エモーショナルの向こう側

思いの丈をぶつけに来ます

うさぎストライプ「みんなしねばいいのにⅡ」を観て考えたこといろいろ

 

11月28日(日) @こまばアゴラ劇場
うさぎストライプ『みんなしねばいいのにⅡ』
作・演出:大池容子


を観てきた!


せっかく東京行くからもう一本くらい何か観たいな〜と思って探して見つけた公演。
うさぎストライプさんはなんとなく聞いたことあったけど、どんな劇団かは全然知らなかった。出演している役者さんたちも知らない方たちばかり。

でも、なんだか物騒なタイトルと、そのわりにゆるゆるポップなチラシに惹かれて、観に行くことにした。
あとは、こまばアゴラなら間違いないやろ〜という謎の自信と信頼と……。まあ、そうは言ってもこまばアゴラ劇場行くの2回目なんだけど、前回は笑の内閣さんの『そこまで言わんでモリエール』を観に行って、なんだかすごく印象の良い劇場だったから。


というわけで、前情報ほとんどなしの博打な感じで観に行ったんだけど、結果的に大当たりだった!
物騒なタイトルとゆるゆるポップなチラシの雰囲気そのままの、キュートでポップで不穏な不思議空間がすごく気持ち良かった。
具象の舞台装置の中で複数の場所や人が交差しながら時空を超えていく演出も面白かったし、出てくる登場人物がみんなすごくチャーミングで観ていて楽しかったし、それでいてずっと得体のしれない気味悪さが隣にあって、その感覚も最高。


実は今回、観劇経験ほとんどない友人と一緒に行ったんだけど、友人もめちゃめちゃ楽しんでくれて、それもすごく嬉しかった。
終演後にその友人と「あれはこういうこと?」「あれめっちゃ可愛かったよね!?」みたいな話がたくさんできたのも楽しかった。
わけのわからなさを楽しめる友人で良かったし、わけのわからなさをわけがわからないまま板に乗せて成り立たせてる演劇だいすき〜〜〜〜!!!!という気持ちでいっぱいになった。


本当に、ずーっとわけがわからないんだけど、でもなんだか怖かったり、なんだか面白かったり、なんだか可愛かったり、なんだか切なかったり、そういうところが凄く良かった。
観劇から一週間経ってもまだ思い出すシーンや、あれはなんだったんだろうと考えてることがいろいろあって、観てる最中もずっと楽しかったけど、観終わってからが本番みたいなところある。

 

以下、ネタバレとか一切気にせずに、観ながら思っていたこと、観終わってから考えたことを、思いつくままに書く。

 

 

会場に入ると、すぐにシンプルな部屋の舞台装置が目に入った。
黒いパンチカーペットに平台で一段上がって、テーブルと椅子とベッドが置かれている。床や壁のラインが曲線的でかわいい。周りの空間ともしっくり馴染む。
正面には大きな四角い窓。その向こうには真っ暗闇。
ベッドの上には大きなひつじのぬいぐるみが鎮座していて、なんとなく女性の部屋なのかなという印象だ。

舞台上手の棚には、お菓子や日用品が並んでいる。
舞台下手にはガラクタに混じってファミリーマートの看板がちかちかと点滅していて、そうかここはコンビニなんだなとわかる。

 

そういえば開演前のBGMで相対性理論の品川ナンバーが流れてテンション上がった。
その他の曲も、知らない曲だけど全部ゆるゆるポップで可愛い曲ばかりで、期待が高まる。

 


舞台が始まる。

主人公は、ハロウィン生まれの看護師、あき(清水緑)。
誕生日なのに職場のハロウィンパーティーで仕事の関係でしかない男に勘違いされて家までついてこられそうになってマジで最悪で、しかも家には死んだはずの母親がずっといる。

あきの母親の響子(小瀧万梨子)は、生前はゴミ屋敷の住人だった。
ゴミ屋敷の中で誰にも気づかれることなく死に、今は娘のあきのことを文字通り見守っている。

あきの住むマンションは、女性専用のマンションで、そしてなんだか呪われている。
ていうかたぶん、響子が呪ってる。
どうやら、あきの実家の跡地に建てられたのが、このマンションらしい。

ゆきえ(あやかんぬ)も、このマンションの住人だ。
捨てても捨てても戻ってくるぬいぐるみや、彼氏とトラブって転がり込んできた隣人に悩まされている。

ゆきえの隣人のなつみ(幡美優)は、マンションのすぐ前のコンビニで働く坂本(伊藤毅)と付き合っている。
坂本はしょっちゅう、なつみの部屋に来るが、なんだかなつみに冷たい。

坂本は、どうやら本当は、あきのことが好きらしい。
好きらしい……っていうか、あきのことをずっと見ていて、なつみと付き合ったのも、あきに近づくためっぽい。

橘(亀山浩史)は、そんなあきの病院にやってくる製薬会社の営業マンだ。
ハロウィンパーティーの後に、あきを送り狼しようとするが、途中に寄ったコンビニで、坂本に殴られる。
そしてたぶん、そのまま坂本に殺される。


死んだはずの橘……というか亀山浩史さんは、"つのくん"として再び登場する。
つのくんは、どうやら、ゆきえが捨てても捨てても部屋に戻ってくる羊のぬいぐるみの化身らしい。


「たぶん」とか「どうやら」とか「らしい」とかばかりなのは、それらが作中で匂わせられるが明言されないからだ。
きっとそうなんだろうな〜というまま、物語が展開していく。


そしてこの個性豊かな登場人物たちが、入れ代わり立ち代わり舞台上に現れる。
一つの部屋が、あきの部屋になり、ゆきえの部屋になり、なつみの部屋になる。
そして梁の上からは、響子がずーっと一部始終を見ている。そして時折、ぬいぐるみを元に戻したり、毛糸の玉を落としたり、怪奇現象を起こす。


最初は、この場所が次々と交錯していくシステムがわからなくて、あきと母親が話しているところに、ゆきえとなつみが来て普通に過ごしていたから、もしかしてあきも幽霊なのかとか思ったけど、繰り返されるうちにすぐに慣れた。
そしてこの、複数の場所が入り混じりながら移り変わっていく感じが、作品のグルーヴ感みたいなのをうまく作っていて、観ていて気持ち良かった。


場面転換は、人の出ハケと、歌によって行われる。

ほとんどは人が出ていって別の人が入ってくると次のシーンという感じだが、物語が渋滞して「え〜、何これどうなるの〜!?」というところで、登場人物は突然歌い出す。

歌っている間に、物語はどんどん動いていく。
一人が歌っている横で、他の登場人物が出てきて、何かをして、また去っていって、自然に次の場面へと移行する。


冒頭では、あきが歌っている間に、自室に帰ってきたゆきえがぬいぐるみを窓から投げ捨てる。しかしぬいぐるみは戻ってくる。だから今度はぬいぐるみの腕をハサミでチョキンと切り落とし、窓からまた捨てる。
一方では、坂本が橘の腕を切り落としている。橘はゴミ捨て場で気絶し、そして「いや、これハロウィンじゃないんだって……ほんとに腕切られたんだって…………どこだよ、俺の腕……」と彷徨い歩く。

中盤、なつみとつのくんが歌っている間に、世界は変貌する。
終わらないハロウィン。日常になった非日常。

そして終盤、坂本に縛られ、絶体絶命のあき。
それを見ながら、響子も歌を歌う。古い上にマイナーすぎて誰も知らないような歌を歌う。

 

この、歌でシーンを成り立たせるのか、力技なんだけど成り立っててすごく良かった。
そういえば「人生を謳歌する」って言うよな……と思ったりもした。

 


舞台上では、不穏な空気が、ポップでキュートにラッピングされている。

不満だらけの毎日。
嫌だけど嫌と言えない空気。
嫌と言っても流されてしまうその場のノリ。
みんな少しずつ間違ってて、でもどこから正せば元に戻るのか、そもそも元は正しかったのかもわからない。

 

今年のハロウィンは終わらないらしい。
期間限定の非日常だったはずのイベントは、いつの間にか日常になり、物資は不足し、仮装した偽物の警察官や医者が皆を混乱させる。

だから看護師のあきは、毎日大忙しだ。
病院の前で拡声器片手に「治療を受けたい方は並んでくださ〜い!私、本物なんで、指示に従ってくださ〜い!」と言って回る。

この、非日常が日常になる感じとか、偽物が大きな顔をしたり流言飛語が飛び交ったりする感じとかは、すごく今の社会を反映してるなと思った。
初演は2016年で、再演に当たって半分以上リクリエイションされてるらしいけど、最初のバージョンではどうなってたんだろう。
脚本は変わってなかったとしても、演者も観客もコロナ禍を経験した今では、感じ方は明らかに変わるよなと思う。

パンフレットで作・演出の大池容子さんが「ちょっと不思議なハロウィンをきっかけに世界が滅びていく、というこの作品を再演しようと決めてから、コロナ禍でひっちゃかめっちゃかになっている現実の世界の方が、まるでフィクションのようだなあと思い知らされることになりました」と書かれていたけど、本当にその通り。

いろんなことがひっくり返った世界だからこそ、フィクションの世界の捉え方も変わって、それはそれで面白い。

 


舞台上で、誰かが明確に「みんなしねばいいのに」ということはなかったような気がするけど、でも全員がうっすら「みんなしねばいいのに」と思っているような気がした。

放っておいてもみんなしぬけど。
とくに、あきは仕事を通して身を持って知っているけど。
でも、みんなしねばいいのにと思ってしまう夜もある。
みんなきっと、みんなしねばいいのにと思ってしまう瞬間を持っている。


唯一の例外は、なつみだ。
なつみは常に“生”へとひた走る。
彼女はエネルギッシュで大胆で、わけのわからない世界の中でわけのわからなさを受け入れて生きている。いや、受け入れているのか、理解できてないのか、それとも全部を見ないフリしてるのか、それはわからないけど。

坂本くんのことが大好きで、坂本くんのためならミニスカポリスのコスプレまでしちゃうなつみが本当に可愛くて、でも「ナース服じゃないと意味ないから」と言われてしまうなつみが可哀想で、そんな様子はどこか“性”的でもあって、同時に“聖”的なものを感じる瞬間もあって、とにかく魅力的だった。

 

だから観終わった後、友人と散々「坂本〜〜〜〜〜まじで坂本お前〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」という話をした。

坂本!お前こんな可愛い子に好かれてるのに、喋ったこともない女ストーキングしてるのかよ!
しかも坂本!お前、なつみには自分から話しかけられるんなら、あきにも普通に話しかけろよ!!!!

 

でも、それができないから、坂本は坂本なんだよな……とも思う。

加減がわからなくて、いつもちょっと間違えちゃって、とりかえしがつかなくなっちゃう坂本。
本当はやり直せるのかもしれないけど、やり直し方がわからない坂本。


坂本は、あきを椅子に縛り上げ、斧を片手に会話する。
「もう最終的には殺すしかないんですけど」とかなんとか言いながら。

「そんなことないよ、やり直せるから!」と諭すあき。


あきと坂本は、どこか似ている。
二人とも現実に悪態をつき、なんでいつもこうなっちゃうんだろうなぁと思いながら生きている。

 


世の中は不条理なことだらけで、その不条理の化身のような存在が“つのくん”だった。

つのくんはたぶん、羊のぬいぐるみだ。
ゆきえが捨てても捨てても部屋に戻ってくるぬいぐるみ。
あきが小さい頃に大事にしてたから、響子が捨てられなかったものの一つ。

そんな羊のぬいぐるみは、めちゃめちゃ背の高い、手足の長い男になって帰ってくる。
ぬいぐるみと一緒で、何度窓から落としても死なずに戻ってくる。


“つのくん”という名前をつけたのは、なつみだ。
坂本と喧嘩をして隣人のゆきえの部屋に転がり込んだなつみは、そこでつのくんと出会って意気投合。
こうしてマンションの一室で奇妙な同居生活が始まる。

理不尽に振り回されるゆきえを横目に、なつみとつのくんはいちゃいちゃを繰り返し、そしてなつみは、つのくんの子を身籠る。


つのくんが拾ってきたウェディングドレスに身を包み、なつみは終わらないハロウィンが続く街を走る。
つのくんと一緒に、幸せになるために。

 

ゆきえは、劇中では一番の常識人に見えたが、でも序盤で躊躇なくぬいぐるみの腕を切り落としていたり、実家からたくさん送られてきたと梨を配って歩いていたり、そういうちょっとしたところに狂気が感じられて、やっぱりこわかった。

 


ラストシーン、部屋の中には、あきと坂本。
あきは、坂本によって椅子に縛り上げられている。
坂本の手には、橘を殺したのと同じ斧が握られている。
響子は、それをじっと見ている。

コンビニには、つのくんとなつみ。
なつみのお腹は逃げるうちにどんどん大きくなり、いつの間にか腹を突き破ってツノが飛び出ていた。純白の花嫁衣装に赤い血が滲む。
そんななつみを守るように立つつのくん。
そしてなつみは、突然真顔になり、ある一点を見つめる。

なつみの視線の先には、椅子に座って手紙のようなものを手にするゆきえがいる。

 

このラストか、友人とも話したけど結局よくわからなかった。
ゆきえの持っていた手紙は何だ?
カバンの中から出したように見えたし、あのカバンは梨が入っていたのと同じもののような気がするから、あれは実家からの手紙とかなのか?

でも、それをなつみが見ていたのは何でだろう?
あの場面の空間はどうなってたんだろう?

 


観ながら「あ〜、これきっと、どこにも着地せずに終わるんだろうな」と思ってたから、結末を放り投げられたのは想定内だったんだけど、どう受け取ればいいのかわからなくて、ぐるぐるしている。

まあ、最初から最後まで本当に「わかった」と言えることは何一つないし、そのわからなさ込みですごく楽しかったからいいんだけど、あれは本当にどういうことだったんだろう…………

 


私は自分が感想を書くまで他の人の感想に触れたくない派だから、これを書き上げたら、うさぎストライプさんの感想まとめを読みに行きたいと思う。
皆はどう受け取ったのか気になる〜〜〜〜〜〜〜!

 

 

いろんな要素が絡み合ってたけど、私は、あきと母親の会話や関係性がすごく好きだった。

 

ゴミ屋敷の住人だった母親。
あきは、実家がゴミ屋敷とか嫌だから、家に寄り付かなくなった。
そして母親は誰にも知られずにゴミ屋敷で死んだ。
たくさんのゴミに囲まれて、どろどろになって死んだ。


母親は「全部に思い出があって、なくなったらその思い出まで消えちゃう気がするから捨てられない」と話す。
あきにとってはゴミでも、母親の響子にとっては全て大切な思い出の品なのだ。


だから響子は、死んでも成仏できないんだろうか。
自分も消えたら忘れられてしまうと思っているから、ずっとあきのそばに居続けるんだろうか。
それとも、あきが母親のことを吹っ切れないから、母親はずっとそこにいるんだろうか。


取り返しのつかないこと、取り返せないから捨てたくないこと、取り返せなくてもやり直せること。

 

みんなしねばいいのにと思いながら死ぬまで生きるしかないし、死んでもそう何も変わらないのかもしれない。

 


観ている間の90分、観終わってからの一週間、こんなようなことをぐるぐる考えていた。
ものすごく楽しい時間だったから、またうさぎストライプさん観に行きたいな。


まとまらないけど終わります。