみと一緒で、何度窓から落としても死なずに戻ってくる。


“つのくん”という名前をつけたのは、なつみだ。
坂本と喧嘩をして隣人のゆきえの部屋に転がり込んだなつみは、そこでつのくんと出会って意気投合。
こうしてマンションの一室で奇妙な同居生活が始まる。

理不尽に振り回されるゆきえを横目に、なつみとつのくんはいちゃいちゃを繰り返し、そしてなつみは、つのくんの子を身籠る。


つのくんが拾ってきたウェディングドレスに身を包み、なつみは終わらないハロウィンが続く街を走る。
つのくんと一緒に、幸せになるために。

 

ゆきえは、劇中では一番の常識人に見えたが、でも序盤で躊躇なくぬいぐるみの腕を切り落としていたり、実家からたくさん送られてきたと梨を配って歩いていたり、そういうちょっとしたところに狂気が感じられて、やっぱりこわかった。

 


ラストシーン、部屋の中には、あきと坂本。
あきは、坂本によって椅子に縛り上げられている。
坂本の手には、橘を殺したのと同じ斧が握られている。
響子は、それをじっと見ている。

コンビニには、つのくんとなつみ。
なつみのお腹は逃げるうちにどんどん大きくなり、いつの間にか腹を突き破ってツノが飛び出ていた。純白の花嫁衣装に赤い血が滲む。
そんななつみを守るように立つつのくん。
そしてなつみは、突然真顔になり、ある一点を見つめる。

なつみの視線の先には、椅子に座って手紙のようなものを手にするゆきえがいる。

 

このラストか、友人とも話したけど結局よくわからなかった。
ゆきえの持っていた手紙は何だ?
カバンの中から出したように見えたし、あのカバンは梨が入っていたのと同じもののような気がするから、あれは実家からの手紙とかなのか?

でも、それをなつみが見ていたのは何でだろう?
あの場面の空間はどうなってたんだろう?

 


観ながら「あ〜、これきっと、どこにも着地せずに終わるんだろうな」と思ってたから、結末を放り投げられたのは想定内だったんだけど、どう受け取ればいいのかわからなくて、ぐるぐるしている。

まあ、最初から最後まで本当に「わかった」と言えることは何一つないし、そのわからなさ込みですごく楽しかったからいいんだけど、あれは本当にどういうことだったんだろう…………

 


私は自分が感想を書くまで他の人の感想に触れたくない派だから、これを書き上げたら、うさぎストライプさんの感想まとめを読みに行きたいと思う。
皆はどう受け取ったのか気になる〜〜〜〜〜〜〜!

 

 

いろんな要素が絡み合ってたけど、私は、あきと母親の会話や関係性がすごく好きだった。

 

ゴミ屋敷の住人だった母親。
あきは、実家がゴミ屋敷とか嫌だから、家に寄り付かなくなった。
そして母親は誰にも知られずにゴミ屋敷で死んだ。
たくさんのゴミに囲まれて、どろどろになって死んだ。


母親は「全部に思い出があって、なくなったらその思い出まで消えちゃう気がするから捨てられない」と話す。
あきにとってはゴミでも、母親の響子にとっては全て大切な思い出の品なのだ。


だから響子は、死んでも成仏できないんだろうか。
自分も消えたら忘れられてしまうと思っているから、ずっとあきのそばに居続けるんだろうか。
それとも、あきが母親のことを吹っ切れないから、母親はずっとそこにいるんだろうか。


取り返しのつかないこと、取り返せないから捨てたくないこと、取り返せなくてもやり直せること。

 

みんなしねばいいのにと思いながら死ぬまで生きるしかないし、死んでもそう何も変わらないのかもしれない。

 


観ている間の90分、観終わってからの一週間、こんなようなことをぐるぐる考えていた。
ものすごく楽しい時間だったから、またうさぎストライプさん観に行きたいな。


まとまらないけど終わります。

 

あいまい劇場『あくと』が最高だった話


11月27日(土) @六本木EXシアター
あいまい劇場其の壱『あくと』

を観てきた!
 


行ったきっかけは、演出の成河さん。
成河さんはスリル・ミーで知って、それからメルマガ会員になったんだけど、そのメルマガで送られてくる「成河からのメッセージ」が毎回なんかすごくて、「何だこの人!!?!」と思っていた。
公演の初日と千秋楽後に送られてくることが多いんだけど、作品のテーマやルーツ、自分の感じたこと考えたことなどが、短いメッセージの中に詰まっていて、成河さん絶っっっっっっっ対に演出家向きだよと思っていた。

そんな成河さんが!演出に初挑戦!
しかも最高な俳優たちに誘われて!!!!!

やった〜!成河さんの演出観た〜〜〜〜〜〜い!!!!と思って行ったら、結果的に役者さんが凄すぎて…………
役者さんってすごいな……演劇って面白いな……と思って帰ってきた。

私は、IMYの山崎育三郎さん、尾上松也さん、城田優さんは、テレビで観たことあるな〜程度でそれ以上でもそれ以下でもなかったんだけど、なんだか一気にみんな大好きになってしまった。
あとキムラ緑子さんがすっっっっごい…………。ついこの間、加藤拓也さん演出の安部公房『友達』に出てたの観たし、ドラマや映画でも何度か拝見したことあったけど、とにかくすっっっっごい…………オーラが違う……………………………。
清水美依紗さんと皆本麻帆さんは完全に初見だったけど、ものすごくチャーミングだった。あと歌!うまい!!!!
いや、言うまでもなく、歌は全員めちゃめちゃ上手い!!!!!!!


とても楽しみにして行ったら、その期待以上に本当に良かった!
あと、今回、席が二階席の後方だったから遠いかな〜と思ってたけど、傾斜がしっかりあって視界は良好。思ったより見やすかった!

 


以下、ネタバレとか気にせずに思ったことを思ったままに書きます。
レポというほど整ってもない感想殴り書き。

 

 


今回の舞台は、4本のオムニバス形式ということは知っていたけど、それぞれ全然違うテイストで、すごく面白かった。

でも、終わってから振り返ってみると、全部が役者の話で、彼らの物語のような気がした。


1本目は、役者本人によるアドリブの応酬。
2本目は、「自分もそちら側に行きたい」と思った男の話。
3本目は、夢を諦められない男が自分と向き合う話。
4本目は、自我を持った役たちと、役を演じる人間の話。

 

1本目と4本目は、ダイレクトに役と役者の関係性や、「演じる」ということについての話で、4本目を観てから1本目を振り返ると、見え方が変わって面白かった。

2本目と3本目は、全然違う設定に落とし込んであるけど、これも、演劇をやる、そして役者をやり続ける話だなと思った。


彼らだから、やる意味がある話。
彼らだから、生きるストーリー。

 

 


会場に入ると、高低差のある有機的なデザインの舞台。
両側から階段で上り下りできて、真ん中からも出入りできる感じが、めちゃめちゃシアターGロッソぽいなと思ったんだけど、特撮好きと忍ミュクラスタにしか伝わらない話かもしれない。

舞台上段には、キーボードやドラム、ベースなどの楽器が並んでいる。
開演5分前くらいに奏者さんたちが出てきて、チューニングを始めた。
……と思ったら、舞台中央奥に役者さんたちも現れてびっくりした!

奥まった部屋のような空間がぼんやり照明に照らされ、そこで役者たちが思い思いに過ごしている。
よく見えないけど、楽屋?なのか?というような雰囲気。

 

舞台上に、尾上松也が現れ、キーボードの女性に声をかける。

「あの〜、声出ししたいんで、音、お願いできます?」


キーボードが弾く音階に合わせて発声練習をする尾上。
そこに、なんか良い感じにドラムやベースが加わってくる。

「待て待て待て待て!俺は発声練習がしたいの!何、Jazzyな感じで入ってきてんの!?」

 

そんな茶番と共に、シームレスに本編が始まった。

 

Episode 1「朝ドラオーディション」

椅子に座る尾上。
そこに後から入ってくる城田。

二人は、朝ドラのオーディションに来たらしい。


「こういうとき、なんか気をつけることある?」
「そうだな……スマートフォンなどの音の出る機器は、電源から切っておいた方がいいぞ」
「マナーモードは?」
「ダメだ、バイブ音は意外と気になるからな。恥ずかしいぞ〜、鳴っちゃうと……」

というような調子で、観劇マナーを指南する茶番をしていると、そこにプロデューサーの山崎育三郎がやって来る。
“新人女優”のキムラミ・ドリコを引き連れて。

ちなみに字は「普通の木村に、魑魅魍魎の魅、ドリコは(T_T)を当て字でドリコと読ませる」らしい。
木村魅(T_T)でキムラミドリコ。なんじゃそれ!


プロデューサーに指示された部分の演技をする尾上と城田。

そしてそれに対して「新人なんでぇ〜〜〜わかんないんですけどぉ〜〜〜〜」と言いながら、ものすごく的確な指摘をするキムラ緑子……じゃなかった、キムラミ・ドリコ。

 
「新人なんでぇ〜〜、よくわかんないんですけどぉ〜〜〜〜〜〜、ここは、痛みに対する肉体的反応、それがナイフで刺されたものだという認識、そして相手を見て憎しみや怒りと言った精神的反応が初めて沸き起こるんじゃないでしょうか。それを、尾上さんはぁ、刺されてすぐ相手を認識して反応されてましたよねぇ〜、だからぁ、この人は、エスパーという解釈なんだと思いました!流石です!」

「あ、いや、あの…………すみません、もう一回やらせてもらっていいですか……」


といった調子だ。


もうめちゃめちゃ茶番。
女優がキムラ緑子さんじゃないと成り立たないところが最高。

 

最初は自信満々だった尾上と城田は、キムラミドリコに「勉強させてください!」と頭を下げ、プロデューサーの山崎と巻き込んで、即興のゲームが始まる。

お題の台詞を相手に言わせるゲームだ。
どうやら事前にお題が募集されていたらしい。そういう企画があるの知らなくて、めちゃめちゃ悔しかった!知ってたら私も投稿してたのに〜!


というわけで、ゲームスタート。
一人はお題を知らない状態で、後の二人が決められた台詞を相手に言わせられたら成功というルール。


最初のお題は「健闘を祈る」
お題を知らない人は城田。

おもむろに「父上!」と膝をつく尾上。それにならって山崎も「父上!」と続く。
戦に赴く兄弟が、父からの言葉を賜るという場面設定。
やや強引に「祈る」という言葉を引き出してミッション成功!


二つ目のお題は「いい湯だな」
お題を知らない人は山崎さんだった気がするけど忘れちゃった!尾上さんだったかも!

お題が発表された瞬間「楽勝よ!」と笑ったかと思うと、「ババンババンバンバン♪」と歌い始めたから笑っちゃった。
これ誰が主導だったんだろう……城田くんじゃなかった気がする……………けど忘れた……………。

とにかく、「いい湯だな♪」の部分を歌わせてクリア!

 

そんなこんなでわちゃわちゃとした即興劇が終了。
たぶん15分くらいかな?
稽古場の雰囲気そのまんまって感じでファンサービス感も強い。

こういう内輪ノリっぽいアドリブの応酬、役者さんのファンからしたら嬉しいだろうな〜と思いつつ、私はそこまで役者さん個々のファンではないので、一方で「どうしよう、2時間これだとちょっとキツイ……」と思っていたら、次のお話は全然違って、良い意味で驚かされた。

 


舞台は暗転し、音楽が始まり、一人の女性がスポットライトで照らされる。
歌い出した女性がカッコよすぎて……歌詞も良すぎて…………一気に惹き込まれた。

歌詞ちゃんと知りたいなと思ったけどパンフレットにも載ってなかったので、後日どこかで公開してもらえないかな……すごく良かった…………。

朗々と歌い上げた女性が去り、照明が変わる。
四角く区切られた照明のエリアに、3人の男が横たわり、次のお話が始まった。


Episode 2「Lateral thinking」


一本目とは違い、ガチガチのシリアス。
役者たちも、役者ではなく役としてそこにいることがすぐにわかる。
舞台上に満ちる緊張感と切実さが、観客を一気に違う世界へと連れて行く。

薬で眠らされて連れてこられた3人の男。
ポケットには、謎のメモ。
そのメモの暗号を時間内に解かないと、部屋からは出られない。
質問をすると、無機質な声が「はい」「いいえ」とだけ答える。

「おい、あと何分だ!?」
「落ち着け、はいかいいえで答えられるように聞かないと……残り時間は1時間以上ですか?」
「いいえ」
「では、30分程度ですか?」
「いいえ」
「15分程度ですか?」
「はい」
「…………まじかよ、やばいぞ!!!!」


こうして男たちは、はい/いいえで答えられる質問を繰り返して真実に近づいていく水平思考クイズで、部屋からの脱出を目指すことになる。


場を取り仕切るのは、冷静な清水(山崎育三郎)。
岩崎(尾上松也)は短気で直情的だが、彼の口走った言葉がヒントになる。
そしてもう一人は山下(城田優)。猫背で自信なさげな男だが、水平思考クイズのシステムや、首に仕込まれた謎の装置に最初に気がついたのは彼だ。

そして、お互いにアイディアを出し合いながら、少しずつ真実に近づいていく。


メモに書かれた暗号は、彼らの生まれた年を表していた。
ここにいる全員、同い年。
そして、全員が同じ小学校で過ごしたことがある。

「ちょっと待て、お前、山下……って…………」
「もう、遅いよ〜」

階段の上で山下が振り向く。
照明が変わり、時が止まる。

青白く照らされた山下は語り出す。

転校して行った小学校で、リーダー的存在だった清水と岩崎。
当時、水平思考クイズが流行っていて、彼らはいつもそれを出題する側だった。
ゲームスタートが告げられると、周りの子どもたちは必死で捻り出した質問を清水と岩崎に投げかけるが、真実を知っているのは二人だけ。
二人はにやにやしながら「はい、あと1分〜!」と言う。
「はい、あと1分〜!わからなかったら、お前たちは死ぬ!」


「かっ……こよかった。僕もそちら側になりたかった」

そう語る山下の手の中には、押すと「はい」「いいえ」と発するボタンが握られている。
そして、首に仕込まれた電流のスイッチも。

 

城田優くんが、サイコパスな犯人という展開が最高すぎて、「え〜〜〜〜、これ書いたのだれ〜〜〜?????」と思って、あとでパンフレット読んだら、書いたの城田優くん本人だったからびっくりした。
でも、書いたときキャスティングは違う人を想定していて、自分がやるつもりはなかったらしい。
城田優くん本人にこの役をやらせた人たち天才だよ、ありがとう……!!!!

水平思考クイズは通称「ウミガメのスープ」と呼ばれていて、城田優くんがこのゲームが好きなことは知ってたから、劇中で出てきたときはテンション上がった。
ちなみになぜ私がそれを知っているかというと、城田優くんはクイズ法人カプリティオの代表の古川洋平さんと仲が良くて、YouTubeでコラボとかもしてたから。カプリティオはウミガメのスープのゲームを作ったり、動画たくさん出したりしてるから、興味ある人はチェックしてみてほしい。


そしてこの「自分もそちら側に行きたい」という欲求は、俳優の中にあるものなのかもしれないなとも思った。

脚本があって、演出があって、俳優は役を演じる。
俳優は脚本を必死で読んで自分なりの答えを探すが、演出家に「そうじゃないんだよ」と言われたら、やり直しだ。
演出家の「今の感じ良かった」と「それは違う」を頼りに、あるのかないのかもわからない一つの真実を求め続けるしかない。

脚本家や演出家は、「そちら側」の人間だ。

IMYの3人、そして成河さんは、長年俳優をやってきて、今、自らクリエイションする側に回って、この企画を立ち上げた。
中でも城田優くんは、脚本を書くこともしている。

物語そのものも面白かったけど、この物語が役者本人の内から生まれてきてることもすごく面白かった。

 

 


舞台上では、時が戻る。
清水と岩崎は、山下に懇願する。
でも、山下はボタンを押し、彼らは電撃に打たれ、

……途端に賑やかな曲と共に二人の女性が現れて歌って踊り出す。
幕間だ。

 

 


Episode 3「1996年の鳥山 明」

交錯する光の筋の中に、三人の男の姿が浮かび上がる。
三人ともあくせくと働いていて、なんだか少し疲れて見える。

居酒屋で相まみえる三人の男と、一人の女。

アルバイトをしながら漫画家を目指す酒井(尾上)。
漫画家を目指していたがやめて会社員になった高井(山崎)。
漫画家を目指していたがやめてタクシー運転手になった大黒(城田)。

丸川(皆本)は、酒井に連れられてここに来たが、紹介された高井とどうこうなる気は全くなく、酒を飲んで管を巻いている。


元々は、ともに漫画家を目指していた三人の男だが、今まだ漫画を続けているのは酒井だけだ。
でもその酒井も、最近は漫画家を目指すのをやめようと考えている。

酒井の漫画は、一回だけ雑誌に載ったことがある。
ドラゴンボールのパクリのような読み切りだ。

「パクリじゃない!オマージュだ!」
「でも絵柄も話も丸パクリだろ」
「ま、丸オマージュだよ!!!!」

酒井は熱く語り出す。
11歳のクリスマスイブに、北海道帯広の自分の家の前で出会った鳥山明先生との思い出を。
肩に雪を積もらせた鳥山明先生は、未発表の漫画を読ませてくれて、「漫画家になりなさい。僕みたいな漫画家に」と言ってくれた。
だから、酒井は鳥山明先生のような漫画家になりたくて、夢を追いかけている。


漫画をやめてしまった友人たち。
中途採用で、しんどい思いをしながら、でも堅実に働いている友人たち。

酒井には彼らが少し羨ましく見える。
見下していたはずの生き方が、羨ましく見える。

高井と大黒にとっては、酒井が夢を追いかけていることは希望だ。
諦めてしまった自分たちにとって、唯一の希望だ。

でも酒井は、そうは思えない。

 

居酒屋を出て、雨宿りをしながら丸川と話す酒井。
このまま二人でホテルに行くのかと思っていたところに、出てった女房が子どもを連れてやってくる。

「えっ、先輩、奥さんいたんですか!?」
丸川ちゃんの叫びももっともだ。しかも子どもめちゃめちゃ大きいし……(黄色い帽子を被ってランドセルを背負った山崎育三郎)


「漫画家をやめて働かないなら出ていく」と、女房はそう言った。

そして去り際に、一枚のパンフレットを残していく。

1996年12月24日に行われた鳥山明の講演会のパンフレットだ。
会場は、愛知県。


自分が鳥山明に出会ったはずの日、鳥山明は愛知県で講演会をしていた。
じゃあ、あれは、俺は…………


酒井は走り出す。
土砂降りの雨の中を、必死に走る。

ここで歌舞伎のツケ打ちが出てきて最高だった。

落ちまくる雷を右へ左へ避けながら、酒井は走って、走って、走って、走って………………


目を覚ますと、そこは全然違う場所だった。
あたりに牛の鳴き声が響く、なんだか懐かしい光景。

観客はすぐに気がつく、ここは1996年12月24日の北海道帯広だと。
そして、現れた少年は子供時代の酒井だと。


酒井は、学校でいじめられていると話す少年を励ます。

「そうだ!漫画を書け!漫画、好きか?」
「……うん、好き!」
「漫画はいいぞぉ!紙とペンがあれば書ける!」
「おじさん、漫画家なの?」
「……そうだよ、これがおじさんの書いた漫画だ」

そうして酒井は少年に、子供時代の自分に、読み切りが載った漫画雑誌を見せる。
ドラゴンボールそっくりの読み切りが載った漫画雑誌を。

 

酒井が夢を抱くきっかけになった「鳥山明」は、自分だった。
少年時代の自分にかけた言葉は、そのまま今の自分に向けた言葉になる。


酒井は成長する。
中学生になり、高校生になり、大学生になり、高井や大黒と出会う。
そして、みんなに1996年12月24日に出会った鳥山明先生の話をする。


鳥山明先生に、魔法をかけられたんだ」と言われた酒井は、はっとして呟く。

「魔法……か……。俺、呪いだと思ってたよ…………」

 


自分を夢へと向かわせた鳥山明はいなかった。
でも、鳥山明になろうとして漫画家を目指しても、自分は絶対に鳥山明にはなれない。

だって、自分は自分だから。
誰かみたいにはなれたとしても、その誰かそのものになることはてきないから。
オマージュを繰り返すことしかできないから。

でも、「誰かにとっての鳥山明」に、自分がなることはできる。
自分が鳥山明先生に憧れ、励まされたように、自分が他の誰かの憧れの対象となり、他の誰かを励ますことはできる。


「あの人みたいになりたい」という気持ちは、時には夢への原動力になり、時には自分を縛る呪いにもなる。
それを握りしめて走るしかない。

そういう話なのかなと思った。

 

あと、全然関係ないけど、私はこの話の丸川ちゃんが大好き。
世界観ぶっ壊しつつ物語を突き進められるところ最高。

 

 

俳優が舞台上からいなくなり、演者たちがセッションを始める。
ソロパートが次々と移り変わり、そして物語は続いていく。

 

 


Episode 4「EXシアターのジャン・ヴァルジャン

舞台上手の、赤い旗が照らされる。
そして現れるヨーロッパ風の服を来た男。

そして男は語り出す。
なぜ自分は同じ物語を、同じ過ちを繰り返すのかと。
なぜ自分はいけないとわかっていながらパンを盗んでしまうのかと。
名乗りはしないが、レ・ミゼラブルジャン・ヴァルジャンだと、すぐにわかった。


次に現れるのは、仮面をつけた男…………彼もはっきりと名乗りはしないが、明らかにオペラ座の怪人だ。
彼の立つ舞台中央は、シャンデリアが輝く。


そして、ライオンのたてがみをつけた半裸の男の登場で、すべてが決定的になる。
舞台下手に浮かび上がるキリンのシルエット。


彼らは超有名ミュージカルの主人公たちだ。
客席にはかなり早い段階から、くすくすと忍び笑いが漏れていて、観客たちのミュージカルにたいする造詣の深さが窺われる。

そして、彼らの登場により、舞台装置が、レ・ミゼラブルオペラ座の怪人ライオン・キングのモチーフを組み合わせて作られていることに気がつく。


彼らは自問する。
自分たちはどういう存在なのかと。
なぜ毎日同じ物語を、同じ過ちを、同じ2時間を繰り返すのかと。
しかも日によっては一日に2回も!!!!


最後に登場するのは、赤い髪に、赤いワンピースの少女。
彼らから「アニキ」と呼ばれた彼女も、外の世界に飛び出したいと望む。


そして四人は、ステージを降りる。
文字通り客席に降り立ち、六本木の街へと駆け出す!

 

舞台上では並行して、別の物語も進んでいる。

ミュージカルでジャン・ヴァルジャンを演じている主演俳優と、その付き人。
そして付き人の妻と、その友人。


山崎育三郎、尾上松也城田優キムラ緑子の4人は、ミュージカルの登場人物と、現実世界の人間とを、早着替えしながら次々と演じ分ける。

この演出がすごく良くて、観ていてすごくわくわくした。
早着替えや出ハケの工夫はもちろん、同じ役者が複数の役を、しかも階層の違う役をやっているのに、出てくるとちゃんとその"役"で凄かった。

 

そして、この4人……いや、8人が出会い、関わり、物語が動いていく。

 


役と役者と物語と人生と…………

役者は、役になりきり、物語の中で役の人生を生きる。

舞台上にいるのは、役か?役者か?
この物語は、この人生は、この時間は誰のものだ?

役者は役の気持ちを考え、役になろうとするが、本当に役の気持ちを考えたら、同じ過ちを何度も繰り返すことはしないんじゃないか?


劇場の外では、みんなが台本のない世界を生きている。
台本がないということは、みんなアドリブをやっているということか。
アドリブは、相手との信頼関係がないとできないことなのに。


この言葉が、私には一番刺さった。
そもそもこのオムニバス作品の冒頭は、アドリブの応酬だった。
その最初からのこのラスト!!!!脚本家の福原充則さん天才か!!?!

 


役と役者の境界線についても、すごく興味のあるテーマだったからすごく面白かった。

私は自分も少しだけ演劇をやっていて、役者として役を演じたこともあるし、役者をやっている仲間たちを観に行くこともある。
自分が演じるときは、役としての感情の動きと、役者としての冷静さのバランスにいつも悩む。

そして観客として観に行くときは、できれば役者ではなく役を観に行きたいと思っている。
これは、知り合いの劇団を観に行くときも、あいまい劇場みたいなプロの商業演劇を観に行くときも同じだ。


勝手な憶測だけど、山崎育三郎さんも尾上松也さんも城田優さんも、「山崎育三郎を」「尾上松也を」「城田優を」観に来るお客さんが多いんじゃないかと思う。

彼らは舞台上で別人として生きていても。

 

今回のあいまい劇場は、役と役者の境界線が曖昧で、でもその曖昧さも含めてとても面白くて、全部が彼らの話で、私の話で、演劇の話で、物語の話で、フィクションの話だけどノンフィクションで、すごくすごく良かった。

 

幕が降りた瞬間、自然と「立ち上がりたい!」と思った。
演劇って面白いな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜と心の底から思えて嬉しくなったからだ。

実際は、カーテンコールで周りが立ち始めてからしか立てなかった臆病者だけど、ほんとに……ほんとに……良かった……。

 


私はIMYの3人のことを、なんとなくしか知らなかったけど、3人ともすごく魅力的で、実力もある俳優さんだとわかったから、これからたくさん観たいなと思った。

そういえば唯一よくわからなかったのは、ヒュー・ジャックマンなんですけど、あれは何だったんですか?
尾上松也さんの持ちネタにああいうのがあるの?それともヒュー・ジャックマンのジャは、ジャン・ヴァルジャンのジャなの?教えて有識者

 


そして肝心の成河さんの演出については、これも正直よくわからなかった。
ものすごく面白かったんだけど、これが脚本の力なのか、役者の力なのか、それとも演出の力なのか、わからなかったからだ。

台詞の節々に、「成河さんこういうこと考えてそ〜〜〜〜!!!!」という演劇論が垣間見えたけど、脚本を書いたのは福原充則さんと城田優くんだし、舞台装置とか場面転換さいこ〜〜〜〜〜〜と思ったけど、それもどこまで脚本に指定されてて、どこが演出つけたところなのかわからないし、演技も役者さんが考えたのか成河さんの演出かわからないし……。

つまり何が言いたいかというと、「成河さんの演出あるある〜!」が言えるくらい、もっといろんなお芝居の演出どんどんやってください!!!!!!!!!!
まじで今回、成河さんを演出に誘った山崎育三郎さんになんてお礼を言ったらいいかわからない!
私にわかるのは、成河さんはもっと演出やった方がいいってことだけだ!!!!!!!!
そしてあわよくば成河さん自身も出演してほしい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!

 

演劇って最高だし、もっと観たいよ。


終わります。

 

 

[2021/12/04 23:30頃追記]

「役者さんの演技がめちゃめちゃ良かった!」と言いつつ、個人の演技に対して全然言及してなかったので、ちょっとだけ追記!
あいまいあくとを観に行く前のイメージと、観たあとのイメージ!


山崎育三郎さん
観る前→品の良い歌うまお兄さん。足が長い。
観た後→Episode2と3の、ちょっと周り見下してる系の役のイメージはあったけど、Episode1と4の周りにへこへこしてる役のイメージは全然なかった!けど、より役者に近く思えた1本目と4本目でそういう役回りだったってことは、山崎さんが演じるの得意なのは自信家クール系で、素に近い引き出しにあるのが下っ端へこへこ系なんだろうか〜〜〜〜〜〜面白い〜〜〜〜!!!!
周りを見て調整するような役回りがすごく上手。その目線のやり方が、上からだと自信家クール系で、下からだと下っ端へこへこ系になるんだな〜!
あと歌がシンプルにめちゃ上手い。説得力がすごい。
そして足が長いだけでなく顔が小さくて等身おばけだった。


尾上松也さん
観る前→梨園の貴公子。なぜか粗野なイメージかあった。
観た後→Episode2と3の直情的な役はなんとなく事前のイメージ通りだったんだけど、Episode3に垣間見えた弱さとか情けなさとか、Episode4のジャンや付き人の妻の苦悩とか、そういう繊細な表現がすごく良くて、傷つきやすさと大胆さが同居してる感じが本人の雰囲気とも合ってて、毎回そのキャラクターが大好きになってしまった。
付き人の妻役のときは、本当に女性に見えて凄かった。歌舞伎で女形をやることもあるんだろうか?
あと全然知らなかったんですけど、歌うまいんですね!!?!
観る前と後で一番イメージが変わった人かもしれない。


城田優くん
観る前→イケメン俳優。一時期、漫画原作作品でよく見かけた。
観た後→Episode1〜4ですべて違う印象の役をやっていたのが凄かった。こんなに多彩な俳優さんだったんですね……。なんとなく自分の魅力をよくわかってる人なんだなと感じた。
顔のパーツがはっきりしてるからか、ちょっとした表情の変化も魅力的で目を引く。
あとあなたも歌めちゃめちゃ上手いな!!?!テレビドラマでしか見たことなかったから知らなかった!
いろんな役ができて、歌も歌えて、脚本も書けるって何なんですか……すごい…………。


キムラ緑子さん
観る前→なんか有名な人。
観た後→あらゆることにものすごく納得した。本当に存在感がすごい。でも、作品の空気を壊さない。すごい。

 

皆本麻帆さん
観る前→知らない人だな?
観た後→ウルトラチャーミング!!!!丸川ちゃん大好き!!!!


清水美依紗さん
観る前→知らない人だな?
観た後→歌うっま!!!!!!かっこい〜!!!!!!!!

 

以上、追記おわり!


あっ、あと、ヒュー・ジャックマンについてコメントくれた方、ありがとうございました!
ウルヴァリンはわかったけど、どうしてこの作品にヒュー・ジャックマンが出てくるのかわからなくてもやもやしてたので、すっきりしました!


今度こそ本当に終わり!

劇団た組『ぽに』を観て思ったこととかいろいろ


10月31日(日) @神奈川芸術劇場大スタジオ
劇団た組『ぽに』
作・演出:加藤拓也


を観てきた。

神奈川芸術劇場、通称KAATはずっと行ってみたかった劇場の一つだったから、そこに劇団た組を観に来れたのが凄く嬉しかった。
想像以上に中華街に近くて、活気溢れる飲食店の並びから一本外れたところに劇場があるのがなんだか不思議だった。


劇団た組の舞台の、日常の延長線にある非日常が好きだ。
すぐ隣にある異質さが好きだ。

今回の『ぽに』も、私は何を見せられてるんだろうと思いながら、目が離せなかった。

 

 

以下、ネタバレとか気にせず思いついたことを書きます。
感想ともレポともつかない、ぐちゃぐちゃなままの何かだけど、とりあえずの覚え書き。

 


いろいろ言いたいことはあるんだけど、まず一つだけ…………

 

松本穂香さんも藤原季節さんもえろすぎない!!?!


いやあの、松本穂香さん、めちゃめちゃエロい…………というか、やらし〜……………めちゃめちゃにしたい………………

あとクズいセフレの藤原季節が……さいこうすぎる……………………


この二人がいきなり中○しの話してるところから始まるんですけど、付き合ってないのに中○しするくせに律儀に毎回許可を取る藤原季節も、それをいつも「いいよ」っていっちゃう松本穂香も、お互いにどうしようもなさすぎてさいこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


みたいなアホな感想しか出てこなくて、大事なこと全部飛んだ。
「あ、これってこういうことかな……」と思った次の瞬間に、この二人のさいこ〜〜〜〜な絡みが毎回あるせいで、「エッッッッ」てなっちゃって全部飛んだ。

 

マジでこの二人のファンの人は観た方がいいと思う。

私は松本穂香さんは存じ上げなかったけど大好きになっちゃったし、藤原季節さんのことは今までよりもっともっと好きになった。


直接的に性的な会話もあるんですけど、そうじゃなくてこの二人がそ〜ゆ〜関係ってとこが個人的に好みすぎてダメでしたね…………ビジュアルもキャラもさいこ〜ですよ………………

 

松本穂香さん演ずる円佳は、嫌なことがあってもへらへらしちゃう感じの優柔不断な女の子で、それがどうしようもなくやらしかった。
私が男だったら、いや女のままでも、そんな態度取られたらめちゃめちゃにしたくなっちゃうよ!と思った。
でも、そういう態度に欲情しちゃう自分どうなんだろうと思いながら観ていた。


藤原季節さん演ずる誠也は、たぶん売れない役者で、付き合う気ないのに中○ししちゃうようなクズなんだけど、でもへらへらしてる円佳を叱るときは妙に論理的で、そっちの論理は成り立ってるのに、本人の存在はかなり非論理的なところまでクズくて最高だった。

 

 

 

円形の演技スペース。
ドーナツ状になった中には、金網でできたボックスが2つと、学校椅子と、学校机。
周りには水道、ブランコ、ロープネットの遊具。

……え?水道…………もしかして水、出る? (※出ました)
……え?ロープネット?登るの?登るんだよね? (※登りました)

 


観客席は四方にあって、私は今回たまたま最前列で、しかも正面ブロックは一段上がったところに客席があったけど、側面ブロックと背面ブロックは演技スペースと地続きで、要するにまた私は境界線がない状態で劇団た組の世界に触れることになってしまった。
しかも今回、役者がハケずに舞台の周りに座ってる場面が多くて、ふっと横を見ると薄闇の中に役者さんが体育座りしてて、それも不思議な気持ちになった。
そういえば、横で眺めてる場面と、ハケてる場面があったけど、どのシーンを眺めてるかには意味があったのかな…………何度か通えたなら、そういうことも気にしながら観てみたかった。

 

劇団た組のお芝居がシームレスなのは前からだけど、今回はとくに演技空間も場面転換も、開演の仕方もシームレスだった。

すべてが地続きで、なめらか。すべてが私たちの足元と繋がってる。

 

開演前のアナウンスが一通り終わる。
四隅の出入り口から、足音を響かせて役者が入ってくる。

松本穂香と藤原季節が、ドーナツ状の舞台の中に入り、金網でできたボックスをひっくり返して揺する。中からはたくさんの玩具が転がり出てくる。

藤原季節さんが、ベルトをゆるめてズボンを脱いで、その瞬間、照明が変わって舞台が始まった。


明らかに事後の男女。
男──誠也(藤原季節)はズボンを上げてベルトを締め、女──円佳(松本穂香)は「なんでいっつも中で出していいか聞くの?」と甘えた声で聞く。

 

円佳は、オペア留学をするためにシッターのバイトをしている。
私も知らなかったが、オペア留学というのは、ホームステイ先でシッターをして給料を得ながら留学するシステムらしい。
業者に40万払って、英語の勉強をしながら、シッター経験を積んでいる。

でも、シッターの研修期間はとっくに過ぎているはずなのに、円佳は一向に英語が喋れるようにならないし、留学の目処も立たない。
そんな円佳に対して誠也は、「いや、本気で喋れるようになりたいなら参考書買って勉強すればいいじゃん。ほんとは留学する気ないっしょ?」と言うが、円佳は「え〜でも〜」と曖昧に笑うばかりだ。


留学プログラムを提供し、円佳にシッター先を紹介している会社の担当の男は、妙に胡散臭い。
そして円佳がシッターに行っている先の男の子──れんくん(5才、平原テツ)は、なんだかちょっと難しい。


二人の会話に登場する人物が、実際に舞台上にも現れる。
そうして、"今"と交差しながら話が進んでいく。

 

シッター先の家で、れんくんと過ごす円佳だが、時間になっても母親が帰って来ない。
先に帰宅した父親は、妻がシッターを頼んでいることをよく知らないらしい。
電話に出た妻は、酔っ払っているらしく、それってもしかしてお母さん、お仕事じゃないんじゃないの????って雰囲気だ。

父親は円佳に、延長料金だと言っていくらかのお札を握らせる。
円佳は「いや〜そんな〜こういうのは〜」と断りながらも最終的には受け取る。


……というようなやり取りを円佳がしてる間に、誠也は友人とサウナに行って「最近どうなの?」とか話してる。


全然関係ないんだけど、過去の劇団た組の公演のパンフで加藤拓也さんとキャストさんの座談会にサウナの話題出てたなと思い出した。
ていうかそろそろ公演パンフも作っていただきたいのですが…………好きな人の言葉が文字でほしい私にとって、パンフの有無は死活問題ですよ………………………なんとかなりませんか劇団た組さん……………………………………………


話を戻す。
誠也とその友人(秋元龍太朗)は、どうやら役者仲間らしい。
でも、友人の方は明らかに売れてて、テレビとかも出てて、今度朝の番組でコーナーが持てる。

友人との会話で「彼女? いや、なんもないわ、マジで」と笑う誠也。
「つーか俺、お前に紹介したいコいるわ」


ねえ誠也、それって円佳のこと?
円佳、ついさっき、あなたに告白したよね?

円佳が「本気で好きになっちゃう前に、ちゃんと付き合えないならこういうのやめたい」って、めちゃめちゃ可愛い顔で、照れ隠しにへらへら笑いながら言ったとき、あなたは「俺は付き合うなら結婚とかも考えたいの。中に出して子供できたら結婚するしさ」とか言ってたよね?
そんで「ちょっと考えさせて」みたいな感じで保留にしてたよね?


そんな女の子を友人に紹介しようとしてるの、ほんとにどうしようもなさすぎてヤバい。
このヤバいは、「さいこ〜〜〜〜」という興奮と、「さいて〜〜〜〜〜〜」という軽蔑を、1:1で混ぜた「ヤバい」です。

 

そんで三人で謎解きイベントとか行っちゃって、その帰りに友人が円佳に連絡先聞いたりとかしちゃって、明らかに円佳に気がある友人の取り繕えてない下心と、ほんとは乗り気じゃないのに誠也が止めてくれないからへらへらっと笑って受け入れるしかない円佳の反応と、そういう展開を予想していたはずなのに何故かちょっとだけ拒否感を示しつつもそのまま流れに任せようとする誠也の曖昧さが、やけにリアルな手触りでそこにあったりして、「あ〜〜〜〜〜この!この!男女の!あ〜〜〜〜〜〜!!!!」みたいな気持ちになったりした。


下鴨車窓の『散乱マリン』観たときも思ったけど、男女の連絡先交換の瞬間ってなんでこんなにもぞもぞした気持ちになるんだろう。
私も幾度となくもぞもぞした気持ちで連絡先交換してきたからか?
でもそれが舞台上にあるってことは、きっと皆もぞもぞした気持ちで連絡先交換してるんだろうな。

 


そして円佳は、相変わらずシッターとしてれんくんの相手をしている。

いつもどおり我儘なれんくんは、炭酸が飲みたいから買えと円佳にねだり、駄々を捏ねる。
いつもどおりイライラしながらも言いなりになってしまう円佳。
コンビニの店員は盲目で、バーコードをひとつピッとするのも大変そうだ。


いつもどおりの仕事だと思っていたところに、大きな地震が来る。


地響き。緊急地震速報

実際には揺れてないはずなのに、ブランコが揺れ、商品棚が揺れ、円佳がよろめくと、本当に地面が揺れているように感じる。

開演前のアナウンスでしきりに「体調の悪くなられた方はご遠慮なくお声がけください」と言っていて、これはもしかして時節柄というだけでなく、観るもののトラウマを煽るような何かがあるのかなとぼんやり思ったんだけど、これはこのシーンのためかと合点がいった。

それくらいこわかった。

金網でできたボックスが、積み重ねられ、押さえるキャストの腕の中でゆらゆらと揺れる。
それはオレンジ色の光を発し、煙を上げている。

火事だ。


二人のいたマンションは、火事になる。
さっき炭酸のジュースを買ったコンビニからは、すっかり商品が消えていて、一本の水を手に入れるので精一杯だ。

れんくんのお父さんとお母さんは、翌朝まで帰ってこれない。

れんくんは相変わらず我儘で、円佳を困らせる。
普段はれんくんの言うとおりにしている円佳だが、今日ばかりは違う。

「私もう仕事の時間終わってるんだからね? 帰ろうと思えば帰れるからね、私」

そんな中、れんくんはどこかに走り出してしまう。
円佳は、そんなれんくんを追いかけずに、一人で誠也の部屋に帰る。
そして誠也と同じベッドで眠りにつく。


翌朝、誠也の部屋に、「ぽに」になったれんくんがやってくる。

服はぼろぼろで、足は腐っていて、43歳のれんくんは、匂いをたどって円佳のところに来たらしい。


「ぽに」が何かは、よくわからない。

でもどうやら、「ぽに」が来ているということはれんくん本体が危なくて、そして「ぽに」は普通はお母さんのところに行くはずだけど何故か円佳のところに来ていて、「ぽに」が来るとお祓いをしないと将来子供ができたときに連れ去られるらしい。


事前に出た記事では、この作品は「“仕事とお金の責任の範囲”をテーマにした作品」だと紹介されていた。

だとしたら、「ぽにがやってくる」というのは「責任が追いかけてくる」ということなのか。

「ぽに」が「責任」だとしたら、英語の「responsibility」からとって「ぽに」なのか?
この「責任」を意味する英単語が「response(応答)」から来てるのが面白いなと前から思っていたんだけど、そう考えるとある意味で円佳は常に周囲の期待に応えてしまう女とも言えるし、それでいて何にも応えられてないよなとも思う。

 

れんくんの両親は円佳と、円佳の会社の担当者に、責任を問う。

「これは業務上の過失になりますよね?」
「あなた、一応、プロとしてどうなんですか?」

円佳はきっとそこまで責任感を持ってこの仕事をしていたわけではないし、担当者もなんとか穏便に収めようとする。
二人を責める両親も「そりゃ、こちらにも責任はありますが……」と頭を抱える。

 

ぽに化したれんくんは、5歳のときよりもずっとものわかりがよく、この世界で一番まともな存在に思えた。
本当は一番おかしな存在のはずなのに不思議だ。


お祓いにいった円佳は、胡散臭い男に言われるがままに、穴に上半身を入れる。

お祓いは9割の確率で成功し、そして成功すると9割の確率で失明するらしい。

男は低い声で、奇妙な節をつけながら呪文を唱え始める。

「鬼さんこちら、手のなる方へ。鬼さんこちら、手のなる方へ」

れんくんはそれを「え、これ俺はどうしたらいいの?」と笑いながら見ている。
儀式の終了が告げられても、彼はそのままそこにいた。


なーんだ、何も起こらないじゃん…………と思ったが、


穴から身体を出した円佳は、目元を布で覆われていた。
序盤に出てきた盲目のコンビニ店員がしていたのと同じものだ。


あの店員も、こうして視力を失ったのか?
円佳も、今は普通に見えているようだが、このまま何も見えなくなるのか?


ラストシーン、ぽに化したれんくんは消える。
本体に戻れたということだろうか。

そして、突然、円佳が周りを見回し、足元を手探りし、呆然とするところで、ふつり、と芝居は終わる。


ああ、見えなくなったんだな、と、直感的にわかった。

最後、ブランコが揺れたけど、あれはもしかして見えてないけどぽにのれんくんがいたんだろうか。

 

ぽにを祓うと失明するって話だったけど、「ぽに」が「責任」なのだとしたら、責任を拭い去るというのはある意味で目を塞ぐことになるのかなと思ったり……。

だって円佳、見えてても見ようとしてなかったものたくさんある。

留学するする詐欺になってる中途半端な自分。
嫌なことをはっきり嫌だと言えない中途半端な反応。
告白しても流そうとしてくるクズいセフレとの中途半端な関係。

円佳も円佳で、誠也とは違う方向性のどうしようもない人間だと思うんだけど、でも円佳の中にも誠也の中にも、他の登場人物の中にも、ちょっとずつ「わかるな〜」と思う部分があって、結局は私もどうしようもない人間だな〜と思った。


円佳だけじゃなく、登場人物全員、目をそらしてることがたくさんある。

れんくんのお母さん、絶対それお仕事じゃないじゃん?
れんくんのお父さん、絶対そのことわかってるじゃん?

誠也だって、役者としてうまくいってるとは思えない。
役者仲間は朝の番組でコーナー持てることになったのに。

 

目をそらしてること、耳を塞いでいること。
自分を守るためのやさしい嘘たち。


そういえば、円佳の肉体に対する接触が多くの場面で、ぬいぐるみの腕によって行われていたのも、演出上の「やさしい嘘」のように感じた。


常にぬいぐるみの腕で円佳に触れる誠也。

見た目はぬいぐるみの腕なのだが、行為を終えた誠也がその指を拭き、その手で円佳の頭を撫でたり身体を抱きしめたり腕枕をしたりするので、誠也にとっては本物の自分の腕なのだとわかる。


誠也は、ぬいぐるみの腕で円佳のスカートをめくり、円佳を殴る。

れんくんも、ぬいぐるみの腕で円佳を殴打する。

風俗嬢も、ふわふわした塊で円佳の肉体を愛撫する。


これが実際の肉体による暴力や性的な接触だったら、見ていてもっとつらかった気がする。
だから、そういう意味のオブラートとしてのやさしい嘘なのかなと思った。


でも、円佳は素手で誠也の頬を張っていて、常に生身ではない腕で相手に触れる描写がされていた誠也って何だったんだろうとも思った。

 


意味なんてないのかもしれないけど、意味を見出そうとすれば、どこまでも考えられてしまう気がする。

日常もたぶんそうで、意味なんてないけど、すべてに意味があって、人によってその感じ方や受け取り方は違う。

 

劇団た組の舞台は、虚構としての面白さが、恐ろしいほどのリアルさでそこにあって、目の前の人たちの日常をそのまま観ているみたいな気持ちになる。
演劇的な嘘がたくさんあるのに、全部が生々しく感じられる。

今回も、2時間あっという間で、もっと観ていたかったと思った。

 

全然まとまらないけど、きりがないので終わります。

 

 

↓これを書いた数日後に思ったこと

『友達』って何なんですか、という観劇感想。


9月25日(土) @配信18:00回
シス・カンパニー公演『友達』
原作:安部公房
上演台本・演出:加藤拓也


を観た。


以下、ネタバレありの感想覚書。
とりあえず取り急ぎの走り書き。

気になってる人は27日(月)23:59までアーカイブ観れるので是非。

(……と思ったら、アーカイブは事前にチケットを購入していないと観られないみたいです。ごめんなさい!大阪公演ならまだ少しだけ残席あるっぽいので、そっちならまだ間に合う……?  9/27 20:30追記)

 

 

照明で区切られた正方形の空間。
中央にはドア。
そこに寝そべる一人の男。

ドアを開けると、奈落に繋がっていて、階段で人が出入りできるようになっている。


男が開けたドアから、女がひょっこり顔を出す。
そして次々に現れる人、人、人、人…………
みんな手には大きな荷物を持っていて、あっという間に9人の老若男女が男の部屋に入ってくる。

 

突然の出来事に戸惑う男だが、全く話が通じない。
警察を呼んでも相手にされない。
恋人にも信じてもらえず、頼った弁護士は「僕もなんです」と言い出す始末。


「多数決」と「正義」で物事が決まっていく。
男は部屋も財布も通帳も仕事も恋人も奪われ、家の「仕事」をするしかなくなる。

 

 

観ていてずーーーーーーーっとストレスが凄かった。

まず話が通じないのが怖すぎる。
日本語を話してるのに日本語の会話が成り立ってない。

破綻した理論を論理的に語られるから気が狂う。


原作は未読だけど、台詞回しが完全に安部公房のそれ。
でも、小説として読んでいるときは楽しめる言葉選びや台詞回しが、生身の人間の口から出てくると想像以上にキツイ。

じっと目を見て話されるのも、終始笑顔なのも、逆にこわい。


このストレスの後には、ちゃんとカタルシスがあるんだろうな!!?!と思いながら見ていても、一向にその気配がなくて、ただただ苦しい。
でも、その苦しさがだんだん麻痺して面白くなってくるのが、また怖い。

 

隣人愛って何なんだ。
私たちはみんな孤独で、でも一人じゃなくて。
血の繋がった家族でも結局は他人だけど、それがなくても家族のような他人もいて。
そういう繋がりの中で、みんなそれぞれの役割や仕事をしながら生きていて。

でも、一人になりたくて。

 


ラスト、男が赤い『檻』に入れられる。

完全に「赤い繭」じゃん!!!!!!!!!

ってなった感想を誰かと共有したくて、終演直後にTwitterで「#SIS友達 赤い繭」って検索したけど、誰もそんな話してなかった………………ネタバレになるからみんな伏せてる……?

 

 

そういえば私は、もともと安部公房作品も、加藤拓也作品も好きで今回の公演を楽しみにしていたんだけど、安部公房のエッセンスが強すぎて、「加藤拓也」はあまり感じられなかった。

でも、後から思い返すと、あの虚構なのにどうしようもなく現実という構造そのものが加藤拓也さんがいつも舞台でやってることと同じのようにも思える。

ここで終わったらこう終わったら気持ちいいなというところで幕が降りたから、加藤拓也作品の呆気ない幕引きが好きな私としてはむしろ裏切られたような気持ちになった。

 


終演後、配信限定でキャストさんの舞台裏挨拶があったのがとても良かった。

個人的には管理人さんの目が怖すぎたのと、お父さんが…………お父さんがめちゃ凄くて………………役者さん全員めちゃめちゃ上手かったんですが、とくに印象に残りました。

 

大阪公演が楽しみなような怖いような……とにかく無事に行けるといいな〜〜〜〜!!!!!


終わります。